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首から下がる

ここ最近の俺には、地雷とも言うべき言葉がある。 まあ、前々から我慢強い方じゃなかったし、それなりに切れやすい若者を引きずってはいた。二十代も後半に突入したとはいえまだ若造だ。嫁も恋人もいなけりゃ養うべき子供もいない。気分はそこそこヤンキーだ。 ただ流石に地雷踏み抜かれたからと言っていきなり機嫌を悪くしたり、という事はなくなった。急に機嫌が悪くなる客は最悪だ、と身に染みているからだ。 「椿ちゃんの彼氏、イケメンの霊能力者なんでしょ?」 というわけでいつも通りツッコミどころしかない文言をLINE上に投げられた俺は、スマホ握りしめたままちょっと顔をひきつらせたくらいでどうにか耐えた。 思わず足を止めてしまったせいで後ろを歩いていたおねーさんとぶつかりそうになる。若干睨まれたが俺が悪いので大人しく道の端に寄り、息を吸ってゆっくりと吐いた。 平日の真昼間のエキナカで、俺はなんでこんなLINEを客から受け取らにゃならねーんだなんの罰だよどんな業だ、と恨みつらみを吐き出したところで何の解決にもならない。 仕方なくため息交じりに俺は『坂木春日』のテンションから『椿ちゃん』のテンションに切り替えた。 職業オカマって奴はわりと大変だ。 心底オカマじゃないし毎日オカマじゃないからうっかりすると地のヤンキーが出そうになる。 えー! それ誰から聞いたんですかぁ~? っていうか森田さん久しぶりのLINEがそれってどういうこと(笑) あたし彼氏いませんよ! なんて薄気味悪いテンションで絵文字もりもり返信する間も俺は真顔だ。そんでオフだから勿論普通に男の格好をしているし身も心も男子だ。なんかこう、たまに俺何やってんだ? なんて空を仰ぎそうになるが素面になったら終わりだと言い聞かせて、最近すっかりご無沙汰だった客の返信を待った。 てかやっぱりある事ない事言いふらしてるのは常葉ねえさんらしい。 くそ。あの人口留めっていう言葉の意味知ってんのか? せっかく鈴蘭ねえさんがのらりくらりとその手の話題は誤魔化してくれているっつーのに、常葉ねえさんのおかげさまで台無しだ。 そもそもあの人は怖い話的なものが好きらしい。オカルトとか訳のわからない怪しい話も大好物だと豪語する常葉ねえさんは、ちょっとでもそっち系の話をしてくる客にはすべからく何故か自慢げに『椿ちゃんの彼氏ってばイケメン霊能者さんなのよ☆』なんて囁きやがる。とんでもない害悪オカマだ。 常葉ねえさんが巻いた種が、また一つ発芽しちゃったんじゃないのこれ。 勘弁してほしいんだけどマジで。 という内心の辟易っぷりを思い切り顔面に滲ませつつ、LINE画面上には露ほども腹立たしさなど零さないように注意を払いながら、霊能者っぽい知り合いは居るけどそんなに仲良くない旨を特に強調した。 嘘だけど。今から特に用事もなくそいつの事務所行くとこだけど。大体二日にいっぺんは会ってるけど。 もうこの際あのクソ爽やか顔面凶器男が彼氏だと認識されてもいい。それはどうでもいい。彼氏じゃねーけどじゃあ何って言われたら正直ハチャメチャ面倒だし考えたくねーし、揶揄い好きのねえさんたちに『じゃあくろゆりさんもらっちゃおうかな~?』とか言われた瞬間ガチでガン飛ばしてしまうせいで最近はそういう冗談も言われなくなったけど、まあ、うん、もういいよほんと彼氏じゃねえとかそういうのはいい。彼氏だと言われてもいい。 大事なのは『ねえあんたの彼氏って霊能者?』とか言ってくるデリカシーのない知り合いは、大体ロクでもない用件を押し付けてくる、って事だ。 予想したとおり、大した常連でもない森田ナントカさんは『この前変な写真撮れたんだけど』なんつって俺宛に一枚の写真データを送ってきやがった。 お前その変な写真を了解もなく送り付けてくんなよどうすんだよコレガチな奴だったらどうすんだ。そうでなくても俺が心霊系とかマジでダメなタイプだったらどうすんだ。と思ったが、もう送られてきてしまったもんはしゃーない。 