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はじめのはなし 03

   サングラスを外した男は、意外です、と呟いた。  その声はやっぱり柔らかくて、少し甘い。 「坂木さんは断るかと思っていました」  うるっせーよ喋るんじゃねえよ気が散るだろがって思うが別に集中したいわけじゃない。  集中したいわけじゃないし、集中したくもないけれど、意識が散漫だと天井に目が行って、今にもあの揺れる足が落ちてきそうな恐怖が背筋を震えさせた。  だから俺はきれいな笑顔で俺をベッドに縫い付ける男に集中するしかない。 「…………だって金ねーもん。つか、あの足の次のアクションはなんでしょうね、なんつー脅しかけてきたのアンタじゃねーの……なんだよその怖すぎる想像力……」 「生える、群れる、揺れる、じゃあ次は何でしょうね、と、申し上げただけなのに」 「脅しだろ……つか本気でここでやんの……」  強制的にシャワーを浴びせられて、簡単な腸内洗浄の方法をレクチャーされて、ものすごく不本意だったけれど言われた通りになんとなくこなして身体を洗って化粧を直して、いつでもウェルカム状態で自室のベッドに押し倒された。  風呂に入って無いくせに甘い花の匂いがするイケメンの後ろで、相変わらず群れる足はゆらりゆらりと揺れている。  ぜんぶ、ぜんぶ、ひだりあし。  その意味もわからないし、意味なんてあるのか知らないけれど、わからないことが不気味に思えて、あえて考えないようにした。 「古くからの世説に、霊は性的な行為を厭う、というものがあるんですが。僕は実際に目に映ることも稀なので、あまり実感できないんですよね。なのでぜひ、坂木さんには実際にどのように変化するのか実況いただきたいなぁと思いまして」 「変態な上にハードタイプの鬼畜野郎じゃねーか……」 「お代現金で払います?」 「……えっちします」  だってこの先、アレをどうにかできる人が現れるとは思わない。  霊能者なんて信用してないし、そもそもそういう人間にどうやって連絡したらいいのかもわからない。ネットも怖いしタウンページはもっと怖い。神社も寺も、きっとそういうのはお門違いだ。  じゃあもう俺はこの微妙な縁で繋がったくろゆりさんにどうにかしてもらう方が良い。  百万払えって言われたら引っ越すけどさ。でもまあ、一回イケメンに抱かれるくらいなら、まあ、と思っていたら、イケメンの舌が耳をなぞってびくりとしてしまった。 「……っ、……ひ、ぅ……!」 「……ゲイでもオカマでもないと、仰っていましたが。もしかして、男性相手は初めてではない?」 「…………二回だけ。接客上で、まあ、断れなくて。わりとメタボでもハゲでも加齢臭でもなかったから」 「最後まで?」 「いや、指くらいまで」 「なら良かった。全部は僕が初めてですね」  にっこりと笑うくろゆりさんの顔が鬼畜にしか見えない。ていうかどう考えても鬼畜だ。 「そんなに怖がらないでください。多分、優しい方だと思いますし」 「自称優しいとか自称うまいとか絶対しんじねーからな……これ暴力レベルにしんどかったら後々除霊的なあれそれに色つけてもらうから」 「心配なさらなくても平気ですよ。僕はどちらかと言えば、自分が気持ち良くなるよりも、相手をどろどろにして焦らしてねだって頂くのが好きなので」 「ナニソレコワイ」  すごくやだ。それならまだ痛いだけの方がマシなんじゃないのと言おうとしたのに耳の中に舌を入れられてゆるりと嬲られて、ついでに手袋をしたままの手が俺の平らな胸を引っ掻いたもんだから変な声が出そうになって口を噤んだ。  合皮の微妙な感触がどうも、気になる。  俺は風呂から出た後、化粧は直したけど服を着るのもばかばかしくてほとんど素っ裸だけど、黒尽くめの男はサングラスを取っただけだ。  引っ掻くように動く指の動きに、背筋が戦慄く。  皮手袋の指は、先っぽを掠るように動くばかりで、徐々にそのもどかしさが身体を揺らした。  うまい、というのは、多分本当だ。なりゆきだけで寝た過去の二人の男は、別段乱暴でもなかったがどうも自分良がりで、愛撫もすこし強すぎた。  直接的な刺激は、柔らかく焦らされれば焦らされる程、気持ちが良い。 「……っ、…………くろゆりさ、脱がないの、……服」 「ああ、服。脱いだ方がお好きならばそれでもいいですが。僕は個人的には、このまま坂木さんを犯したいです」 「言葉選べよイケメン……犯すとか言うのやめろよイケメンじゃあ第二ボタンくらいまであけろよ……」 「開けた方が良いですか?」 「良い。……俺、男の鎖骨と喉仏のライン、結構、すき」  わざと、少し掠れた声で、男の喉を指でなぞる。流石に接客でここまでしないけど、まあ、どうせ最後はやられるんだと思えば、どんな挑発もやけくそでぶつけられた。  どうせ飄々とかわすのだろうと思ったのに、くろゆりさんはちょっとだけ楽しそうに笑った。  ふふ、という柔らかい声が、耳をくすぐる。  イケメンは笑い声まで気持ちいい。ずるい。イケメンってだけでもずるいのになんだもうお前中身は絶対屑な癖に。 「……本来は僕が翻弄する側なのに。おかしいな」 「ボタン、俺がとる」 「うん、どうぞ。ぜひきみの好きにしてください。その代わり僕も、好きにさせてもらいます」  黒いシャツの襟に指をかけようをしたら皮手袋の手に絡め取られて爪の先にキスをされる。ぞわりとしたものが腰に響く。あーこれだめだ快感だ知ってる知ってる。でもこの感じ、今まで男とした時には感じなかったから、なんか不思議だった。  