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おしぼのさま 08

   八章 坂木春日  俺達にあてがわれた客間は、まあ当たり前だけど一部屋だった。  昨日はツネばあちゃんが布団を敷いてくれたけど、今日はばあちゃんはいいから茶でも飲んでろと追いやり自分たちで用意した。昨日よりも若干離して二枚の布団を並べたが、どうせ片方使わないのにとくろゆりさんは呆れたように息を吐いた。 「さすがに、依頼人の御自宅で春日くんに手を出したりはしませんが。キミ、夜中に結局僕の布団にもぐりこんでくるじゃないですか」 「人聞き悪いこと言うんじゃないっつの、ソレ俺がくろゆりさん大好きすぎて耐えられない☆ みたいに聞こえるだろヤメロクダサイなんか天井ぎしっぎしいっててこえーんだよ」 「僕の他には誰も聞いてはいませんけどね。流石にご老人が多い地域は、就寝時間も早いものです」  田舎と言っても流石にテレビはある。それでも、じいちゃんばあちゃんは夜九時のニュースを時報か何かと勘違いしているのか、十時を過ぎると家の明かりはほとんど消えた。街灯もほぼ無い田舎の夜は、家の明かりが消えるだけでも真っ暗になる。  雪は明かりを反射する筈なのに、月も隠れているせいで気味が悪い程真っ暗だった。明かりが灯っている葦切家の周りだけは、うすぼんやりと明るい気がする。  葦切家の客室は、母屋と渡り廊下で繋がっている。後から建てた部分なのかもしれない。きっちりと雨戸が閉まっている母屋からは外の様子が窺えないが、この渡り廊下は硝子戸だった。さっき通って来た時はまだ夜の八時だったと思うが、それでも外は驚くほど暗かった。  廊下から見える奥の蔵の屋根から、何かがぶら下がっているような気がしたが気のせいだという事にした。本当にこの家は、そういう変なモノがちょこちょこ目に入って嫌だ。家が悪いのか、村が悪いのか。はたまた俺自身とかくろゆりさんが悪いのかは、わからないけれど。  夕飯時にくろゆりさんに何か収穫があったのか訊いてみたけれど、めぼしい資料は無かったらしい。というか、保管状態が悪すぎてほとんどただの紙の屑だったという話だ。蔵はまるでゴミ置き場のようだったという。  風呂を借りてから客室に戻り、電波マーキングをした地図を渡したついでに、今日ツネばあちゃんから聞いた話もざっくりと伝えた。 「おしぼのさま、ですか。ずいぶんと都市伝説めいた名前ですねぇ。どういう字を書くのか分かれば、少しは成り立ちも予想できそうですが。情報源がツネさんしかないとなると、それを探るのは難しそうですね」 「よそ者はこっちくんなオーラまじすげーもんなぁ……」 「ツネさんは昔から足が悪く、ほとんど葦切家から出ずに生きてきたようですし。得られる知識も、少なかったのではないでしょうか。作芽祈願というものは一応こちらに来る前に調べては来ましたが、葦切家が神主を担っていたという話は初耳です。鈴子さんは知らなかったのでしょう。僕よりも春日くんの方が、情報収集成果があるんじゃないですかね」 「え。俺ってばお手柄? バイト料弾んでもらえちゃう?」 「この依頼が奇麗さっぱり解決したら弾みましょう。春日くんのお時間拘束代は、依頼が解決しなくても僕から出しますけれどね」  この依頼。それはつまり『葦切家の呪いを解く』ということだ。  呪いというものがどういうものか、イマイチ俺は実感できてない。くろゆりさんは憑きものじゃないかという。細かい変なものは確かに、家の周辺に溢れている。村の様子も嫌によそよそしい。けれど、一体何がこの家の呪いなのか、俺にはまだわからない。 「そういえば、なんでこの家こんなに生臭いの?」  ずっと思っていた疑問だが、もののついでにぶつけてみると、くろゆりさんはいともあっさりと答えを教えてくれた。 「イワシの匂いですよ。節分には戸口にイワシと柊を魔除けに飾る風習が全国にありますよ。この生臭い匂いが、悪鬼を払うと考えられています」 「え、節分って豆まくだけじゃないの……」 「まあ、今の現代人はそういう行事をすることすら無くなって来たので、豆をまくこともその内しなくなりそうですけどね。意味を理解しない行為など術式としてはいかがなものかと思いますし、いっそやらなくてもいいんじゃないかと思いますよ。節分しかり、ひな祭りしかり。それはそうと、この家には他にも様々な結界が貼られています。主要個所にきっちりと札が貼られていました。家自体の設計も素晴らしい。これ以上の魔除けはない、という程です」 「ふへー……その割に、結構変なのよく見かけるけど」 「防ぎきれない程のものが集まっているんでしょうかね。それとも、魔除けが綻んできているのか。雪のせいで周囲の土地の検分ができないのが残念です。どうもこの家は、おかしい」  そういえばくろゆりさんと一緒に居ると遭遇する『夜中の黒い何か』に、昨日は会っていない。  くろゆりさんの所には夜中、黒い、幽霊のような何かが這い寄ってくる。