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のろいがえしのいえ
呪われているので、仕返しがしたいのだそうです。
さらっとした顔でさらっと言い放った呪い屋家業のイケメンに、俺が渋面晒したのはなんつーか、何度目かわかんないし数えても誰も得しねーし、まあ、俺の反応なんてたぶん俺自身もこの人も気にしちゃいないんだろうしもうどうでもいい。
ただ一応今日も無駄に呼び出されて同行している身として、一応嫌でも事情くらいは聴いとくかーと思って足を止めなかった俺の対応は褒めてもらっていいと思う。まあ、のこのこくっついてくんなって話だけど……その話についてはしばらく棚上げして生きていくつもりだ。
冬も真っ盛りな平日の午後一時。
駅前で待ち合わせた俺達はさっと適当なとこで飯を済ませ、手を擦り合わせながら依頼人の家に向かっているところだった。ツネばーちゃんと鈴子さんのあの家と村に比べたら、都会の冬なんざ楽園のような気候だ。と、頭ではわかっているものの、記憶の中の寒村よりもマシだとしたって今現在『クソサムイ』と認識しちまう俺の皮膚を慰めることはできない。
くそさむい。帰りたい。割とマジで帰ってくろゆりさんの事務所であったかいココアとか飲みたい。くろゆりさんはお茶とインスタントコーヒーしか飲まないけど、俺がくつろぐためにわりと色々揃えたせいで、いまやわが家よりも快適なくつろぎ空間となっている。
クッキーつまみながらココア飲みてえ。呪いとか仕返しとか聞かなかった事にしてえ。
そう思うものの、根が真面目な俺は踵を返す事も、聞かなかった事にして思考を明後日の方向にぶっ飛ばす事も出来なかった。
これは大事な事なんだけど、マジで、本気で、くろゆりさんの仕事舐めてると命に関わる。俺が死ぬ確率の話じゃない。くろゆりさんが命を投げ出す確率の話だ。
きみと一緒にいると諦めにくくなる。そう笑うイケメンの感情とか情緒みたいなやつは、たぶん死んでるか狂ってるかしてんだろうよ。イケメンがこんなやべえ倫理観になった理由は知らない。過去も知らない。生まれたときからこういう性格だったのかもしれないし、なんか決定的な事件とかイベントがあってこうなっちまったのかもしれない。そんなんはまあ知らん。知らんけど俺は、この倫理観と情緒がぶっ飛んでるイケメンを、少しでも現世に繋ぎ留めておくことができるらしい。
流石に『こいつが死んでもどうでもいいわ~』とか冗談でも言えなくなってきた。ので、仕方なく、嫌だけど、本気で嫌だけど芯まで冷えそうな指先擦りながら白い息を吐くわけだ。
「……仕返し? ってつまり、呪い返すってこと? 解呪じゃなくって?」
「そうですね。おそらくはそういうことになるのでしょうが……どうもお話を伺っていると、呪い返しも少し難しい状況ではないかと思っています。とりあえずは依頼人が『呪われていて酷い事になっている』というご自宅を拝見してから考えようかと思いまして」
「なんだそれ。なんだその面倒くさそうな依頼。つかそんなん思い込みかなんかじゃねえの? 私呪われてるんです! みたいな奴たまに来るじゃん」
「まあ、心霊現象の大半は見間違いと気のせいですからね」
それをアンタが言っちゃうのどうなのよ、と思わなくもないが全くその通りだ。
くろゆりさんの事務所に依頼に来る人間の半分以上が、本物の心霊現象ではない――所謂気のせいだとか、思い込みだとか、見間違いだとか――案件を抱えてくる。
げっそりとやつれた依頼人たちは、風の軋む音に怯え、猫の鳴き声に叫び、体調不良とストレスを先祖の祟りのせいにする。
まあ別に、幽霊のせいですって事にして除霊して、それで解決するならそれでいい、らしい。