面倒くさかったし大して真剣にとらえてもいない俺は、じゃあ今度機会があったら聞いときますけど、ほんとそんなに会わない人だから期待しないでね、の文言の後に泣いてる絵文字と汗の絵文字を何個か連続で付けてからスマホをポケットにつっこんだ。 嫌なモン送りつけられちまった。 けどまあ、どうせこれからくろゆりさんとこに行くし、ささっと見てもらってなんかヤバそうなら写真消しとこう。そう思いながらすっかり慣れ親しんだ路地を歩き、古びたコンクリの階段を軽快に上る。 黒澤鑑定事務所はよくある寄せ集めビルみたいな建物の三階に存在している。 まあまあ陽が当たらないせいでビル内は結構薄暗い。事務所の中は明るくて清潔だけど、正直部屋に入るまでの廊下は不気味だ。 階段を上り切ったところで、くろゆりさんの事務所から誰かが出てきたのが見えた。同業者にほとんど知り合いがいないと言うし、実際俺もあれだけ入り浸っていてそういう輩に出くわした事がない。 ということは、アレはきっと依頼人だろう。 依頼人らしき人間は中年女性とその息子らしき青年だった。 結構しんどそうな思いつめた顔で、じっと床を見つめて歩く。俺は息を止めてそれを見つめ、すれ違う時にちょっとだけ会釈をされたからかろうじて若干腰を折り、白髪の混じった女性の後ろ頭を見つめた。 「……春日くん?」 頭の後ろから届いた言葉に、ハッと身体が反応する。 慌てて身体ごと後ろを向いた俺は、黒澤鑑定事務所の扉から半身を乗り出しているイケメンの爽やかすぎて腹が立つ顔を捉えた。 肩の力がすっと抜ける。うっかり息まで止めていたようだ。吸って、吐いて、あーほんとクソみたいに顔面力たけーなほんと、といつもどおりの感想を抱いて安心する。 くろゆりさんは夏とか冬とか関係なくいつも長袖の黒いシャツを着ている。つか、相変わらず全人真っ黒だ。いい加減俺は見慣れたものの、初見の依頼人は大体戸惑う。当たり前だ、いくら顔面がアイドルか俳優並みに整ったイケメンでも、靴からパンツ、シャツが黒いのはまだしもご丁寧に黒手袋まで身に着けた真っ黒男を目の前にしたら誰だって訝しむ。 ただ、霊能者(本人はかたくなに呪い屋だと言うけど)という職業柄、少し怪しいくらいがいいのかもしれない。 そこらへんにいそうなおばさんとか、普通のリーマンとかだったら私服でもいいかもしれないが、ここまで顔がいい男は若干不審な格好でもしていないと『え、詐欺? なんかの撮影? ドッキリ?』くらいは思われてしまいそうだ。 「随分と早いですね。キミが来るのは夕方ごろかと思っていましたが」 「……今日鈴蘭ねーさんの代わりで出勤になったから、昼間に寄っとこうと思っただけだよ。これこの前借りた服な。クリーニングじゃなくて俺んちの洗濯機でアレだけど」 「ああ、そういえばそんなものありましたね……別に、洗わずともそのまま返してくださって結構ですが、ありがたく受け取らせていただきます。どうぞ、まだお時間はあるでしょう。冷たい珈琲がありますよ」 当たり前のように招かれる関係ってどうなんだというツッコミは面倒くさいので省略する。 依頼人に対する張り付いたような爽やかな顔よりも、若干眉を落として口の端を緩める笑い方をするのが嫌だ。ほんと嫌だ。その顔俺にしかしねー顔じゃんってわかっちゃうのもすげー嫌だ。 なんか急にそわっそわしてきて、落ち着く為に珈琲もそこそこに俺は切り出した。 「くろゆりさんさぁ、心霊写真って専門外?」 世間話とかをぽやぽやするよりは、用件を済ませた方がいい、と判断したからだ。 「ええ、まあ。鑑定、というものの中には物件も人間も、様々な家具も対象に入ります。勿論写真も僕の鑑定の範疇ですよ。正直なところ僕は目も勘もそこまで敏感ではないので、写真だけを見ても何が起こっているのか判断はつきかねますが……合成かどうか程度ならば僕にもわかりますので。丁度今しがたも心霊写真の鑑定を依頼されたところです」 「え。あー。さっきの親子? みたいな人達?」 「はい。なんでも息子さんが心霊スポットに遊びに行き撮った写真の中に見知らぬ顔が映っていた、とかで」 「…………それ、本物だったわけ?」 「結論から言えば偽物ですね。どうみても上から写真を被せた加工です。