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おしぼのさま 09
九章 杜環
ずる、ずる、という音に、ギシリと鳴る音が混じる。
「あの……ええと、あの、これは、一体、どういう状況、で」
けれど僕は人生最恐のホラー体験を耳で感じつつも、人生初めての男性に押し倒されるという状況にどうしていいか分からず、何かが歩いているような音がする天井を茫然と眺めるしかなかった。
怖い。怖いけれど、熱が上がっているのは、羞恥とパニックのせいだ。恐怖もあるが、それと同時に僕の鎖骨をなぞる骨っぽい手の感触もある。
えっちな事をしよう。
そう言った蓼丸さんの行動は早く、あれよあれよと僕はベッドに押し倒されてしまった。
「大丈夫。気持ち悪いことは、しない。杜環くん、男の人とセックスしたことは、ある? ない?」
すごくストレートに訊くモノだから、パニックになった僕は馬鹿正直に首を横に振ってしまう。
「それっぽいことは、一回……でも、あの、本格的に性行為と呼ばれる様なものは、多分、経験はない……筈、」
「フェラは?」
「……女の子に、ちょっとだけ……」
「あ、経験あるんだ。そっか。じゃあ初めてじゃないのか。どうせなら、ぼくが初めてっていうことがいいなぁと思ったけど、流石にベッドが汚れる様な事はできないし、悩むなぁ」
「ていうか、蓼丸さん、天井の、音……」
「言っちゃダメ。怖くなっちゃうから。それを考えないように破廉恥なことしましょうって提案してるの。大丈夫、後々身体の関係を迫ったりはしないから、安心して。ぼくはわりと後腐れないタイプだし、これはもう、恐怖紛らわせる為のコミュニケーションです」
蓼丸さんの細くて格好良い手が、僕の鎖骨をなぞってそのまま首筋を這いあがる。思わず首が反り返ってしまい、変な声が出そうになった。
どうしよう。……キモチイイ、というか、本当にそういう気分になってしまいそうだ。腰が疼くような甘さを覚え、思わず、悪戯な手を掴もうとしたら甘く笑われた。
吐息のような笑い声がとても官能的だ。
憎からず思っている人にこんな風に触られたら、僕の身体は勘違いしてしまう。
「杜環くんかわいいね。顔、真っ赤だ」
「……顔に、出やすいんです……」
蓼丸さんの視線から逃れようにも、覆いかぶさるように僕の上に乗っている彼から逃げることはできない。少しばかりの抵抗で顔を背けてみるも、奇麗な指に顎をなぞられ、阻止される。
僕の方が蓼丸さんより身長はある、筈なのに完全に蓼丸さんのペースに巻き込まれている。多分、きちんと抵抗したらちゃんと逃げることはできる筈だ。腕力に訴えても、言葉で拒否しても、蓼丸さんは僕の上から退いてくれるだろう。
それをしない僕も、悪い。というか、文句を言えない。
確かに恐怖を紛らわせたいという気持ちもあるが、それ以上にこの人に触れたいと思っていた。
怪しく上下する喉仏に触れたい。その下の鎖骨のくぼみに、舌を這わせたい。欲望だけが湧きあがって頭がおかしくなりそうだ。マウントを取られていなかったら、それこそ僕が押し倒して好き勝手触ってしまいそうだった。
セックスは得意じゃない。自分の快感を追いかけるのが恥ずかしくて、いつも、もだもだとしてしまう。他人にさらけ出すという行為も苦手だった。それなら、一人で処理してしまった方がいいと思う。
何かを喋っていないと恐怖と恥ずかしさで死にそうで、そんな言い訳のような言葉を零すと、僕の腕の筋をさすっていた蓼丸さんが笑ったような気配がした。
相変わらず表情はあまり変わらないけれど、蓼丸さんは雰囲気に感情が混ざることに気がついた。ふとした時に、ほろりと感情が零れる。それに気がつくと、より一層この派手な外見の真面目な人が愛おしくなる。
悪戯な細い手は、僕の腰の骨をくすぐり、そのまま服の中に入って腹筋をなぞる。大して鍛えてもいない腹筋は軟弱だ。かろうじて肉が付いていないせいで、若干筋肉の盛り上がりがわかる程度のそれを艶めかしい手つきで撫で上げられ、思わず、上がりそうになる声を飲んだ。
「………っ、ん……ちょ……蓼丸さ、あの、えっちなことって……どこまで、その……」
「うん。どうしようかなって。ちょっとそれっぽくいちゃいちゃするだけでも、気分紛れるかなって思ってたんだけど、なんか本気でむらむらしてきたかもしれない」
「むらむら……」
「ストレートに表現するなら、僕は杜環くんに欲情しています」
「……ど直球ですね」
