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かみよりのいえ 02

 瀬尾青年が『黒澤鑑定事務所』の扉をたたいたのは、約束の時間のきっかり五分前だった。 「失礼します……メールで、お返事いただいた瀬尾ですが……こちらが、黒百合さんの事務所で間違いないでしょうか」  おそるおそる、といった雰囲気を隠さずに室内に入ることすら躊躇っている様子で、それはこの事務所を訪れるほぼすべての人間に共通するものだった。  黒澤という名前には何の意味もないらしい。なんだったら名詞に印刷してある「黒百合 西東(くろゆり さいとう)」という名前も偽名だ。こっちはまあ、商売用の芸名のようなものだと思えば納得できなくもないけれど。  ネットの方では「黒百合」という名義で連絡を取り合うらしく、ほとんどの来訪者がまずこの名前の人物を女性だと思って訪れる。  きれいに整えられているとはいえ、パーテーションすらない小さな事務所だ。そこにヤンキーじみた男と全身真っ黒なイケメンしかいなければ、まずは戸惑うことになるだろう。  別にバイトでもなんでもないのに、二日にいっぺんは無駄に呼び出しをくらう俺は、もう来客にも慣れたもので、さっさとコーヒーを淹れて来客用の白いテーブルに置いた。  音もなくスマートに立ったくろゆりさんは、流れる動作でソファーに移動する。 「黒百合の事務所でお間違いないですよ。どうも初めまして瀬尾さんですね? 時間通りのご来店ありがとうございます。どうぞお座りください。かなり詳しいメールをいただいてはいますが、もう一度お話を伺いたいと思いますので。お時間は大丈夫ですか?」  くろゆりさんは真っ黒なシャツと真っ黒なスラックスと真っ黒な靴ではあったが、室内なのでサングラスはしていないし手袋もしていない。  にっこりと笑う顔は今日も全力で爽やかで、真面目そうな瀬尾青年の頬がさっと赤くなったような気がしないでもなかった。  いやわかるよ。わかる。この人の無駄な華やかさというか、自然とあふれるような色気って、異性とか同性とかそういう枠をさっくりと越えてくる。  普通にしていたらそれなりにしっかりして見える。スタイリッシュ美人なおにーさんに面と向かってにこりと微笑まれたら、誰だってどきどきしてしまうだろう。  まあ、中身は職業オカマ男子を週イチで好き勝手犯すとんでも変態なんだけど。毎度うっとりと見惚れる女性や慌てて視線を逸らせる男性諸君に声を大にしてこいつの本性をぶちまけたい衝動に駆られるものの、その犯されている相手は俺なので、自分の恥を犠牲にしてまで主張することはできなかった。  くろゆりさんのセックスは、毎回プレイがマニアックすぎてどん引く。  各所縛られるのはもう当たり前で、基本的に俺に自由なんてない。でろでろになるまで責められてじらされていじられて、許してお願いやだやだやめてって言ったところで爽やかな笑顔で却下されるだけだ。  別に行為自体嫌いじゃないし、焦らし方が絶妙だから結局の所気持ちいいしわけわかんなくなって縋ってしまう。それはもう別にいい。どうせセックスしなきゃいけないんだったらきもちいい方がいいし、相性がいい方がありがたい。  ただなんかこう、昨日俺の息子を咥えてたその口でにっこり微笑んでさらりと人をたらし込んでいく姿を見ると、うん、あの、うん。……何ともいえない気分になる。  まあ、俺には関係ないんだけどさ。  バイトじゃないし、友人かはさておき恋人でもないし、的確に表現するならただの依頼人と霊能者なわけだし。  じゃあなんでくろゆりさんの事務所でお茶出ししてんだって話だけど、特別待遇で仕事してもらってる身分としては呼ばれたら拒否権なんかない。そんで、なぜかくろゆりさんが俺のことをたいそう気に入っているらしいことも要因のひとつだろう。  