本当にとんでもないオプション付きで生きている人だと思う。  爆睡していても、アレの腐ったような匂いで必ず目が覚める。だからどんなに疲れていても、セックス後で眠くても、俺はくろゆりさんと一緒に寝ないし、くろゆりさんもできるだけ俺を遠ざける。  黒いアレ――くろゆりさんはそれを『師匠』だと言うが。黒い師匠は、霊が居る場所には出てこないという話だ。師匠が夜中に来ない、ということはつまり、まあ、そういうことなんだろう。  それはそれで嫌だけど。でも、くろゆりさんが朝、久しぶりに良く寝たみたいな事言ってたから、なんかこの家に来て良かった部分は多少あったような気がしていた。  みたいな事を明るい部屋で横になりつつぼけーっと口にしたら、なんでか知らないが布団の上で思案していたらしいくろゆりさんに急に手を握られた。  おいやめろそういうのほんとやめろ一々びくっとするしほんとやめろと思う。 「なんすか一体。キャラじゃないこと止めていただいていいっすかね」 「キスの方が良かったですか?」 「自分が何言ってるかわかってんのかイケメン……」 「十分に存じておりますよ。ですので、自分でも少し面白いです。僕が他人に労われて嬉しいだなんて感じるのはいつぶりかわかりません。基本、人間の言葉などただの記号程度に思っていますので。本当に春日くんはおもしろい。キミと一緒に居ると、まるで自分が人間になったような気がします」 「あー、一応、非人道的性格だったっていう自覚はあるんだ……そっちの自覚はあるんだ」 「そうでなければできない仕事ですよ。偶然、自然に環境が整ったせいで発動してしまった、という呪術も存在はしますが、大概は人の恨み辛みが関わってくる。まともな感情と感性の持ち主だとしたら、相当な自我と精神が必要でしょう。かなりの人格者か、または僕のような人格破綻者が行きつく仕事です」  重なった手にどう力を入れて良いのか分からなくて、中途半端に緊張してしまう。恐怖体験紛らわす為にあほみたいにキスするし、数えられない程手を握って来たが、流石に寝所で急にそっと手を握られたら俺だって挙動不審になる。  この人は、本当にそういう事をする人じゃない。  セックスは気持ちいいからするものだ、と豪語できるツワモノだ。そこに愛とか恋とか果ては情すら絡まない。本当に人間としての感性がほとんどないのだろう。それを知っているから、余計に繋いだ手が気まずかった。  なんだかんだいって、俺はくろゆりさんが嫌いじゃないんだと思う。  くそみたいな職業だし、なんか変な黒い奴が夜中に来るっていうとんでもオプション付きだし、見た目イケメンなのにファッションセンス中二病だし、その上性格もトチ狂ってるし、ベッドの上では言葉責め系どSだ。そんなとんでもない人でも、文句言いつつ一緒に旅してるんだから、嫌いではないのは本当だ。  好きかと言われたら、困ると言うか、その問題からは全力で目を逸らしたいんだけども。  本当に、絶対に本人には言わないし誰にも言わないこと前提でぶっちゃけると、たぶん、俺はくろゆりさんが好きだ。恋愛なのかただ情が移っただけかわかんないけど、手をつなげば若干どきどきするくらいには好きだし、他の女と寝たって聞いたらぶん殴るかなぁと思うから、やっぱり好きなんだと思う。  でも、言う気はないし、流される気もない。  この人は特殊な人で、多分恋とか愛とかそういうもんはどっか遠くに放り投げて生きているんだと思う。知らないものは語れない、っていうのはどこで聞いた言葉だろうか。まさにそれだ。くろゆりさんは恋愛なんて知らないしこの先も知ろうとしないだろう。  ただその愛恋を知らない口で、時折口説くように俺のことが欲しいと言う。それはつまり、人生丸ごと欲しいって事なんじゃねーのかなって最近気が付いて、頭を抱えた。  お付き合いしましょうって言うのならまだしも、人生捧げますっていう決意は流石に難しい。想像ができない。でもくろゆりさんの期待にこたえるってまあ、そういうことなんじゃないかなぁと思うから、痒い言葉囁かれる度に本当になんとも言い難い葛藤が生まれた。  愛だ恋だ言われたほうがまだマシだ。 「つか、なんで俺一緒に連れてこられたわけ? かろうじて役に立ってるけど、別にくろゆりさん一人で来ても良かったんじゃないの」  痒い上に頭の痛い空気を払拭しようと、わざと手をにぎにぎしながらそう言うと、布団に頬づえをついたイケメンはふわりと笑った。 「最近僕はやたらとキミと行動を共にしていますので、キミを一人にするときの弊害がよくわからなかったので一応、ということもありますが。僕が、一人になるのが怖かったというのも、あるのかもしれません」  一人にするのが怖かったから。一人になるのが怖かったから。  そう言われて、どんな顔をしたらいいのかわからなくて、布団をかぶろうとしたら阻止された。おまえなんでそんなに反応早いんだ離せと力を入れても、わりと力のあるイケメンの手は離れない。 