大して映像技術に明るいわけではありませんが、よくあるホラードキュメンタリー形式のDVDで山ほど見せられた大変雑な写真でした。見ますか? 一応お祓いしてほしい、と置いていかれましたが」 「ん。……うん」 素直に頷いたせいか、くろゆりさんが若干頭を傾げた気配がした。 いい加減怖いとかヤバいとか叫ばなくはなって来たけど、そもそも俺はホラー耐性あるわけじゃない。本業はオカマパブの店員だし、若干霊感あるっぽいけどお祓いができるわけじゃないし、持たされる札の用法要領すら覚えられていない。要するに怖いものには触れたくない。 そんな俺が自分から心霊写真見せて、なんて言った事に、『見ます?』なんて軽いテンションで勧めてきた本人が首をかしげているのどうなんだよって話だ。 けれどこの時の俺は、くろゆりさんのちょっとレアな疑問符顔なんざどうでもよかった。 いつも依頼人が座っている接客用のローテーブルには、書類と写真が置きっぱなしになっている。今時プリントアウトされた写真を見る機会なんてそうそうない。紙に印刷されたつるりとした表面には、暗い廃墟らしき場所でポーズをとる若者たちと、それに被さるように口をあけて映り込む巨大な顔が浮かんでいた。 ああ。うん。合成だわ。うん。 と、俺が見てもわかるんだけどどうしてこんなもんくろゆりさんとこに持ち込んでしまったんだ? 素直に疑問に思い、写真から目を離さずに問いかけると、こぽこぽと珈琲をカップに注ぎながらイケメンは答えてくれた。 「さあ、どうしてでしょうね。今回の依頼人は母親の方でしたから、息子に見せられた心霊写真に驚いて慌てて持ってきてしまったのかもしれません。特別な霊障はない、と言っていましたが、気になるのは不眠程度だという話でしたし。たまにありますよ、ダミーというかフェイクというか……揶揄うことが目的のねつ造写真や映像の依頼ですね」 「え。でもそういう依頼でもくろゆりさんは鑑定料金取るんでしょ?」 「いただきます。が、お金を払ってでも悪戯をしかけたい方は一定数いらっしゃるようです。仲間内の罰ゲーム感覚なのかもしれませんね。何にしても面倒な依頼でなくて良かったです。こうも暑いと、キミが同行してくれませんから」 「……俺が居なくても一人でいけよどうせ俺なんもできねーじゃん……」 「キミが居ると僕の気分が違います。あと僕は、怖いと震えて僕に縋りつくキミと、心霊スポットで手をつなぐのが好きですね」 「くそみたいな性癖開花すんのやめ……ちょ、違う、あの、いや別に今更イヤじゃねーけど、ちょっと待ってほんと三分待って、ごめんこれだけ言わせて」 「何ですか?」 なんかいつも通りさらっと顎に指添えられてさらっと腰を抱かれてさらっとちゅーされそうになったんだけど、いやいや待て待てと流されそうになる自分を叱咤して腕を突っ張る。 いや、イヤなんじゃない。本来イヤだって言うべきなんだけど、今さらキスヤメロ! とか言わない。別にちゅーするのはいい。でもそれより先に言わなきゃいけない事がある。 「さっきの女の人の方さ、あの、あー……首から、なんか、顔のなげー女がぶら下がってたん、だけ、ど」 「………………………」 「…………え、くろゆりさん、見えなかった? まじで? え、俺だけ? 俺の、見間違い?」 イケメンの顔が見ごとに固まる。 え。嘘。知らなかったの? つかマジで? じゃあ俺の見間違いかなそうかなふははそうだよなって思いこもうとするも、さっきの光景が目から離れない。 なんかこう、小さい子供とかって、親にじゃれて首に抱き着いたり首からぶら下がったりするじゃん? こう、両手でぶらーんって垂れ下がるじゃん? あんな感じで女性の胸の前に、顔の長い女がぶら下がっていた。 下半身がどうなっていたのか覚えていない。消えていたのか、引きずっていたのか、記憶にない。けれどその妙に短い腕と長い顔と表情のない目が焼き付いてしまって、思い出すだけで背筋がぞっとする。 「――そのぶら下がっていた女性、というのは、この写真の顔の方、ではないですよね?」 驚愕からやっと立ち直ったらしいくろゆりさんは、若干緊張した面持ちで写真を指さす。 「うん、こいつじゃない。全然顔が違う。これはほら、なんつーか普通に顔じゃん。女の顔じゃん。