海外の悪魔祓いも本物の悪魔に取りつかれている人間は数パーセントもいないって話をなんかで読んだ。要するに、『悪魔祓いをしましたよ』っていう事実が被害者を救うのだとかなんとか。それで祓う方も祓われる方も納得して円満エンドするなら、詐欺でもなんでもない。
くろゆりさんも明らかに霊障ではない依頼に対しては、軽くアドバイスしたり安いお札を売ったり、あとはお守り渡したりなんとなく除霊の真似事をしたりする。ズバッと気のせいですよと言ったところで、依頼人は納得しないらしい。
「不可思議な現象が起こっている、という人は多いですが、それを『呪われているからだ』と断言する方は少ないですよ。そういう人は、何かしら心当たりがあるんでしょうね。ただの嫌がらせを受けていて、そのせいでストレスから体調を崩す、という方もまあ、いらっしゃいますが」
「嫌がらせ……あー、藁人形毎日ポストにぶっこまれている、っておねーちゃんいたなぁ夏くらいに……」
「彼女は先の例に当てはまりますね。特に何の効果もない藁人形でしたが、毎日毎日『あなたを呪っています』とアピールされれば、気も滅入ります。ある種呪いが成立しているともいえる。超常的な作用ではなく、心理学的な作用でしょうがね。そもそも、呪われているのでどうにかしてほしい、ではなく、仕返しに呪い返したい、などという依頼はなかなかないです。ごく普通に興味深い」
「いやいやいやいや趣有りますねみたいな言い方すんなよどう考えてもヤバ奴じゃんよ」
「それでも依頼人ですからね。一応はきっちりと現状を拝見して、それで無理ならお断りするか他の方に流しますよ。あまり面倒な人間の依頼を不躾に断ると、僕を呪い殺したい人間がまた増えてしまいますので。このところは依頼に関するトラブルも随分と減ったんですがねぇ……春日くんが、命は大切にしろと言うもので」
「逆に聞くけどくろゆりさんは自分の命ないがしろにして、何優先させて生きて来たんだよ」
「何も。強いて言うなら復讐ですがこの話は混み入るので腹に力が入るときしかしたくないですね。キミも聞きたくないでしょう。ああ、でも、今は優先させているものはありますよ」
「やめろ、道端で口説く気だろ。これから仕事だろやめろ」
「……残念ですね。しかし、僕がキミに依存している、という事実をキミがすんなりと認めてくださっている事実は、何とも言い難い甘い感触がありますねぇ」
「口説くのやめろっつってんだろあと手握るのもやめろ」
「失礼。とても寒そうだったので。早めに仕事を片付けて、あたたかい珈琲でも飲みに行きましょうか」
珍しく今日は外食が多いな……と思ったけどそういやこの人たまにやたら外食したがる日がある。けど、法則とか見出したらまた一歩くろゆりさんの人生に踏み込んで沼って引き返せなくなるような気がして、何も気が付かないふりをした。
今更だ、と思う。俺だってそう思う。けどやっぱり、俺も腹に力入れる勇気がまだわかない。
手を振り払ってまた指を擦りながら、手袋やっぱり買おうかなぁ、と思う。いや持ってんだけどさ、ちょっといい奴。お洒落であったかいやつ。たぶんブランド物の高い奴。
お客さんからプレゼントされた高くてお洒落であったかい手袋してると、くろゆりさんが手袋の中に手入れてくるんだもんよ……キミが寒くなるなら僕はこの手袋を脱がすわけにはいかないけれど、キミの肌には触れさせたくないとかなんとか耳に直接ぶっこまれながら掌くすぐられてみろよ腰抜けそうになっからさ。
もういっそ百円でもいいから買おうかな。帰りに百均行こうぜって言おうかな。……でも、くろゆりさんがあの大衆向け売り場に突っ立ってんの、ちょっと笑えるかな。俺笑っちゃうかもな。
