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おしぼのさま 18

   十八章 坂木春日  ぎゅっと、抱きしめられた身体が、ようやく熱を取り戻し始めたような気がした。  毛布ってやつは、それ自体は別に発熱してくれない。熱を逃がさない器具であって、ストーブとか電気毛布みたいに勝手に暖かくなってくれるものじゃない。  俺の冷え切った手足に触れる毛布はずっと冷たいままで、とりあえず何も被らないよりはマシなんじゃないの程度だったんだけど、隣に乗り込んだくろゆりさんが馬鹿みたいにぎゅっと抱きしめてくるから、その体温のせいかじんわりと熱が戻って来た感じがした。  体調のせいかそれとも別の要因でか、耳鳴りが酷い。耳の奥が握りつぶされるように苦しい。  後部座席はぎゅうぎゅうだ。たぶん、これ五人定員の車だと思う。詰め込んだとしても後部座席に入れるのは三人で、つまり、四人ぶちこまれている現状はとても狭い。  運転席の後ろに鈴子さん、ぎゅっと俺と彼女に挟まれるようにツネばあちゃんが縮まっていて、助手席の後ろにはくろゆりさんが詰め込まれている。  後部座席の後ろには、どこに冒険に行くんだっていう装備が積まれていて、毛布を拝借する時に思わず笑ってしまった。  そんな俺のくだらない感想に応じたのは、助手席の蓼丸サンだった。 「いやだってね、こっちはもう、わりととんでもない怪奇現象体験してて、ラスボス倒しに行く気分だったんだよ。今思えば、家の外を徘徊する音なんて、生ぬるいもんだけどさ。もう、ほんと、一生分のホラー体験してる……あんときは死ぬかと思ったね、なんて後々笑いあいたいからさ、頑張って帰ろう。早く帰ってぼくはお風呂に入りたいです」 「ほんとそれ……俺、一生分の寒さ体験したわ……もーほんと、早く風呂入ってあったかい部屋でこたつに入ってぬくぬくしたい……村の境界線って、要するに、こう、よくある『ここから○○市です』みたいな、ああいう地図上の境界線ってこと?」  俺が問いかけると、ツネばあちゃんを抱きしめる俺ごと抱きしめているくろゆりさんが頷く。  近過ぎて、くろゆりさんが喋ると、振動が伝わってきてくすぐったい。なんかそれが好きで、まだ無事生還できたわけじゃないのにそんなこと思っちゃうの不謹慎かなとは思うけど、俺結構今回頑張ったと思うからちょっとくらいきゅんとするの許してほしいと思った。 「こちらに来る日にバスの中から拝見しましたが、きちんと石塚が立ててありました。あれは、村のものを外に出さない措置でしょう」  その答えを受けて、運転席の杜環さんが声を上げた。 「じゃあ、とりあえずあと、ええと……二十分くらいかな。そのくらい頑張れば――……」 「ちょ、ちょっとちょっと待ってなんかいるなんかいるこっちくる……っ!」  急に叫んだのは蓼丸サンだった。  反射的に顔を上げ、フロントガラスの向こうを見た。民家も無くなった雪の山道の真ん中に、何かがつっ立っている。  女だ、と気がついた時には驚くほど近づいていて、もう避けられる距離じゃなかった。ぶつかると思って目を閉じたが、衝撃は来ない。  やっぱり人じゃなかったのか? と恐る恐る目を開けた瞬間、真上からバンバンバンッ! と叩きつけるような音が響いた。  思いっきり踏みつけている、というよりは、上から何か落ちてきたとしか思えない衝撃に、思わずツネばあちゃんを抱きしめる腕に力が籠った。  くろゆりさんはずっと、葦切家に伝わるらしい憑女避けの呪文を唱えていた。何もできない俺と鈴子さんは、ぎゅっと縮こまるばあちゃんを守るように抱きしめる事しかできない。  なんかもう、へこむんじゃないの? ってくらいの勢いで車の天井から音がする。  バンバンぶったたかれる度に、ばあちゃんの身体が震えるのが辛い。絶対守ってやんだからなちくしょうと力がこもる。その身ひとつで、俺を助けに来てくれた。生きてて良かったとぼろぼろと泣いたばあちゃんを、連れて行かせる訳にはいかない。 