化粧してない状態の俺なんか、そこら辺のコンビニでバイトしてそうなちょっと髪色派手なヤンキーにしか見えないだろうに、どこが気に入ったのかさっぱりわからん。  わからんけど気に入られてしまったのは事実だしくろゆりさんが居てくれないと俺の生活がままならないのもまた事実だったので、仕方なく呼ばれれば馳せ参じるバイト未満生活が続いていた。  俺には霊感があるのかないのか、微妙なところだ。  一般的にイメージされる『霊能者』のように、気配を感じたり霊の声を聞いたり無念を読みとったりはできない。ただ、時折そこにあるはずのない物や者を、視界の端にとらえることはある。  これを霊感と言って良いものかどうなのか。個人的には他人よりすこし勘が鋭くて目が良いだけなんじゃないのか、くらいに思っていた。  この日も不健康そうな顔でソファーに座る瀬尾君を見ても、具合悪そうだなー寝不足か? くらいの感想しか抱かなかった。  霊の気配やら不穏な予感やら、そんなものは微塵も感じない。  ここで一発『ああ、やっぱり連れてきていますね』なんて言ったらそれっぽいんだろうけどなぁとは思う。ただし霊感ビンビンってわけでもないオカルト初心者の俺はまだしも、本業のくろゆりさんですらそういう『それっぽいこと』は言わない。  ただ黒いイケメンは、にっこり笑ってコーヒーを勧めた。 「珈琲をどうぞ、と言いたいところですが随分とお具合が悪そうですね。ミルクと砂糖を入れますか?」 「いえ、あの……はい……食事を、あまりとってないもので。あの、やっぱり僕は憑りつかれているんでしょうか?」 「うん? ああ、うん、そうですね。どうかな。とりあえず件の家に伺ってみないことにはなんとも言えないですが。何かしら食べた方が健康的だと思いますよ?」  なんとも適当なくろゆりさんの回答に、不安そうだった瀬尾青年の顔がよりいっそう不安感割り増しになる。やっぱり霊能力者に人々が求めるものは、兎にも角にも『それっぽさ』なんだろうなぁ。  くろゆりさんは、見た目はとても怪しいけれど、言動がひどくあっさりしているので最高にそれっぽくない。 「さて、では再度詳しくお話を伺いましょう。相談だけならば無料で承っております。お話を聞いて、実際にお仕事に入る段になった場合は都度請求させていただきますので」  俺の時はそこそこ強引にセックスを強要してきたくせに、イケメンはぬるいこと言って笑う。  くそ。依頼人が美女ならじわじわそういう方向に持っていくんじゃないかこの男。仕事に関してはかなりきっちりしているというのに、それ以外の部分ではくろゆりさんは随分な気分屋だ。  瀬尾青年は、砂糖だけ入れた珈琲を一口飲んで、五分ほど躊躇ってから口を開いた。  以下、依頼人である瀬尾青年が体験した話である。 「一週間前のことです。僕の通っている大学のサークルの先輩が……大正文化研究会なんですが。そこの先輩が、新人歓迎の飲み会の席で、『不思議な家があるのを知っているか』と、持ち出してきたんです」  普段は部室に顔を出しても、マンガを読んだりゲームをしたりしている柏木という学生は、まあ、要するに少しやんちゃな部類の男だったらしい。  ただ非常に話がおもしろく、友人も多い。真面目にサークル活動をしている様子もないが、邪魔をするわけでもなかったので、瀬尾君含め数人の真面目な部員も彼を歓迎していた。 「その家は、住宅街の真ん中にぽつんとあるという話で、そのとき飲んでいた大衆居酒屋からほど近い場所でした。すっかり廃屋になっているというのに、なぜか、何年も取り壊されずにそのまま荒れ果てていく一方なんだ、というんです」 「どうも、よく拝聴するお話ですね。工事関係者が事故を繰り返したとか、不幸が続いたとか。そういうお話なんでしょうね」 「はぁ。全くその通りのことを柏木先輩も言っていました。そのときまではまだみんな、そんなよくあるホラーな話には騙されないぞ、という感じだったんですが」  くろゆりさんの適当な合いの手に頷きつつ、瀬尾君は件の家を思い出したのかよりいっそう青白い顔で震えた。 