そんな想像をしているうちに、俺達は目的地に到着したらしい。
そこは住宅地のど真ん中にある、割合普通の一軒家だった。
塀があって、庭って呼べるほどの隙間は無くて、でも一応玄関の先には軽い柵の門があるような。俺の実家はもうちょい田舎だから庭付きの古い家だし、こっちの友達はみんなアパート暮らしだ。だからこういう『ザ・一軒家』みたいなやつはドラマとか映画とかで見る割合の方が高い。
ホラー映画で見るような、いかにも禍々しい家ってわけでもない。本当に普通の家。二階建ての、ちょっと薄汚れた感じのオフホワイトの壁が『普通感』をマシマシにしている。
くろゆりさんが塀に近づき、表札の下の呼び鈴ボタンを押す。これまた普通の、お洒落でもダサくもないとんでもなく普通の表札には、『中田』と印字されている。びっくりするくらい普通だ。
ドアベル鳴らした後に出て来た男性も、特徴上げる方が難しいくらい普通だった。まあちょっとやつれてるっていうか、目線がぎょろっとしていてなんつーか……いっちゃってる人特有の気配が漂ってないこともなかったけど。元からそういう顔なのかもしれないし、ちょっと仕事でお疲れなのかもしれない。
くろゆりさんが名乗ると、中田さん(たぶん)は、ふと表情を崩す。顔に感情が乗ると、一気に人間味が増す。どこにでもいるちょっと疲れたような雰囲気のおっさんになった。おっさんっていうかおにーさんっていうか、まあ三十代なんだろうな、って感じだ。
お待ちしていました、と中田さんは頭を下げる。
こちらはアシスタントです、とくろゆりさんが俺の紹介をする。
よろしくお願いします、と中田さんが再度頭を下げる。
こちらこそと頭を下げるべきだというのに、俺はと言えば、台所らしきスリガラス窓から透けて見える人影に意識持っていかれすぎて挨拶もそぞろだった。
霊感はない、と、いい加減言えなくなってきた。
まあ、ああいうのって移るっていうし。こんな仕事ほいほい手伝ってたら、たいして貢献していなくても体質がそっち寄りになっちまうのかもしれない。
俺は普段からそれなりになんかこう人間じゃないんだろうなあれ、みたいなモノを見る。たいしてホラーが得意でもなかったけど、実害なさそうなもんに関しては大概スルー出来る程度には慣れてしまった。嘘か本当か知らんけど、ああいうものって反応したら駄目だっつーし。
だからまあ、依頼人の後ろから黒い人影が覗いていて――とかだったら、ちょっと息を飲むくらいに留めたと思う。
この時の俺が笑えるくらいに動揺してしまったのは、スリガラス向こうの人影が、なんかものすげーアクティブに動いていたからだ。
白い服を着た女だと思う。なんとなく、長い髪の毛の輪郭がうすぼんやりと見える。身長が妙に高い。その背の高い白い服の女が、身体をゆするようにぶんぶんと、全力で、手を振っている。
ぶんぶん、ぶんぶん、全力で。
玄関横に立ったまま、そこから見える窓を凝視したまま動かない俺の手が、あったかいものにぎゅっと握られた。ふ、と息をしていなかったことに気が付く。ず、は、と肺に空気を満たす。耳元でくろゆりさんが大丈夫ですかと囁く。うん、まあ、生きてはいるよと答える――その合間もずっと、その女はぶんぶんぶんぶんとにかく高速で、全力で手を振り続けていた。
いや、なんか。……幽霊とかそういうものって、あんまり速く動くイメージがないもんだから。
じっとりと動く。気が付けば後ろにいる。瞬きすると消える、現れる。このイメージにとらわれていた俺は、まるで生きている人間のように活動するソレに、すぐに対応できない。
……いや生きてる人間か?
あれ、ちょっと変なテンションになっちゃってる奥さんとか?