成り行きで好きでもない男とエロいことをしたことはある。でも、別に普通だった。そこまで気持ち悪いと思う程でもなかったけれど、気持ち良くて死んじゃうって感じでも無かった。普通に女子にフェラしてもらった方が絶対にきもちいい。  そう思ってたのに。  なんで俺指先舐められただけでぞくぞくしてんの何これって思って、じゃあ他のとこ舐められたらどうなっちゃうのって想像してまたぞくぞくした。  多分、くろゆりさんの余裕が俺に丁度いい。  がっつかない。ゆっくりゆっくりとじわりと動く。  いや丁度いいって言うか絶妙に足りない。指の先からつう、と腕をなぞった舌は、そのまま腕の付け根を通り越して胸の先に辿りつく。  化粧は結構完璧だけど、俺は女子になりたいわけでもないので乳は勿論まっ平らだ。  ホルモン注射もしていない。完全に男子なのに、その小さい尖りを舌先でつつかれると、びくりと腰が揺れてしまう。 「……足は、揺れて居ますか?」  もっとしてよ、ってうっかり口から出そうになるタイミングで、そんなことを聞いてくるからやっぱりくろゆり某は鬼畜だった。 「……っ、ちょ、……やめ、てめ、そういうの、」 「醒めます? ……でも、僕は気になるもので。天井はどうなっていますか?」 「………っ、ぁ、ひっかくの、だめ……っ、さきっぽ、ばっか……」 「答えて下さったらもっと気持ちよくしてさしあげます」 「―――…きちく………」  結構かわいこぶって声を出したのに全然効いてなくて悔しすぎる。くっそ。イケメンまじむかつく。  でもすっかり開き直ったせいでエロ気分になっちゃってる俺はもっとお願いしますってなってしまってるので、鬼畜男の要望に沿って天井を見た。  天井に張り付いた女がくろゆりさんを指さしていた。 「――……ッヒ、」  思わず、きもちいいとかエロいとか全部忘れて息を飲んだ。  さっきまでゆらゆら揺れる足だったのに。今はもう足はない。ひとつもない。何処に行ったんだってくらいにすっきりと何もない。何もないのに、今度は足よりももっといやなものがそこにあった。  顔はなんかうまく見えない。  たぶん、こっちを見ている。ていうかあれ身体どうなってんの?  背中が見えるのに、顔は完全にこっちを向いているし、腕もおかしな方向にねじれている気がする。でも、よくわからない。目を凝らそうとするとうまく見えない。というか、見たくない。  思わず目の前の男の胸に全力で抱きついてしまった。  変わらず俺の乳首を弄りながら、空気を読まない鬼畜は楽しそうに囁く。 「何が見えました?」 「………えっちしてたら霊居なくなるっての嘘じゃん……っ」 「居なくなるとは言っていませんよ。そういう説もありますけどねという話で。ああ、そうか、もうそこに居るものには意味ないのかもしれないですよね。ラブホテルにも怪談はありますものね」 「そういうの先に言えし……!」 「実験みたいなものだときちんとお伝えしましたよ。それで、何が見えます?」 「……っ、ぁ、ちょ、ばか、抓んない、……っあ、おんな、が、っふ……天井に、張り付い……あんたのこと、ゆびさして、る……」 「……なるほど。きみは、本当に目が良いんですね。そこまで見える方は、久しぶりだ」  柔らかく囁く声に、ぞっとした。  くろゆりさんは、霊感なんて無いという。雰囲気でなんとなく感じるだけで、そこに居る霊のことなんか見えもしないしわかりもしないと言う。  それなのにそこに何かいるのが当たり前のように言う。やめろよそういうのこええだろ。見えてますって言われた方がまだマシだ。 「あんた、やっぱ、霊感あるん、じゃ」 「ああ、いえ、違います。別に僕は僕の背後に居るらしいその女性とやらはわからないです。確かに、ちょっと空気が変わったかなぁとは思ってましたが、本当に見えないので。ただ、僕の周りには不思議なものがよく現れるそうです。寄せ付ける体質なのでしょうね。ですから、まあ、一応訊いてみただけでして、天井に張り付いた女性が僕をご指名、というのは初めてですね。はっきり見える方はおもしろい」  こっちは全然面白くない。まったくもって面白くない。  何で俺は素っ裸でイケメンに乳首弄られながら天井に張り付いた女の実況しなきゃいけないの? って思うと涙出てきそうだ。  ヘンなものは見慣れていたと思っていた。怖いけど、耐えられると思っていた。  でもなんでだろうアレ怖いとかそういうんじゃないヤバい。初めてそう思ったのは、完全にご指名されている本人が笑顔で性行為を続行しようとしていたからかもしれない。 「ちょ、あの、くろゆりさ、あの、え、これちょっとせめて場所変えたりとか……!」 「ああ、大丈夫でしょう。一応僕はお札的なものを飲んできましたし。先ほどちょっと舐めたので坂木さんにも効果はある筈ですよ。お札職人さん、新しい方に頼んだのでちょっと、効くのかは賭け感ありますが」 「いやいやいやいやそういうんじゃなくて! そういうんじゃ! なくて!」 「実は先ほどボタンを開ける開けないのくだりで不覚にも久方ぶりにときめきを感じまして。興味本位以外でも貴方を抱きたいので今から場所移動なんて余裕が無いです」 「なんだそれ何ちょっとかわいいこと言ってんだイケメンふざけんなこんな状況でチンコつっこまれる俺の気持ちになってみろ……!」 「致してる最中は天井どころじゃない筈ですから」  随分と自信満々で、なんだかいろんな意味で殺したくなった。

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