「みんな、怖い話は楽しく聞くけれど、あえて肝試しをしてはしゃぐほどでもないよね、という感じで。ただ、柏木先輩はやっぱり話のうまい方で……声を潜めて、こう言ったんです」  その家は、かみよりのいえって呼ばれているんだ。 「……かみよりのいえ?」  落ち着いた柔らかい声で、くろゆりさんが繰り返す。ぼんやりと聞いていた俺も、なんだか不気味な響きに、ひどくイヤな感じがした。  くろゆりさんはよく、『意味がわからないものが一番怖い』と言う。  例えばこれが、もう少し直接的に想像しやすい名前だったならば、ここまでぞわりとした恐怖を感じることは無かったんじゃないかと思う。首吊り屋敷とか人形館とか。  かみよりのいえ。かみよりのいえ……繰り返し口の中で唱えてみても、意味はよくわからない。 「はい。かみよりのいえ、です。そう呼ばれる理由は全くわからないのだけれど、地域の人はあの廃屋をそう呼んでいるんだとか……そして、そのかみよりのいえは、どんなに探しても入り口がないんだ、と」 「ほう。民間伝承めいてきましたね。家というものは本来、出入り口があるべきものですからね。それが無いと、そもそも家としての定義が成り立たない。人が住む場所ではないわけですから。……立ち入ってはいけない家、ということでしょうか」 「みんな、そう思いました。すごく興味をそそられて。ただの幽霊がでる家、だったらこんなことにはならなかったと思います。大正文化研究会なんて言ってるけれど、大半の奴が民俗学の端くれみたいなものをかじっていたので、近場なら行ってみようという話になりました」  急遽決定した深夜の肝試しに参加することになったのは、先輩である柏木と川越、あとは瀬尾君と一年生の女子が二名だったという。  チェーン店の居酒屋が建ち並ぶ駅前から、その家までは本当に歩いて数分だった。 「……とても、まがまがしいというか、なんというか。不思議な気配のする家でした。けれど酒の力と好奇心と、あとは女の子もいたし、僕たちはあまり恐怖を感じませんでした。川越先輩も、なんだこんなものか、という感じで」 「それで、扉は本当になかった?」 「はい。ぐるぐると廃屋の周りを二周しましたが、どこにも。仕方がないので、窓から入りました」  道に面している壁とは逆の奥の方の窓から入った一行は、まずは廊下の真ん中にある異物を目にすることになる。  ぎしり、と軋む古びた床を恐る恐る踏みしめた先に、それはあった。 「廊下のようなところに、とおせんぼするかのように。何か、紐みたいなものが壁から目の高さに結ばれていて……真ん中に、お札のような黒い紙が括りつけられていました」  止せばいいのに、川越はその紙を調べ始めた。  ガサガサとした手触りの紙には、マジックのようなもので『エンドウユリコ』と書いてあった。  びっしりと。紙が黒く見える程に。 「ぞわり、と、しました。急に怖くなって、気持ち悪くなって、すぐに出ようと提案したのに、川越先輩はどんどん奥に進んでしまって。そして、奥の部屋に入っていきました。あんまりよく見てないんですが……古い箪笥のようなものが、あったような気がします。その部屋に入った途端、川越先輩が急に叫びました」  キケケケケケ、と聞こえた。最初瀬尾君は、それが何の音なのかわからなかった。  柏木が川越にかけより痙攣する体を押さえている時に、初めてあの獣のような叫び声が川越のものだと気がついた。 「そのあとは……よく、覚えていません。うなり声みたいなモノが聞こえて……家から出ろ、って柏木先輩が叫んで、女の子が外で泣いてて……気がついたら僕は家の外に這いだしていて、川越先輩はずっと笑ってて、柏木先輩はとにかく焦った様子で馬乗りになって頬を叩いていました」 「その後、瀬尾さんは?」 「女の子を駅に送ってから、柏木先輩と一緒に川越さんを運びました。救急車を呼ぼうと言ったんですが、柏木先輩が自分の家に連れて帰ると言うので。