と思うものの、隣のくろゆりさんが俺の視線の先をたどり、目を細めて怪訝そうにしたので『あーうっそあの元気な奴俺にしか見えてねーの?』って事に気が付いてしまってちょっと泣きそうになった。
「……春日くん、何か見えていますか?」
「え。えー……? 逆に聞きてーし泣きてーよなにアンタアレ見えてねーの嘘でしょ生きてる人間だって言われた方がなんぼかマシなんすけど……」
「何かが窓の内側に立っている、ような、気がしないでもないですが……どうも、この家は雑多な感覚がして僕には向いていませんね。ちなみに何がいますか?」
「全力で手ふってる女」
「随分と愉快なものが見えていますね」
「愉快なわけあるかよチクショウ……アレが、その、あー……呪い?」
呪いをかけられたから、仕返しをしたい。
確か、そんな依頼だったはずだ。
だとしたらアレが、中田氏が誰かにかけられた呪いの正体なのだろうか。そう思った俺がくろゆりさんに手を引かれながら玄関に入ると、玄関の奥にも女が立っていて手をぶんぶん振っていた。
今度はうっすらと表情も見える。そんなに遠くないのに、なんでかうっすらとしか認識できないのが意味不明だが、女はなんつーかバキバキに笑っていた。
目をカッと開いて、ほっぺたを針金で持ち上げたみたいに、わざとらしくて狂気的な笑い方だった。
思わず一歩下がる俺の腰を支えて、くろゆりさんが優雅に廊下の奥を掌で指し示す。どうやら今度は、くろゆりさんにも見えているらしい。
「アレが、中田さんが受けた呪いにより発生したものでしょうか」
バキバキに笑いながら手を振る女は、徐々に体を傾けていく。ぐ、ぐ、ぐう、ぐうううううう、と、しなる竿のように、いや人間そうは曲がらんだろう、って感じで身体を曲げる。バキバキに笑いながら。手をぶんぶん振りながら。
疲れた顔のオッサンこと中田氏は、ちょっと困ったように廊下の先をちらりと見て、それから何故か少し申し訳なさそうに――笑った。まるで、ちょっとだけ恥ずかしい身内を紹介するように。
ひどい違和感が襲う。脳で考えるより先に、鳥肌がぶつぶつと立つ。
「ああ、アレは■■■さんですよ。今回の依頼とは関係ないので、どうぞおかまいなく。それで、呪いの件なんですが、実は半年前に部署が変わってから生活環境が一変してしまいまして……元来、外交的な性格ではない私は、職場で少し浮いているという自覚はありました。それでもまさか、こんな理不尽な扱いを受けるとは……」
「失礼、もう一度、アレの名前をお聞きしても?」
「ですから、■■■さんです。どうでもいいことですよ。それで、今ではすっかり不眠で、食欲も落ちてしまっているんです。パートの女性から頂いたお土産に、私だけ呪詛の札が貼ってありました。きっと遠山さんの子分なんでしょうね。遠山さんは私が近づくと露骨に呪詛を吐くんですよ。あの言葉を聞くと、吐き気がして、黒いものが喉をせりあがってくるんです。遠山さんのせいで、神社にもお寺にも行けなくなりました。少し調べたんですが、呪いというものはかける方にも随分な負担になるそうですね。だから最近、食事をしていないのかな……昔はデスクでお弁当を食べていたそうですが、今は社内で何かを食べたりしないし……あ、どうぞ、スリッパはそちらの物を好きに使ってください。私しかいませんからお構いなく。一番奥の物は■■■さんのものなので、触らないように礼をしてください」
三度、その名前らしきものを聞いた。
確かに、中田氏は口にした。
耳に入った瞬間はきちんとした音なのに、なぜか、思い出そうとすると一瞬で意味を失った。
滔々と言葉を垂れ流す中田氏は、サッとあの女を避けて奥の部屋に移動する。いつの間にか直立に戻っていた女は、今度は頭を左右に振り出した。
どうぞ、と中田氏は促すが、俺は一歩も動けない。
