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ことのはのろい 01

「蓼くんさぁ、霊感あるって、噂だよね」  ぼくの目の前に座った妙齢の女性の髪の毛をぐいっと引っ張ったまま、うっかりぼくは固まってしまいもう少しで口にくわえたピンを落とすところだった。  心なしか眉が寄った気がした、けれど、ぼくと彼女を映す巨大な鏡にはいつも通りの無表情の自分が立っているだけだ。ぼくの表情筋はどうにも、なぜか、みょうに硬いらしく、ぼく自身はとても感情豊かに生きているつもりなのに、ほとんど顔に出ない。おそらくぼくの些細な表情の変化に気が付くのは、このところすっかり一緒に居ることが当たり前になってしまった恋人くらいのものだった。 「……ライさん、それどこできいたの? え、ていうか、そんなたいそうな噂になってるの?」  表情は変わらないものの、流石にぼくが戸惑っていることは態度でわかってくれたらしい。派手でぎらぎらした口紅を施したライさんは、もはや絵画かなぁみたいながっつり描かれた眉を器用に下げて苦笑いを演出する。  さすがプロだ。舞台の前に、派手に化粧が崩れるような表情は控えてくれるが、それでも感情が漏れ出すように雰囲気を作るのがうまい。年中同じ顔だねなんて言われるぼくとは、まったく大違いだ。 「あーごめん。嫌な話だったかな?」 「いや、べつに、嫌って程でもないんだけれど、正直なところ霊感とかそんなご立派なものはないと思うし、あったところで、自慢するようなものでもないでしょうって思うから、なんかこう、裏でこそこそそういうお話回ってるのはちょっと妙な気分かなぁ、とは、思うかな、みたいな」 「うん、まあ、そらそうか。いやね、この前打ち上げで怖い話になって。ほら、ラウドスリーハウスのステージ裏に死んだバンドマンの幽霊が出るとか、そういう話があるでしょ? そういう話してたら、誰だったかなぁ……あー、そう、アッコちゃんが」 「あー……あー。アッコさん、お口軽いから、もう、ほんと」  そういえばアッコさんにも、前に似たような事を言われた。あれは確かテレビ局か何かの控室で、ぼくは霊感あるんでしょ? と訊かれて即座に否定したものの、アッコさんの口の軽さを考慮せずにほいほいと素直に『ぼくは霊感ないけどなんか悩みあるなら専門の人を紹介くらいはできるよ』なんて軽々しく告げてしまったのだ。  実際にはアッコさんの家鳴りだかラップ音だか先祖の祟りだかの話は、結局はどうなったのかわからないし続報はないし、霊能者を紹介してくれとも言われなかったので忘れていた。というか、その控室でぼくはわりと人生変わる出会いをしてしまい、尚且つ人生変わる出会いを発展させつつ命も半分くらいかけた大冒険をする羽目になり、要するにアッコさんどころの話ではなく忘れていた、というのが実際のところだ。  霊能者に知り合いはいるが、ぼく自身には霊感はあまりない、と思う。これを正確に伝えた筈なのに、噂なんて適当なものだ。  ライさんは申し訳なさそうに笑う。この人はフリーのダンサーだけれど、どの界隈の人たちにも慕われる昔気質の姉御な感じで、いつも大体派手な顔に苦笑を湛えている人だ。 「アッコちゃん、興奮してると話聞いてないからねぇ。ステージ前とか、もう全然駄目じゃない。蓼くんとお話してた時ってそれ、ステージ前でしょ、じゃあ駄目だね頭になんか入ってないね。……やっぱり、霊感はないのか」 「ないというか、うーん、なんていうか。ていうか、ライさんが興味本位でそういう話するとは思わないんだけどさ、もしかして何か、相談事?」  アッコさんにはほいほいと、紹介してもいいよなんて言ったことはあるけれど、ぼくはあれ以来他人の幽霊相談に口を出すのは止めようと決めていた。  確かにぼくは知り合いに霊能者がいる。厳密には霊能者と言っていいのかわらかないけれど、まあ、似たようなものだろうし、お仕事の内容を聞いてもなんとなく、霊能者と言って問題はないような気がした。  幽霊騒ぎを解決するのが仕事なのだから、仕事を紹介してうっとおしがられることもないし、実際に何かあれば名刺を配ってくださってもかまいませんよと、五枚くらい名刺を預かっている身分だ。幽霊系のお仕事のイメージで『厄介ごとを持ってくるのは面倒』みたいな感じがしていたけれど、まあ確かに仕事としているのだから依頼がなければ食べていけないだろう。  紹介するのは構わない。けれど、ぼくが紹介してしまうと、やっぱりぼくが関わってしまうことになる。それはできるだけ避けたい、と思う。  それはこの数か月で、何度か心霊関係の事件に巻き込まれて、ようやく実感したことだ。  ぼくの友人である椿くんはよく言っている。関わることは知る事で、知る事は縁になる。縁になると、それだけで他人から当事者になってしまうことがある。  これは本当にその通りだ。ほんの少し関わっただけで縁は繋がり、その細く繋がった縁から、思いもよらない厄災が降ってわくことも、なくはないのだから。  一番いいのは、積極的に関わらない事。さすがに友人の危機に無視を決め込む程薄情ではないけれど、あえて自分から首を突っ込んで関わっていく必要はない。  顔には出ないけれどぼくは案外怖いものが好きではない。ホラー映画が好きではないと言うと、なんでかびっくりされるのだけれど、だって怖いじゃないのと言うとさらにびっくりされるから、ぼくはいったいどんな人間だと思われているのか時折自分でも首をひねる有様だった。  まあ、そんなわけでぼくは積極的に幽霊の話をしないし、まあまあちょっと変なものを視界にとらえることがなくはないけれど霊感はないよって言い張って生きているし、率先して霊能者さんの名刺を配ろうとも思わない。  