「レンタなのに……っ、壊れたら、どうすんだ……っ」 「あー。こういうのって弁償かなぁ。おいくらまんえんだろう……ぼくこの前無駄に高いソファー買っちゃったばっかりなんだよなぁ。杜環くん、お車一台分弁償だったら半額でもいい?」 「壊さない方向でがんばりませんか……っ?」 「ぼくたちの頑張りでどうにかなるなら頑張りますけど、だってお願い壊さないでって言って聞いてくれるような耳持ってるとは、っひぃいうわあ!?」  前の席で仲良く夫婦漫才をしていた蓼丸サンが変な声を上げた。ほんと今日は蓼丸サンの変な声を良く聞く。  今度はなんだよと視線を窓にずらす。上から物音がしていたから、助手席の窓に上から覗く顔か何かが……と思ったら特にそれっぽいものは上にはない。  ただ、下の方から、ぬうっと。目の下くらいまでをべったりと窓に貼り付けて覗いている顔があった。 「……何人いんだよ……」  思わず口から零れた呟きに、前の座席で思いっきり身体をよじって窓から逃げようとしている蓼丸サンが元気に頷いて同意した。  ほんと今日の蓼丸サンは元気だ。普段は動揺? なにそれおいしいの? みたいな顔してしれっと生きてる癖に、やっぱり疲弊しててテンションおかしいのかもしれない。担いで貰った身分では何も言えない。俺だって生きるか死ぬかのデッドレースなうで、もうなんか色々おかしい。  今一番頑張っているのはひたすら祝詞を唱え続けているくろゆりさんと、何があってもビビらずアクセルを踏み続けている杜環さんだ。俺はこの杜環っていう人に初めて会ったけど、蓼丸サンが信頼しているみたいだからきっといい人だと勝手に判断した。  自己紹介してる時間なんてなかった。今も無い。余裕もない。ふと見たリアガラスにべったりと黒い手形が映っていたような気がするけれど、もうそんなんに一々悲鳴上げてるのもばからしくなってきた。  大丈夫に決まっている。だって皆生きてる。くろゆりさんも居る。この人は普段へらへらと胡散臭いが、仕事はちゃんとする。割合真面目だって事を、俺は知っている。  右手でツネばあちゃんをしっかりと抱きしめて、左手をくろゆりさんに伸ばす。冷たい手をぎゅっと握ると、なんでか笑えてきた。  一人で祠に居た時よりも、格段に上級のホラー現象に見舞われている筈なのに、なんとかなると思える。それは絶対に、このあやしい呪い屋のせいだ。  ドンッ!  とひときわでかい音がして、リアルに天井がへこんだのを最後に、急に、耳鳴りが止んだ。  静かな雪道を走る、エンジンの音しか聞こえない。バンバンと煩い天井の音も、耳鳴りも。いつのまにかくろゆりさんの呪文も止んでいた。  終わったのか。それとも、安心したところで最後になにかぐわっと来るんじゃないのか。車内に、侵入してて、振り返ったら居る、とか……。  余計な事を考えて振り返ってみたが、そこには何もなかった。手形もない。髪の毛が垂れてくることもない。  ちらり、とくろゆりさんの顔を窺うと、心底疲れ果てた様子のイケメンはぐったりと俺に寄りかかってきた。甘えてるみたいでなんかこう、やめろ急にむず痒いことをするのはやめろと思う。 「ええと、……もう、へいき? 逃げ切った?」 「あの村のモノからは、恐らく、逃げ切ったと表現していいでしょう。ただ、まだ土地を離れるまでツネさんと鈴子さんは喋らないでください。声は、一番簡単な依り代です。簡単に招いてしまう。疲れたでしょうし、寝ていてもいいですよ」  その言葉に従ったのか、単に死ぬほど疲れていただけなのか、鈴子さんとツネばあちゃんは気がつけば静かに眠りについていた。  車は静かに、山を降りる。次第に雪が無くなり、高速道路に辿りつく頃には、すっかり道も明るくなっていた。夜中も明るいから高速ってやつはありがたい。  やっと俺が知ってる土地の名前が看板に出てきたあたりで、くろゆりさんが別に皆さんは喋っていてもいいですよ、と声を掛けた。 「怖い怖いと気を病んでいてもよろしくないので。どうぞ前の席のお二人は楽しくお喋りをしていてください。