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名の呪のはなし 05

「天崎ゆゆというお名前にきき覚えは?」  某静かな喫茶店で、俺の対面に座ったくろゆりさんは、俺の横にちょこんと腰かけているリユちゃんに、開口一番そう問いかけた。  その瞬間、リユちゃんの肩がびくりと震える。  今日も真っ黒な格好で颯爽と登場したくろゆりさんにもめげず、小さな声でイケメン……と呟いてそわそわしていた心の強いリユちゃんなのに、さっきのその一言で、一気に怯えたような表情に変わる。 「……調べたんですか……?」 「調べたのは件のホテルの部屋の方です。そうしましたら、こんなものが出て来まして」  くろゆりさんが取り出したのは、ビニールの袋に突っ込まれた紙きれだった  これはあのラブホで恐怖体験にもめげずに一夜を明かし、朝になってからくまなく部屋の中を捜索した結果出てきたものだ。  備え付けのでっかい鏡の裏に、まるで捨て損ねたレシートか何かのようにそっと挟まっていた。  普通のわら半紙だ。百均とかにも売ってるやつ。  そこには真っ赤なインクで、『天崎ゆゆ』の字がびっしりと羅列してあった。 「このお名前はさて誰だとインターネットで検索した結果、あられもない姿の画像と商品が数件見つかりました。こちらのAV女優さんである天崎ゆゆさんは、リユさん御本人で間違いないですね?」 「………………まちがい、ない、ですけど……それが、あのホテルの心霊映像とどう関係があるっていうの……? あたし、あの動画は本当に知らないし、偶然ホラーDVDで見ただけで」 「関係ないですね」 「え?」 「ラブホテルの心霊映像は恐らくは作り物でしょう。僕は映像を見て感じとれるタイプではないので、それはそれできちんと映像を撮った御本人に確認してみないと詳しくはわかりませんが……少なくとも、ホテルのあの部屋に現在、霊は居ない」  くろゆりさんがそう断言するには訳がある。ただ、それを説明するのは長いし面倒だしどうせ信じられるものでもないらしいので、さくっと割愛してまるで本当に霊感があるようなドヤ顔で言い切っていた。  人間、そう言われるとそういうもんなのかと思ってしまうから不思議だ。 「では何故リユさんが体調不良になっているのかと言うと、それはこちらが原因です」 「天崎ゆゆ、が?」 「はい。リユさんこと、天崎ゆゆは呪われています」  暫く、無言だった。  あはは、超決め顔なんですけど、なんて笑えない雰囲気だ。  くろゆりさんの手元にある呪いの紙はすごく稚拙で、小学生の悪戯みたいだ。こんなのくろゆりさんが自分で作ってリユちゃんを脅して詐欺する計画なんじゃないの、って疑われても文句言えない出来である。  思い描いていた呪いの紙、というものとちょっと違う。  もっと色々こう、魔法陣とか呪術的な呪文とか書いてあるもんじゃないのか、と、質問した俺に、くろゆりさんは『どんなものでも呪いになりますよ』と説明した。 「名前は一番身近な呪である、という話は有名です。例えば蜻蛉はすべからく蜻蛉と呼ばれるのに、人間は一人ずつ明確に区別され名前を持っている。これは一番簡単な区別です。名前はその人間を表す簡単な記号でもある。誰かを呪いたいと思った時に、その誰かが明確に分かるものが必要です。それは標的とされる人物の身体の一部であったりしますが、それが手に入らない場合は最低限『名前』が必要になるでしょう。それは我々単体を区別する記号のようなものです」  確かに、名前がなければ人間のオスっていう括りしかないだろう。俺もくろゆりさんも、名前がなければタダのオスだ。  俺が坂木春日であるには、名前がないと始まらない。これは、一番簡単に人間個人を縛る呪文だ。 「もうすこし、本格的な儀式を行っているかもしれませんね。赤い字で名前を書く、というのは初歩的なおまじない程度のものです。ただ、何度も繰り返せば効果は濃厚になる。見た感じ素人の呪いですが、それ故に別口の呪いを重ねているかもしれません」 「別の呪い……」 「はい。呪いはかけた者にも返る、というのが通説です。実際に呪う人物に起こる現象の半分程は返ってくると覚悟した方がいい。その為、僕達はあまり、多様な手段を一気に使ったりはしません。何がどう作用してどう返ってくるか、そんなものはやってみないと分からない。