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むらさきおばけ
「ぜっっってーーーーー出禁に! してやんだから、なッ!」
力任せに開けたドアが耳にいてえ音をかました後、部屋ん中に客がいない事を再度さっと目視で確認してから安堵とともに溜め込んでいた言葉を思いっきり吐き出した。
別に事務員でも従業員でもなんでもない俺は立ち位置的には依頼人とか客に近いのかもしんないけど、一応人としての常識とか恥とかモラルは持ち合わせている。いくら事務所の主人が変質者でも頭おかしくても今日も全身真っ黒な激ヤバコスプレ仕様でも、世間体や風評を考慮して自重できる俺ってばえらくね? なんて自分で自分を褒めてやんないとそれこそ泣き出しそうだ。
坂木春日としての人生はまだ二十五年とちょっとしか過ぎてないけど、そこそこ波乱万丈で、へこみすぎて部屋の真ん中で二時間カベ見つめていたなんてことも、風呂の中で号泣なんてこともそりゃ有った。何しろ俺の人生は大概金がない。技量も能力も資格もほとんどない俺ができるバイトは肉体労働か水商売で、自給の高いバイトってやつはどれもこれもクソみてーな案件が金魚の糞みたいにセットで付いてくるもんだ。そういうもんだ。だからわりと人生どんな荒波が来てももうそろそろスルーできるんじゃねえの? と思い始めていた。
てか俺に降りかかってくる波なんて、大概はくろゆりさん関連のもんでしょって思ってた。いまんとこ一番頭いてーのが、くろゆりさんとの関係なわけだし。……ていうかそういやいつもバイトバイトで忙しすぎて、職場繋がり以外の友人とまったり過ごす、なんてことそんなになかったかもしれない。
最近俺の感情ってやつは生ぬるい沼に浸かっていたのかも。
だからこんな些細なことで吐きそうなほど苛ついているのかも。
てのは後から風呂ン中で膝かかえてした考察であって、こんときの俺はそれどころじゃなかった。
いつもの階段を爆速で駆け上がり、一応礼儀としてドアベルを鳴らし、開いてますよというドア向こうのまったりした声を聞いて客はいないものと判断し、壊れたら弁償かもしんねーけど知るかという勢いで開け放ったドアの向こうに冒頭の言葉ぶっぱなした後来客用ソファーに持っていたバックを砲丸投げみたいに投げつけて、肩で息をする。
踵が痛い。なんなら脹脛も痛いしつま先も痛い。血が出てるかもしんない。普段仕事で履くだけのヒールで、こんな爆走したのは初めてだった。
初めてといえば、くろゆりさんのあっけにとられたようなその間抜け面も初めて見たかもしれない。いつも主導権を握っているのはくろゆりさんの方で、慌てて小走りで付いていくのは俺の方だ。でも今日は違う。ぽかんと口を半開きにしたイケメンは、三拍くらい時間が止まったみたいな間を取った後二回くらい瞬きして、そんでやっと息をした、ようにみえた。
「…………ああ、春日くんですよね、びっくりした……」
あんたびっくりすることなんかあんの? ってのも、後から思い出した時の感想だ。とにかくこの時の俺は、珍しく完全に素で驚いている状態のレアなくろゆりさんなんてものもスルーしちゃうくらいに怒り頂点なりって感じだった。
「ああ!? 坂木春日以外の誰に見えるっつーんだよっ!」
「僕には春日くんというよりも椿さんに見えますが……なんだかわかりませんが随分ご乱心のようですね。というか、その格好でここまで来たんですか?」
「わざわざドアの前で着替えるわきゃねーだろ」
「今日はお休みだったのでは……ああ、店外での接客ですかね。とりあえず座って。飲み物を出しましょう。キミがそんな風に声を荒げて苛立つ事なんて、僕がだまし討ちのように心霊スポットに同行させたとき以外ないと思っていましたよ」
「……あんた自覚あってやってんのかよソレ……」
「悪いとは思っていますよ。しかしながら同時に可愛いと思ってしまうので、僕の性格はどうにもよろしくないと自覚はしております。冷たい玄米茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「…………げんまいちゃ」
