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おしぼのさま 20

   二十章 坂木春日  ツネばあちゃんの名前は、綾枝九と書いてアヤエツネと読むらしい。 「九、という漢字にツネという読みを持たせる事は非常に珍しいですね。まあ、名前は基本的にどんな読みでも良いので、何と読んでも間違いではないでしょうが。恐らく、綾枝家の九番目という、そのままの意味でしょう」  いつもの妙に事務的で明るい事務所の応接ソファーに座り、いつもの真っ黒なシャツとスラックスと靴で身を固めサングラスをしたイケメンは、いつものように軽薄な笑顔を湛えながら黒い手袋をした両手を組み、淡々と言葉を吐いた。  俺はと言えば、あの大脱出の日から盛大に体調を壊し、友人の家をたらいまわしにされつつ看病され、半月程でやっと声が出るし身体を起こしていられる、程度に回復した。  一人で居たら死にそうだったけど、くろゆりさんの家で寝ているのも嫌だった。あの黒い何かは、弱っている時には対峙したくない。それにくろゆりさんは暫く、俺達に纏わりついた憑女と杷羽見村の縁を切るとかで、不在にしていることが多かった。  結局俺の体調が落ちつき、くろゆりさんの作業が終わったのは、あの死にかけた日から一カ月程経った後だった。  今後の対応と、そして依頼の件の報告という体で、くろゆりさんの事務所には鈴子さんとツネばあちゃんが揃っていた。接客用のソファーに腰を下ろす二人は、ごく普通の老人と女性に見える。  俺と同時期に、鈴子さんも体調を崩したらしい。蓼丸サンもインフルエンザにかかったっていうから、やっぱりそういう霊障みたいなものってあるのかもしれない。  幸い蓼丸サンからは全快しましたという連絡が来ていたし、鈴子さんも割合元気そうだった。勘当同然に家を出て葦切鴻偲氏と結婚した彼女は、今は近県で仕事を探しながらツネさんと一緒に暮らしているという。 「葦切の資産は土地と家以外にも、預金がありました。夫はすべてそれを私に託してくれた。勿論、これからの自分の生活費は自分で稼いでいくつもりですが。この葦切のお金は、ツネの生活の為に使うつもりです」  確かに、ばあちゃんが今から仕事を探すっていうのも酷な話だ。生まれてからずっと、葦切の家から出た事がないというツネばあちゃんの年金とか保険とかどうなってんのか、怖くてちょっと聞けなかったが、自由になる金が多少あるなら安心だった。  鈴子さんは、ツネが居たから私は毎日寂しく無かったと言う。夫は優しかったが、家族は他に居なかった。村人は余所余所しく、唯一ともいえる親族の儀一は嫌な男だった。その中で、毎日優しく世話を焼いてくれるツネばあちゃんの存在は、鈴子さんの心のよりどころだったと。  その言葉を聞いて、当のツネばあちゃんはよぼよぼと泣きだしてしまった。 「……旦那様は良いお人じゃった。呪いはツネのせいではないのだから気に留めるなといつも笑っておられた。自分が、祝詞を欠かさなければアレは、寄りつかないのだから、と。新しい奥様も良きお人じゃった。こんな婆と、板の間に立つのが楽しいと仰った。前の奥様も良きお人じゃったが、ご長男がおしぼのさまに当てられて死んでしもうた……奥様は、それから狂って死んでしもうた。みな良いお人じゃったから、病んでもうた。……私ひとりが死ねば良かった話じゃった」  それでも生きていいのだよと言われ続け、いつ死ねばいいのかわからなかったと、ばあちゃんは泣いた。その背中を、鈴子さんは静かに摩り続けた。 「綾枝の家系は、代々葦切家が使役する憑女の生餌だったわけですから、まあ、呪いを終わらせるには綾枝の血が途絶えれば良かった、わけではありますが。穿った見方をするならば、ただ生餌が死んでしまうと、行き場を失った憑女が暴走して葦切が断絶する可能性もあったのではないかとは思います」  座敷わらしが福をもたらした家を捨てると、その家は没落する。憑きもの筋というものは、座敷わらしと同じ原理であるという説を、この時の俺は思い出していた。 「ただ、ツネさんの待遇を考えると、鴻偲さんは本当にあなたを大切にしてらしたようですがね。本来あの石蔵が、生餌の座敷牢だったのではないかと思います。石蔵の周りは特に、呪術的な結界が強く施されていました。