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おしぼのさま 02

   二章 坂木春日  人間ってやつは慣れる生き物だ、と聞いた。  人生二十五年も過ぎると、あーこれってホントだよなぁと思う。子供の頃は一々大げさだった行事も、慣れてしまえばただの記号みたいなもんになる。クリスマスとか誕生日とかそういう感じだ。年取って落ちついたとか感覚が鈍くなったとか、まあそういう面もあるだろうけど、一番大きな理由は『慣れ』だと思う。  幸も不幸も慣れてしまえば日常になる。異常事態だって毎日続けば日常になる。人間なんてそんなもんだ。  が、出会って半年以上経った今も、俺は黒づくめの職業呪い屋のイケメンに慣れる気配が全くなかった。  今日もいつも通りの黒いシャツに黒いパンツに、なんのコスプレなのって笑いたくなる黒手袋にサングラスだ。イケメンじゃなかったら職質されているだろうことは間違いない。 「……職場に来るのおヤメになってって、言ってんじゃんなんなのどSなの馬鹿なの変態なのこのクソイケメン野郎……」  不本意すぎる顔を隠しもせずにげんなりとソフトドリンクを手渡すと、本日もスーパー爽やかな顔で笑うイケメンは、周囲のオカマと全然関係ない客のオヤジまで頬を染めるような甘い声で目を細めた。  最高に口説かれている気分になる顔だが、俺の口から出るのは暴言だし、コイツから返ってくるのも変態くさい台詞だけだ。 「言葉が汚いですよ。僕自身は春日くんの汚い罵倒は嫌いでは無いですし、キミのその簡易な割にうまく言葉を繋ぐ言語チョイスは割合好きですが、他のお客さんがびっくりするでしょう。今は美人な椿さんなんですから、罵倒は程々に――ああでも、美人の口から洩れる男らしい罵倒というのも、また一興ではありますよね?」 「趣ある庭ですねみたいなテンションで言うんじゃねーよっていうか触んな金取るぞ変態」 「お金は払いますよ。お店ですし、春日くんは接客してくださる側ですし、僕はお客としてお邪魔していますから。というかお金を払えば触っても良いんでしょうかこのお店は」 「まあチップ貰えば多少サービスせんことも……ちょ、待て、待て、店だ。職場だ。ちゅーはだめだ」 「キミが危ない事を言うものですから。所有宣言しておこうかと思いまして」 「いやいやいやいや俺別にくろゆりさんのもんじゃねーから!」  落ちつけこのクソイケメンって思いつつも、辟易以外の感情が疼き始めそうだからホントそういうの勘弁しろと内心焦りつつ迫ってくるイケメンを押し返した。  遠くから姐さん達や同僚が、妬みと微笑ましさを混ぜたような視線を送ってくるのがわかる。いやいや。違う。別に彼氏じゃない、と言い訳しようにも、一週間に一度程度の頻度で顔を出して俺を指名してそれなりに金を使って帰るこのイケメンの存在が、彼氏じゃないならじゃあなんだっていう感じで、もうそろそろ言い訳できなくなってきた頃合いだった。  まさか馬鹿正直に『自室の除霊代金を身体で払っている関係です』とは言えない。色々な方面でコイツ大丈夫かと思われるに違いない。実際そんな奴が職場に居たら、三歩くらい引いてしまうだろう。ツッコミどころがありすぎる。  俺だってドン引きしたい。まさか、こんな縁がだらだらと続いてしまうとは思ってもいなかった。  住んでいるアパートの怪奇現象が原因で、怪しいイケメン呪い屋に出会ったのは、去年の春先の事だったと思う。  物心ついた時から地味に金銭に運が無く、多分不運寄りの人生を歩んできた。別に不幸だから死にたいと思う程じゃないけど、どうにもトラブルが相次ぐ。  妹が変な男に引っ掛かったりだとか、母親が詐欺に引っ掛かったりだとか、家に車がつっこんだりとか、隣の家の車庫が燃えてうちも一緒に燃えたりだとか。比較的真面目に生きてる筈なのに、なんでかそういう災難が舞い込む。よって人生二十五年、いつだって金欠だ。  真面目に務めても金はたまらないしトラブルは増える。