「うん。先日いただいた水出しのお茶が冷えていますよ。座って。……本当にその格好でここまで来たんですか?」
のらりくらりとしたいつものテンションのイケメンにお茶とか注がれているうちに、頭に上り切っていた血が急降下してくる。
若干冷静になりつつうなだれると、自分の膝がしらが目に入ってちょっと死にそうになった。黒いパンストは筋肉の形をそれなりに誤魔化してはくれるけど、それでも俺の足は女子のすらっとふわっとした流線形とは程遠い。普通に二十代男子の足だ。
普段はジーンズやらスキニーやらそれなりのメンズファッションに覆われている膝小僧は、今は薄いパンスト一枚しか纏っていない。今日に限ってミニっぽいスカートだったことに他意なんて全くない。単にキャバドレスのローテーションだっただけだし、つか外で飯食うのにキャバドレは流石に目を引くだろただでさえ男なのにって配慮してギリギリ普段着っぽいワンピースを選んだ結果だ。
俺には女装趣味はない。オカマ業は完全に仕事として割り切ってこなしている。
だから私服は全部メンズものだし、外で接客できるような女子服なんか勿論揃えていない。
アフターや同伴ならまだしも、休日にわざわざ店の客とどうこう理由つけて会うことは今までほとんどなかった。つかこれからも別にそういう営業しようなんざ思ってないし、今回だってそんなつもりで行ったんじゃない。
みたいなことをくろゆりさんの出してくれた冷たい玄米茶を一気に一杯飲みほしてから、空のグラス抱えてぽつぽつと言葉にする。
俺の横に座って頬杖をついていたイケメンは、眉を寄せるでもなく微笑むでもなく、いつもの淡々としたテンションで淡々と言葉を放つ。あまりにもいつもどおりの日常すぎて、俺のテンションもだんだんと元に戻る。そしてテンションが戻るにつれて、怒りは羞恥に変わっていくけどまあくろゆりさんに対してはもう恥ずかしいとかそんなん感じるだけもったいないっつか、どうせ喜ばせるだけなんだからあんまり考えないことにした。
「つまり春日くんは、大変深刻な相談があるからと常連客の一人に呼び出され、しぶしぶお化粧をしてヘアセットをしてハイヒールを履いて、休日の午後にカフェでランチを取った、と」
「……ん」
「それで、深刻な相談はその名の通り深刻なものだったのですか?」
「まあ、あー……深刻、っつったらそうなのかもしんないけど。なんでもさ、そのお客さん――山中さんっつーんだけど、山中さんのお子さんがむらさきおばけを見たっつーんだよ」
「むらさきおばけ」
「そう、むらさきおばけ」
むらさきおばけを見たら死ぬ。
そんな噂が小学校で回っているらしい。完全によくある都市伝説だ。赤マントとかトイレの花子さんとか口裂け女とか、とにかく昔からよくあるそういう『みたら死ぬ』とか『出会ったら死ぬ』系のうわさは後を絶たないし、無数のバージョンに進化して今もガキンチョたちの間で回っているのだろう。
深夜、自宅のトイレの前でむらさきおばけを見た息子さんは、とにかくおびえてしまって家で寝る事ができなくなったという。仕方なくいまは山中さんの実家に預けられているものの、いつまでもこのままというわけにはいかない。
それに、祖母の家でもついに、むらさきおばけがでたらしい。
「追ってくるタイプですか。都市伝説としては珍しいですね。まあ、なくもないですが……」
「まあ、俺は都市伝説とかよくわかんねーけど、結構ガチでやばそうでさ。子供の言う事だしどこまで本当かなんかわかんねーけど、子供だからそういうの、ちゃんと助けてあげられんなら、助けてあげたいじゃん? そう思ってさー、結構真剣に聞いてたのよ。いやそもそも心霊関係の相談を受けますなんて看板出したわけじゃないし、またどうせ常盤ねーさんがそそのかしたんだろって腹立ったけどそれはおいといて、くろゆりさんに取り次ぐくらいは俺にもできるしって思ってたわけ」
「……でもキミは大変激高した状態で僕の事務所に走って来た。おみ足でも触られましたか?」
「馬鹿か、んなことで今更怒んねーっつのいや怒るけど顔にはださねーよこちとらプロだっつの毎日どんだけクソジジイたちに太腿弄られてると思っ……ちょ、話してる、最中、に、ちょっかい、」