「元々好きな体格だって言ってたでしょ。顔も好み。あーイケメンだなーって目で追ってたから覚えてたんだよ。これは本当。わりといろんな人と関わりがある人生だけど、好みの人間ってそうそう見つけないから記憶に残るな。杜環くん、全体的な雰囲気はすごく柔らかいのに、ちょっと顔のパーツはきつめで格好いいのが、良い。押し倒されたらどきどきしちゃいそう」
「今は、僕が押し倒されてますけど」
「逆が良い? ぼくは、どっちでもいいけど。押し倒されたらどきどきするだろうけど、押し倒してるのも結構どきどきするよ。ちょっと、縋られたい感ある。めちゃめちゃに焦らして、切羽詰まった杜環くんに懇願されたいなーってカンジするなー。ぼく、別にサド寄りじゃない筈なんだけど、なんでかな?」
そんな風に首を傾げられても困るし、可愛らしい仕草とは別に、悪戯な手は腹筋から下がり、服の上から僕の股間をやわらかく刺激する。
恥ずかしい事に、若干起ちあがりかけているそれは下着とスラックスに押さえつけられて辛い。でも、僕の太股あたりに乗っている蓼丸さんのそれも若干固くなっている気配がしたから、羞恥よりも興奮が勝った。
ゆっくりと、人差し指で撫でられる。
もどかしい刺激が恥ずかしくて、甘くて、たまらなくて声と息を呑む。屈むように僕の耳元に口を寄せた蓼丸さんは、どろりと色香を含んだ言葉を熱い息と共に吹き込んでくる。
「ぼくはいじめっ子趣味かどうか知らないけど。杜環くんは、ちょっと、Mっぽいカンジする、よね。焦らされるの、すき?」
「…………きらい、では、ない、です、けど、なんかそういう趣味嗜好っていうか、こう……蓼丸さんが、たまらない、です」
耳を舐められてぞくぞくした気持ちよさと一緒に熱が更に上がり、僕の頭は茹だってしまったようだ。普段は絶対に言わない恥ずかしい本心がぼろぼろと零れる。僕の垂れ流しの感情なんて情けないだけなのに、蓼丸さんはくったりと身体の力を抜いて笑った。
「すごい。……いまの、すごく、好き。外見が好みなだけじゃなくて、中身も良いなぁって思ってたんだけど、もしかして、身体の相性もいいのかなぁ。ね、直接触ってもいい?」
「……蓼丸さん、だけ?」
「一緒にしてもいいよ。杜環くんが、気持ち悪くないなら」
気持ち悪いも何も、自分にもついてるものだ。というか、好意を抱いている人の身体なら、気持ち悪いことなんて無い。例え女性の性器であっても、全く知らない人間のものだったら気分のいいものではないだろう。男だから、女だからという区別は僕にはあまりない。
身体を起こされて、向かい合わせに抱き合う格好になる。僕は相変わらず恥ずかしくて顔を見る事は出来ず、蓼丸さんの首筋に顔を埋めた。
それがくすぐったかったらしい。甘く笑う蓼丸さんの声が耳をくすぐる。この人の柔らかい声は、可愛らしいのに官能的で、不思議だ。
自分から動くのは恥ずかしい。それでも、今更無かった事にしましょうとは言い難い。僕も彼も興奮している。それに、憎からず思っている人とこんなに近づけるチャンスは、あまり無い。奥手と言えば聞こえは悪くないが、僕は他人に近づくのが恐ろしくただ待っているだけのダメな男だ。
震える手で蓼丸さんの腰を引きよせ、彼のジーンズのファスナーに手をかける。同じように僕のスラックスのボタンを解く手は器用で、すぐに下着の中身を握られてしまった。
「杜環くん、固い。熱い。……あー、かわいい」
どうしてその感想からその感情に繋がるのかイマイチわからないが、否定的な言葉ではないだろうと判断して、怯みそうになる手を進めた。
蓼丸さんの下着はぴっちりとしていて、僕のゆるいボクサーパンツとは違う感触だ。というか、これほとんど紐じゃないかと気が付き、パンツの横の紐を下にずらしながら、いつもこういう下着なんですかと怖々問いかけると、さらりと頷かれた。……下着までアバンギャルドでびっくりはしたが、イメージ通りといえばその通りだ。
「別に、中に穿くものなんか見られるわけじゃないからなんでもいいとは思うんだけど、ぼく結構身体のラインが出る服選んじゃうから、あんまり布っぽい下着つけると目立っちゃってさ。女の子のパンツのラインは、そういう趣味の人にとっては官能的なポイントかもしれないけど、ぼくのボクサーパンツのラインが出てたところでやぼったいだけでしょ。というわけで暫く前からティーバックです。趣味嗜好というよりは実用的な意味で。わりと評判いいけどね。似合ってるらしい」
