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おしぼのさま 終章

   終章  いつもの喫茶店に座った瞬間、タブレットから視線を上げた風合瀬さんは、興奮気味に身を乗り出した。 「正直めっちゃ面白かった」 「……あ、りがとうございます……。え、本当に?」 「嘘言いませんよ俺。知ってるでしょ。毒舌売る気も無いんで別に好んで喧嘩も売らない主義っすけどね、あーなんかちげーな? って時は淡々と分析してここはこうするとまた違うんじゃないっすかねって押しつけるタイプ。杜環先生人間観察眼だけは人並み以上なんで知ってるっしょ」 「人間観察眼だけ……」 「あーいや、感情描写もわりと人並み以上なのは知ってた。つかほんと今回の作品イイ。すごくイイ。いやもしかしたらただ単に俺の好みなだけかもしんない。良いっすわ。杜環先生、ラノベ風もかなりいけてます。これ続編押しますよ俺」 「そんなに……?」  彼の言葉の合間を縫ってどうにか珈琲を注文し、出来うる限り後ろに引いていた身体を元の位置に戻した。  風合瀬さんはどうも、見た目も性格も強い人で、得意か苦手かと言ったら苦手な方なのだが、好きか嫌いかと言ったら好き寄りという、非常に不思議な位置に居る人物だった。  大変お洒落な人で、見る度に眼鏡も髪型も変わっている。今日の彼はふわりと流したパーマに、スクエアの黒縁眼鏡で、弦の部分に紫の差し色があった。編集業にしては珍しく、彼はスーツを着ない。ショップのマネキンが着ているような、原色が奇麗に混ぜ込まれたお洒落な服装だった。  蓼丸さんとはまた別の表情筋の動かなさだ。常につんと上を向き、おべっかは使わない。決して暴言を吐いたり貶したりはしないのだけれど、褒める時も全力で無表情なのでどうにも怖い。  言葉もストレートで非常に説得力がある。ずばり、と指摘される箇所はいつも少し誤魔化した所だったり自分でも気になっていた所だったりするものだから、なんとなく彼に読んでもらう瞬間は怖い先生に宿題を提出している子供のような気分になった。  ただ、僕が彼の事を好きだと思うのは嘘を言わないからだ。それっぽいおべっかが嫌いなんすわ、と豪語するように、ダメな時は素直に言ってくれる。こちらも言葉の裏の反応をちらちら窺わなくていい。ままよ、という気分で預けることができるので、精神的には楽な担当者だった。  風合瀬さんの勤める牡丹籠社は、とても小さい出版社だ。主に現代文芸と言われるジャンルの本を送り出していらっしゃる所だが、最近文庫レーベルを立ち上げた事をきっかけに、本を読まない若い層へのアピールとしてライトな文芸雑誌を企画していた。  普段は固めの文芸を扱う出版社の中で、比較的若くゲームやアニメも詳しい風合瀬さんが抜擢されたのは必然のことだろう。牡丹籠社での僕の担当は大概風合瀬さんだったが、このライト雑誌企画には僕は本来呼ばれていない。  一人、新人の作家がぶっちして行方をくらませやがったので杜環先生お暇はありますか助けてください、と彼から連絡がなければ、僕は今回の作品を書く事はなかっただろう。  実は僕は、とても影響されやすい。勿論他の作品をそっくりそのまま自分の作品に取り入れたり、同じようなものをつくったりということはしないが、いいなと思ったテイストを含ませたりということをよくしてしまう。  今回、僕の頭の中に住みついた妄想は、普段の僕の本では絶対に実現できないものだった。まさに、タイミングが合ったというしかない。  テンションだけで書きあげたものの、それがこんなに評価されるとは思ってもいなかった。軽い雰囲気の一人称は慣れず、結局いつも通りのただの僕の文章になってしまったのだが、やはり、登場人物のインパクトが効いていたのだろうか。  そんな考察を零すと、まさにそれだと風合瀬さんがまた身体を乗り出す。 「主人公の『僕』のローテンションが非常に女性的で読みやすいのに、相方の『四方レイテ』のインパクトが最高に男性向き。なんすかこのすげえカッコイイキャラ。スレンダーボンテージの夜の女王様なのに、素顔は淡々と喋る朴訥とした真面目な女性って、なんかもう、いい。全部乗せとみせかけて今までに無いこのカンジまじたまらない。それなのに決めるとこは決める。こんなん惚れるわ。謎解き部分のスリル感と対比するような主人公達の中学生かよっていうくそ真面目恋愛観も少女漫画的で正直アリです。主人公との今後が気になり過ぎる。これ続きやりましょう」 「ちょっと、落ちついて、あの、まだ雑誌出てないですよね?」 「出てないけど絶対これが一番おもしろい。いや、そら好みは人それぞれっすけどね。これ、好きな人にはたまらないっていうツボを見事に押さえてますよ。キャラ立ちがすげえし、それにうまい事杜環先生の静かな文体がマッチしてる意味わかんねえ。