いっそご関係を進展させてもよろしいですよ?」  聞き捨てならない台詞に反応したのは勿論俺だ。いや前の二人もなんか妙に動揺してたけど。 「え。え? 何? え? 蓼丸サン何? 蓼丸サンまさか? こんな善良そうなメンズにまさか手出したの?」 「ちょ、まるでぼくがアヤシイ人種みたいな言い方よろしくないからヤメテ。そういうむず痒い個人的なお話は帰ってからお風呂入って寝て起きてから、」 「えー。俺のことは遊びだったのね!? とかやりたいじゃん?」 「椿くんのことは好きだけどキミだって彼氏いるでしょお隣に。杜環くん前ちゃんと見て運転して。危ないからね? 何もないから後ろの彼とは。……ちょっと、くろゆりさん、前々から思ってましたけど椿くんかわいさにぼくに意地悪するのやめてもらっていいですか」 「失礼。比較的無自覚なもので」  しれっと言い放ったくろゆりさんは、なんだか妙に楽しそうに笑っていた。こんな風に笑うのは、ちょっと珍しい。  くろゆりさんはいつも、ふわっとうさんくさい笑顔を浮かべている。そもそもがイケメンだから、奇麗に笑って居れば作り笑顔も素晴らしい芸術になる。俺なんかはもう慣れてしまって、うさんくせーなぁなんていつも思ってしまうんだけど。この時の声は少し楽しそうで、思わず笑いが漏れてしまった、といった感じだった。  まじまじと見ていたら、俺の視線に気がついたイケメン呪い屋は眉毛を下げて表情を崩した。この顔も珍しい。今日は本当に、珍しい事ばかりだ。 「……ちょっとね、疲れているんですよ。久方ぶりに、大いに他人を巻き込んでしまいました。それに、キミに関しては他人と言い張れなくなってきている事を自覚しましたし……不思議な感覚です。今も特別、人生に執着しているとは言い難いんですが、この手を離す気がないのが、不思議だ」 「なんかどさくさに紛れて痒い告白始めんのやめてくれませんかね俺にも羞恥心ってもんがあるんですよ、寝ているとはいえご婦人方のお隣で、寝てないメンズも二人程同じ空間に居るんですよ」 「基本的に僕は春日くんと依頼人以外の人間にあまり人権を感じていないので」 「ぼくたちのことはハエか何かだと思ってくださいって言おうとしたら、先手で人間以外って言われちゃった」  あははと笑う蓼丸さんの声が軽やかで、杜環さんも控え目に笑うのがわかった。  そうは言っても、くろゆりさんが蓼丸サンに随分と気を使っているのは知っていた。そうでなければ、他の依頼人の仕事中に相談に乗ったり、連絡を取ったりはしない筈だ。  くろゆりさんが他人に興味がないのは、きっと今もそうだろう、けど。なんだか、その中にちょっとだけ人間っぽいものが混じり始めたような感覚がある。  それが、良い事なのか悪い事なのかはわからない。今までの生活スタイルやら考え方を変えてしまうのは、くろゆりさんの場合仕事にも影響があるのかもしれない。夜中に訪れる『師匠』の事もある。俺は今まで、アレの事を自分から尋ねることはなかった。でも、いい加減、その辺もちゃんと聞いてどういうことなの? って首つっこんでいくべきかなと思った。  腹くくって、人生に関わる決意しようと思う。  くろゆりさんの師匠の事。くろゆりさんの人生の事。ついでに、俺の名前の呪いの事。いい加減、真っ向見つめる為にはまず、この人の手を握るかどうかの判断が必要だった。  その選択は、祠に連れて行かれる前にしてしまった。  そいつ俺のだから。そう言った時の、くろゆりさんの顔は、暫く忘れられないと思う。思い出すと叫びだしたい気分になるので、何も考えずに俺も寝てしまおうとくろゆりさんに凭れかかった。  何がどうなって、何と関連して、どうなったのか。  そしてこれからどうなるのか。まだ、俺は良く分かって無い。  分かっているのは、とりあえず知り合いは全員無事だという事と、くろゆりさんの体温がやたらとあったかくて安心するという事だった。

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