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盛り塩の家 04
【四】鈴蘭
その人を初めて見た私は、自己紹介が必要だと思った。名乗り、事情を話し、お互いの言葉でお互いを確認することがきっと、必要だ。
まずは念入りに自己紹介をしよう、と、これほど切実に思ったのは初めてかもしれない。
仕事柄私は、本当に色々な人とお話しする機会がある。所謂変人と言われるような人たちも、たくさん見てきた。勿論その変人という枠組みの中に、私自身が組み込まれることもある、ということも理解している。自分では特に、変わった性格ではないと思い込んでいるけれど、私の外見は確かに少々、普通という概念からは外れているだろう。
私は厳密にはトランスジェンダーではない。自分の身体は男性で、自己も男性だと認識している。ただ女装をして接客する事に嫌悪感もなく、同性愛者だった為に自然とニューハーフやオカマと言われるような形態に収まった。その為、私生活では普通に、男性として生活している。
とはいっても、毎日の生活の中できっぱりと仕事と私生活を切り離せる程器用ではない。ウィッグを被ることも面倒で、髪の毛は長く伸ばしているし、仕草もどうしても女性的になってしまっているようだ。
男らしくしよう、と意識していないことも相まって、結局少しなよなよしい、青白い顔の気持ち悪い男、とみられることも多い。要するに私も中々、外見的には普通ではない。
しかしその日、鷹乃鴉駅近くのファミレスで落ち合った相手は、私よりも、私が今まで出会った誰よりも、そして私にこの人を紹介してくれたやはり普通とは言い難い霊能力者よりも、格段に、一瞬言葉を飲み込む程に、普通ではなかった。
「あの……どうも、ええと……ボクで、合ってると思います、よ。鈴木さん、ですよね?」
「はい。鈴木諒一です。……えーと、苅安……」
「苅安、キイロです。どうも、初めまして……あ、すいません、名刺。名刺、あります、ごめんなさいボク、ええと怪しいですよね、とりあえず座ってもらって、大丈夫です……」
そう言って慌ただしく小さなカードサイズの紙を差し出す人は、恐縮そうに何度も頭を下げた。
ファミレスの椅子に浅く腰を下ろした私は、なるべく不躾にならないように、などと気を遣うことを忘れて素直に目の前の人を直視した。
まず目を引いたのは色だった。真っ黒な服と、黒いサマーコートに、長く伸ばし束ねられている赤茶色の髪の毛が異様に目立つ。顔の半分はマスクに覆われているのに、外気に晒されている面積の内右半分程に大小様々なタトゥーが彫り込まれていた。三白眼気味の目も、ぱっと見怖いと思ってしまう。
何より不気味だったのは、彼の隣に立てかけてある黄色い傘だった。
夕刻で太陽は沈みかけていたが、朝から晩まで雲一つない快晴で、この一週間は雨の予報とは無縁だ。それなのに、原色のかなりきつい色の傘を持参している。日傘とは思えないし、それが妙に気持ち悪い。
私の動揺は顔に出ていたらしく、メニューを差し出しながら苅安さんは目を伏せた。
「……すいません、どう考えても、ボクが危ない人にしか見えないのは、わかってるんですが、いきなりご自宅に伺うのも、と思ったので……もし人目が、気になるようでしたら、カラオケか似たような施設に移動してもいいですが……」
「あ、いえ、申し訳ありません。大丈夫です。わざわざご足労いただいて、本当にありがとうございます。……私の名刺、源氏名で申し訳ないんですが」
見た目は本人も言うようにかなり危ない人だというのに、苅安さんは少し聞き取りにくいくらいの静かな声で、ゆっくりと確実に言葉を選んでそっと並べる。自分の事ばかりを、延々と高圧的に喋る人も世の中にはたくさんいることを知っているので、ほんの少し会話をした時点で私は、なんとなく緊張を解き始めていた。
差し出した名刺には、勤め先の店名と、鈴蘭という源氏名が記されている。名刺は各自好きなように発注していい、という店の方針だったので、私の名刺は至極シンプルだ。
「……お名前、どちらでお呼びした方が、いいですか?」
おずおずと尋ねて来る苅安さんに対し、私は少し悩んだ末に鈴木でいいですと言った。
職場では皆源氏名で呼び合うせいで、あまり自分の名前を呼ばれ慣れていない。どう見ても女性には見えない私が鈴蘭と呼ばれている様は、やはり不思議なのではないかと思っただけだ。
差し出されたメニューをさらっと眺め、珈琲だけを注文した。苅安さんの前に置かれた珈琲はすっかり冷めていたようなので、代わりを頼むかと訊いたが彼は困ったように首を振った。
「一応、注文はしたんですけど、ボクは外であまり、食事ができない体質で……お気遣い、ありがとうございます。それで、西東さんから、お伺いした件なんですが……」
「はい。写真ですね、撮ってきました。携帯で撮ったので、現像していないし、データの状態ですけれど」