「失礼。ただの凡庸な嫉妬です。どうぞ話を続けて」
「……そりゃ真剣に話聞いてる最中にちょこちょこ口説かれたり茶化されたりして腹立たなかったとは言わねえけどさ。もうそういう人だからって言い聞かせてたわけ。……っ、腰、やめ……っ」
「それで?」
「…………そのあと携帯で撮った写真データ見せられて、これ何って訊いたら『うちの息子が撮った「みたら死ぬ」むらさきおばけの写真だよ、あはは、椿ちゃんもおれも死んじゃうね~』って笑いやがって流石にその態度どうかと思って、つかそんなもん信じてなかったとしても他人にぽんぽん見せんなクソがと思って思いっきり『は?』って口から出ちまって、なんかそれが逆鱗に触れちゃったみたいで急に腕引っ張られてトイレ連れ込まれて服はぎとられそうになったから金玉蹴って逃げてきた」
「………………」
「………………まあ、うん……そういう、反応になるわな……」
こっわ。
くろゆりさんのガチギレ顔こっわ。
なんかくろゆりさんって存在が中二病だし、キレるときって笑いながら『ふふふ、どうなるかわかっているんでしょうかね、ふふふ(若干の誇張表現あり)』って感じの事言いそうだなって思ってたんだけど、イケメンは普通にスッと無表情になってめちゃくちゃ剣呑な視線を俺の伸びたパンストに注いでいた。こっわ……。ガッと上がってダーッと吐き出した俺の感情に、隣の男の殺意に似た冷気がじわじわと染み込んでくる。素直に怖くて、でも俺はこの人がこうやって怒っちゃうんだろうなってわかって此処に来たわけで、なんつーか、うん。
「……あー……ごめん。なんか、くろゆりさんを、不快にしたくてンなとこまでヒールでかけて来ちゃった、のかも、俺」
「不快にはなっていませんよ。腸が煮えくり返る、という感情を体感したのは初めてですが」
「いやほんとごめんて。あーでも、そのさー……お怒りになっちゃってるの、正直、こう、俺の精神安定に良い……」
「何も、されなかった?」
「…………はい。いや、ええと、」
「嘘を吐くのはよろしくないですね。口紅が、少し掠れています」
「顔こえーっつの。他はなんもされてないから。無理矢理チューされただけだから。ほら、口直し。口直ししたら全部忘れられっからさ」
自分からくろゆりさんの首にまきついて、ちょっとだけ口を開ける。いつもより薄いリップにしたっつーのに、目ざとい男はこれだから嫌だし、これだからたまんないと思ってしまう。愛とか恋とか死んでも口にしたくないけど、じゃあなんで俺はこんなとこまで走ってきて喚いて愚痴ってキスしろなんて迫ってんのか、そんなのもうアレ、そういうアレじゃんっていい加減頭も身体も納得し始めていた。
それでも言葉に出してはっきりと縛りたくない。言葉は言霊だ。口に出した言葉は明確なルールを敷く。そういう風にくろゆりさんは言う。だからこの人も明確な言葉を使わないけど、最近のキスはやたらと柔らかくなった。
「…………――ぅ、……ふ………っ」
くすぐったくて死にそうになるくらい、やわやわと舌が絡む。
じれったくて自分から縋り付く。ぎゅっと腰を抱かれてなんかこう、ぶわーっと熱が上がって、はーよくないよくないこういうのはこんな真昼間に事務所のソファーでやるもんじゃないしかも俺今女装だしなんだこれ倒錯的ってやつ? いや夜中にベッドの上でやるようなキスでもねーけどさ、なんて混乱しながら誰かに釈明繰り返してるうちにやわっかいキスは終わって、うっかり名残惜しい鼻声出ちゃってまた死にそうになった。
あー……駄目だわ最近、すっかり素直にメロメロしてしまう。
いやちげーし別に好きだとかそういうメロメロじゃねーしただちゅーがきもちーだけだし、なんてのはもちろん言い訳だ。俺が俺に口酸っぱく言う言い訳だ。見苦しい、でも飲み込まれそうで怖いから言わずにはいられない言い訳だ。
言葉は言霊だから。言葉は縛るから。
「……キミは、僕のものだと、言い切ることはいたしませんが」
そんな俺の言い訳を見通したかのように、くろゆりさんは顔面十センチくらいの至近距離で息を吐く。ついでにように息の上に乗る言葉は囁くみたいにくすぐったい。耳に落ちるときの痒さが嫌だ。背中がぞくっと震えるから。
