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廻り箱 02
【弐】早乙女 宇兎
「大変申し訳ありません」
現地集合で招集かけられた俺が最初に目にしたのは、きっちりと腰を折って謝罪をするタヌキサンだった。
なになに、変なクレーマーにでも捕まってんの? うっわタヌキサンかんわいそーと思ったものの、よく見ると周りには誰もいねえ。
タヌキサーンがきっちり腰を折って頭を下げている先には、どうやら俺しかいないっぽい。
「え? 何、え? もしかして俺? 俺に言ってるのソレ?」
「……他に誰もいませんよ。ほんとうに申し訳ないと思っているので謝罪しているんです」
若干ビビった上に意味わかんなくって半笑いになっちまったけど、スッと頭を上げたタヌキサーンは相変わらずの一糸乱れぬ王子フェイスをほんのすこーしだけ歪ませただけだった。
この人も随分と俺に慣れてくれちゃったもんだ。フツーの人だったら俺の半笑いとか、毛虫でも見るような目を向けてくるもんよ。そのくらい生理的に腹立つ顔している自覚くらいはある。てーか意図的に腹立たしい顔を演出していた。何と言っても俺は真面目な話が超苦手だから、半笑いで誤魔化してどうにかしようとしちゃうわけだ。
生真面目なタヌキサンは、生真面目にいつも通り綿手袋をピシッと嵌めた手で、書類かなんかを抱えつつため息を吐く。
「相川君は前日飲みすぎて午後から早退、鈴木さんは体調不良、その他スタッフも軒並み捕まらず今日のクライアントとの打ち合わせは一人でこなすべきかと社長に相談したのが間違いでした。任せろと言ったあの笑顔を信じるべきではなかったんですよ僕は。よりにもよって、宇兎君を呼び出すとは」
「えー。俺ぁ別にタヌキサンとお仕事すんの楽しいしーどうせ暇だったから構わないっすけどー。俺にできることなんかなんもねーと思うけど。レーカンないし」
「なくてもいいんですよ。霊感のあるなし、能力のあるなしに関わらず、我が社は基本二人一組で動きます」
「あー……それって霊障で倒れちまったらヤバいから?」
「まあ、簡単に言ってしまえばそうです」
どう見ても葬儀屋みたいな恰好をビシッと決めているタヌキサンのお仕事は、何をかくそう『不動産専門幽霊掃除屋』だ。んー、何度口にしてもラノベ感がクソ強いな。まあでも、事実存在してるんだからそれなりに需要もあるんだろう。
幽霊掃除屋を謳うくせに、社員に除霊能力って奴はない。
除霊能力はないくせに、タヌキサン達玉城クリーン・コーポレーションの社員は皆やたらと心霊現象に敏感だ。社員一同、皆やたらとぶっ倒れる。ばかすか吐くしぶっ倒れる。故にタヌキサン達は一人で動かない、ってわけだ。
「宇兎君に霊感があろうがなかろうが、仕事ができようができまいが、この場合はあまり問題ありません。キミを巻き込んでしまった事に関してはまだ納得していませんが、仕方ないのでご同行お願いします。本日は完全に僕の付き添いと考えてください。玉城社長には後で『デリバリー気分で早乙女宇兎を電話一本で呼び出すな』という旨、きちんと伝えておきますので」
「デリバリー宇兎、別にいーけど」
「良くないです。僕たちは会社と契約して仕事を行っています。ですがキミは無料アルバイトです。本当に必要な場合ならまだしも、電話一本で気軽に呼び出されて、その先で危険な目に遭ったらどうするんですか。社長はキミを我が社の助っ人気分で使うべきではないんですよ。あの人は本当にそういうところが――」
「あーはいはいはい、タヌキサンが思いのほか俺の事考えてくれてんのわかったし危うく路上で良い感じで抱きしめてあーもーそんなカワイーこと言うくせになんでヤらせてくんねーのかなぁとか愚痴りそうになっちまったけど、とりあえずお仕事やんねーとじゃねーの? さっきからチラッチラこっち見てるあのオッサンはクライアントって奴じゃねーの?」