「あ、大丈夫です。外見を拝見したかった、だけなので」
ファミレスで落ち合う前に、件の女が出る家の写真を撮ってきてほしい、と言われていた。
不気味な家にカメラを向ける、という行為に抵抗はあった。しかしこの一件を相談したのは私なので、昼間、できるだけ明るく人が少ない時間帯を選び、数枚の写真を撮った。
件の家を、普段、まじまじと見ることは少ない。人が住んでいない家は少し気味が悪い。カーテンのない窓をじっと見つめて、見てはいけないものを見てしまうのは嫌だ。特別な霊感があるわけではないけれど、私は怖いものが人並に苦手だった。
いつも真夜中に女が立っている窓を、自室のドアの前から一枚。アパートの一階の階段横から一枚。そして、正面の道路から家の玄関付近を一枚。
すべての写真は特に不可思議な点もなく、ごく普通の家の写真でしかない。ただ、写真を撮ってひとつ、気が付いた事がある。
普段は速足に通り過ぎる件の家の玄関の両脇に、盛り塩のような白い粉がこんもりと積まれた皿が二つ、ひっそりと置かれていたのだ。
こんなもので何がわかるのだろうか。少々の好奇心から意図を問いかけた私に対し、苅安さんはやはり困ったような表情を作った。
「すいません、ええと……ボクは、写真を見て、ここに何が居るとか、恨みがあるとか、因縁があるとか……そういうことは、わからないんです。ただ、実際に行く前に、一応外見を知っておいたほうが、いいかなぁと思ったので。夜は特に、道もわかりづらいし」
「……まさか、お一人で行くつもりなんですか?」
「え、はい。夜の、二時でしたよね?」
「いや、私がご案内しますよ! そんな、場所だけ教えてじゃあよろしく、なんて言いません。大体、二時までどうやって時間を潰すおつもりだったんですか。まだ夜の六時ですよ」
「え……ええと、適当に、漫画喫茶あたりで、引きこもっていようか、と」
「私の家に来ていただいて大丈夫ですよ……そんな、相談しているのに、ウチには来るななんて言いません」
「……いや、でも、ボク、かなり、怪しい人ですし……鈴木さんの御近所さんの、目とか、そういう……」
「私もそれなりに怪しいので平気です」
自分も同類だから気にするな、というのは少々失礼な物言いにも思えたが、私がきっぱり言い放った言葉を聞いた苅安さんは、本当にびっくりした様子で固まっていた。
その後に、少しだけ俯く。笑ったのかもしれなかったが、残念ながら、彼の表情はマスクで隠されていて半分もわからない。
「……西東さんの御紹介だったので、ちょっと怖かったんですが、えーと……鈴木さんが、イイ人で、すごくボクは、嬉しいです……」
「さいとうさんというのは、くろゆりさん?」
「うん、そうです。あの人いつも、わりと無茶苦茶な仕事、振ってくるので。本当は、距離を取りたいんですけど、西東さんの振ってくるお仕事は正直、お給料が高いので……」
「あ、そういえばお金のお話は……相談料とかそういうもの、ありますよね?」
「ああ。それはまだ結構です。実際に、除霊をしましょうとなった際に、いただきます。予算だけはお伝えしますが、何もする必要がなければ、ボクはそのまま、帰りますので」
「でも、そんな」
冷えた珈琲を見つめながら、苅安さんは言葉を選んでいる様子だった。彼の様子には、自分も覚えがある。自分の仕事や性的嗜好を説明するときに、どうやったら伝わるか、どこまで話しても嫌われないか、考えて取捨している時の私と、とても似ているような気がした。
「ボクは、こんなことを言ったらすごく不安になるかもしれませんが、厳密には、幽霊の事をあまりよく知りません。幽霊がいることを感知することはできます。けれどそれが何で、どうしてそこにいて、何を訴えていて、どうすれば解決するのか、わかりません」
似たようなことを、くろゆりさんも言っていたように思う。
害虫を退治することはできる。けれど、害虫が何を考え、どうしてそこに出てくるのかはわからない。そんなようなことを苅安さんにも伝えると、彼は曖昧に頷いた。
「あの人はそうですね……うん。ボクも、似たようなものではあります、たぶん。西東さんは、ええと、害虫を……これが効くらしい、みたいな方法をとにかく試して駆除してる、んだと思います。経験則もあるでしょうし。ボクは……ボクも、確かに害虫が、何を考えているのかとか、次に何をしようとしているのかとか、わかりません。予防もできません。ただボクは、確実に、害虫をその場から移動する事ができます。これが駆除という事になるのなら、駆除は、できます」
「害虫を、……幽霊を、移動する?」
「はい。ボクはボクと同じような事をする人たちが、他にいるのかよく、わかっていませんが。ボク自体の事を運び屋と呼んでいます」
そう言って苅安さんは、すっかり冷めた珈琲をマスクをずらして一口だけ口に含み、ひどく不味そうに顔を顰めたのだった。
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