ただし、先ほど言ったように、友人の危機に無視を決め込む程薄情ではない。ライさんは友人と言える程の仲ではないけれど、個人的に大変お世話になった人だし、その彼女が珍しく言いにくそうに言葉を濁している様は、正直なところ心配だった。 「ぼくは霊感ないし、すてきなアドバイスできるような語彙力もないけど、お話聞くくらいならまあ、できなくもないけど」 「蓼くんはほんと、どうしてそんな見た目でそんなに柔らかくて優しいんだろうね~そういう優しいとこばんばん出しちゃうから週一で告白されちゃうんだよね~」 「こんなピアス魔人のどこがいいのかってぼくはほんと週一で思ってるよ。恋人に貞淑だからねぼくは、週一で頭下げてるけどね。優しいっていうよりだらっとしてるだけだし色々めんどうくさいだけだからね。はいちょっと上向いて。前髪やっちゃうね。……で、ライさんの悩み事ってなに?」  力になれるかも、とは言えなかったけれど、ぼくが促すとぐいっと顎を上げたライさんは上を見上げて口を開いた。 「姪っ子がね、なんかちょっと、おかしいみたいなんだけど」 「姪っ子さん。ライさんまだ三十代でしょ?」 「女に歳訊くもんじゃないよおばかさん。うちの姉貴の子。姉妹で年が離れてるから、姉貴はもうすぐ四十五だったかな。姪っ子は確か、十八だから十九だか」 「微妙っちゃ微妙な歳だね。子供でもないし、大人ってわけでもないし。おかしい、って妙な表現だけど、ノイローゼとかじゃなくて?」  違うんだろうなぁ、とは思ったけれど、一応適当に訊いてみた。勿論ぼくが明後日の方向の質問をしていることに気が付いているライさんは、申し訳なさそうに笑う。 「ノイローゼって言えばそうなのかな。……姪はね、幽霊が見えるって言うんだよね。夜な夜な、部屋の中に入ってこようとするって言って、昼間からカーテンひいて部屋に引きこもってるんだって」 「あー……それは、あれだね。うん。確かに、やばいね」 「さらっと言うとなんかね、まじで? って笑いそうになっちゃうんだけど、実際姉貴の話聞いてるとほんとまずくてさぁ。なんていうか、こういうのって誰に相談したらいいか、わからないよね。ネットとかで調べてみても、怪しいサイトしか出てこないし、逆にしっかりした事務的なサイトだと『これ本当にお祓いとかしてくれるの? 効くの?』って不安になるし」  ライさんの言わんとすることも、わからなくはない。  例えば、心霊的な悩みがあって、霊能者を探そうとしても、まず普通の人はどうしていいかわからないと思う。ぼくだってそうだ。個人的な伝手があるからいいものの、もし普通にお祓いがしたいと思うような何かがあった時自分だったらどうするかと考えたら、せいぜいネットで検索するくらいしかできないと思う。  実は一回、どんなものなのかなぁと思ってネット検索してみたことがある。結果は散々たるもので、いやほんとちゃんとした料金とか明記してある安心安全みたいな企業的なお祓いサイトもあったんだけど、だからと言って信用できるかと言えば微妙で、要するに怪しかろうが何だろうが、ネットの文面からは彼らが本物かどうかなどぼくには判断できなかったのだ。  霊能者が全員詐欺師だとは思わない。真面目な方もいるだろうし、事実大変な力を持っている人もいるのだろう。しかしネット向こうのその人たちがどんなに有能な方だとしても、本当に霊障を解決してくれるのか、判断などできない。近場のお寺や神社に相談した方が、よっぽどマシなんじゃないかとさえ思える。  神社も寺も奉っている、信仰している宗派や神様によっては祓いの儀式はできないということも、ぼくは最近まで知らなかったし。というか、普通はそんなもの知らないのだから、仕方がない。 「なんかほら、霊感あったりする人って、そういうの相談する人いるんじゃないかなって思っただけなんだよね。蓼くんにどうにかしてもらおう、とかそんな図々しいことは考えてないんだ」  まあぼくはどう見ても呪文唱えて幽霊退治するような顔ではないし、気力で祓うような顔でもないし、実際どうにかできないからどうしようもないんだけど。というか、ぼくが唯一知っている霊能者みたいなあの人も、呪文唱えて幽霊退治したり気力で祓ったりできるのか知らないしあんまり想像もできないんだけど。  うーん、と、考えたのは三秒くらいで、まあ仕方ないかと、ぼくは腹をくくって最後の仕上げにスプレーをかけた後に、コームをしまうついでに財布を引っ張りだした。  五枚もらった名刺はまだ一枚も減っていない。  黒かったり禍々しい文字だったりはしない。事務的で簡素なその紙切れには、『黒澤鑑定事務所』の社名と、よくよく見るとペンネームのような名前がさらりと印字されている。 「――あげる。ぼくは霊感ないけど、ぼくの恋人がたまにお世話になってる人で、ぼくのトモダチとも懇意の人だから、まあまあ信頼できるはずだよ」 「黒百合、西東さん?」 「名前と見た目は怪しいけどお仕事はきっちりする人、の、はず」  なんだか途中で本当に大丈夫かなって思ってきて断定できなかったけど、くろゆりさんの名刺を握りしめたライさんは、心底ほっとしたような顔でありがとうと呟いた。  はやまったかなぁ。やっぱり、首をつっこむべきじゃなかったかなぁ。なんて、めずらしくうだうだしていたのはその日の晩の事で、そしてそのヤッチャッタカナー感がリアルに実体を伴ったのは、翌日。  くろゆりさんから清水知里の件についてお電話を頂戴した時だった。

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