俺が見たのはなんてーか……のっぺりしてて、顔っていうか瓜? っていうか、生きてる感じ全然しないし人間か? ほんとに? って感じの……」 「…………息子さんの方には、何も?」 「何もなかった。かーちゃんの方だけ」 「……それならば、まあ……写真のせいでは、ないのでしょうね」 うーん、と唸ったくろゆりさんは、俺の腰を抱いたままソファーに座る。 引きずられて膝の上にまたがるみたいになった俺は、あわてて支えるものを探してくろゆりさんの首に抱き着いてしまった。 やだ恥ずかしい! っつーよりも、うわ、これさっきの女と一緒じゃんって思ってぞわっとしてしまう。 俺の肩口に顎を埋めたイケメンは、珍しく唸る。 「……え。もしかして反省してんの?」 幽霊的なものに気が付かなかった自分を恥じているのか? まさか? あのくろゆりさんが? と思ったがやっぱりそんな事はなかったらしく、事も無げにいいえと返事が返ってくる。 デスヨネ。テメーはそういう人デスヨネ。 「依頼はこの心霊写真は本物かどうかの鑑定と、処分です。実際にこちらはどう見ても合成ですし、キミが見たモノとは別の顔だというのならばやはり写真自体は偽物でしょう。僕の仕事に関しては問題なく終了しています。ただ、……そうですね、明日早急にご連絡し、家を見せていただこうかなと、思いまして」 「え。なにそれめっちゃ良心的じゃん。くろゆりさんそんな正義の霊能者だっけ?」 「とんでもない。僕は依頼された事をこなすだけの呪い屋ですよ。ですが、キミが少しでもかかわったものに関しては何の心配もないようにしたい。後は、そうですね。まあ、少しくらいは得を積んで夢見の悪くない仕事をしようかと、思います」 「うっわ善意じゃん。超善意じゃん」 「勿論お金はいただきますよ。ですから、霊障がない、と仰っているあちらの女性からしたら、押し売り霊能者に見えてしまうかもしれませんね。写真は問題ないと言った翌日に、やっぱりあなたの家を見せてくれ何か悪いものがいるかもしれない、などと言い出すのですから。まあ断られたらその時はさっぱりと忘れる事にいたします。……春日くん、本日はお仕事だと言っていましたね。ということはあと二時間か……うーん、僕も同伴しようかな……」 「やめろお前月何度同伴すんだマジで最近ひやかされもしなくなって夫婦扱いされてんだぞヤメロ」 「ミルクシェルの方々は僕のような怪しい人間を朗らかに迎えてくださって、大変不思議な気持ちにさせられますよ」 そう言って今度こそちゅーしてきたくろゆりさんに抵抗もなく抱き着きつつ、さっき降って湧いた心霊相談の事を急に思い出した。 けど、俺はくろゆりさんが見ていないうちに、さっとスマホ出して写真も見ないでさっさと消した。 それが本物での偽物でも、自分で金出して依頼する気がない奴の相談なんて乗る必要はないし、そんなものにくろゆりさんを巻き込む必要もない。 出会った頃のくろゆりさんになら、俺は面倒くさがりつつも一応写真を見せたと思う。 くろゆりさんは基本軽薄だ。仕事以外で心霊相談なんて受け付けないし、まあ俺に対してアドバイスくらいはしてくれるだろうけど基本は『まあ実際に行ってみないとわかりませんね』の一択だし。そんな言葉でよければ一応霊能者の言葉だし、って伝えて終わることもできる。 でもなんか、今のくろゆりさんはちょっとした善意発揮してちゃんと相談に乗ってくれそうで怖くなって写真を消した。 だって俺は、森田ナントカさんがどうにかなるより、くろゆりさんがどうにかなっちまう方が嫌だから。 「……心霊写真で人って死ぬ?」 「さあ、どうでしょう。僕はあまり聞いたことはありませんが、心霊写真を撮ろうが撮るまいが、人間は結構な確率で毎日死んでいますよ」 全くもっともな事を言う呪い屋にもっかい抱き着き、森田ナントカさんがちゃんと店に来てなきついてきたらまあ、紹介してもいいかななんて、滅茶苦茶偉そうかつ人としてどうかなって事を考えた。 あの女性に、べったりとぶら下がった女の長くてのっぺりした顔は、三日くらい頭から離れなかった。 終

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