呪ったつもりが反動だけで自分が死んだ、なんてこともありえるからですね」 「……あたしを呪ってる人も、具合が悪いってこと?」 「可能性が高いですね。ゆゆさんの存在を良しとしていない方で、最近体調がすぐれない様子の人物に、心当たりがありますか?」 「……………」  暫く口をつぐんだリユちゃんは、ぎゅっと握りしめたミニスカートのすそをはためかせて立ち上がると、思いつめたような顔で『帰ります』と言った。 「え、帰るって、え……大丈夫なの? この黒い怪しいイケメン、めっちゃ怪しいけどわりと良心的値段らしいし、詐欺じゃないし……ええと、とにかくもうちょっとこう、今後どうするかとか、」 「ありがと椿ちゃん。でもね、なんかわかったからいいや」 「……わかった? って、でも、それリユちゃんひとりでどうにかできんの?」 「できなかったらまた連絡するかも。でも、とりあえず帰るね。真っ黒な呪い屋さんもありがとうございましたぁ。お金は、振り込んだらいいですか?」 「ホテル代だけで結構ですよ。特に経費も使っていないので。春日くんにお渡ししてくださったらいいです。何かまたお力になれるようならば、ご連絡ください」  案外さらっと引き下がったくろゆりさんに突っ込む前に、リユちゃんはさっさと喫茶店を出て行ってしまった。  えー……何なのこの置いてけぼり感。  あの様子だと誰がリユちゃんを呪っていたのかとか、本人は分かっていたみたいだけど。わかったからって、素人がどうにか対応できるもんなんだろうか。  仕方なく座りなおして、アイスコーヒーを頼み直すイケメンの前で氷の溶けた珈琲を啜りつつ、あれ平気なのって疑問を口にしたらイケメンはにっこりと爽やかに笑って、非道な言葉を吐いた。 「平気かどうかと問われたら平気ではないでしょうね。ホテルにあったこちらの紙の呪は僕も春日くんも触れてしまったので、一応これから溶かしますが。些細なものなので呪い全体としては、これだけ溶かしても意味はないでしょう。きっと彼女が行ったことがあるホテルや撮影に使ったホテルほぼ全てにこのような些細な呪いの紙が仕込まれていることでしょうし。調べればどんどん出てきそうですし」 「だめじゃん……なんでくろゆりさんは帰しちゃったわけ」 「依頼されなかったので。僕と彼女にそれほどの縁もない」 「あー……あーそうだったわりと軽薄なんだった忘れてた……」 「失礼ですね。仕事ですから、情と縁だけで全てを請け負うわけにはいきませんよ。僕の命も身体も有限です」 「言ってる事は真っ当だけどさー……」  確かに、善意だけで仕事は成り立たない。リユちゃんが一人でなんとかする、と言ったからには手出しはできないだろう。 「くろゆりさん的には犯人目星ついてんの? そういうの感じとれちゃったりすんの?」 「感じとれはしないですがまあ、彼氏さんじゃないでしょうかね。本名でも、リユという源氏名でもなく、AV女優の芸名である天崎ゆゆを呪ったところから考えて、撮影関係の方かAV出演を良しとしない方でしょうし。御家族という可能性もありますが。実家暮らしではなく彼氏さんと同居しているということですし、すぐに体調不良の人間に心当たるということは、まあ一番近い人間が妥当でしょう」 「AV出演を良しとしない……でも、天崎ゆゆを呪ってリユちゃんが死んだらどうすんのよ……」 「彼女自体を憎んでいるか。それとも、呪いが返ってくることを前提に、共倒れでも構わないと思っているか。全て推測ですが」 「あの呪いでリユちゃん死んだりしない?」 「わかりません。僕の予想では他にも何重に呪われているかと思いますが、すべて憶測です。心配なら、春日くんが僕に依頼してくださってもいいんですよ。正式な依頼なら僕もお仕事を受けます」 「………………あー」  そう言われると、迷ってしまう。  リユちゃんの事は好きだ。かわいい。おっぱいもでかい。バカな話をして笑える。  でも友達かって言ったらわからない。本名も知らないし、彼氏の顔も知らない。彼氏が居たことも知らなかった。別に、全部知ってるから友達とか、何も知らないから友達じゃないとか思わないけど。そういうんじゃなくて、俺は自分の金削ってまでリユちゃんを助けようと思わない、という事実に気がついてテーブルに額をつけた。 「言うだけはタダだもんなぁー。薄情者、っていうか、まあ、俺別に自分が聖人だとは思ってないし、こういうキャラなのある程度知ってたけど、たまに再確認するとくるわぁ」 「いいんじゃないですかね。