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ことのはのろい 04

「明かりって最高だよね…………」  ぐったりとテーブルに突っ伏した僕の前で、ジンジャーエールを啜っていた椿くんはからりと笑った。 「あーわかるわかる。俺大概くろゆりさんの仕事同行させられた後ってそんな感じになるわーめっちゃわかる。つか蓼サンとくろゆりさんってなんか微妙なコンビだなぁー俺も行きたかったなー巻き込まれるのは嫌だけど」 「椿くんのその正直すぎるところ嫌いじゃないよ……」  綺麗なテーブルの上には、暖かい珈琲が湯気をたて、それを見ているだけでちょっとほっとしちゃってもうなんか、相当ぼくはやられてるんだなーと思って微妙な気分になった。  時刻は二時。勿論、深夜だ。  深夜だと言うのに颯爽と清水家から出たぼくとくろゆりさんは、タクシーを拾って颯爽と乗り込み、そして仕事終わりの椿くんと合流して明るいファミレスに腰を落ち着けたところだった。深夜に珈琲飲むのってどうなんだろうと思ったけど、正直甘い飲み物を口に入れるような気分じゃない。匂いの柔らかいものを口にしたら、ちょっと吐きそうな気分だ。 「いや、まあ、発端ぼくだし嫌だけど行った方がいいのかなって思ってほいほい了解したんだけど、別に、そりゃ、うん、命からがらってわけでもなかったんだけど、もう、ほんと精神力をごっそり削られた……」 「めっちゃわかる。つかあの臭いだけでわりと暫く飯が無理になる」 「それ」 「蓼サン語彙力めっちゃ下がってるよ。普段もっと喋るでしょ」 「語彙力も下がるよ……なにあれ。ていうか、なんだったのほんと。あー幽霊もこわいしくろゆりさんもこわいし人間もこわい……」  くろゆりさんは今、お手洗いに立っている。なんかあんまり具合よさそうじゃなかったから、もしかしたら吐いたりしているのかもしれない。タクシーの中で言葉少なに説明された話をどうにか咀嚼しようとはしているけれど、正直ライトノベルすぎて頭が付いていかないのが現状だ。  あの黒いものは、くろゆりさんに憑りついている。そしてアレは、くろゆりさんが眠ると姿を現す。ただし、昼またはその場に霊的なものが居る場合は姿を現さない。  だからあの場には幽霊なんて居なかったと僕は考えます、と、黒づくめの呪い屋はひとまず話を締めくくった。  では、あの天井の音はなんだったのか。クローゼットの音は、何だったのか。 「……結局、自演って事だったんでしょ?」  ずずっとジンジャーエールを飲みながら、椿くんが首を傾げる。  お店の中ではそれなりの美人で通ってるのに、普段の彼の見た目は普通の男子だ。仕草がちょっと女性的なのは癖になっているんだろう。 「自演……うーん、自演、なのかな……幽霊とかそういうものの仕業じゃないっていうのはわかるんだけど、じゃあ誰の自演だったのって話でさ。だってさ、幽霊が見える幽霊が来るって霊感少女ぶって怯えていたのは、娘さんの方だったんでしょ? その娘さんが霊がー呪いがーって精神おかしくなっちゃってるからって、お母さんはしんどくなっちゃってたわけで……じゃあなんで、クローゼットの中でお母さんが失神してたわけ?」 「母親が、娘の妄言に付きあってあげていたのでしょうね」  唐突に頭の上から降ってきたのはくろゆりさんの声で、思わずぼくはだらりと机の上に伸ばしていた身体を後ろに引いた。  口元を少し押さえていたし顔色が良いようには見えなかったけれど、いつものしれっとした笑顔を浮かべていたのでこの人はほんとうに底が知れない。いっそ恐ろしい。 「失礼しました。そういえば符を飲み忘れていて、少し体の中に入れてしまったようで、ご心配をおかけしました。蓼丸さんはお疲れでしょう。