杜環先生最近SMクラブかなんかで女王様に惚れたりしたの?」 「……してません……」  すぐにモデルの存在を疑われてしまったが、四方レイテという女王様キャラのモデルは言わずもがな蓼丸さんだったので、僕はひたすら隠し通すしかなかった。  蓼丸さんのキャラは、僕には本当に印象的すぎた。でも、普段の僕の小説に織り込むには刺激が強すぎる。そこに舞い込んできたライトノベル的な依頼に、つい何も考えずに飛びついてしまった結果がこれだった。  書いた事は後悔していないし、良いものを書いたと思う。面白い作品が出来たという実感も自信もある。ただ、壮絶に恥ずかしい。  不特定多数の人に見られるのは問題ないけれど、絶対に蓼丸さんや彼を知る人に見られる事態は阻止しなければならない、と心に誓っていた。 「いやいいっすわ。杜環先生の小説はプロットも奇麗だし文章奇麗なのになんかこう俗っぽさとパンチが無いのがなぁって思ってた所は確かにあったんですよねぇ。まあその実直な小奇麗さが味でもあったんですけど。いやー早く雑誌が発売しないかなってうきうきしてきた。こんなうきうき感久しぶりでやばいっす。見ろよみんなほらほらこれすげーおもしれーから、って見せびらかしてーこの気分、最高っすわ。いやー文芸担当やってて良かった。ファッションに居たらこんなん味わえねえ」 「ありがとう、ございます?」 「なんで疑問形なんだもうちょっと喜べよと思うけどそれめっちゃ喜んでいるんだなってこと知ってるんでまあいいや。そうだ、ファッションっつったら、ジョイブックの加賀見さんって、杜環先生知ってましたっけ? ほら、昔ウチに居た……」 「あ。はい。あー……そういえば、最近連絡来ないけど」 「なんか、行方不明らしいっすよ」 「え?」  突然の事態に、思わず頭が悪そうな声がでた。  加賀見女史は仕事仲間であり、那津忌を交えた飲み仲間でもあった。  そういえばファッション雑誌の件で撮影日が変わるので、後でまた再度連絡をします、というメールが来たままその後連絡はない。定期的に連絡をするような仲でもなく、那津忌を交えずに飲む事も無かったので特に不審にも思わなかったが。 「この前出版社仲間で年度末会やったんすけどね。ジョイブックの若い子が、加賀見先輩居なくてマジ仕事まわんないみたいな事言ってて、ちょっとつついたんスけどね。なんか二月末くらいから急に具合悪くなったっつーか体調不良なカンジバリバリに押し出してきたから、妊娠か? 鬱か? って同僚一同ひやひやしてたとかで。そんで、三月頭くらいに急に辞職届出して居なくなったって。そういう非常識な事する人じゃなかったから、男に騙されてかけ落ちでもしたんじゃねーのってその場は盛り上がってましたけどねー。杜環先生、心当たりあります?」 「いえ……僕は……」 「まあ、先生そういうどろっどろした男女関係とは別の少女漫画区域で生きてそうだしなぁ。妊娠説とヤバい彼氏に掴まって精神鬱説あたりが有力だっつー話でした」 「その、理由は、何か……」 「加賀見さん、辞める間際怪我してたみたいで、左足を引きずってたんだって。こう、ずる……、たん、ずる……、たん、みたいな感じで歩いてて、なんかやったら気持ち悪かったって。あれ、DVなんじゃないんだ? って社内でひそひそされてたらしいっすよ」  左足。  それを聞いた時、僕の全身に言いようのない悪寒が走った。ぞわりと鳥肌が立つ。様々な憶測が一瞬にして頭の中を埋め尽くす。  那津忌は、文餌の日記を、加賀見女史にも読ませていたのではないか――。だとしたら、彼女が足を引きずっていたその要因は。 「まあ、何にしても、いきなり今日辞めますシステムはやめていただきたいもんっすよねー。大人なんだから。せめて誰かに相談したら、そういう選択肢になんないかもしんねーのにね」  僕は蓼丸さんに、そして彼を介してくろゆりさんに相談することができた。そしてその縁で、幾重にも彼らに守ってもらった。  くろゆりさんは後日、きちんと依頼を受けられず適当な札と簡単な魔除け程度の手伝いしかできず申し訳なかったと謝罪してくださったが……。  もし、アレが無かったら。もし、僕が蓼丸さんに相談しなかったら。もし彼が、あのメイクルームで僕に声を掛けてくれなかったら。僕は今頃もしかしたら、ここに居なかったのではないのか。  頭によぎった恐ろしい想像を振り払うように、僕は目の前の珈琲を一気に飲み干した。  のんきな担当編集は、先ほどの加賀見女史の話題は忘れたように、レイテにモデルが居るならぜひ拝見したいと僕に迫ってくる。それを上の空でかわしつつ、僕はうなじに感じる寒気を追い払うことで精いっぱいだった。  呪いの日記は、存在したのか。  これは、一生知る事のない疑問となった。 おしぼのさま/終

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