「………………」
ぐっ、と滅茶苦茶不服そうにタヌキサンは言葉を引っ込める。
言葉を紡ぐなんて面倒くさいコミュニケーションは矢文でいいじゃないみたいな顔してるくせに、ほんとよく喋る人だ。
まだ喋り足りなさそうだし俺はタヌキサンの弾丸じみた言葉も含めて好きぴ~だし別に聴いててもいいけど、古びたアパートの敷地内からチラチラっと顔を出している髪の毛のうっすい眼鏡のオッサンがいい加減可哀そうになってきたわけだ。
玉城シャッチョサンへの苛立ちをグッと飲み込んだらしいタヌキサンは、無理矢理外行きの顔作る感じでまた息吐いて、キミも簡単にデリバリーされないように、と小言一つ放り投げることも忘れずにくるりと背を向けた。
玉城シャッチョサンから『今ここに公隆くんいるよ☆』と連絡を受けた場所。それはごく普通の二階建てアパートだった。
あまりにも普通すぎて、住所聞いただけだと通り過ぎてしまいそうだ。住宅密集地である近隣には、似たような佇まいのアパートが山ほどある。ほんとうにどこにでもある佇まいだった。
ナカムラと名乗った毛の薄いオッサンも、どこにでもいるような不動産屋だ。名前も含めて完全にモブキャラでしかない。
うだつの上がらない、と言ったら失礼だろうけど、こういう弱そうな人の方が案外安心して内見お願いできたりすんのかもしれない。普通で地味、ってのは、実は一番難しい特徴だ。
丁寧に頭を下げたオッサンはチラッとだけ俺の方を見たけど、特に何も言わずにさっさと歩き出した。
うーん流石不動産屋。アバンギャルドなヤンキーとかも、結構な確率でエンカウントするんだろうなァ。人間生きてりゃ大概の人種が不動産屋を利用する。
幽霊掃除会社のお手伝いで来た野郎がヒョウ柄のアウター着てたら『お前何者?』ってもうちょい不信感丸出しに……あーいや、アバンギャルドな霊能者だと思われてんのかもしれない。やだな。それはいやだわ。さっきタヌキサンめっちゃ俺に謝ってたし。
そんなどうでもよすぎる事を考えつつオッサン、タヌキサン、俺の順番で勇者パーティよろしく一列でアパートの一階の外廊下を進んだ。
思いのほか奥行きがある建物だ。ぎちっとした狭い路地には、四つの扉が並んでいる。閑静な住宅街に押しつぶされるように建つアパートとしては、デカめなんじゃない? と思う。
いいわね閑静な住宅街あんま来ねえけど騒音とか少なそう、なんてどうでもいいことを思いながらぼやっと視線を向けた白い壁に、うっかり違和感を見つけた。
なんだか妙に白い部分がある。
質感も違うし、塗り直した跡のようだ。扉と扉の合間には必ず白いペンキの跡のようなモンがあって、それをマジマジ眺めていたせいで急に止まったタヌキサンの背中に思いっきりぶつかった。
けどタヌキサンは、俺の体当たりなんか気にした風もなく……つか、気にする余裕もないって感じで、白い壁を凝視していた。
ひょこっと首を伸ばして、うげっと思わず声に出る。ついでに反射的に鼻を抑えた。
――なんだ、このニオイ。なんかこう、めっちゃ嫌なニオイがする。
一番奥の扉と手前の扉の中間あたり。
その白い壁には、べったりとした黒いシミが浮き上がっていた。
「三日前に住人が確認した際には、こんなものはなかったという話です。……やはり、その……動いているのでしょうか。それとも、……増えているのでしょうか。塗りつぶすだけでは、駄目なんでしょうかね……」
心底悲しそうな声を出すナカムラっちに対し、毅然と壁を見つめたままのタヌキサンはどうでしょう、と冷静に言葉を返してたけどさ。……俺は、息をする度によくわかんねーニオイが鼻から口から侵入してきてすげー無理。なんか喋るのも無理状態だ。
じりじりと後退りする俺には気づかず、二人は真剣に言葉を交わしあう。
