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おしぼのさま 04

   四章 坂木春日  わー雪だ、なんて感動したのは最初の三歩だけだった。 「ちょっと! 待って! 待て! ほんと! 頼む! おいてかないでっ!」 「……春日くん、いくら雪が音を吸収するとはいえそんなに騒いだら流石に御近所迷惑ですよ。ただでさえ閉鎖的な村の特別なお家の招待客という微妙な立ち位置なのですから、もうすこし穏便に、」 「うるっせーよしらねーよはえーんだよちょっとまじ手繋いでよ遭難する……っ!」 「こんな雪道で手を繋いでいる方が遭難の危機になると思いますがね」  仕方ないですね、なんてさらっと言ったくろゆりさんは、やっと歩調を緩めて手を差し伸べてくれた。埋もれる雪からどうにか這いだすように歩き、くろゆりさんに追いつくともう離すものかと手を繋ぐ。真っ白い雪一色の景色の中で、黒い手袋と黒いコートと黒いブーツのくろゆりさんは異色過ぎて、普段なら指さして笑ってやるところだが、今はそんな余裕なんて無かった。  手袋越しのくろゆりさんの手は暖かさもへったくれもなかったが、心強さは心霊スポットに居る時と同じくらいだ。  ほいほいと心霊スポットに連れて行かれる割に霊やら何やらへの耐性がない俺は、いつもビビりまくるとくろゆりさんに手を繋いでもらっているわけだけれど、なんというか今日もわりと生死をかけてその手を握っていた。  知らなかった。雪って重いんだ。そらそうかだってこれ水だもんな。そんな事に気がついたのは電車を乗り継いで聞き慣れない駅で降り、そしてゆっくりと走るバスから降りて、五分ほど歩いた後だった。 「何、なんで、道、無いの……この辺の人達、毎日、どうしてんの……」  恐らく道じゃないのかなっていう家と家の間の空間を進みながら、地図から目を上げたくろゆりさんはぜえはあと息を乱す俺を一瞥してから、また地図に目を落とす。 「昨晩から全国的に寒波が到来するというニュースを拝見しましたので、今朝までに急に降ったんでしょうね。日曜ですし、村役場が動いていないんじゃないでしょうか。ここまで田舎だと、ここから市街地に通勤している社会人も居ないでしょうし。老人だけだと除雪もままならないでしょう」 「田舎民は……どM……」 「昔はみなこうだったんじゃないでしょうかね。雪の降らない地域とは根本的に違う生活だとは思いますが、しかし春日くんは少しひ弱すぎやしませんかね。まだ十分も歩いていませんよ?」 「五十センチレベルの雪の中歩くのなんて生まれて初めてなんだよ優しくしろよ……! つかなんでくろゆりさんはそんなケロッとしてんの!」 「僕の実家は東北なんですよ。平たい雪道を歩くくらいならば、雪山を登るより随分とマシです」 「やだ……くろゆりさんの過去が小出しにされていくのほんとやだ……そんな人生聞きたくないし俺は都会でのうのうと暮らしたい……」 「もう縁は切れていますので春日くんを雪山に連れて行く可能性はほとんどありません。休みましょうかと言いたいところですが、こんなところで一息ついた所で身体が冷えて行くだけです。今のところ時間通りに動いていますので、葦切家の方々も暖かいものを用意して待っていてくださっている筈ですよ」  さあ頑張って、と俺の手を引くくろゆりさんがいつもよりちょっと格好良く見えたから、雪道しんどいって気分とはまた別にしんどくなった。  勝手に俺の休みもぎ取って、勝手に電車に乗せて勝手に連れてきたイケメン呪い屋は、聞いても居ないのに長旅の電車の中で今回の依頼人の説明を始めた。いつも思うけど、俺がそれ聞いてどうすんだって話だ。  専門知識もなければ、何かしらの特殊能力があるわけでもない。頭の回転は普通。運動能力も普通。体力に至っては昼間の工事現場のバイトを辞めてからはかなり落ちた。接客業が板についてるお陰で対人スキルはまあまあだけど、だからどうしたっていう話だ。くろゆりさんの相手は大概死んでいる人間か、他人を呪う程に狂っちゃってる人間だ。対話能力が必要になる筈もない。  まあ、嫌なら徹底的に逃げればいいだけなので、のこのこ付いてきた俺も悪い。一応そう思ってはいるので、文句を言わずにくろゆりさんの説明を聞いた。  この雪しかないような雪に埋まった寒村は、杷羽見村というらしい。地図を見せてもらったけれど、東京近辺くらいしか移動しない俺には、それが何県の何山付近なのかすらさっぱりわからなかった。