じゃあもう腹くくって夜のお仕事でどうにか手取り増やそうと思った結果、俺が選んだのはオカマパブだった。  断じて俺はゲイではない。女装趣味があるわけでもない。接客はわりと好きだけど。でも、ホストかオカマかって天秤にかけたら、俺はオカマが良いなって思った。それだけだ。  別にオカマを差別したりとか、ニューハーフをからかったりとかはしない。俺が職業オカマのノンケ金欠男子だと知っていても、オカマパブ『ミルクシェル』の同僚達は嫌な顔一つせずに暖かくからかってくれる。とんでもなく素晴らしい職場だ。  その素晴らしい職場のぱっとしない常連のおっさんに、我が家の心霊現象をちょろっと零した所、紹介されたのがこの怪しいイケメンもとい、くろゆりさんだった。  名刺の名前は『黒百合西東』となっていたが、まあ、確認するまでもなく偽名だ。本名は知らないし別に知りたいとも思わない。偽名だろうが源氏名だろうが、個人認識できれば問題ない、という考え方は、ミルクシェル勤めで培ったものかもしれないけれど。  そんなわけで万年金欠の俺は、我が心霊アパートの除霊代金を現金でお支払いする事が出来ず、身体でご返済というまさかのエロゲみたいな現状になっていた。  主食は薔薇です、みたいな顔をしている癖に、このイケメンはベッドの中ではド変態だ。言葉で責め立て限界までじらされて苦痛と快感を交互に与えられるようなセックスは、何度経験しても慣れない。しんどい。でも最終的には気持ち良すぎて理性ぶっとんで盛大におねだりかましちゃうから始末に負えない。  キモチイイ事は好きだ。別に今恋人が居るわけでもないし、くろゆりさんも独身だ。誰を裏切っているわけでもないのだから、恋人でもない男とのセックスに興じても言い訳をする必要はない。お互いに恋愛感情なんてない。いい加減、情みたいなものは湧いてきたけど……なんて、思ってはいたんだけど。  どうにも最近このイケメンの言動が怪しい。それに一々踊らされて内心突っ込みまくって否定の言葉羅列しちゃう俺だって相当駄目な自覚があって、出来る事なら会いたくないのにイケメンは週一で職場に来るし、そうじゃなくても呪い屋の仕事に何故か俺も同行させられる。ほんと意味がわからない。  俺に備わっている霊感なんて微々たるものだ。テレビとかでよく見る霊能者みたいに、そこに誰がいるかとか何を考えているかとか、あまつさえ死んだ理由とか訴えている事とかわかるわけもない。たまに、あれ人間じゃないような気がするなうはは何だろうなっていうモノが、目の端に映る程度だ。  そんな俺を連れて行っても何の役にも立たない事は目に見えているのに、くろゆりさんは高額なバイト料をちらつかせて、まるで助手のように俺を連れまわしてくださる。  本人曰く『誰かが一緒に居ると諦める頻度が低くなる』ということらしいけど、何怖い事言ってんのこのイケメンっていう感想しかないから深く突っ込んでは無い。時々メンヘラちゃんもびっくりな中二病発言かましてくるから、この見た目最高に中二病なイケメンはよろしくない。  まあ別に、その一緒に居る人間って俺じゃなくてもいいんだろうし、俺が一番つかまりやすいからでしょって、最初は思っていたし多分当たってたんだけど。  どうにも最近、ちょっと、空気感がよろしくない。  違う違う恋とか愛とかそういう痒い感情のわけないじゃないのこの変態呪い屋がまさかそんなヤンキーじみた職業オカマに懸想とかうははギャグかよしかもオカマの方もまんざらではないかもなんて、完全に笑い話じゃんかって。まあ、思うわけで。  情かなーそれともガチなのかなーなんなんだよもうほんとどっちなの、いや真摯に告白されても何言ってんのって笑う選択肢しかないんだけど、とうだうだ言い訳しているうちに、くろゆりさんの麗しい顔面が超接近してきた。  思わず、手で押しのけるがその手を取られてぎゅっと握られる。どう見てもいちゃいちゃしてるイケメンとオカマのカップルだ。最悪だ。 「職場だっつってんだろ手をお離しくださいやがれ変態野郎っていうかホント何しに来たんだ酒も飲まないくせに」 「キミを拘束する分のお金は十分に落としていきますよ。