楽にしていただいて大丈夫ですよ」 「いや、ぜんぜん……まあ、疲れたというか、びっくりしたというか、混乱したというか、しているというか……あの、ほら、くろゆりさんって、すごく理論的というかリアルな感じの普通の人だから、実は得体のしれないものに憑りつかれているんですとかいきなり言われて、ええー……みたいな、そのー……椿くんこれ伝わる?」 「伝わる伝わる。つかわかるよ。くろゆりさんてさぁ、正直俺たちよりよっぽど普通の人寄りだし、仕事してる時もなんかこう、てきぱき事務的に終わらせるから、イメージする霊能者的なこう、特殊能力持ってます感ないんだよね。だからいきなりやばいの一匹飼ってますとか後出しされると、せっかく霊能者ってわりとリアルなんだなーなんて思ってたのがさー、お前やっぱファンタジー世界の住人じゃねーかどっちだよ! って混乱する」 「そうそれ……それだし、ええとなんでしたっけ。のり子さんが、知里さんのお話に、合わせて……心霊現象を演出して、知里さんの霊感はほんものだって本人に思わせようとしてた、ってことですか?」 「ご本人たちがどのように考え、どの程度お互いに干渉しているかは存じませんが、一番簡単な筋立てをするとそうなりますね。初めに知里さんが『幽霊が見える』と騒ぎ始めた。どうやら子供の頃から少々目立った霊感少女だったようです。彼女の霊感が本物かどうかは僕にはわかりませんし、幽霊が見えないのり子さんにもわからなかったようですがね。おそらくは、口から出まかせというか、目立ちたい子供の嘘だったのでしょう。一度口に出してしまった為に、引けなくなり、嘘が連なり自分を縛る呪いになったのではないか、と僕は推測します。恐らくご夫婦の寝室から天井裏を伝って、知里さんのお部屋のクローゼットまで降りてくることが可能なのでしょう。さすがにのり子さんが瞬間移動したとは思えません」 「自分を縛る呪い……あー……言葉は、呪術になるっていう、そういう感じ……?」 「まさにそれです。口に出したものは容易に呪いになる。古来より呪文は心の中で唱える、という宗教よりも声に出して唱える宗派の方が圧倒的に多い筈です。口に出して祝詞とするから効果がある。普段の言葉でも同じです。考えているだけではさして影響のないものも、口に出すと影響を及ぼすものになる」  音だけではあまり意味はない。感情だけでもそれは薄い。二つが合わさり言葉という意味を持った韻になると、急にそれは世界に影響を与えるものになる。正確に理解できているかは置いておくとして、まあ、わからない概念ではない。  名前は一番簡単な呪だ、というのは何かの本で読んだ気がする。たぶん、それに近いのだろう。  霊が見えると騒いでいた少女はその嘘を引っ込めないまま成長し、見える見えるとつき続けた嘘が、彼女の精神を呪い蝕んだのかもしれない。そしてその言葉はついに母親の精神までも巻き込んだのか、それとも、自ら呪われた娘の名誉の為に演出していただけなのか。倒れた二人を置いて出てきたぼくたちには推測するしかできないし、一連の事の詳細をライさんに説明しなきゃいけないぼくはなんというか、まあ、今回同行させてもらってよかったのかもなぁと、思っていた。  くろゆりさんに依頼をしてきたのはライさんではなく、清水のり子さんだという。恐らくライさんは、のり子さんにくろゆりさんの名刺を渡しただけなのだろう。そうするとくろゆりさんはライさんに対する説明責任はないし、なんならライさんの連絡先も知らない事になる。  清水家の人々が自作自演で霊現象を演出していたとしても、何かしら本人たちに原因があって精神的に参っているだけだとしても、自ら実はこうでした、とライさんに打ち明けることはない筈だ。  今回の案件の結末は、ぼくが見て、聞いた事をライさんに話すしかない。