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かみよりのいえ 03

 ぎしり、と床の木がきしむ。 「やっぱり、待ってれば良かった……」  後悔がうっかり口に出ていて、くろゆりさんがふふふと笑う気配がする。 「僕はベッドの上の乱れる春日くんが好きですが、恐怖に震えて僕の手を握る春日くんも大変素敵だと思っていますよ」 「ぜんっぜん嬉しくないわそれ……別に俺くろゆりさんを喜ばす度にトゥクン、とかしねーし……あーもうなにここ暗え。そりゃそうか窓ベニヤで塞がれてるもんな。そら暗いわ」 「電気も通っていませんからね。しかし、想像していたより最近の建物ですね」  ぐるりと家の周りを見たけれど、確かに入口らしきものは見当たらない。というかなんかもう色々壁に板とか打ち付けられていて、壁なのか板なのかよくわからない状態だった。家というか、ぼろぼろの板の塊のようだと思う。  唯一ベニヤが剥がされていたのは道とは反対側の窓で、俺とくろゆりさんはそこから侵入した。  これが家のどの部分にあたるのかはわからない。けれど、目の前にいきなり現れた真っ直ぐな廊下の中ほどには、確かに、黒い糸のようなものが両の壁から伸びて、真ん中で結ばれている不可思議な光景が見えた。 「……わぁ。ほんとにある。すげー。すげーけど、なんか、現実感なくて、うはは……ホラー映画みたい」  目の端にヘンなものがちらりと映ったり、自室の天井から足が生えたりはするけれど、こういう実在するモノでヘンなものっていうか、非現実的なものを見た事はない、気がする。  どう見ても呪いの道具だ。  素人目に見てもヤバいそれに近づいたくろゆりさんは、触れずにじっと観察した後に、ふーむと唸った。やたらと声が明るいのが逆に怖い。 「これ、髪の毛ですね」 「……は? え? 何が、髪……あ、この、端から伸びてるやつ?」 「はい、髪の毛です。壁から生えてるわけではないので、人為的なものですね。粘着テープで貼ってあります。真ん中の紙に滲んでいるのは血でしょうが……経血じゃないかな」 「けいけ……え、うわ、まじで……ていうかなんでそんなことわかるのそっちのほうがこわい」 「普通の血液とは違いますから、乾いた色も違いますよ。呪いの道具にはわりと血を使うことが多いので、僕的には身近なものです。女性がかけるまじないには唾液や髪の毛や爪の先を使う事が多いでしょう? それと同じように、女性が一番扱い安い血は『経血』です。紙は劣化していませんので最近のものでしょう」 「最近誰かがここに侵入してきて、『エンドウユリコ』に呪いをかけたってこと……?」 「ぱっと見、そういう予測ができますねぇ」 「この呪いの方法って、有名なの……?」 「初めて拝見しますが、まあ、呪いなんて本人がかけたと思えば、どんな些細な作法でも効力を持ちますよ。有名な丑の刻参りやこっくりさんは、比較的作用が大きく出やすい仕組みだというだけです。形式に則らずとも、名を繰り返すだけで呪いは完成することもある」  奥に行きましょう、と腕を引っ張られて、すごく嫌だったけれど結んである髪の毛の下をくぐって奥に行った。  そこは表の道路から見て、左側に位置している場所だ。小さく空いた廊下の先の空間は一段下がっていて、小さな棚が見えた。その小さな棚がどうやら朽ち果てた靴箱のなれの果てだと気がついた時、一段下がった床が何か、ようやく気がついた。 「ここ、もしかして玄関?」 「そのようですね。ああ、左側のおうちの方に玄関があったんですね。今は……塞がれていますね。中からも、外からも」  外を周った時に、扉らしきものはなかった。けれど、壁は所々ベニヤやトタンで塞がれていたし、『最初から玄関が無い家』よりも『玄関が塞がれた家』の方が数倍マシだ。 「瀬尾さんの言う『奥の部屋』というのは、この玄関横の部屋でしょうか。ああ、確かに、箪笥はあります。箪笥はありますが……うーん」  玄関横の部屋を覗いたくろゆりさんは、首を傾げて唸ってしまう。ぎゅっと手を繋いでいる状態の俺は勿論くろゆりさんに引っ張られて行くので、自然と部屋の中が見える位置に立つことになる。  何もない部屋だった。気持ち悪いくらいに奇麗で、箪笥があること以外には何も特記することがないような。  