「お似合いだとは思いますが……そんなに頻繁に、他人に下着を見せる機会ってあるんですか?」
「まあ、時と場合と仕事によって……え、なに、うそ、まさか、嫉妬みたいな感じ、だったりする?」
「……若干。あの、蓼丸さんは僕の事を好みだとか、さらりと言いますけど。僕だって、蓼丸さんの柔らかい人柄と美人な外見に、どきどきしているんです」
「どうしよう。今すごく興奮した。今ね、杜環くんに他の人にパンツなんて一生見せないでってお願いされたら、ぼくは君の感情がある限りそれを厳守できる、かもしれない」
「…………他の人に、見せないで。お願いします。こんなに扇情的な貴方を、人の目に触れさせたくない、です」
言われるままに、とんでもないお願いを口にしてしまった。ベッドの上というものは恐ろしい。普段は絶対に言えない言葉がテンションだけで零れてしまう。
一瞬息を飲んだ蓼丸さんは、熱い頬を僕の首筋に擦り寄せてきた。可愛い。蓼丸さんの手は僕の股間のものをいやらしく撫でているのに、言葉で照れてしまうのが可愛くて訳がわからない。
「流石作家さんだ。貞操帯買っちゃう? って思っちゃった」
「想像しちゃうんでやめてください死んじゃう……」
「ふはは。ぼくなんかの不埒な想像で恥ずかしがっちゃう杜環くんはかわいいな。嬉しい。可愛い。ね、もっと触っていい?」
勿論、と、口を開きかけた時。
ギシギシギシギシギシィ…ッ……!
と、真上から、木がしなるような音が響いた。
「……………っ、!」
一瞬でぼうっとした甘い熱が引く。
そうだ、そういえば、天井の上を、何かが這いずっていたのだ――……その事を、うっかり本気で忘れていた。
いつのまにかずるっと何かを引きずるような音すら気にならなくなっていた。実害がないものなら、他の事をして気に止めないようにするという選択は間違いではないだろう。僕と蓼丸さんが不埒な行為に熱を上げるのは、悪くは無い選択だった筈だ。徘徊するだけの何かの音に怯えて睡眠時間を削るのなら、気がつかなかった振りをしてセックスした方が良い。
しかし、天井上のソレは、急に自己主張を始めるように、というか、何かを見つけたかのように――、急に大きな音を立てた。
片足を引きずり徘徊する何かのイメージが、一変して別のものに変わる。地団太を踏むように、足踏みする何か。もしくは、四つん這いになり、両の手で、床を掴み一心不乱に身体を揺らし音を立てる、何か。
そんな想像に、背中がぴんと伸び、とてつもない悪寒がざあっと這いあがる。息をするのを一瞬忘れ、心臓が痛む。密着したまま硬直した僕達だが、先に動いたのは蓼丸さんだった。
「息、して、杜環くん。……びびってると、たぶん本当によくない。この家から逃げ出すってことはできないだろうし、後はもう、気のせいだと思って楽しいこと考えるしかない、と思うんだよね。いやもしかしたら、アレ、わりとぼくたちの生死にかかわってくるものかもしれないけど、でも映画みたいに心霊現象で人間がばかすか死んでたら、それこそ大変でしょ」
「――仰っていることは、わからなくもない、んですが、あの、音、真上からしません、か?」
「する。します。非常に怖い。だからもっといやらしいことしよ」
セックスするだけの馬鹿になろう、と蓼丸さんは言うと、僕の少々萎えたものをぎゅっと握り柔らかく刺激し始めた。
怖いのか恥ずかしいのか気持ちいいのかわからない。あまりの訳の分からない展開に流石に抗議の声を上げようとしたが、背後の窓をコンコンと叩く音がした気がして、僕も思わず蓼丸さんの股間のものを掴んだ。
怖い。とんでもなく怖い。そしたらもう、いやらしい事をするしかない。
よくわからないがパニックになった僕は、蓼丸さんのその理論に乗っかることにした。
天井はギシギシと煩い。見つけた、と言わんばかりにその音は響く。二階だというのに、窓をノックする音がする。どういう状態なのか考えたくない。異常に背の高い人間が覗きこむようにノックする様も、屋根の上からだらりとぶら下がった人間が逆さまにノックする様も最悪だ。考えたくない。想像したくない。
だから僕は蓼丸さんのピアスばかり開いた耳を噛んで、濡れた音が絡みだしたソレを熱心に愛撫した。
「………っ、……、それ、あ……好き、杜環く……」
耳元に響く、甘い声だけを聞こうと、心に決めて、ただ浮かれるような熱だけに集中した。
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