6 / 83

名の呪のはなし 02

「ねえ、俺が来る必要なくね?」  諦め悪く今朝から何度目かわからない台詞を繰り返すも、ジャケットを脱いだくろゆりさんはさらりと笑って馬鹿の一つ覚えのように同じ返答をした。 「ビジネスホテルには一人で入れますけど、ラブホテルには一人で入れないでしょう」 「いやでも俺の必要無えし、男だし、絶対怪しいし」 「大丈夫、今の春日くんは黙っていれば少し背の高い美人な女性ですよ」 「いやいやいやいや控え目に見て美人なオカマがせいぜいだろ」  出勤する時よりは格好は派手じゃないし、スカートじゃなくてスキニーだけど、化粧はばっちりだからぱっと見確かに背の高い女感はあるかもしれない。  でもやっぱ良く見りゃ男だ。オカマかビジュアル系かどっちだって感じだ。完全に怪しい。  でも、『ラブホテルに一緒に行っていただきます』というお誘いというか半強制的な命令を受けたら、そら男の格好のまま行くわけにいかない。 「別に僕は、普通の春日くんの格好でも構いませんが」  今日も真っ黒なイケメンは本当に気にしてない風に言うけど、気にするのは俺の方だ。イケメンの心象なんてどうでもいい。 「ホモ出禁の部屋だったら気まずいだろ。嫌だよ俺、入口で『男性はちょっと……』って言われんの」 「一瞬気まずい思いをするだけでしょうに。まあ、普通の春日くんも、お化粧している椿さんも、僕はどちらでも歓迎しますが。上着掛けますか?」 「……いい。カーデだから。つか脱がないし。くつろがないし」 「くつろいだ方が楽だと思いますけどね。場合によっては朝まで出られないわけですし、お風呂でも入ってきたらどうです?」 「幽霊出るかもしれない部屋で風呂に入るのとか嫌だよ……」 「一緒に入りますか?」 「ふざけんな調子にのんな変態こっちくんなさっさと仕事しろ」 「春日くんの口は今日も絶好調ですねぇ。僕はキミに罵倒されるの、結構好きですよ」  ふふふと笑われて、くっそ時々そうやってさらっと口説くみたいな言葉織り交ぜてくんのやめろとげんなりする。  甘い言葉をほんのり漂わせるイケメンは、多分誰にでもそういう事を言っている。口説き慣れている人間の言葉ってやつはわりと分かりやすい。夜の商売も長くなると、ジゴロじみた人間を目にすることも多かった。  まあ、息をするように口説くのは性かもしれないけど、俺がこいつに結構気に入られているのはガチだろう。  かわいい女の子ならまだしも、職業心霊系なんていう怪しい年上男しかも変態焦らし系ドエスなんて、好かれても嬉しく無いけれど。  知り合いのキャバちゃんのリユ嬢に『某ラブホテルに泊まってから具合が悪くてこれもしかして霊障?』という相談を受けてから一週間。  うちの部屋の天井の足を定期的に観察しに来るくろゆりさんに、それとなく零したら、「ああ、その動画拝見したことありますね」とゆるやかな口調で返された。案外そういうのチェックするのが好きらしい、というか、くろゆりさんの知識とか情報ってほとんどネットなんじゃないかと思ってくる。  知っているなら早い、と思って紹介するからちょっと話聞いてやって、と言っただけなのに。  なんで俺は巻き込まれてしまっているのか。  いくら別途バイト代が出るからといっても、それが俺の普段の仕事の時給の三倍だからといっても、やっぱり来るべきじゃなかった。  もう早く帰りたい。  一刻も早く帰りたい。  帰ったところでうちの部屋の天井には相変わらずゆらゆら揺れる足の群があるんだけど、慣れ親しんだ自室の方が鏡張りの『出るラブホ』より幾分かましだ。  超帰りたい気分を隠しもせずにソファーに座って膝を抱えていると、部屋の中を一周したくろゆりさんが、ベッドの下を覗きながら『狭いですね』とつぶやく。 「何、部屋が?」 「ベッドの下ですよ。件の動画はベッドの下から女性の顔が出てくるものだったでしょう。まあ、人が入れるほどのスペースがなかったとしても、現代は簡単に映像編集できますし、作りモノの線は消えませんけどね」 「え。あの動画、本物じゃないの?」 「わかりません」  きっぱりと言い放った呪い屋は、よいしょと立ち上がると膝の汚れを払う。 「僕は時折こっちにいるような気がするな、という程度の感覚は持ちますが、映像や写真を見ただけで霊の有無を断言できる能力は持っていませんので。カメラの不自然なパンやあからさまな合成はさすがに気がつきますけどね。あの動画は、そこまで不自然なカメラワークでもなかったですし、いまいち判断が難しい」 「……ほんと、くろゆりさんって感覚的な霊情報ほとんどないよな……合成か云々かってそれ霊感関係なくね?」 「関係ないですね。常々言っておりますが、僕には霊感なんてほぼないですよ。ただ、現象に対する知識と対処方法と対処するツテを知っているだけです。豆腐作りが得意だからといって、豆腐屋をやっている人ばかりじゃないでしょう? レシピがあって作って売る環境が整っていれば豆腐屋は開ける。家業などはその最たるものでしょう」 「代々、くろゆりさんちは呪い屋だったってこと?」 「血族的には呪い屋という分類ではありませんが。近い人間が同業の師匠でしたので、まあ、そういう事になるのかもしれませんね。――…ところで、護符のようなものや霊的な対処は見つかりませんね。