電車移動の途中くらいからくろゆりさんは資料なのか趣味なのかなんなのか、文芸書を開き始めたし、俺はそのあたりから寝てしまったので移動経路も本当にあやふやだ。  とりあえずくろゆりさんと一緒なら行って帰ってくることはできるだろうし、それがどこか把握したところで一人で行動することはないだろうからどうでもいい。ちなみにスマホは一時間前からちらちらと圏外表示を繰り返している。現代文明もわりと使えない。  俺達を、というかくろゆりさんを招いたのは、その杷羽見村の端にある『葦切家』の葦切鈴子さんという人物だった。彼女は葦切家当主、鴻偲の後妻であったが、先月、その鴻偲が亡くなり後家となった。  子供を持たなかった鈴子さんは、葦切家で一人きりになった。実家から勘当同然の扱いを受けている彼女は行き場も無く、葦切の家で暮らす覚悟を決めたらしい。けれど、葦切家にはあまりよろしくない習慣というか、風習の様なものが残っていた。  その風習を、くろゆりさんに奇麗さっぱりどうにか無くしてほしい。というのが、葦切鈴子から呪い屋・黒百合西東への依頼内容だった。  風習という言い方をしたけれど、ぶっちゃけるとそれは憑きもの筋とかそういうモノなんじゃないかと思う。  別に俺は民俗学に詳しいわけでもないし、呪いとか幽霊とかいまだによく分かっていない。しかしながらくろゆりさんとの付き合いももう、この冬を越えれば一年になる。いい加減、にわか知識もじわじわと増えてくる。 「憑きもの信仰というものは、民俗学に深く関わるものだと認識しています。まあ、僕も専門的に勉強したわけではないですし、ほとんどが本の受け売りですがね」  いつかそう前置きして、くろゆりさんは憑きもの筋というものについて説明してくれた。詳しい名前とかそういうのはさっぱり忘れたが、要するに狐憑きとか、犬神憑きとか、そういうモノをまとめて憑きもの筋と呼ぶらしい。  超常現象的に解釈すると、それは『使役する霊や妖怪を使って、他者に害を与える呪術』のようなものだと思う。そしてそういう家は、大概は集落から恐れられ疎まれる。憑きもの筋の女が嫁に行けないのは、嫁に貰う側の家が『憑きものが一緒についてくる』として拒むからだと聞いた。そりゃそうだ。なんだかわからない不気味な使い魔を使役している家から嫁なんか貰いたくないだろう。  けれどこれを民俗学的に考えると、富への妬みが産んだ村八分文化の一種になる、とのことだ。 「例えば商売や何かで、今まで中流家庭だった家が急に金を持ったとする。そうすると共同体の人々は『何か良からぬ術でも使って、良からぬ方法で金を得たに違いない』という思考になる。またはその富が完全に合理的なものであったとしても、妬みの感情から『あの家の繁栄は憑きものが憑いているせいだ。あの家は憑きもの筋だ』と村八分にする。実はコレの対極にある現象が座敷わらしだ、という説がありまして、僕は随分と納得いたしました」  成程、急に金持ちになった家に憑く妖怪というのなら、座敷わらしもその一種に違いない。違うのは対象となる家が内向的であったか、外向的であったかだ。 「外向的な家であった場合、または共同体の中で中心となるような家であった場合、その家の富は座敷わらしがもたらした良いものとされる。対して内向的な家であった場合、憑きもの筋とされて村から迫害される。今はもう、村という概念自体が薄いですから、ここまで極端な例もないでしょうが、日本の他人を評価することから始まる集団心理というものは、非常に興味深いものですよねぇ」  全てくろゆりさんに適当に聞いた知識だから、なんかこう、もしかしたらふんわりしてるかもしれないし正確にはちょっと違うかもしんないけど。まあ、大概はなんとなく合ってる筈だ。多分。  葦切家にも、きっと憑きものが居るんじゃないだろうか。それが村八分の文化からくる集団苛めのレッテル的なものなのか、事実なんかそういうヤバいものが家のどっかに潜んでいるのか、それはまだわからない。くろゆりさんも、実際拝見しないとどういうものかわからないので、と珍しく言葉を濁していた。  大体どんな時でもわからないものは『わかりません』と言い切る男なのに珍しい。まー遠いし。現場の風俗とか言い伝えとかそういうのも関わってくるのかもしれないし。そら行ってみないとわっかんねーよなぁ、なんて軽く思っていた、俺も馬鹿だった。 「……辿りつく前に……遭難、する…………っ」 「しませんよ。もうちょっとですから落ちついてください。どうしてキミはパニックになると悲観的になるんでしょうねぇ。田舎の不良のような心持の小ささで悪くはありませんがね。