ツネさんはお手伝いさんとして家の中で自由に生活していたわけですから、恐らく鴻偲さんの前の代の御主人も、呪いなどとは縁を切り生活したいと思っていたのでしょうね」  ケモノではなく、モノノケでもなく、ヒトを憑くモノとして使役する――憑女。それが、葦切家の呪いとも言うべき『憑きもの』の正体である。  これが、くろゆりさんの考察だった。 「憑女は二人の人間を意図的に裂き、片方を生餌とすることが必要となる。生餌は葦切の家の中で生活させる。生餌を探す憑女は、葦切家の周りを徘徊する。葦切の者は、ターゲットとなる家に生餌を送り込めば、そこに憑女が現れ災いをもたらす。憑女を家から遠ざける為、または外に出た際に憑女に憑かれない為に葦切家と生餌には『憑女避け』の為の儀式か呪文があった筈です。鴻偲さん亡き後、それを行っていたのはツネさんでしょう」  涙が止まらない様子のツネばあちゃんは、震える肩で何度か頷く仕草を見せた。  一人残された鈴子さんを守る為に。ばあちゃんは毎日毎日、代々受け継がれていた祝詞をあげていた。その様を想像するだけで、俺まで鼻の奥が痛くなってくる。 「葦切の呪いが何かという疑問には、おそらくこうではないかという仮説が立てられましたが。呪いを解く、というご依頼に関しては、遂行したとはいえませんね。あれだけ業の深い憑きものを扱う一族です。嫁入りした者とはいえ、一度葦切と名乗ったからには縁が纏わり付く。その上ツネさんもご一緒です。これから憑女との縁を切る為に、定期的に解呪を受けていただくことになります」 「……呪いを解いてくださいと、お願いしたのは私です。ツネともども、ぜひお願いします。お金ならば、なんとかご用意できる筈です」 「いえ、お代は一切いただきません。葦切家滞在中の経費と最初に契約した分の代金だけいただければ結構です」  くろゆりさんのこの言葉に、一番驚いたのは実は俺だった。  くろゆりさんは案外がめつい、というより金銭的にはめちゃくちゃしっかりしている。ぼったくるわけではないが、経費はきちんと貰うし、ボランティアや同情では決して仕事をしない人だ。わりと俺は融通きいてる方だってことも知っている。  ていうか俺が最高待遇だと思っていたので、お代ゼロでの無償奉仕発言に、思わずくろゆりさんを凝視してしまい、お顔が怖いですよと言われてしまった。 「いやべつに、ずるいとかそういうんじゃなくて、アンタ一体どうしたのそんなキャラじゃないでしょって話……」 「優遇しているわけでも、同情しているわけでもないですよ。これは対価です。葦切鈴子さん、綾枝九さん。貴方達お二人によって、僕達は生かされた。今、僕達がこの場に居るのは貴方達が居たからですよ。命なんてもの、無くなってしまえばそれはそれで、と思っていましたが、またこうやって春日くんと無駄口をたたける日常が帰って来た。それを僕は単純に、嬉しい事だと思った」  だから、何もいただきません。お二人が生きたいと思う内は、ぜひ僕がお手伝いをいたします。  そう言って奇麗に頭を下げるくろゆりさんに、鈴子さんとツネばあちゃんも頭を下げて今後の事を頼んで帰った。  俺の鼻の奥が痛いのは、絶対にばあちゃんのせいだけど、くろゆりさんのせいもある。  なんかこう、ここぞというところでちょっとカッコイイの、いかがなものかなぁと思うわけだ。みたいなことをちらっと零したら、温くなったお茶を飲みほしたくろゆりさんは、デスクに移動して頬づえをついた。 「僕は今回、まったく格好良くないでしょう。格好良いのは春日くんでしたね。捕らわれの状態で切る啖呵の格好よさと言ったら、思い出すとどうしていいかわからなくなる」 「なにそれ。なんかこう、いつももっとさらっとズバッと言うのにどうしたんだよ、雪国にキレ味のイイ毒舌置いて来ちゃった?」 「キミの事以外では僕に変化はありませんよ。いざ意識するとどう手を出したらいいものか、正直わからなくなりまして」 「…………爆弾発言ご勘弁」 「キミこそ中々の爆弾発言でしたよ。僕の人生が練り直しです」  確かに、『アンタは俺のだ』みたいなことをズバーンとかましたのは俺だ。ソレに対してくろゆりさんがわりと本気で感動していたことも知っている。  知っているから痒いししんどいしあんまり考えたくないのに、この呪い屋は空気を察して流すことなんかしない。 