「キミはあの日断言しました。だから、僕はキミのものです。それだけは確かな事実として認識していただいて結構です。僕は、キミのものだ。……だから、いくらでも使えばいい、と思っていますよ。キミが必要なら僕は誰にどんな呪いでも、というのはまあ、少し言い過ぎですが、……そのくらいのことは思っていますよ、と、一応お伝えした方がいいかなと思っただけでそんな照れていただけるとは思ってもみませんでした、どうして顔を隠してしまうんですかもったいない。耳まで赤いので顔を隠しても無駄ですよ春日くん」
「あんたのことばなげーしかゆいし無駄にストレートで背中がぞわぞわすんだよ勘弁しろやがりくださいマジでほんと無理離して無理、ちょ、離せっつってん、だ、ろ」
「嫌です。かわいい」
「ストレート直球やめろ馬鹿! あんたそんなキャラじゃねーだろ!?」
「どうでしょうかね。キャラじゃない、といえば一人の人間に対して執着している事からしてキャラではないと思いますよ。キミに対しての僕は、どんな行動だろうと未知の領域です。……ところで、山中某という方は山中美智雄さんですかね? ハマナス不動産の」
「………………くろゆりさん、いつからエスパー能力完備した……?」
「残念ながらただの記憶力の賜物ですよ。先月酔っ払ったキミが名刺ケースをあれこれと見せてくださいましたので」
「おおおおお個人情報嘘だろ俺マジかよ俺馬鹿じゃねーの俺……ッ!?」
「まあ、名刺程度では個人情報とは言えないかもしれませんが職業柄他の場所では封印していた方がいいかもしれない名刺ケースではありますね。鍵でもかけておけばよろしいかと思いますよ。それで、山中美智雄さんですが、……そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。呪ったりはしませんから」
「ほんとうだな……? 俺嫌だよくろゆりさんが呪い返しでなんかやばいことになったりとかそういうの……」
「やるとしたらもちろん確実な方法を選びますが、僕が呪わずとも勝手にご本人がどうにかなってしまうんじゃないでしょうかね」
「……ん?」
なんだそれどういうことだ。
と、あからさまに馬鹿ツラを晒す俺をよいしょと膝の上に抱え直して、くろゆりさんはご自分の携帯端末を颯爽とスクロールする。その手袋スマホ対応なのか。なんてどうでもいいことを考えていた俺の目の前にサッと出されたのは、ニュースサイトの記事だった。
政治とか医療とか芸能とかじゃない、地味な地元の事件を羅列するようなサイトだ。日付は一か月前。これがどうしたと思いつつもさらっと上から目を通していた俺は、記事内に山中美智雄の字を見つけて眉を潜めた。
「……火事で、民家全焼……? 妻の山中かおりさんが意識不明の重体……」
「先ほど名前を窺った時に、ああ家が燃えた方だなとすぐに思い出しました。そもそもキミの名刺ケースを見た直後に火災のニュースを拝見したので、頭に残っていたんですね」
「よくわかったなそんなもん……」
「キミの名刺ケースの人間は全員名前と職場を暗記しましたよ。端的に表現するならばライバルと言っても差し支えないかと思っておりますので」
「……いやあんたどう考えてもぶっちぎり勝ってんじゃん……」
「そう言っていただけるのはありがたいことですね。ですが念には念を入れるタイプのようですよ、僕は。己でもこんなに執念深い人間だとは思っても……ああ、その話はまた後でいたしましょう。山中さんのお話でしたね」
「これ、やっぱ同姓同名の別人、じゃねーんだよな……?」
「年齢的にも一致していると思われます。一か月前、ご本人になにか変化は?」
「あー……あー……? あ。そういや、この一か月急に店に来なくなった、かも。なんか久々にライン来て、そんで悩んでる事があるとか言うからこっちもなんだなんだって心配になって、わざわざ休みの日に出た、んだそういえば」
だって店に来てくれたらその場で話せばいいだけだ。確かに大っぴらにし辛い話題ではあるけれど、つってもこちとらオカマパブだ。隣の人間がやばい性癖の話してようが、幽霊の話してようが、こんなとこにきて常識的な政治とか語られるよりはマシだと思える。