後からくろゆりさんにこんなことがありました、と言われるより、自分で体験した事を伝えた方が確かに、確実だ。勿論あの黒いべちゃべちゃした何かの事は、伏せるけれど。 「家の中が、なんだか寒かったり暗かったりしたのは、結局ぼくの先入観というか、気のせいだったんですかね」 「いえ、確かに少し雰囲気は重かったですよ。それも言葉の縛りがあったからでしょう。この家は幽霊がでる。この家は禍々しい気配がする。そう言い続けるだけで場に呪いがかかる場合もあります。それに加え、住人の心理状態を反映してしまうのが家という空間です。明るく前向きな人が住む部屋は妙に明るく、鬱っぽい方の部屋は暗い、という傾向もなくはないです。統計を取ったことはないですし、あくまで印象の話なので正確ではないですがね」 「ことばののろい……あー、人間って、とんでもないものでコミュニケーションとってるんですねぇ……」 「言葉は人を殺しますからね。呪術という形式でなくともです。ふとした言葉がナイフなどよりも的確に人を殺すことがある。感情の籠った言葉は恐ろしい」 「……仰る通りです」  ああ、だから、この人は感情を持たないのかなぁ、と思う。  くろゆりさんの感情はとても稀薄で、ぼくみたいにただ単に顔に出ないというだけではなくて、そもそも色々なものに対して感情そのものを持たない人なんだろう。  くろゆりさんの言葉は怖い。飾らず嘘がないから怖い。そして感情が稀薄だから、怖い。  ぼくなんかは特に、いろいろな人間と対面で喋る事が多い仕事で、だからつい、相手がどんな風に受け取るかとか考えるかとか、そういうのを想像して会話を進めてしまう癖がついている。八方美人とか揶揄されることもなくはないが、まあ、おおむね自分の性格は気に入っているので、いろんな人と仲良くなれてまあまあ楽しいと思っているのだけれど。  くろゆりさんの隣がどうも落ち着かない理由は、これもあるのかもしれない。この人、ほんっと何考えてるかわからないし、びっくりするくらいいろんなものに感想を持たない人だから、わけわかんなくて怖いんだ。  ぼんやりとそんな考察をしていたぼくだったけれど、椿くんが頼んだパンケーキがテーブルに届くと、その甘い匂いに思わずすべての思考を投げ出して身体を退いた。 「……あ、やっぱ駄目だった? ハンバーグは控えたんだけど」 「いや、いいよ。全然きにしないでいいんだよぼくの胃の事なんて……ていうか二時にパンケーキ食べるキミの胃がすごいなって」 「なんかさー今日お客さんがさーパンケーキのオイシイお店あるんだけど行かない? みたいな話を、ちょっとちょっと待て待て変態落ち着け断った! 断ったから今ここでパンケーキ食ってんだよ公衆の面前で五センチ以上近づくな!」 「五センチはかなりの近さだと思いますし三十センチ以上は普通の人間は拒否すると思いますけどね、そうやって段々僕を許してくださるのがよろしくないと思うんですよね」 「いや許してねーよできれば五十センチは離れてくれと思ってるよだから手握んなっつってんだろ人の話聞けよ変態」 「しかし春日くんは最近僕を遠ざける時に、公衆の面前で、と必ず前置きしますよね。誰も見ていなければ、近づいても許されるんでしょうか」 「…………いやいや、待て、何ちょっとアレなモードに入ってんのアンタ。ほらもうー蓼サンがなんかちょっと引いてんじゃんー!」 「いや引いてない大丈夫むしろなんかこう、うわぁ、ぼくちょっと自分の考え改めないとかなって、感動すら覚えていたところで……」 「は? 何? 変態に感動?」 「……ぼくねぇ、くろゆりさんのこと、けっこう好きかな、って思ってさ」  椿くんにべったりと迫りながら、顔だけこちらに向けた黒い服の美男子は、先ほどまでとは打って変わったびっくり顔でぼくを眺め、三度程瞬きをした後にふと表情を緩めた。  