その部屋の真ん中には白い着物を着た髪の長い女性が……なんてこともなく、本当に何もない。壁際の窓はやっぱりベニヤで塞がれていたけれど、半分くらい剥がれ落ちていて、外の光とお隣さんの家が見えた。  なんだ、何もないじゃん。  そう思った俺はくろゆりさんに引っ張られて部屋の中に入り、後ろを振り向き、――やっぱ来るんじゃなかったと、後悔した。 「……………、……」  思わず息を飲む。  窓側と対角にある壁には一面に、お札が貼られていた。  札、札、札――……びっしりと、壁を埋めるように釘で貼られた、一面の札。 「…………くろゆりさん、ええと、これ……」  思わず声が裏返る。でも、何も喋らない方が怖い。何か会話をした方が良い。気がまぎれる。そう思ってぎゅっと手を繋ぎながらくろゆりさんに寄り添うのに、イケメン呪い屋はしれっと首を傾げる。 「有名なものから、僕が知らないものまで様々ですね。聖天図までありますが、あれはきちんと修法してあるんでしょうかね。一応本物の類のようですよ。さて。……なんとなく原因のようなものはわかりましたが。どうしようかな」 「え。え? 何? 原因ってどれの? この家の呪いの起源? それともエンドウユリコ? 川越って人が発狂した理由? どれ? っていうかなんか耳痛いんだけどここマジやばいとこじゃないの……っ?」 「春日くんは本当に干渉を受けやすいですね。僕よりもこの職業に向いているんじゃないかなって思いますよ。耳が痛いのは、お札の壁とは、逆の方向じゃないですか?」  確かに、窓の方の耳が痛い。耳鳴りの一歩手前のような感覚。きーんと、空気が変わるようなヘンな感じがする。  繋いだ手をぎゅっと握る。どうにも動けなくなって、ただまっすぐくろゆりさんを見た。  今、視線を巡らせたら良くない。絶対によくない。そのことだけは分かる。 「箪笥……? いや、でも、箪笥の方じゃない、これ、なんだ……もっと、上……?」 「うん。そうですね。もっと上です。ところで僕はこちらの家の持ち主に侵入の許可を取る為にこの周辺の事に詳しい方や町内会の方にもお話を伺ったんですが。春日くん、この家に入る時に『お隣さんの視線が痛いし早く入ろう』って言いましたよね?」 「うん? そう、だっけ。覚えてないけど、いや、だってご近所さん的には俺たち不法侵入だし、」 「はい。でもね、こちらの窓側の家は、ずっと空家なんですよ」 「え」  ぞわり、と背中が震える。全身に鳥肌が立つ。  ――じゃあ俺が見たあの人は、何なわけ?  確かにさっき、二階の窓から誰かがこちらを覗いていた。ちらり、と伺うような視線を感じた。俺は肝試し気分の若者を警戒する近所の人の痛い視線だと思って。早く、入ろうって促して。……でも、くろゆりさんは、その家には誰も住んでないと言う。  軽いパニックと恐怖で思考が纏まらないのに、耳鳴りの中、くろゆりさんはとどめを刺すようにふわりと笑った。 「ねえ、春日くん。――こちらを覗いていたのは、どんな人でしたか?」  わからない。思い出せない。  ……女の人だったような気がする。髪が長かったような気がする。でも思い出せば確かに窓の上の方に顔があった。あの窓が、よほど低いところになければ、そんな位置に顔が来ることは……ないんじゃないか、と。  思い当たるともうだめで、くらりとくろゆりさんの胸元に倒れ込んだ。縋るように黒いシャツを掴む。だめだコワイすげーコワイ。普段そういうもんが見えている時とは断然違う。だって俺は今、あいつらの陣地に、無断で入り込んでいる。 「もうだめしぬこわいやばいやだ出ようムリ……!」 「大量の足の下で寝ているのに何言ってるんですか。大丈夫ですよ、まあ見つかってしまったのはしょうがないですし、今すぐ殺されるようなものでもないでしょう。多分。次は手前の部屋の探索を――…」 「多分ってなんだよ馬鹿! 帰ろうよ馬鹿! お願いします馬鹿……!」 「詰られているのかお願いされているのかどっちでしょうね」 「ていうかなんかカリカリ聞こえない……?」 「うん。引っ掻いてますね。あちらの窓の外に、もう居るんでしょうかね」 「――……っ、くろゆりさ、」 「しかし僕が依頼されたのは『この家を調べて瀬尾君の安全を確保する』ことであって、隣のアレをどうにかするというのは別料金――」 「分かった俺が持つから! 