今日は事務所で月末作業でも、と思っていたんですが、お呼び出しを受けましたので。実のところ今日僕がこの店に伺った目的は、待ち合わせです」 「待ち合わせ? オカマパブで? 誰だよその微妙な待ち合わせに巻き込まれた可哀想な人」 「噂をすれば、来ましたよ、その可哀想な方」  ほら、と促されて振り返ると、知った顔がひらひらと手を振っていた。  反射的に立ち上がろうとしたら、くろゆりさんに手を引かれて腰を抱えられた。痛い。痛いし、その、僕以外の人に愛想振りまくのは駄目ですみたいな雰囲気最高によろしくないと思って、なんかこういろんな言葉を飲みこんでしまった。本当に気のせいであってほしい。  密着している俺達に特に違和感を覚えることもなかったらしく、颯爽と歩いてきた蓼丸サンは、何事もないようなさらっとしたいつもの無表情で向かいのソファーに座った。 「椿くんお久しぶり。くろゆりさんは、もっとお久しぶりです。すいませんお呼び立てして」 「いえいえ。お仕事のお話は大歓迎ですよ。これも春日くんの縁ですのでお気になさらず」 「え。なに、蓼丸サン、誰かに呪われたりしてんの?」  仕事中は絵に描いたようなオカマ口調を心がけてはいるけれど、流石にオフ状態の時の知り合い二人に挟まれてしまうと素が出る。きっちりルージュを引いた口で素っ頓狂な声を上げると、今日も派手なピアスをぼこぼこといろんなとこにひっかけている蓼丸サンが、少しだけ表情を崩した。  オカマ仲間の縁で遠回りに知りあった蓼丸サンは、確かメイクとかそっち系の仕事を齧っているお兄さんだった。他にはアングラなバーの手伝いとか、奇抜なアクセサリーショップの臨時バイトとか、とにかくそっちの方の芸術系をちまちまと職業にしている人だ。いつかどっかで二十八歳だか二十九歳だかそのへんだという話を聞いたような覚えがあるけど、いつだったか忘れたからもうちょっと上かもしれない。ただこの人は見た目がアバンギャルドすぎて全然年齢が読めない。くろゆりさんとはまた別方向で目立つ人だった。  一度盛大に幽霊騒動に巻き込んでしまったお陰で、くろゆりさんを紹介してしまうハメになった。蓼丸サンの中でのくろゆりさんは、俺の彼氏の除霊屋さんという事になっているようだ。誤解をとくには俺とくろゆりさんのよろしくない関係を事細かに説明する必要があったので、もうあえてそのまま勘違いしてもらう事にしていた。  除霊云々の縁で、二人は連絡先を交換していたらしい。特別仲良く遊ぶような仲ではないだろうが、こうやって顔を合わせているのを見ると不思議な気分になる。  正統派王子様の様な見た目のくろゆりさん(ただし今日も全身真っ黒衣装)と、アングラを具現化したような蓼丸サンが並ぶと、ヤンキーじみた職業オカマなんて霞んで見える気がした。俺も含めて異質な三人になっているのはなんとなく察しているけど。さっきから、別テーブルからの視線がちらっちらと痛い。 「いや、ぼくは当事者じゃないし、呪いなのかなぁどうなのかなぁみたいな感じなんだけど、ちょっと関わっちゃったしわりと自業自得で無駄に首突っ込んじゃったから、いっそ当事者になってもいいなぁと思っている感じでさ。まあ、とりあえずご相談だけ」  慣れた様子で酒を頼んだ蓼丸サンは、前置きもなしに切り出した。 「呪いの文章って、存在すると思う?」 「……呪いの文章? あー、なんか、読むと呪われるとかそういう、不幸の手紙的な?」 「うーん、イメージ的に近いのは『リング』とかかも。椿くん、リングみた事ある?」 「リングってあれでしょ、貞子が井戸からうわーするやつでしょ。あー……二作目、だけ、見たような気がする」  俺のあやふやな発言に、端整な眉を寄せたのはくろゆりさんの方だ。この人は一般的な常識が無い癖に、映画や本にやたらと詳しい。 「春日くんは、ミステリー小説を後ろから読んでしまう人間ですものね……どうして続編から見てしまったのかと問い詰めたいところですが、それは後々にいたしましょう。