声を潜めて怪談話していたって、ママも他のねーさんたちも眉を潜めたりはしない。俺がわざわざ休日にワンピースを着たのは、山中さんが店に来なかったからだ。
「じゃあやっぱ、この火事の当人、いやちょっとまて全焼? 全部? 全部焼けたんならご自宅は今ないわけでしょ? ……そこでどうやって息子ちゃんは『むらさきおばけ』を見たの?」
自宅を怖がるから、うちの実家に。確かに、そう言っていた筈だ。つーことは現在実家にいるわけではないだろう。自宅から実家に預けた、と山中さんは言った。にやにやと笑いながら言った。でもその自宅は、一か月前に全焼している。
「明らかに不自然ですね。家を失い借り住まいしている妻の実家で怪奇現象にあった、という可能性はなくもないですが、確か奥さんはこのまま亡くなっている筈です。出火の原因は恐らく煙草の火の不始末だと書いてありますね。こういってはなんですが、自分の娘を殺した火事の原因である男を、快く受け入れる家があるでしょうかね。万が一山中親子がどこかに居候していたとして、そこは『自宅』ではないですよね。説明するのも面倒で自宅と言ってしまったのかもしれませんが」
「いやでも、なんつーか、……ほんと、普通だったよ。普通におれんちでさ、みたいな……家燃えたとか、奥さん死んだとか、一言も……」
「むらさきおばけの画像は、山中さんのスマートフォンに保存されていたんですよね?」
「え、あ、……うん」
「お子さんはこれですね。『出火時就寝中だった息子(6)は軽傷』。自発的にゲーム機などを使用するような学年ならばまだしも、六歳の子供にデータの写真など撮れるでしょうかね。絵で描いた、が精いっぱいかと思いますが」
「…………じゃあ、あの、むらさきおばけの、写真は」
「山中さんご本人が撮った」
ぞわり、と、さっきのキスの時とは違う感覚が背中を撫で上げる。
二の腕の表面に一気に鳥肌が走る。あの人は、何の写真だと言わずに暗い画像を出した。なんの写真か言われなかった。ただ、ちょっとこれよく見てよと言われた。仕方なく目をこらして見たその暗い画像には、階段のようなものと、そこに蹲るような青白い何か肉塊のようなものが見えた。
これは何かと言った俺に、山中さんはにやつきながら『みたら死ぬ心霊写真』と言ったのだ。
自分の子供が本気で怖がっているものをそんな風にネタにして茶化すのマジで?
つか本人が信じる信じないは置いといてそんな人を選ぶようなものを問答無用で見せてくんのマジで?
俺別に怖い話だ~いすきです☆なんて言ってねえけどマジで?
何考えてんのこのおっさんモラルとか倫理とかねえのこのおっさん、ねえ俺今までの人生で一番倫理観ないの真っ黒づくめの呪い屋野郎だと思ってたけど違ったわ思い違いだったわだってあいつ、すくなくとも、不特定多数の誰かをいたずらに巻き込んでへらへら笑ってたりしないもんよ。
そう思ったら死ぬほど腹立って、普段ほんと幽霊ってか夜中に来るアレとかなんかこう寄ってくる奴とか目に見えないものと無理矢理付き合わされている俺とかくろゆりさんにとって、見たら死ぬ心霊写真とか笑い事じゃないし実際マジで死ぬかもしんないし、こういうもんを面白ネタだと思ってんの最悪すぎると思って思わずカッとなって、そんで若干口論になってトイレに引きずりこまれたわけなんだけど、待って待って、冷静に考えたい。
そう思うのにうまく思考ができない。
ていうか考える材料が少なすぎた。
本当なら、というか依頼者なら事細かに事情を聴くために再度連絡をするだろうし、もしこれが俺の身近な友達だったらやっぱり俺はもっかい電話して話聞くと思う。でも相手はさっき完全に振り切って逃げてきた山中さんだ。
「――真相は闇の中、でしょうね」
ぐるぐると固まったまま思考しつつも助けを求めるように見上げた俺に、くろゆりさんは肩をすくめてみせる。くそ。他の奴がやったら死ぬほど腹立つしぐさだと思うのに、くろゆりさんレベルのイケメンだとやたらと自然で腹が立つ。