これはずるい、と思う。椿くんの隣に居る時のくろゆりさんは、なんでこんなに違うんだろう。こんなの、全然関係ないぼくだってうーわーと思ってしまうのだから、当の椿くんはもうね、うん。心中お察しするという感じだ。 「実は僕は基本的に春日くん以外の人間に好きも嫌いもないのですけれど、蓼丸さんの他人に対する配慮や行動は、見習うべきものがあるのではないかと思っているところです。これが好きという感情かはわかりませんが。貴方が困っていれば僕は電話一本いただければ力添えするのは苦ではない、とは思っていますよ」 「それ、わりと気に入られてますよね……?」 「どうかな。……そうかもしれません。僕はたぶん、皆さんが考えるよりも単純な人間ですよ。こと春日くんの周りのものに関しては、ですが」  なんだかすごい事を言われている当の椿くんは、途中から耐えられなくなったようでパンケーキを放り出して両手で顔を覆ってしまっていたけれど。  たぶん、お似合いなんだと思うからぼくは、無責任に彼らを応援して、そしてこの二人に電話一本で呼び出されたら、全力で力にならなきゃなと考えた。  なんかくろゆりさんはとんでもないもの飼ってるし、それをきっと椿くんは承知のうえで色々許して近くにいるんだろうし。ぼくの知らないような二人の関係も言葉もあるんだろうけど、まあ、そこまで首をつっこむ気はない。  珈琲を一杯飲み終えたら、やっと鼻についていたえぐい臭いも取れ、どうにか気分も落ち着いた。やたらべたべたと目の前でいちゃつく二人に、よくわからない当てられ方をしたせいかもしれない。  だらだらパンケーキを食べる椿くんと彼にちょっかいをかけるくろゆりさんをファミレスに残し、ぼくは先にお暇させてもらうことにした。  自宅なら歩いて帰れる場所なんだけど、さてどうしようかと時計を見たらもう三時だ。充電が切れそうだった携帯は、ぎりぎりまだ生きている。ファミレスに入った時に送ったラインは既読になっていたから、多分修羅場の真っ最中なんだろうなーと思いながら、迷惑は承知で電話ボタンをタップした。 『……はい、あの……お疲れ様、です?』  なんできみってばいつもちょっと不安そうに電話にでるのかなぁ。ぼくの名前は画面に出てるだろうに、ほんとかわいい。 「お疲れ様こんばんは。あのー、終わりましたあとファミレスも出た。杜環くんお仕事どう? やばい?」 『ええと……あと一万字かなって感じなんで、まあ明日起きてからでも間に合うかな、みたいな感じでいい加減寝ようかなと思ってはいたんですけど、蓼丸さんからもしかしたら連絡くるかな、と、ちょっとだけ期待とかもしてしまって、』 「……え。それかわいいね。ちょっといまぼく、結構すごく杜環くんといちゃいちゃしたい気分だから、そういう事言ってるとタクシー捕まえて乗り込んじゃうよ?」 『かまいませんけど、タクシー代高くないですか? 深夜料金ってえぐそう……』 「えぐいけど、走っていくねっていう距離でもないし、いまちょっと暗闇怖いから、タクシーで会いに行きます。あと杜環くん、あのね」 『はい』 「ぼくね、杜環くんのこと好きだなって」 『…………きゅうに、なに、を』 「いやなんかね、人間の言葉って、すっごいなぁと、思ってさ」  大いに照れながら僕も好きですなんてかわいいことを言う恋人の声は大変甘く、言葉は呪術だという事をこんなことでも実感した。  甘い言葉は人を甘やかす。時にそれは呪いとなって人を殺す。  ――――あの黒いどろどろした『何か』は、一体何の呪に囚われてしまっているのか、と。  ぼくにはたぶん関係のないことを考えながら、寒い夜明け前の夜の中で息を吐いた。 end

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