「……春日くん、無理ですか?」
囁くように、くろゆりさんが俺の耳に口を寄せる。
大丈夫か駄目かなんて明確だ。明確だし、あの女はたぶんマジで駄目だし、中田氏もたぶん、まじで、もうだめだ。
「…………あのひとを、呪ってんの、……遠山さんじゃなくて、アレ、じゃね?」
アレ。俺達には聞こえないし、発音できない名前のアレ。中田氏しか名前を呼べない、なんだかよくわからないバキバキの笑顔の背の高い女。なぜか中田氏は認識しているのに、当たり前のように無視している、アレ。
俺がその言葉を口にした瞬間、バキバキ笑顔の女は急にでかい声で怒鳴った。
「もうどうしようもないですよおーーーーーー! 仕方ないことですからあーーーーー!」
いやに低い、男の声だった。見た目はどう見ても女なのに、アレは、男の声でにこやかに怒鳴る。
「みんな諦めたことですからあーーーーー! 仕方ないことですからあーーーーーー! 順番ですからあーーーーー! どうしようもないですよおおおーーーー!」
中田氏の目の前だとかそんな事考えている余裕もなく、繋いだ手に力を込める。この声も、くろゆりさんに聞こえているらしい。とりあえず出ましょう、と声をかけてくれたくろゆりさんは、中田氏に一言断りさっさと俺の背中を押してくれた。
どうしようもないですから。諦めたことですから。仕方ないことですから。順番ですから。
罵声のように繰り返される男の大声に、耐え切れずに耳をふさぐ。意味なんてわからない。わかりたくないし、わかったらまずいと思う。
玄関から一歩外に出ると、罵声のような大声は気持ち悪いくらい一瞬で聞こえなくなった。その代わり、窓という窓が一斉にがらりと開き、そこから乗り出した白い服の女が手をぶんぶんと振る。ぱっと見三人いるけど、みんな違う顔をしていたのが地味に嫌だと思う。……一体じゃないのかよ、アレ。何人いるんだよ、アレ。
――中田某、一体何に憑かれちゃったんだよ、アレ。
「……大丈夫ですか?」
無意識にへたり込んでしまっていたらしい。気が付けば道路の端でくろゆりさんに支えられていた。
「大丈夫なわけねえだろ何だアレ……」
「わかりません、とお答えするしかないですし、わかったらまずいものの類でしょうね」
「わかってんじゃねーかよクソ! なんで巻き込んだんだよクソ! ぜってーヤバいじゃんアレ!」
「いえ、僕もまさかあんなものと同居していらっしゃるとは……。どうも、言動がおかしいな、とは思っていたんです。ただ、あのように気の弱そうな方ですから、何かストレスになるような事柄があり、精神的に疲れてしまっているのかな、と予想していました。実際に霊障が多いのは自宅だといいますし、お話を聞いても呪いの種類や霊障の種類がどうも滅茶苦茶で一貫性もなかったのでそれでは一度お宅を拝見しましょう、という話になった」
「……くろゆりさん、名前、わかった?」
「いいえ。聞き取れませんでした。春日くんは聞き取れましたか?」
「わっかんねーよあんなん。わかったら駄目だろあんなん。どこで拾ってきたんだよあんなん!」
「さあ、僕は彼の会社と同僚の愚痴しか拝聴していませんので、なんとも……しかしそうですね、玄関先にアウトドア用品が置いてありましたね。釣り竿らしきものもありました。登山用の靴も。海も山も、街の中とは別のルールで存在しているモノが多いですからね」
海で拾ってきたのか。山で拾ってきたのか。それとも、単に偶然にそこらへんで背負ったのか。
「くろゆりさん、アレ、除霊すんの?」
なんにしても今のところ『やばい』ということしかわからない。あんな風に明確に言葉を投げかけてくる奴ってのは、そうそういない。完全におさわり禁止案件だ。
うーん、と涼しい顔で唸ったイケメンは、困ったように眉を落とす。さらっと『断りましょう』と言われると思い込んでいた俺は、ちょっとだけ嫌な予感に身構える。