「こっち、みんな、っつの……!」 「嫌です。今とても可愛らしい顔をしていました。どうしよう、僕は仕事に関しては真面目に隙を見せず粛々と済ます、がモットーなのですが、ちょっと理性がぐらつくくらい興奮しました」 「もっと可愛らしい表現つかえよ直接的すぎんだよ変態」 「甘い言葉がよろしければ善処しますが」 「……そんなオプションあんの?」  くろゆりさんは他人に配慮したり甘い言葉を囁いたりしない、というよりできない人間だと思っていたから、興味本位で聞いてみたら、にっこり笑った爽やかイケメンは、俺の耳元にその奇麗な唇を近づけて最高に甘い吐息と一緒に囁いた。 「きみを、たべたい」  叫ばなかった俺はえらい。とてもえらいと思う。  ぐっと我慢したせいでちょっと喉が変な風に鳴ったかもしれないけれど、寝静まった田舎の闇夜にひどい悲鳴を響かせることは避けられた。  そんな俺の反応に満足そうに笑うのもむかつく。大変むかつく。 「……それ、女を食う時のテクニックだろ……」 「言ってほしい言葉を的確に申し上げるのは確かにテクニックと言えるのかもしれませんが、今のは比較的本心ですよ。キミはこういう言葉類には反発する方だと思っていましたが、わりと効果ありますね?」 「うるっせーよばーかばーか俺だって口先だけの気障ったらしい言葉なんかでぎゃああってなんねーっての何年夜の仕事してると思ってんだ……」 「春日くんの、その、時折驚く程素直に的確に言葉で垂らしこんでくるところ、非常に良いです。キミが思いもよらず素直だから、僕もつられてしまうのかな。……キスしたい」 「甘痒オプションもういいよ解除しろよ……っ」 「思った事をそのまま言っただけです」  覆いかぶさるように、俺の身体に乗っかって来たくろゆりさんは、息が触れるのがわかるくらいの距離で耳に痒い言葉を連発してくる。てっきりそのままキスされると思って身構えたのに、爽やかにほほ笑んだままのイケメンは微動だにしなかった。  絡められたままの手があっつい。息をするだけで恥ずかしい。結局先に音をあげたのは俺で、羞恥と痒さに耐えきれなくなってくろゆりさんの奇麗な形の唇に食いついた。  ソレを合図に、熱い舌が絡まる。 「……っ、………ふ………」  くろゆりさんのキスは、馬鹿みたいに丁寧で正直めちゃくちゃキモチイイ。丁寧に舌を転がされて、柔らかく舐めるように唇をさすられ、甘噛みされ、ぞくぞくするような甘さが腰に響く。思わず太股に足を絡めてしまい、キスの間に笑われた。 「キミの、その、正直なところ、とても良いです」 「……しないからな。やだよ、俺ツネばあちゃんに汚したシーツの処理してもらうの。言い訳して自分で洗うのも嫌だ」 「いたしませんけどね。キスくらい堪能したっていいでしょう。というか春日くんは本当に人様と仲良くなるのが早いですね。友人が多いのも、頷けます。ツネさんも、すっかりキミのことが気に入っているようですし」 「ばあちゃんかわいいじゃん。つかなんすか嫉妬っすか。ばあちゃん相手に?」 「それがどんな人だろうと、春日くんに近づくものを僕は許したくはないと思っていますよ。これはつまり、嫉妬という感情なのかもしれないですね」  耳に痒すぎる言葉についに耐えきれなくなって、トイレに行くから離せと振り切りくろゆりさんの下から這い出した。このままだとセックスに逃げることもできず、ただただ痒い会話を繰り返してそのまま流されてしまいそうだった。  逃げ出して廊下に出ると、実際に尿意を覚える。寝る前に母屋の厠を借りようと思い、渡り廊下に足を踏み入れた。  ふと、蔵の方を見た。相変わらず何か黒い人型のものが、蔵の屋根の端からぶらんぶらんとぶら下がり揺れていたが、それよりも妙なものが目の端に映った。  それは蔵の奥の塀の向こうだった。  葦切家の裏は山で、高い塀に囲まれている。おそらく土砂や雪崩の防止の意味があるのだろう。くろゆりさんの背丈よりも高いくらいだから、二メートルはあるんじゃないだろうか。  石垣の立派な塀の向こうに、何か白いものが見える。  にゅう、と突き出したそれが、人の鼻から上の顔だと気がついた時、思わず目を逸らして廊下を引きかえした。  尿意どころじゃない。やばい。俺は今確かに、ソレと、目が合った。どこが目だったかなんて、わかんなかったけど。  髪の毛の長い女だったような気がする。アレがおしぼのさまなんじゃないだろうか――。そう思いながら、客室の扉に手を掛けた時、外から、何かを引きずるような音が聞こえてきた。  ずる……、ずる……、ずる……、と、這うような。引きずるような、衣ずれのような。一定の音は途切れることなく、無音の雪の夜に響く。  もしかしたら俺は、ちょっとまずいものを見てしまったのかもしれない。  おしぼのさまに見つからないように気をつけろ。そう言った昼間の老人の言葉が、頭の中に浮かんで背筋が震えた。

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