「あのとき僕は、キミのものになりたいと思ってしまった。他人を自分のものにしたいと思うことは、まあ、無くはないのですが。あんな風に思ったのは初めてです。そして僕がそんな感情を抱いたということは、僕の人生がキミの方に傾いている事を意味しますよね。そうなると、僕の感情以外のモノも、見事奇麗にキミに向かって押し寄せる可能性がある」 「……師匠、とか?」 「それも含めて、です。ですから僕は、もう少し理性を持って、きちんと考えなくてはいけないのですが……駄目ですね。春日くんがそこにいると手を伸ばしてしまう癖がついてしまった」  言いながらくろゆりさんは、俺の手を引いて腰を抱きよせる。  椅子に座ったくろゆりさんの上に強制的に座らされ、なんかこう、体重かけていいものか分からなくて微妙に足に力が入ってしまう。  唇を撫でられ、手袋の感触にぞわぞわする。人差し指に歯を立てて軽く噛むと、わりと近い位置に居るイケメンが目を細めた。 「僕が、段々とキミに傾いていくのがわかる。それはとてもよくないことだという自覚はあるんですよ。恐らく、とても悪いことです。お互いに、感情を自覚するということは目に見えないものに意味を見出すことになる。まあ、今更、どうしようもないと思っている部分もあるんですけどね」 「わりとちゃんと考えてんじゃん……くろゆりさんってもうちょっと感情とか感覚とか人間的じゃないと思ってたけど」 「一般の方よりは機械的であるという自覚はありますがね。動物的というか。快感を追うのは楽しいですし、好きなモノを手にすることは魅力的なことです。ただ、愛おしいと思ったのは久しいので、どうにも勝手がわからない」 「ストレートなくろゆりさんも俺的には迷惑だなってことしかわっかんねーわなにそれ痒ぅ……イトオシイなんて俺一生使わない言葉すぎて全然わからん……」 「春日くんの言葉で言うと、今はどんなお気持ちなんですか?」  俺の頬を悪戯に撫でながらくろゆりさんは囁く。俺のその奇麗な唇にちょっとだけ触れるキスをしてから、至近距離で息を吐くみたいに呟いた。 「あんたが居なくなるのは嫌、ってカンジ、かな?」  これが本当に正直な気持ちだった。スキとかコイとかアイとか俺には痒すぎる。でもこれは本当だ。くろゆりさんが居なくなるのは嫌だ。そんなのは耐え難いことだ。これを認めただけでも、随分、というかかなりの進歩で、自分で褒めたいくらいだった。  当のくろゆりさんはというと、わりと本気で撃沈してしまったようで、暫く俺は息が苦しい程抱きしめられて困った。  わっかんないなぁ俺の何処がいいのかわかんない。  でも俺も、この人の何処がいいのかよくわかんないから、まあ、いいかと思った。 「俺があの時儀式成功しちゃってたら、おしぼのさまみたいになっちゃってたのかね。つか、あの日記ってどういうルートで那津忌って人の元に辿りついたんだろうなー」  なんとなしにくろゆりさんの首に手を回しつつ呟いた言葉に、イケメンは思いもよらない言葉を返してきた。 「夏の間、蔵は子供の遊び場になるという話でしたから、まあ、普通に考えればそこから盗み出した、というのが仮説として正しいのでしょうが――……そもそも、あの日記は存在していたのでしょうか?」 「……ん? ん、いや、ちょっと、何言ってんの。いやだって、俺は見てないけど、蓼丸サンと杜環サンは、実物見てるんでしょ?」 「そう伺っています。古びた和綴じの帳面だったということですが、実物は逃げる時の混乱で、葦切家の蔵に置いてきてしまったということなので今となっては確認のしようがありません。僕は憑女を溶かすのではなく、縁を切る事を選びましたので、一生杷羽見村には近づかない事にしています。手元にない以上、アレが、実際に存在していた日記で、アレに書いてあることが事実だという検証はできません」  反論しようとして、はたと気が付く。  俺はこの一カ月の間に、件の文餌の日記原稿データを読ませてもらっていた。  本当は葦切に関わるものは一切手をつけない方がいいとのことだったんだけど、どうしてもそれが気になって、くろゆりさんにお願いして一緒に読んでもらった。一人で読む勇気はない。何が起こるか分からな過ぎる。  この日記を読んだ作家、那津忌幸彦は自殺未遂の末に失踪した。那津忌はおしぼのさまが探しに来る、というメッセージを残した。  