結局翌日病院に搬送されて、今も入院されています」 「ふむ。なるほど、大体先に聞いていた通りのお話ですね。その後川越さんとはお会いしましたか?」 「面会謝絶、なんです……。何の病気なのかも、わかりません。柏木先輩も一昨日から学校にきてなくて。お見舞いに行ったんですが、もう関わるな、巻き込んですまなかったというばかりで」  そして瀬尾君は毎晩、髪の長い女が這いずりながら近寄ってくる夢を見るようになった。  その段になって、もしかしてこれは霊障なのではと思い始め、ネットで調べた結果、くろゆりさんを頼ることになったわけだった。 「……夢の女が、段々、近づいてくるんです。最初は、十メートルくらい向こうに居たのに。昨日は、三メートル先くらいに居ました。段々、近くになってるんです……そのうち、追いつかれた時にどうなるのか、怖くて、寝れなくなって。あの家の、あの名前が書かれた紙って、呪いなんじゃないですか? エンドウユリコって、誰かに呪われてる人なんじゃないですか? 呪いって、邪魔をしたりすると、障りがあったりするってきいて……お願いします、かみよりのいえを、調べてください」  深々と頭を下げた瀬尾君は本当に切羽詰まっている様子だった。  わかりました調査させていただきます、とすっぱりと言い切ったくろゆりさんは、さぞ頼りになる人間に見えた事だろう。  渡されたお札を大切そうに抱えて瀬尾君が帰った後、残った珈琲をずるずると飲みながら、俺はそっとくろゆりさんに近づいた。 「あのお札、一番やっすいおまじないレベルのやつじゃね……?」 「そうですよ。よく気が付きましたね。春日くんは本当にもの覚えが良い。やっぱり僕の事務所の助手になるべきです。毎日春日くんの淹れた珈琲が飲みたい」 「何そのプロポーズ本気でもない癖に適当なこと言うのやめろイケメン。アンタの方が珈琲淹れるのうまいじゃん。じゃなくて、お札、あれで良かったのかよ。苦学生への懐への気づかい?」 「いいえ。特別金銭面での気づかいをしたわけではないですよ。お金が無い事はないでしょうし。本当の苦学生は経済学部で歴史研究会などという身にならないサークルには入らず、バイトをするか、就職に役立つ資格なりを取る努力をするでしょうね。身なりも派手ではないですが、それなりの金額の洋服でした。生活水準は春日くんよりも数段上かと」 「悪かったな安ものの服ばっかで……」 「似合っているので問題ないですよ。僕は春日くんのファッションセンスを支持します。まあ、本当に呪いかどうかはさておき、まずは気の持ちようですからね。とりあえずはまじない程度のお札で問題無いはずです。対処法もわからないのに適当な結界を張るのも良くない。塩もお札もばらまけばいいというものでもないですから」  ふーんと相槌を打ち、言ってることは真っ当なんだけど相変わらず適当に聞こえるなーと思いつつ、瀬尾青年の話を反芻する。  なんだかよくネットとかで見るような話だった。俺はオカルト好きってわけでもないけれど、くろゆりさんの手伝いに駆り出されるようになってからは、時折そういう『洒落にならん話』みたいなものを読むことが多くなった。自衛を兼ねた勉強半分、興味半分だ。  廃墟に探索に行く。よくわからん呪術みたいなものがある。それを壊してしまう。一人が発狂する。ここまで奇麗に筋書き通りだ。こんなきもちいいくらい分かりやすい話は、くろゆりさんの事務所に出入りするようになってから初めてだと思う。  嘘だとは思っていない。実際に見た瀬尾青年の怯えっぷりといったら半端なかったし、お札を渡された時の藁にもすがる感じも演技とは思えない。  へーそんな呪術的な家って本当に存在すんのなーというのが素直な感想だ。  この時の俺はまだ他人事で、ケリついたらどんな真相だったのか教えてもらおうくらいにしか思っていなかった。

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