やはり、合成なのかな」  件の動画はイヤだったけど一応見た。というか見させられた。  たぶんハメ撮りしたかったんだろうなっていう動画だった。まだ服を着ている状態の女の子がベッドに押し倒されていて、それを上から撮っている構図だ。  カメラは嫌だよ~とかいいじゃん~とか、そんな甘ったるい感じのいちゃいちゃの合間に、ベッドの下からぬるり、と女性らしき白い顔が鼻あたりまで出てくる。そしてその目が、ぎょろ、っとカメラを見つけたように動いて凝視する。  動画の男女はそれに気がついた様子もなく、映像はそこで切れた。  気持ち悪い映像だった。音もなく出てくるその感じが、どうにも嫌だ。  確かに、あの動画の部屋はここだと思う。  特別な特徴もない、普通のダブルベッドに、でっかい鏡がある部屋だ。なんでこういうとこってやたら鏡張り好きなんだよやめろよ鏡とか最恐の心霊アイテムじゃん、とは思うがいやラブホだしそういう羞恥心あおる演出もやっぱ必要なんだろうかどうだろう。  個人的には鏡プレイはイヤだ。  女の子相手に腰を振ってる自分って、結構間抜けだと思うし、興ざめしそうだし。じゃあくろゆりさん相手ならいいかっつったらそれもイヤだ。鏡プラスくろゆり式言葉攻めドエスセックスとか、どう考えてもやばい。  今日は絶対くろゆりさんに一メートル以上近づかない決意をし、腕を組んで首を傾げるイケメンを眺める。 「やっぱ、お札とかってあるもんなの? ビジホに絵画が飾ってあったら裏にお札があるから気をつけろ、って都市伝説じゃねーの?」 「僕は貼りますよ。道具として一番有効だと思います。飲食店など数時間しか利用しない店ならばまだしも、一泊を提供する部屋ですからね。なにかしら霊現象があれば、簡単なお祓いくらいはするとは思いますが」 「じゃ、デマ? あの映像は嘘っぱち? リユちゃんの具合はただの風邪とか気のせい?」 「今のところはわかりませんね。とりあえずは一泊しましょう。夜になったら出てくる類のものかもしれない」 「……やっぱ泊まんの……」 「春日くんはもうお化粧落としていいですよ」  泊まらなきゃいけないなら、確かに化粧は落とした方がいい。  風呂入んなくても眠れるだろうけど化粧はダメだ。本当にダメだ。仕事帰りに疲れすぎてて何度か化粧のまま寝たことあるけど、朝起きて顔を洗った時の後悔は半端ない。すごい、肌荒れってホントにあるんだなぁ、としみじみ実感することになる。  顔を洗う瞬間が一番怖いんじゃないかと思う。  そこまでビビりでもない筈だし、いざ出てきても『うおっ』くらいな気がするけど、でも出来れば心霊現象なんて体験したくない。  いやだなと思いつつも、仕方なく風呂場に向かう。  微妙に豪華な洗面台の横には、クレンジングオイルと洗顔と化粧水が並んでいた。さすがラブホだ。こういうのってビジネスホテルにないからちょっと感動してしまう。しかし風呂場も鏡張りなのどうにかならんのか。  しゃーねーな、もうさっさと顔洗って寝ちまおう。そう思ってヘアバンドをして、蛇口のハンドルをひねろうとしたところで、気がついた。  排水溝が妙に黒い。  なんか、黒いネット? みたいになっている。いやこれネットか? ネットっていうか。 「……くろゆりさん」 「はい、なんでしょう。呼びましたか?」 「排水溝に、女の後頭部が、詰まってる」  目を逸らせなくて凝視してた筈なのに、くろゆりさんが部屋からかけつけてくれたときにはごく普通の何もない状態の排水溝に戻っていた。でも、あれは確実に髪の毛だったし、後頭部だった。  見間違いでも勘違いでも疲労でもない筈だ。いや、個人的には、そのどれかであってほしいのだけれど。  後ろからひょっこり頭を覗かせたくろゆりさんは、珍しく苦笑したような雰囲気で俺の手を握った。手袋は外してくれたみたいで、男の手にしてはすべすべした感触がする。そこまでこわくねーし、とか思いつつも全力で握りかえしてしまう。 「……春日くんは本当によく寄せつける人ですね?」 「俺のせいみたいに言うなし……」 「半分くらいは体質でしょうね。僕もそれなりに寄せてしまう方の人間ですが、正直僕以上なのではないかと思いますよ。ところでお化粧はどうしますか?」 「あー……いや、落とす。化粧は落とす。ちょっと後頭部が見えただけだし別にこれ霊とかじゃねーし、ちょっと疲れ目だっただけだし」 「十分な心霊現象でしょうに。一緒にお風呂に入りますか?」 「………………えろいことしない?」 「それはわかりません。僕はあんまり我慢する方では無いので」  ふふと笑ったイケメンに耳の下くらいにキスを落とされて、さっきとは違うぞくぞく感があってダメだった。  確かに、ちょっとエロいことしてる時の方が幽霊云々どうでもよくなる。どうでもよくなるけど一回はじめると『ちょっと』どころじゃなくなるくろゆりさんのセックスは、体力全部もってかれるから別の意味で辛い。  つらい、のは知ってるけど。 「……風呂御一緒お願いします……」 「了解しました。……その、悔しいし恥ずかしいけれど仕方ない心苦しい、みたいな表情、すごくいいですね?」  解説すんなクソがと思いつつも、手を離せないのがまた悔しかった。

ともだちにシェアしよう!