蓼丸さんの御相談は、『読むと呪われる文章』というものが事実存在するかどうか、でしょうか」 「はい。ぼくはオカルトに特別強いわけでもないので、というか、『不幸の手紙』とか『呪いの歌』とか、そういうネットに溢れる話なんて大概創作だと思っているし。読むだけで感染する呪いって、事実存在するんですかね」 「端的に申し上げますとあるにはあるでしょうね。ただ、それが、どういう効果を伴うように作られたモノなのか、それによって対処法は違うでしょう。一口に『呪い』と言っても、その仕組みは一様ではない」  科学的な解釈による呪いは、精神的なストレスによる思い込み効果だ、という話を聞いたことがある。  呪いの対象となる人物が『呪われている』という事実を認識することにより、無意識に体調不良に陥ったり、不幸な事柄を印象的に覚えてしまったりするらしい。まあ、言ってる事はわからんでもない。  この時に必要なのは、『わたしは貴方を呪っています』ということが相手に伝わることだ。何も知らない状態ならば、無意識下に働きかけるような事象も起こるわけがない。  ただ、世の中の呪い関連の現象が、全てこれで片付く訳は無い。この説もあながち間違いじゃないとは思うけど、勿論、この例以外の呪いも実際に存在する筈だ。 「精神的に思い悩むことにより発動する呪いというものは、まずは大前提として対象に『呪われている』と自覚させることが必要ですね。つまり、呪いの文章と言うものに限定して言えば、『この文章を読むと呪われるらしい』という前置きが必要です。それがあるならば、気のせいや思い込みという一番無害な結論も導き出せますが」 「あー……そういう、感じじゃないみたいなんですよね。たまたま知り合った人の話なんですけど。ある人の未発表の小説を読んだら、なんかこうー……霊障? みたいなものが、出てきちゃったって話で」 「原稿というものは、紙ですか? それともデータですか?」 「データみたいですね」 「では、文字の並び自体に何か、よろしくない規則が紛れこんでいるか。文字が何かに憑かれているか」 「なにそれめっちゃ怖いんだけど。文字になんかが憑くとかあんの……」  思わず横やりを入れると、くろゆりさんはふわりと表情を緩めて口説くみたいな笑顔で、わりとエグイ説明を始めた。 「何にでも憑きますよ。特に言葉は憑きやすい。人の意思に大きく関係するものですしね。呪文などもそう言う意味では何かしらの能力が憑いた文節の一部です。読む、念じる、唱える事で効能が得られる、ということは呪いの文章の逆とも言える。読めば徳が高くなる文章があるのならば、読めば死ぬ文章があっても良い筈です。それが本当に効果を発揮するかどうかはさておき、考え方としては存在します。実際に拝見してみないことには、何とも言えませんが」 「うーん。ぼくも、実際に来て見ていただくのが一番良いんじゃないかなぁとは思っているんですけど、来週はお忙しいんですよね?」  蓼丸サンの唸るような問いかけに、くろゆりさんはさっぱりと笑顔を返す。 「はい。少し他県の山奥の方に参りますので」  その答えは初耳だったので、思わず訊き返してしまった。 「え。何くろゆりさん旅行でもすんの?」 「大口の依頼が舞い込みまして、どうにも伺わないと解決しないと判断しましたので、一週間ほど予定を開けて小旅行です。ああ、そうだ、本日はそちらのお願いにも来たんですよ」 「は? お願い?」 「はい。こちらのお店のオーナー様に。春日くんの一週間の休暇をいただきに。勿論その分の補填は春日くんにもお店にもいたします、というご契約を携えて」 「………………ん?」  なんだ何言ってんだこいつ、と頭を捻ったあとにこれはつまり一週間一緒にくろゆりさんと山間の田舎に小旅行しなきゃいけないってこと? このくそ寒い季節に? 二人きりで? 呪い屋稼業の用事で? このくそ寒い二月に? という事に気がついて声を上げようとしたけれど、蓼丸サンが先に口を開いてしまった。 「じゃあ、まあ、しょうがないですよね。