「断りましょう、と、言いたいところですがあまりにも明確に憑りつかれていますよね。見たところアレは家から出られない様子ですから、まずは寺にでも隔離して様子を見る事から始めてみましょうか。……春日くん、大丈夫ですよ。一人では対処しません。他の方に投げる、というような感じですから」
「なんか、最近、依頼人に対して甘くねっすか?」
「どうでしょうね。僕は昔から自分の命に危険が及ばないものに関しては、なるべくは依頼を受ける事にしていますし、やりとげる努力はしていますよ。選好みしていては場合によっては生活費も稼げなくなりますから」
「おえ……霊能者のシビアな経済事情聴きたくない……」
そりゃ定期的に収入がある仕事じゃないだろうけど。言われてみればくろゆりさんの生活は割と質素だ。服はいつもノーブランドの真っ黒な奴だし、寝室もいたってシンプルな家具しかない。
……いっそ俺に金があれば、くらいまで考えたところでいやよく考えなくても俺、金なさ過ぎて除霊費用を身体でお支払いしているなうだったわ、と思い直した。
やっぱり、現状『なるべく一緒に行動する』くらいしか、俺ができる事なんてないんだろう。
「とりあえず僕はもう一度中田さんにお話してきますよ。詳しくはまた後日打ち合わせを、という流れにします。春日くん、少し待っていただければ一緒に帰れますが……先に、おひとりで帰りますか?」
「え。待つよ。ちょっとあのー、二百メートルくらい距離取りたいけど」
「では先ほど通り過ぎたコンビニで待っていてください。僕もなるべく早く引きあげます」
コンビニなんかあったっけ。まあググれば出てくるか。
そう思ってくろゆりさんに手を振って、息を吸って吐いて立ち上がる。ぐらり、と地面が揺れる。霊障ってやつにぶつかった時、俺はどうも吐いたり倒れたりと身体にダイレクトアタック食らう事が多くていやだ。
貧弱だし、なんの知識もないし、むしろ邪魔してるとしか思えないけど。それでも俺が足かせっていうか、重しっていうか。……引き留めるものになれればまあ、それはそれでいいか、と思うので。
よいしょと立ち上がった俺の後ろから、小学生らしき男子三人がわいわいと歩いてくる。え、もう下校時間なの? 早くない? なんて考えながら、携帯出して近隣のグーグルを開いた、その時。
「あー■■■さんじゃん!」
小学生が声を上げる。
思わず、振り返った俺の目の前で、三人の男子は行儀よく中田氏の家に向かい腰を折って頭を下げていた。……どう見ても、小学生男子の仕草じゃない。大人の、それも信心深い老人のような行動だった。
なにこれやばい。
もう怖いとかいう次元ぶっ飛ばしてただひたすらやばい、と思う。くろゆりさんと落ち合ったらぜってーに丸投げするように念を押そうと心に決め、グーグルマップに視線を落とす。
「……………うーわ」
俺は近所のコンビニを検索したかっただけだった。
ただそれだけだった。わざわざ番地入れたり最寄り駅から検索すんのめんどいし、と思って現在地検索のボタンを押した。
そしてそこに表示された現在地の後ろ。中田氏の住む一軒家の上にマーキングされた矢印の横に、『■■■の家』と表示されているのを見て、そっと携帯の電源ごと落とした。
なんだかわからないモノを、知るべきじゃない。
だから耳の奥に残るあの声も、どうにか忘れようと努力する。なんか楽しい事考えよ。そうしよう。と努力するものの、元来贅沢とは無縁の貧困人生に、楽しい豪遊思い出があるわけもなく、豪遊の予定もない。
……手でも繋いで帰ろうかな。まじで。
そしたらまあ、少しくらいはいろんなものがどうでもよくなるような、気がした。
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