そして原稿を読んだ杜環サンの元に家の周りを徘徊する怪異が訪れ、それはついに原稿を媒体として蓼丸サンにまで感染する。  読むと、おしぼのさまが探しに来る呪いの日記。そうとしか考えられない。そしてその内容は、憑女の儀式によって引き裂かれ死んでしまうシホとアヤエという男女による恋と呪いの物語だ。  これだけ事実と一致しているじゃないか――そう言おうと思ったが、一致している事実など何もない事に気がついた。 「葦切の家に、シホという女性がいたかどうかなどわかりません。そのような事実を、誰ひとりとして口にはしていない。文餌の方もそうです。おそらく綾枝さんの家系の元祖ではないか、というように想像できる書き方をしてはいますが、実際にそうとは現実の誰も言っていない。綾枝九さんは先祖のことは知らないという。日記が実際に葦切の家にあったものなのかどうか、ツネさんも鈴子さんも記憶にないとのことです。つまり、文餌も本当に居たかどうか、わからない」 「じゃあ、おしぼのさまが、シホサマから転じてそう呼ばれている、っていうのは……」 「あくまであの日記に書かれていた内容が、本当にあった事実としての仮設ですね。日記が完全に創作だったとしても、おしぼのさまというものが現実にいて怪異をもたらしていたのは事実です。文餌やシホなどという人物とは全く関係なく、過去に何かがあって、何故かおしぼのさまと呼ばれる既出も不明な憑女が居る――それだけのことです」 「待って待って。待て。ちょっと待てほんと……ええと、まあ、あの日記がでたらめっていうか、なんかこう、葦切家とか憑女とか憑女祈願とかの知識がある人が適当にそれっぽく作った創作だとして、じゃあ、なんであの日記読むと、おしぼのさまが夜中に来んの?」 「わかりません」 「……おま、」 「というか、誰も見ていないわけですから、夜中に徘徊する何かが事実おしぼのさまだったのかもわからないわけです。憑女を扱った文章であることは間違いないのですし、あの文章から本物の憑女が呼ばれたという解釈もできますね。もしくは、全ては人為的な悪戯だった、とも解釈できる」  どういうことだと眉を寄せる。密着していてまるで恋人みたいな体勢で喋る内容じゃなかったが、ここから降りて姿勢を正して聞きたい話じゃない。  説明しろと促すと、いつもの淡々とした口調でくろゆりさんは持論を語った。 「あの日記が誰かの創作だとするならば、作者として一番可能性が高いのは那津忌幸彦氏でしょう。彼はよく一人で放浪し、怪異談や民俗学的な奇怪な話を収集していた。その為に、ふらりと消息を絶つことも多かった」 「那津忌が憑女祈願を聞きつけて、葦切の蔵に忍び込んで文献を漁ったってこと?」 「儀一さんは、あの蔵から憑女祈願に関する文献を持ちだしたのは最近の事のように仰っていましたね。やはり、憑女に関する文章を葦切の結界の中から持ち出すのは勇気のいる決断だったのでしょう。何が、憑女を呼び寄せる餌かもわからない。うっかり結界の中から持ち出し、憑かれても困る。どうせ鍵がろくにかかっていない場所です。わざわざリスクを冒して盗み出すこともない。僕達が招かれた事を知り、余計な事を調べられないように、また儀式の遂行のついでに持ちだしたのでしょうね。夏の間に葦切家の蔵に忍び込んだ那津忌氏はそこで、一族が扱う憑きものの様ななにかの存在に気が付く」 「あー……それを題材に、小説を書こうと思った」 「文餌の名前は綾枝一族から。シホの名前はおしぼのさまから連想した。実際に鈴子さんとツネさんに取材をしなくても、例えば春日くんにおしぼのさまの存在をにおわせた老人も居たわけですから、どうにか話を聞きだすことは可能でしょう。三木様と表記したのはそれこそ、ミステリー的なトリックではないでしょうか。彼は叙述トリックを得意とする怪異ミステリー作家です。葦切家滞在中に何冊か著作を拝見しましたが、少女だと思っていた登場人物が、実は最後の一文で老婆であることがわかる、などといった独特な手法のどんでん返しが印象的でした。だとすれば、あの日記パートともいえる原稿を主軸に、別のお話が展開し、主人公たちが最後にシホと三木のトリックに気が付く――といった創作のトリックを交えてあの日記を作成したとしてもおかしくはない。