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盛り塩の家 10

【十】刈安キイロ  朝は怖い。  夜の闇は、視覚的に怖いと思うけれど、朝の世界はとにかく人で溢れていて、ボクは自分の身をどこに潜ませたらうまく息ができるのかわからなくてひどく、心許無くなる。  朝は怖い。そして相変わらず他人という生き物が苦手で、彼らとうまく接触できない自分が、嫌になる。  鈴木さんはとても、イイ人で、そしてボクにとっては珍しく、吐くほど不味くはない人だった。ボクはどういう理屈か自分でもよくわからないけれど、幽霊とかそういうものを食べてしまう。これは一種の霊媒体質なのかもしれない。  幽霊はボクの胃の中に勝手に詰まる。そのままではボクは幽霊でいっぱいになってしまうので、結局吐かなければならない。  ボクの口に入り、ボクの口から出て行くモノは、とにかく不味い。そして生きている人間も、ボクの口に干渉する。生霊とかそういうものが存在するのなら、確かに、生きている人の感情も、見えない何かという点では幽霊と同じ括りなのかもしれない。  大体の人間はとても不味い。隣にいるだけでボクはその味を拾ってしまって、大体はいつも、吐きそうな気持ちを抑えるだけで精一杯になる。でも鈴木さんは、あまりボクに干渉してくるタイプの人ではなかった様で、ボクは比較的まともに彼と話すことができた。  とてもいい人だった。だからボクは、できれば鈴木さんの力になりたいと思った。その為には、やはり、西東さんとお話しなければいけないのだけれど。やっぱり、直前でボクは怖くなって逃げだしてしまった。  黒百合西東さんは、怖い。人柄が怖いのではない。確かに、優しい人ではないけれど、特別、個人的に彼を避ける理由は、性格などではなくて、あの人がとても、不味いからだ。  泥のような。腐った肉のような。酸っぱくて、苦くて、べちゃべちゃしていて、吐きそうなくらいに不味いものが、口の中に満たされる。あの人の近くにいるだけでも、ちょっと話すだけでもボクは耐えられなくなる。怖い。さっきも遠目からファミレスに入る西東さんを眺めたが、やはり、口の中が酷い味で満たされた。あの人はとても不味くて、そしてそれはとても強い。  やはり後で、文章でこの件に関して相談しよう、と思う。西東さんは、ちょっと滅茶苦茶な事を言う時があるけれど、急に怒ったりしないから、ボクはあまり緊張せずにメールを送る事が出来る。だからといって、すごく好きかと言われたら、やっぱり苦手な人なのだけれど。  そう決めた時にはもうかなり時間が経っていた。帰ろう。そう思った時、目の前をふと通り過ぎて行った男性に気が付いた。  先ほど、くろゆりさんと一緒にファミレスに入って行った人だ。髪の毛を明るく染めている、細い人。  その人の後ろ姿を眺めながら、ボクの口の中に満ちた味に、思わず眉を潜める。少し渋い。少しすっぱい。そして鉄の味がする。 「……花……と、血……………?」  口の中に湧き出た異物を舌で押し出し、指に乗せる。それは真っ赤に染まった、花の花弁に見えた。ボクは、特別花に詳しくはない。でもなぜか、これがなんの花かわかる。 「…………椿」  呟いた時にはもう、その人は視界の中にはいない。  とても、不思議な気分だった。あの人は、あの花と血の味がする人は、西東さんの隣にいても、あの泥のようなものに汚れないのだろうか。人は、人に干渉する。ずっと一緒に居ると、なんとなく味も似通る、ような気がするのだけれど。  ぼんやりとした気分のまま、ボクは人混みとは別の方向に歩き出した。  この駅は首都圏に赴くためには便利すぎて、とても人が多い。もう少し回り道をする私鉄に向かってボクは歩く。  口の中はまだ、少し鉄の味がする。手に持った傘を差すでもなく、ぶらぶらと揺らす。駅から離れれば離れる程、人はいなくなる。黄色い傘を差さなくても、ボクに寄ってくる人はいない。  まっすぐ歩く。その際も、ボクの視界は大概、下を向いている。ボクはボクを避けてほしいのに、ボクに向けられる奇異の目は怖いから。 「っあ、すいません」  どん、と誰かにぶつかった。とっさに謝ったのはボクではなくその相手の方で、ボクは口を開こうとして口内の味に驚き結局何も言えず、ボクにぶつかった男性は、頭を下げただけで走り去ってしまった。  思わず、探す。  そして、見つける。 「……………」  ボクはしばらくその空き家を眺め、そして、敷地内の入口に並べられた盛り塩を見つけると、それを足で軽く蹴飛ばした。  カラン、と軽い音がした。固まったような白い粉は、少しだけ崩れて、地面に零れた。  線香の匂いがする、気がする。  家を見ずに歩き出す。ボクの口の中は、今しがたぶつかった男性のせいか、それともこの家のせいか。  塩と、生の米と、そして骨の味で満ちていた。 終

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