別に。他人を無償で助け続ける人がいても、自分の生活を優先する人がいても。人生は自分のものですからね。自分が納得して自分が得をしなければ」 「くろゆりさんのそのスパッとした自分本位な性格は生まれつきかよ……」 「どうでしょう。あまり、昔の事は覚えていないもので。……人格形成に関しては師匠の影響が大きいような気もしますがね」  師匠、と聞いて、あのどろりとした黒いものが頭に浮かんだ。  あんまり詳しい話は聞いていない。説明しましょうか、と首を傾げたくろゆりさんに、今度にしてと言ったのは俺だった。  ちらりと会話の端から読みとれたのは、師匠というのは親戚の女性だったこと。ほとんど育ての親のようなものだったこと。そして今はこの世には居ない筈なのに、夜な夜なくろゆりさんの寝床を襲撃すること。  親が、もしあんな黒いどろどろになって、死んでからも夜中自分に向かって這ってきたら。  そう考えるだけで気持ち悪いような切ないような複雑な感情と一緒に、言いようのない寒気が背中に走る。ぞっとする、というのはこういう時に使う言葉なのかもしれない。  ぞっとする。そのどろりとした何かにもう動じなくなってしまった、もしくは最初かから動じていないくろゆりさんも、若干怖い。  あともう一つだけ聞いた。  あの黒いどろどろ師匠は、霊が住みついている場所には出ないらしい。 「師匠は目がとても良かったものですから。今も、視覚に頼っているようなんですよね。霊といわれるモノが沢山いる場所だと、彼女は迷ってしまうらしい。僕を見つけられないんですね。だからあのラブホテルには、何も居なかった。彼女が出てきましたので」 「俺が見たみっしり詰まった後頭部は……?」 「あれはあそこに常駐している何かというより、ただ単に春日くんに引き寄せられた通りがかりの何かでしょう。キミは本当に多種多様なものに好かれますから」 「嬉しく無さ過ぎて笑いが出る」 「それも、名の呪が原因なのかもしれません。そもそもキミが異常に不幸と縁深いのは、名前の呪いのせいではないかと僕は考えています」  カラン、と珈琲の氷が溶ける音がする。  なんだか不穏な話になりそうで、思わず俺は姿勢を正した。  俺の名前は坂木春日だ。  男っぽくない名前だけど、個人的には気に入っている。源氏名は椿で、これは坂木春日の真ん中を取って椿とした。昔、祖母がそう呼んでたからだ。  この名前をつけたのも祖母だった。と思う。そんな話をオカンかオトンにきいたような気がしないでもない。  この名前の何処に呪がかかってるっていうんだ。  そう思い眉を寄せると、まず、とくろゆりさんは切り出した。 「今はあまり気にされていませんが、花の名前はあまり縁起が良いものではありません。枯れる、または短命というイメージがあります。特に椿は花が落ちる時に花弁が散らずにぽとりと花ごと落ちる。これは、『首が落ちる』という連想になるとされ、非常に忌まれた」 「……でも、俺の名前は春日だし」 「そうです。椿とつけたならまだ良かったんですよ。忌名を、名前に隠したのがよろしくないと僕は考えます」 「隠したのが、呪いになった?」 「例えばそうですね……隣のクラスの女子に、春日くんが消しゴムを貸したとします。返って来た消しゴムの表面に『好き』とらくがきされていたら、そんなにおかしな気分にはなりませんよね? それが嬉しいかどうかは別として」 「はあ。まあ……」 「しかし、消しゴムの中に穴をあけてそこに『好き』と書いた紙をねじ込んであったら、どう思いますか?」  想像して、これまた言い様のない気分に襲われた。 「…………怖い」 「でしょう? 隠す、ということはそれだけで呪いになります。表立って告げてしまえばただの告白も、隠して告げればまじないの一種です。それと同じことです。単純につければ花の名前でも、隠して入れ込めば首切りの呪になるのではないでしょうか」 「首切りの、呪……」  首が落ちる夢を見ませんか。  そう、くろゆりさんは俺に言った。  その夢は定期的に見る。もう慣れてしまう程繰り返し見ているのに、目が覚めた時の絶望感というか恐怖に慣れる事はなかった。  夢ってなんであんなに感情が動くんだろう。汗と動悸で目が覚める度に、自分の首が繋がっていることに安堵して泣きそうになる。  でも、この名前をつけたのは俺の祖母だ。  