まあ、そこまで命に関わりそうな感じでもなかったんで、何かあったらまたご相談するかもくらいの気持ちでいます」 「申し訳ないです。簡単な魔除けの仕方と、あとはお札を数枚くらいでしたらすぐにご用意できますので。遠出中も、どうやら一部では携帯の電波も届くそうです。実際に原因ではないかと思われるその原稿とやらを拝見できれば、一番良いのですが」 「あ、相談してみます。たぶん、大丈夫じゃないかな。いやでもどうだろう本業の方の原稿だし本人の許可が居るのかも……とりあえず、今度会う予定を立てているので、その時にでも。すいません、本当に助かります。こういう相談ってどこにしたらいいのかって、彼も、悩んでいたみたいだから」  蓼丸サンに相談を寄せてきた件の人物は、男性らしい。俺は蓼丸サンの交友関係をあんまり知らない。なんか有名な毒舌タレントの親戚だとか、彼氏と彼女とパトロンが居るとか、そんなウソ臭い噂はたまに耳にするけど、実際いろんな業界で働いている人だから人脈は広いのだろう。  ていうか電波も届かない田舎に一週間も強制連行されるらしい俺の話をどうにかしたい。どうにかしたいが、不穏な相談とお札の値段交渉に入ってしまった二人に声をかけるのも躊躇われた。そのうち、すべてを話し終えた蓼丸サンはすっきりした顔でじゃあまたと席を外してしまった。  残された俺は、隣のくろゆりさんに一応説明を求めようかと思ったが、何にしても無駄な気がしたから諦めた。  お金貰えて旅行に行けるならいいじゃん、と思い込む事にしよう。たとえそれに心霊現象やら呪いやらそういう怪しい仕事が付属するにしても、女装しておっちゃんに太股触られながら酒を飲む毎日からちょっと逃避できるのは悪い話ではない。と思わないとなんか辛くなる。  ていうか正直、当たり前のように俺を同行させる気でいるこのイケメンの事を深く考えたくない。  深く考えたくないと言えば、蓼丸サンが居る間、どうもイケメンの位置が近かった気がする。所有物宣言するみたいにごく自然に手を絡められて、途中、呪いの話どころじゃない気分になった程だ。  そういうの良くない。ほんと、良くない。恋人とかじゃないんですから勘弁してください本当に。いや、口説かれても困るんだけど。なんていうかただひたすらに困る。  しかもこの妙に甘ったるい気配がわりとイヤじゃないから、俺も駄目だ。こんな面倒くさい男にハマるのは絶対に嫌なのに。ただでさえよくわかんない不運背負ってて、寝起きしてる部屋はホラー案件だっていうのに、この上面倒なレンアイ感情なんて抱えたくないっていうのに。 「……ちけーっす。離れてイケメンそして用事が終わったんならさっさと帰って頂戴よ」  未だに俺の手を握ったりして遊んでいるくろゆりさんをなるべく見ないように声をかけると、耳元で柔らかい声が笑った。最高にくすぐったいので勘弁してほしい。 「最近の春日くんは分かりやすく照れてくださるので非常に素敵ですね。他人の感情などわりとどうでも良い方だったんですが、ストレートな表現も悪くはないなと思ってきました」 「その思った事を全部ぶちまけながら実践するのやめていただけませんかね?」 「言葉責めお好きでしょうに。頭の良い方は、言霊でも快感を追ってくださるので好きですよ」 「だから近いってば。この店ちゅーは禁止なんだってば」 「お気になさらず。ただの嫉妬です」  そんなことをさらりと言うものだから、ほんとこのイケメンは嫌だし、そんな言葉でさらりと落とされてしまいそうになる甘いものに弱い俺も嫌だと思った。  この時流されずに、断固寒村行きを突っぱねていれば、とは思わない。俺が行かなくても、きっとくろゆりさんは一人で行った筈だ。その後の騒動を考えれば、むしろついて行ったのは最善の選択だった。  こうして寒風吹きすさぶ二月、俺こと坂木春日とくろゆりさんは、東北の寒村に赴く事になった。若干の不安と、俺ってやっぱりちょろすぎるんじゃないかという、わりとどうでもいい後悔と共に。

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