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おしぼのさま 日記5
日記 五
逃げようと言われた。
私は驚いて、うまく言葉を返せなかった。私の手をしっかり握った三木さまは、とても真剣な顔で仰った。
三木さまが言うには、このままでは私と三木さまは殺されてしまうらしい。そんな馬鹿な、と笑ってみせたが、三木さまは笑わなかった。
私達の密通は、そんなに悪いことだったのだろうか。
確かに出生のわからない使用人と通じることは世間に顔向けできないことなのかもしれない。ましてや、奥さまが亡くなった後だ。
しかし三木さまは、私達が愛し合っている事がいけないのではない。愛し合っているから利用されるのだと言った。私にはうまく理解ができない。どういうことなのかと聞いても、三木さまは頭を振り申し訳ないと謝るばかりだった。
私が鬼子だから、私がアヤエを愛したからいけないのだと、三木さまは泣く。
いつでも大らかで凛とした佇まいの三木さまが涙を流す様を、私は初めて見た。出会って何年経ったのかわからない。ただの子供だった私は、人を愛する事が出来る程に成長した。
愛したのが原因だというのなら、その罪は私にもあるだろう。
私は三木さまが好きだ。とても好きだ。三木さまはお身体が弱く、床の間で寝ている事が多い。その美しい寝顔を、何度うっとりと眺めたことだろう。
私は身体が悪い。きっと逃げ切れない。君だけでもお逃げと、三木さまは言う。
私は嫌だと言った。
三木さまを置いて逃げるくらいならば、死んだ方がいいと言った。それを聞いた三木さまは、しばらく私の顔をじっと見て、どうなってもその決意は変わらないかと問うてきた。
私は泣きながら当たり前だと訴えた。離れたくはない。こんなに愛しい人を置いて、私はどこに逃げるというのだろう。この手を離し三木さまを見捨てて生き延びるくらいならば、何もない、死の世界に旅立った方が良い。
私の決意を聞き、三木さまは私を抱きしめた。
何があっても、必ず探しだす。だから君も私を探しておくれ、と三木さまは私を抱いたまま泣いた。ツクメとイキジに別れても、きっと見つけようと言われた。私はその意味が分からなかったが、同じように泣いた。
悲しくて、そして幸福で、本当に死んでしまうかと思った。
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