そのトリックがうまく行っているか試す為に、杜環さんに協力を仰ぎ日記部分だけ読ませた、という可能性もある」 「文餌が女中で、シホさまが男だってうまく勘違いしてくれていたら大成功ってわけ? じゃあ、杜環サンとこの家をぐるぐる回る何かって……」 「人為的な悪戯だとすれば、勿論那津忌氏の仕業でしょう。彼は杜環さんの家を知っている。杜環さんの家に行った蓼丸さんの後をつければ、蓼丸さんの家も知る事ができる。那津忌氏は自殺未遂で緊急搬送されましたが、その後失踪しています。どこで何をしていたか誰もわからない。彼が夜な夜な、杜環さんの家の周りを徘徊していないとするアリバイはないですね。杜環さんの左隣の家は空き家だと伺っています。もしかしたらそこに潜伏していたのかもしれませんし、家伝いに屋根の上に乗る事も可能だったのかもしれない。勿論、全ては想像の域を超えませんが」  日記は、すべて那津忌という作家の創作だった。  那津忌はあの悲恋の物語を作り上げ、作家仲間の杜環サンに渡した。そして、夜の零時過ぎに足を引きずりながら彼の家の周りを徘徊する。果ては古い紙の帳面まで作りあげ、それを杜環サンに送りつける。大量の髪の毛と共に――。  出来ない事ではないと思う。ただ、この一連の流れには常に『なんの為にそんな事やったの馬鹿なの?』という俺的疑問が付きまとう。  杜環サンと那津忌は友人ではなかったのか。本当は心の底では憎んでいたのか。それも、結局はわからないことだけれど。 「結局全ては推測ですがね。本当にあの日記は存在し、事実文餌という男性とシホという女性の恋はあったのかもしれない。あれは全て那津忌氏の創作で、杜環さんの体験した怪異は人為的なものかもしれない。日記は創作だが怪異は本当に起こった、という場合もあるでしょうね。那津忌氏は最初から腹に何かを抱え杜環さんを怯えさせようとしただけなのか。ただの行きすぎた悪戯か実験のようなものだったのか。それとも、何かに影響されて精神を病んだのか。すべて、結局わかりません。僕は過去の人様の感情を読みとったり、事象を完全に読みとれるようなタイプの霊能者ではありませんのでね」  俺だってそうだ。時折何かが視界の端に映るけれど、そいつが何を訴えているのかとか、どういう経緯でそこにとどまっているのかとか、過去に何があったかとか、そんな事はわかるわけもない。  テレビとかで良く見る『そこにいる少女の霊は昔この場で亡くなっていて母への恋しさで泣いています』とかぺらぺら喋れちゃう霊能者も、まあ、本当にいるのかもしれないけれど、そういうその人にしかわっかんない感覚で断言されるよりも、状況証拠から推測するようなくろゆりさん式の霊視の方が、俺にとっては分かりやすい。  ただ、そういう見えます分かりますって人が居れば、今回のおしぼのさまの一件はこんなにもやっとした気分を残さなかったのかなぁ、とは思う。  結局、おしぼのさまとは何だったのか。  日記が事実だとしたら、アレは可哀想な女当主の慣れの果てだ。しかし、日記が創作だとしたら――おしぼのさまとは、一体何だったのだろう? 「何にしても、僕に溶かしきれるような物ではありません。呪術を超えて、最早災厄レベルです。一時期ジャパニーズホラーで、『関わっただけで霊障がふりかかる』というような映画が流行りましたけどね。あれに近いですよ。縁を切る事で精一杯です」 「あー。映画の最後で誰も居ない街が映るようなやつな……流行ったなー。俺呪怨はビデオ版の方が好きだなー」 「そのご意見には賛成です。春日くんも今後あの地方には近づかないように。僕がわりと本気で掻きまわしてしまいましたので、個人的な後始末は精一杯やるつもりではありますがね」 「……無茶して巻き込まれて死ぬとかすんなよほんと」 「肝に銘じます。簡単に死ねたらそれはそれで結構、だと思っていた時期もありましたが。今は、キミが居るもので」  なんか痒いこと言われ始めたので、先制攻撃でキスしてやったら、びっくりしたみたいに目を開けて、その後くろゆりさんは笑った。  雪山に呪い退治に行ったらなんか、呪い屋と絆深めて帰ってきてしまった。まあ、人生何が起こるか分からないし、そういうこともあるんじゃないのと適当に言い聞かせ、俺はもう一度キスされるのを待った。

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