「一応一通りの対処はしてみましたが、霊障、とも言い難いです。霊能力者のお話では、ここには抜け殻のようなものしか感じられない、ということでしたし……。部屋の中に何かが起こった、というご報告はないんですよね?」
「はぁ……幽霊が出たとか、音がしたとか、そういう気味の悪いことはないみたいですねぇ……もちろんそのものずばり、こちらから訊くわけにはいきませんが、居住者はそういうことがあれば、割合すぐに我々に言ってきますから……」
「となると、ただ気味の悪い壁のシミが移動している、だけなんですよね」
移動。そうタヌキサンは言った。
……成程、さっき俺がぼけっと眺めていた壁のペンキ跡は、この黒いシミを無理矢理塗りつぶした跡なのだろう。
入口から、まっすぐ奥の部屋へ。――このシミは移動しているんだろうか。
いやホラーじゃん。つかくせーじゃん。何このニオイほんとオッサンとタヌキサンはなんで平気なのよ。
そう思って眉をしかめていたが、なんかすげー嫌な事に気が付いちまった。
……もしかして、俺だけ?
このニオイにうえーってしてるの、俺だけって可能性ある? え、まじで? でも口も開きたくねえような激臭の中、霊感ばりばりのタヌキサンも見るからに弱そうなナカムラっちもふつーに通常通りって感じだし、っつーことは俺だけなの?
え、なにそれこっわ。勘弁。いや俺霊感とかねーし。そういう触れ込みで生きてきましたし。これからも霊感とかいりませんし。
なんて冗談ぶっぱなしている場合ではなくガチでビビってしまった俺は、素直に目の前のタヌキサンのスーツの裾をくいくい引っ張った。
「……どうしましたか、宇兎――くん? キミ、真っ青じゃないですか、何が――」
「…………無理。すげーくせーの、ここ。ちょっと、道の方、戻っていい……?」
「すぐに戻りましょう。中村さんすいません、一応写真だけもう一度撮りたいのでお願いできますか。……大丈夫ですか宇兎君」
思いのほか血相変えたタヌキサンに引っ張られるように引き摺られて、狭いアパートの廊下から表の道に出る。
その瞬間、スッハッと新鮮な空気が満ちて、肺が生き返った気がした。
変に息を止めていたせいかニオイそのもののせいか、こめかみのあたりに鈍痛が走る。普段から頭痛持ちってわけでもねえし、酔っても吐かないせいで、頭痛と吐き気がより一層ダイレクトしんどい。
思わずしゃがみ込むけど、喉の奥からせりあがってくるものはない。吐いたら楽ってよく飲み会で聞くセリフなわけだけどさ、吐けないってのはホント、マジで、相当しんどいとこの時初めて知った。知りたくなかった。ホントに。
涙目で息をする俺の背中を擦る、タヌキサンの手が冷たくて安心する。この人は不健康すぎて体温が低い。ぜってー筋肉がないせいなんだけど、タヌキサンがムキムキになっちまうと抵抗され放題でキスの成功率下がりそうだからなーいやだなーでも末永く健康でいてほしいなーなんて、すげえどうでもいいこと考えているうちに息が落ち着いてきた。
頭上から落ちてくる声は、体温と反対に少しだけあったかい感じがする。俺の妄想かもしんないけど。
「……大丈夫ですか。救急車を呼びますか? 歩けないようなら玉城社長か金鳴さんに連絡をして送迎を……」
「うー……えー……いや……らいじょうぶ、れす……っあー何アレやっべえしんど……。つか、タヌキサン……とナカムラのおっさんは、平気だったわけ……?」
「平気、といいますか、僕はキミが何に反応したのかさっぱりわからない状態です。宇兎君、キミは、――くさい、と言いましたか?」
「うん。……すげーくせえの、なんつーか……動物? つか、人間か? 髪の毛とか腐った肉とか丸ごと焦げたようなニオイ、の中になんか……花っつーか芳香剤みてえな、すんげー甘いニオイが混じっててもう大混乱悪臭のヤバパーティーっつか……」