残念ながら僕も荷物がありますし、背負っていくというのは無茶なので、どうか頑張って足を動かして下さい。それとも、少し休みますか? 先に荷物を置いて、後で迎えに来てもいいですが」 「やだ、一緒に行く。一人にすんな馬鹿。死ぬ。凍え死ぬし寂しくて死ぬだろ馬鹿」 「……春日くんが可愛らしくなるのは心霊スポットでのみだと思っていましたが、雪道も効果があるんですねぇ」  感慨深そうに呟くのはいいからちゃんと手握ってさっさと連れてけと憎まれ口を叩きつつ、ようやく豪勢な屋敷に辿りついた時には、もう日が暮れかけていた。  朝一に出てきたのに、移動に何時間使ったんだとげっそりとする。  葦切家は村の端と思われる位置にあった。地理もわからない俺が端だと思ったのは、家の裏手が緩やかに傾斜した雑木林になっていたからだ。裏山という感じだろう。  雪に埋もれた葦切家は、ぐるりと塀に囲まれていた。母屋と思われる屋敷の向かって左側に中庭のような空間があり、その向こうに蔵のようなものが見える。ぱっと見金持ってそうだなぁという感じの家だった。  ドアチャイムは無く、引き戸をコンコンと叩いたくろゆりさんは、玄関横に掲げてある柊の葉を一瞥して目を細めていた。俺はそんなことよりも妙に生臭い匂いがして、もうすでに引き返したい気分だった。  こっから引き返しても、それこそ凍死する未来しか見えない。ここまでの道のりで、村人らしき人間は一人も見なかった。しん、と静まり返った村は不気味で、まるで廃村だ。  暫くして、玄関の戸を開けてくれたのは腰が曲がったばあちゃんだった。なんかこう、もっとおどろおどろしい『祟りじゃー!』って叫んじゃう感じの人が出てきそうな雰囲気だったから、拍子抜けした。使用人らしきばあちゃんは、まあまあよく来てくださりましたと俺達を歓迎して玄関に引き入れた。  その時、玄関の隅からギィ、ギィ、と音がした、気がした。床が鳴ったんじゃない。雪の重さで天井が軋んでいるのかとも思ったが、どうも、音は上では無く下から聞こえてくるような気がする。 「春日くん。ここはちょっと細かいものが沢山いらっしゃるような気がするので、あんまり一々気にしていてはいけませんよ」  くろゆりさんにそう耳打ちされ、俺は寒気を覚えて何も聞かなかった事にした。ばあちゃんは普通だけど、やっぱり、この家には何かが居るのだろう。  身体の雪を払い、かじかむ身体を無理矢理動かしてゆっくり歩くばあちゃんに付いていき、客間に荷物を運びこむ。温まる暇もなく、濡れた服を着替えて応接間に向かった。  家の中は妙に暗い。何でかなぁと思って暫く見渡して、窓が極端に少ない事に気がついた。  明かりとり程度に数個、小さい窓が天井付近に付いている以外は外の景色を拝める場所はない。もしかしたら冬用の雨戸のせいかもしれないけれど、それにしても暗い。  寒さと妙な生臭さも手伝って、不安ばかりが増す。心霊スポットじゃないし、雪道でもないけどくろゆりさんの手を握りたくなった。流石に、成人男性二人がいきなり手を繋いだりしたらヤバいという理性はあるから、我慢したけど。  通された応接間も薄暗かったら泣くかもしれない。しかしそれは杞憂に終わった。 「どうぞ、遠いところをよくおいで下さいました。本来ならばお迎えに上がるのが礼儀なのですが、如何せんこの雪で……本当に申し訳ないです」  深々と頭を下げた鈴子夫人は、きっちりとした美人で、部屋も明るい蛍光灯の光で溢れていた。いくら廃村じみた場所とはいえ、電気は通っているのだからそら、蛍光灯も光り輝くって話だ。ぼんやりと揺れるろうそくの火を想像していた俺は思わず自分の貧相な想像力に失笑する。 「ツネさん、もういいですよ。夕食の準備は私も手伝いますから、下ごしらえだけお願いしますね」  さっきのばあちゃんに優しく声をかけた鈴子さんに、ツネさんと呼ばれたばあちゃんは会釈を返してよぼよぼと部屋を出て行く。 「何かありましたら私か、お手伝いのツネさんが屋敷におりますので申しつけください。長旅でしょうから、本日は夕餉の後にお休みください。何もない所ではありますが、お気兼ねなくおくつろぎいただければと思います。そして、どうか――」  額面通りの挨拶を交わした鈴子さんは、深々と下げた頭を上げると、座布団に奇麗に正座したくろゆりさんをしっかりと見据えた。 「どうか、葦切の家の呪いを、解いてくださいまし」  暗い部屋のどこかで、みしり、と床を踏みしめる音が聞こえた気がした。

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