じゃあ呪いはばあさんがかけたのか。そこまで恨まれるような由縁もないし、普通に可愛がられてた気がするし、俺の両親とも特別仲違いをしていたような記憶もない。  じゃあばあさんが名前つけたっていうのは記憶違いだったのかなぁ。  そう思って素直に疑問を口にしたら、くろゆりさんが微妙な顔で首を捻った。いつも爽やか笑顔の表情を変えないくろゆりさんがそういう顔をするのが不穏で嫌だ。すごく嫌な予感がする。 「それがですね……春日くんには定期的にお代をいただいておりますし、そろそろ切れる縁でもないと思いまして、仕事合間に少し、個人的に調べてみたのですが」 「うん。うん、有り難いっていうかそうね俺結構身体差し出してるもんね……で、調べてみたんですがって? 俺の家の事?」 「そうです。それが、春日くんの家に祖母という人物は存在しないんです」 「………………え」  ナニソレ、と思う前にぶわーっと背中に、鳥肌が立った。絶句して動揺する俺を見据えたくろゆりさんは、淡々と個人的に調べたという事実を語る。 「まず、お父様は子供の頃に御両親を亡くしています。それからは父親の弟さん、要するに春日くんのお父様の叔父ですね。その方と一緒に暮らしていたらしく、女親は居ません。そしてお母様も同じく、母親を高校生の時に亡くしています。春日くんの祖父である母親の父は現在も御健在ですが、再婚することもなく春日くんの実家でお世話になっているようです。つまり、春日くんが生まれる際に、春日くんの家に『祖母』という存在は居なかったんです」 「……じゃあ、俺の家に居た、ばあさんは……?」 「わかりません。もしかしたら全く血縁の無い親しい方と一緒に暮らしていただけかもしれない。もしくは、本当に存在していなくて、春日くんにしか見えていな――」 「ストップストップなにそれこええ……! やめよ! それどっちでもこええわ、だって生きた人間だったとしても俺に名前の呪をかけたのってそのばあさんなんでしょ!?」 「春日くんの記憶が確かなら、そういうことになるのでしょう。まあ、子供の頃の記憶なんてあやふやなものですから。お部屋の件がうまく片付いたら今度は首切りの件の調査に移りましょう。どちらかと言えば上の階の呪いの方を、優先的にどうにかしなければならないでしょうし」 「……つまり暫くは俺はくろゆりさんと離れらんないってことね……」  そんでセックスもしなきゃいけないってことだ。いや別に気持ち悪くもないし、嫌いじゃないし、いいんだけど。どうも心霊現象解決のお代がセックスってただれてる感じがする。  とりあえず天井の足は本当にどうにかしてほしいけど、俺の名前と夢は二十五年間付き合ってきたもんだし、死ぬことはないんじゃないの? と思わなくもない。  わざわざセックスを提供してくろゆりさんに解決してもらうべきものなんだろうか。そう、思わなくもないんだけど。 「……名前の話、俺が一人でなんとかするから大丈夫って言ったら、放っといてくれんの?」  こそっと、そんなことを訊いてみたのは、なんとなくさっきのリユちゃんの一件が頭のどっかにひっかかっていたからだろう。  くろゆりさんは一瞬目を開けた後に少しだけ考えて、にこりと笑顔を作った。 「他の方ならお仕事依頼を受けなければ放っておきますが。僕は春日くんとかなりの縁をもっていると自負しておりますので、勝手にお仕事契約をねつ造して働いてしまうかもしれませんね」 「……呪い屋の押し売り……?」 「まあ、そうかもしれません。春日くんには、死んでほしくないもので」  それって何もしなけりゃ行く行くは死ぬって事かよおいやめろよそういうのさらっと言うのやめろよ怖いだろ、と思うもののうまい事つっこめなくて、なんか微妙に気恥ずかしい雰囲気のままずるずると薄くなった珈琲を啜った。  名前の呪いの話をしている時に、実は気がついた事がある。  くろゆりさんは、俺の女装姿を結構気に入ってるらしい。でも、名前は絶対に呼ばない。くろゆりさんが俺の事を呼ぶ時は、断固『春日くん』と呼ぶ。  それは呪いを意識してのことなんだろうな、と思うから。  まー、暫くは付き合ってやろうかな、幽霊退治にもセックスにも、と、わかりやすく絆された自分には気がつかないふりをした。 名の呪のはなし/終

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