ワケわかんなくなってる思考回路と相まって、だんだんと苛立ってくる俺の頭をちょっと撫でて、イケメン野郎は落ち着いてくださいと笑った。
「わかっていることは四つです。山中美智雄さんのご自宅は一か月前の火事で全焼した。山中美智雄さんの妻であるかおりさんはこの火事で亡くなった。山中美智雄さんの御子息は見たら死ぬと噂される『むらさきおばけ』を見てしまい、『自宅』から『祖父母の家』に避難した。山中美智雄さんは『むらさきおばけ』の写真を持っている。……これだけです。他の事は、すべて想像することしかできない。まあ、どういう状況であろうとも、妻が亡くなった直後だというのにキミに手を出すような人間が正気だとは思えませんので、そのうち勝手に自滅するでしょうと僕は思いますがね」
「……それは、その、……あの写真のむらさきおばけに、山中さんがとりつかれているとか、そういう話じゃなくて……?」
「さあ、どうでしょう。あいにくと僕は写真を拝見して因果を見通すことはできませんし、なによりその写真すらもここにはない。写真は山中さんのいたずらでつくられた偽物かもしれない。子供の証言も嘘かもしれない。けれどもしかしたらすべて本物で、山中さんは何か『紫色をしたもの』に呪われているのかもしれない。何にしろ僕には――」
わかりません。
――いつもの、お決まりのセリフだ。
くろゆりさんは当たり前のように、この当たり前の言葉を口にする。見えないものは見えないし、聞こえないものは聞こえない。そこにあるもの以外を推測はできるけれど断定はできない。なぜならばくろゆりさんには幽霊なんてもの、ほとんど見えていないのだから。
…………え、いやでも、結局じゃあなんなの?
むらさきおばけってなんなの?
てか息子くんが見たのってほんとにそのむらさきおばけなの?
何か別のものじゃないの?
例えばほら……………。
「………………やめよ……うん、やめるわ考えるの……なんかよくない。この件はよくない……子供ガチで悩んでんならかわいそうだけどかわいそうってだけで首突っ込むにはリスクたけーわ……」
「僕も基本はご依頼以外の案件には関わらずに生きておりますので、その方がよろしかと思いますよ。最初に仰っていたように、お店には山中さんを出禁にしていただいた方がいいでしょう。僕が手ずから呪いをかけたりはしませんが、一応キミの近辺がきちんと安全かどうかくらいは調べさせていただきます。というか、しばらくは僕の部屋に寝泊まりした方が良いかと思いますが……」
「あー。あー……やっぱり? そう思う?」
「相手方がどのような精神状態かわかりませんので。キミがこの部屋が嫌だというのであれば、信頼できる他の――、そうですね、杜環さんか鈴蘭さんなどの部屋に間借りさせていただくというのも」
「いやいいよ、くろゆりさんちの居候すっから。つか離してプリーズ。俺一回家帰って着替えて荷物持って夕方また来るちょ、待っ、だから、離せって、言っ……」
「僕の服を着ればいい。携帯も財布もお持ちでしょう? あとは何が必要ですか? 明日はキミの職場に送っていきましょう。ついでにそのまま久しぶりにお店にお邪魔してもいい。再度迎えに行くよりも効率的ですね。……どうしましたか?」
「……くろゆりさんってそんな過保護キャラだった……?」
「何度も申し上げますが、キャラ付けに関して、僕はキミに対しては完全にブレていますよ」
なにせ初めてのことばかりですからね、なんつって笑いやがる。全然余裕に見えているこのイケメンが、結構いっぱいいっぱいな事を知っている。ふわっさらっと口説く癖に、人を本気で口説いたことなんかないことくらい察している。そういうのが、こう、あー! ってなっちゃうアレなんだけど。
やっぱりまだ言葉で縛るわけにはいかないから、全部飲み込んで誤魔化して首に抱き着いてキスをした。
頭に残る紫色っていうか、青白い肉塊の事を、一刻も早く忘れたい。
よくよく思い出す度に、髪の長い女に見えてこない事もないその肉塊を、俺は、一刻も早く忘れたかった。
終
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