料金分セックスするから! するから今すぐ出るかどうにかこの音やめさせて気が狂う……っ」 「怖いと思うから怖いんですよ。後で塩でも巻いておけば割と大丈夫――」 「縛られたまま上に乗ってもいいから……!」  あまりにも怖くてどうにかしてほしくて、いま出せる上で最高の切り札を出してしまった。  この前縛られた時に上に乗ってほしそうにしてたのをガン無視したのを覚えていた。乗る。何でもする。だから早くどうにかしてほしいという俺の切羽詰まったおねだりを耳にしたくろゆりさんは、驚くほど真剣な顔で俺に向き合った。 「……本当ですね? 乗るだけじゃダメですよ? ちゃんと自分で腰を使って射精するところまでが僕の請求内容ですからね? 自分でいくまで降りたらダメですよ?」 「するから、イクから、どうにかしてお願い……っ」  恐怖が勝ってとんでもないこと口走ったしとんでもないこと要求された、と気がついたのは後々の事で、この時は正常な判断ができなかった。  そもそも俺をこの家に連れて来たのってくろゆりさんだし、別に進んで首を突っ込んだわけでもないのにとばっちり受けただけじゃん? っていうことにも後から気がついた。人生で五本の指に入る失態だった。  急にテンション上がったらしいくろゆりさんは、恐怖にガッチガチに固まった俺の顎に手をおいて、無理矢理上を向かせようとする。 「ちょ、むり、やだ、やめろ、今天井とか見たら絶対になんか居る……」 「でも上を向かないとキスができない。今日もお札を飲んできましたので。ちょっとは落ち着く筈ですよ?」 「…………」  その話を先に言え。というかこの家入る前に先にしとけよ馬鹿と思う。  くろゆりさんは仕事に行く時に数珠や塩を持って行かない。その代わりに、きちんとした高いお札を一枚飲んで行く。  じゃあ俺も飲めばいいんじゃないのと聞いてみたことがあるけれど、普通の人間がこういうの飲むと強すぎて障りがでるかもしれないからとやんわりと断られた。  以来、おこぼれをもらう為に仕方なく心霊スポットでちゅーする羽目になっている。  恐る恐る、なるべくくろゆりさん以外は見ないように顔を上げる。なんか、上の方に黒いもんが居る気がするけどきっと気のせいだと思う事にして、くろゆりさんの首にすがりついた。  恐怖で密着しているせいで、ひどく情熱的なキスになってしまうのは仕方がない。だってコワイ。 「……ん、……っぅ……ぁ……」 「…………耳、少しは楽になりました?」 「ん……ふ、若干……でも、まだ、カリカリ音してるじゃん……」 「うん。入って来ようとしてますね。出ましょう。僕はもう少し調べたいところですが……とりあえず春日くんのお願いを優先させます」  髪の毛のところに戻るのも嫌だったが、仕方がない。この部屋がヤバい、というのは確かにわかる。びんびん感じる。やばい。この家がやばいんじゃない。隣の家が、とにかくやばい。  濡れた唇を拭って、手を握ったまま部屋を出る。なんとなく、髪の毛を掴まれたような気がしたけど絶対に気のせいだと思うことにした。  廊下に出てやっと音から解放される。あんなにカリカリ音がしていた筈なのに、扉を閉めた瞬間全く聞こえなくなったのが不気味だった。 「…………音系こっわ……見るだけならまだしも音ってさ、シャットダウン難しいからやだわ……」 「春日くんは、カリカリした音だけでしたか?」 「え。何、くろゆりさんは何か他に聞こえた――うそうそやめようこういうのは帰ってからゆっくり話そう。とりあえず出よう。そんでやる事やって帰ろう」 「うん、そうですね。一応、断ち切る準備だけしましょう」 「……あ、溶かせないタイプ?」  くろゆりさんは、除霊の事を『溶かす』と表現する。そこにいるものを無くすといった意味合いで使うらしい。けれど溶かせないものに対しては、因縁というか関係を断ち切る方法に切り替えるのだ、と、言っていた。 「そうですね。僕の知識ではちょっと。なので、断ち切ります。まあ、平気でしょう。多分」 「ほんっと言動が不安な霊能者だな……」 「本業は呪い屋なもので」  目を細めて笑う呪い屋は、もう一度舌を絡めるキスをしてから俺の手を引いた。

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