「人の、焦げたようなニオイ……」
「……マジで、俺だけなの? え、マジで? 住人も? そういう苦情ねーの?」
「あったらもう少し大々的に我が社もお祓いを執り行っておりますよ。ペンキで潰してしまう前に、もう一度霊能者に頼んでみましょう。空振りになるかもしれませんが……花か芳香剤のニオイというのは、具体的にはどのような?」
「わっかんねー……でも、なんか、知ってるニオイな気がすんだよななんでかなー……もっかい嗅いだらわかるかなー……」
「やめてください。キミが倒れたら本当に困る。金鳴さんになんとお詫びをしたらいいのかわかりません」
「えーカナちゃんなんか『転がしときゃ回復すんだろ』つって笑うだけっしょ。つーか今日やったら心配してくれんのねーうへへ」
「……デリバリー宇兎君をしてしまった、負い目がありますので」
「別に、どこだって駆けつけるって言ってんのに。タヌキサンが呼んでくれたらさぁ、それだけで兎はひょいひょい喜んで馳せ参じますわ……はーやっと息楽になってきた……はーしんど。はー……あれ? 今の人ここの住人?」
やっと立ち上がると、カメラを持ったナカムラっちと背の高い茶髪の女が会釈をしているのが見えた。両手にぺったんこに潰した段ボールの束と、百均の収納用布ケースみたいなもんを抱えている。
女はひどく迷惑そうに顔をそむけると、さっさと逃げるようにアパート前の廊下を進んで行ってしまう。あのシミを通り越して――一番奥の部屋の扉を開けて、滑り込むように消えた。
「……引っ越しっすか、彼女」
ライトに話しかけた俺をちらっと見て、薄毛のナカムラっちは、はぁ、と頷く。俺なんかにもわりとちゃんと対応してくれるから、きっとコイツはいい奴なんだろうな~なんて今更好感度が上がった。
「転居理由までは聞いていませんが、壁のシミについては特に何もおっしゃっていなかったと思います。アレが転居の理由でしたら、敷金や家賃について一言あってもよさそうなものですし、まあ、急な引っ越しというものはよくある話ですので……」
「ふうん」
それにしちゃあ、陰気な感じの女だった。別に霊障が性格や見た目に干渉する! ってわけでもねえだろうけど。
つかあんな気味わりーシミが徐々に自分の部屋に近づいてきてるってだけでも、十分憂鬱な理由になるだろう。引っ越すのは正解だ。まああのシミがどこに向かってんのかそんな事は俺にはわからねえし、なんならアパート通り過ぎて向こうの民家にまで浮き出ちまうのかもしんないけどさ。
とりあえず今日のところは解散っぽい雰囲気が漂い、ナカムラっちは丁寧に挨拶をして、また後日と言って去っていった。
俺はもう一生会う事ないだろうけど、割と好感度高めのモブおっさんだった。今度無害そうな人間の演技する時には、ぜひ参考にさせてもらおうと思う。
さて具合もすっきりしてきたし、俺が倒れそうになって心苦しくなっちゃってるタヌキサンに付け入って一緒に飯に行こうよーって我儘ぶちかますタイミングかなーつか今日泊ってってくんないかなー最近さみいからタヌキサンぎゅっとして寝てえなーと考えていた時、唐突に思い出した。
「あ。…………タヌキサン、思い出した」
俺の言葉に、タヌキサンが振り向く。
「どうしました。急ぎの仕事でもありましたか?」
「違う違う。ニオイ。あのやべーニオイに混じってた花みたいなニオイ。なんか既視感あんだよなーと思ってたんだけどさーわかった思い出したアレ――香水だ」
女ものの香水の匂いだ。そしてそれは、俺の知っている人間の匂いだった。
それに気が付いた瞬間、さっきの腐った後に焼け焦げたみたいな甘くて吐きそうなニオイが、風に乗ってぶり返してきた、気がした。
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