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わらかのこ
お呼び立てしてすいません、と綺麗に頭を下げるおにーさんに、イエイエと手を振るのは割合本心だ。
自慢じゃねーけど俺ってば、それなりに愛想よくお世辞言ったり、口からポンポン適当な言葉を放り投げたりできる。なんだかんだと接客業長いからそりゃできる。しかしながら、今日の俺は本気で迷惑だとかめんどいだとか思っていなかった。
これも自慢じゃねーのだけれど、俺は友達が割と少ない。
そんでその少ない友人の中に、目の前で申し訳なさそうにココア啜るおにーさんはぶっこまれているわけだ。勝手に。いや友人、だと思う。たぶん。うん。……そうじゃなくっても、友達のパートナーなんだからそりゃ、多少は親切にもなるって話だ。
「いやーまじで気にしないでいいっすよ、俺今日オフだし。てか今うちの店、内壁の工事中で短期休暇中でくそみたいに暇だったんで。くそみたいに暇だったからってわけじゃないけどこの暇時間に杜環サンの新刊読んだんで後でサインおねだりしていいです?」
「え、あ、え? そ、れは別に構いませんが僕なんかのサインで本を汚しちゃうと古本屋で売れなくなりますよ……?」
「売りませんってのー。相変わらず絶妙に弱気っすね。駅前の本屋なんか山積みでしたよ、『幽霊探偵マコト』フェア」
「……ありがたいことです、けど、そのー。いまいち、売れているという実感が薄くて、つい……」
「つーか杜環サンこそ忙しくねーの? なんか顔色悪くねっすか?」
ご相談があるんですが、なんて堅苦しい文面で俺を――というか俺とのろい屋をお呼び立てしたおにーさんこと、今日も青い顔した気弱そうなイケメンこと杜環先生は、普段より数トーン暗くなったような顔色でうっすらと息を吐く。
気弱を擬人化したような人だけど、実はこの人、普段は割合健康だ。作家ってやっぱ昼夜逆転なの? なんてどうでもいい話題を振った時に、杜環サンの思いがけず健康な生活を垣間見てしまった。
朝起きて夜寝る。三食自炊して食べる。一日に一回必ず外出して買い物や用事をこなして少し歩く。風呂はお湯を張ってゆっくり入り、ストレッチをする。体重は毎日記録する。
絵に描いたような健康生活に、ぶっちゃけ若干引いた。いやだって、今時そんなどこのサムライなの? って感じじゃんかよ。修行僧なの? とつっこんだ俺に、当の修行僧作家は『一回生活サイクルが狂っちゃうと、本当に自堕落が定着しちゃうので』と苦笑した。
杜環サンは自他ともに認める根暗だ。礼儀正しい好青年だけど、明るく元気とは言い難い。けど、現代稀に見る健康生活野郎なので吐きそうな程げっそりしている、なんてことは稀なわけだ。
……まあ、今は吐きそうな程げっそりしていらっしゃるから、俺が眉を寄せているわけである。
「体調ヤバい系っすか? つかしんどいなら喫茶店じゃなくって、杜環サンちとかくろゆりさんの事務所の方が良かったんじゃ?」
「あ、いえ……出歩くのが、キツイ程ではないんです。体調不良というかただの寝不足なので……」
「ねぶそく。……杜環サンが?」
「蓼丸さんと同じ反応をしますね、椿さん。はい、あの、まあ、僕自身も寝不足とか、あまり経験がないもので、お気持ちはわかります」
「あー……なんかやばげなモンと、遭遇しちゃった系?」
「……本当に毎回ご迷惑をおかけしてしまって……」
「いや全然。って俺が言うのもアレだけど、ほら、仕事っすからあの人は。杜環サンきちんと毎回料金払ってご相談してんだし、普通に良客だと思うんで気にしないでいいと思いますよ。たぶん。つか俺はマジでいつもただの野次馬だけど、杜環サンが元気になるなら結構いつでも駆けつける気合はある」
「……椿くんはいいひとだから、って蓼丸さんが良く言ってますけど。本当に今実感してます」
いや俺ホント別に霊感……ない、とは最近言い切れなくなってきたけど、幽霊祓ったり浄化したりなんざできねえし、マジでくろゆりさんの付き添いでしかない。そんな俺がただちょこんと座っているだけで感謝される謂れもないのだけれど、その旨もごもごお伝えすると、青白いイケメンはふっと目を細める。
おお……今の顔ちょっといい。蓼サンこういう顔好きなんだろうなって思って微妙な気持ちになる。
「椿さんは、なんというか……からりとしていて、気持いいんです。お話していると、じめっとした空気とか気持ちが乾いていくような気がして。あと、僕は時折一人で黒澤鑑定事務所の方にお伺いする事もありますが……やっぱり、椿さんと一緒にいるときのくろゆりさんの方が、僕は好きです」
「…………アレ、そんな目に見えてテンション変わんの?」
「変わりますよ。勿論普段から真面目な方ですが。こう、柔らかくなるというか……やっぱり、乾いてふかふかになるような感じです。椿さんはなんていうか、あー……太陽? に近いのかな?」
「え、ちょ……やだ……恥ずかしいを飛び越えて痒くて死にそうになっちゃう……」
実際ちょっと顔がかーっとしてきた。
いやー褒められ慣れてないのよ俺。そら毎晩オッサンとかオネーサンとかに椿ちゃんかわいいね~とか美人~とかいい子~とか言われまくってるけど、それはほら、坂木春日っつーか椿ちゃんの話しだ。
杜環サンは蓼サンと同じように俺を椿と呼ぶ。
けれど、このおにーさんが見ているのは、ドレス着て化粧してお世辞で武装した俺じゃなくって、本当にただ好きな事を口からだらっと零しまくるただの坂木春日だ。
……やだ、マジでちょっと嬉しいかもしんない。
そういや年上の友達って蓼サンくらいしかいないし、蓼サンって年上っていうか『ああいう生物』みたいな感じだし。ちゃんとした年上の友人に、キミっていい子だよね、と面と向かって褒められちゃうなんて体験、初めてかもしれない。店ではねーさん方が褒めてくれるけど、やっぱそれはそれ、これはこれだ。
青白い杜環サンの向かいでうっかり浮かれちゃいそうになって、……いやいやいや世間話に花咲かせるために呼び出されたわけじゃねーだろ俺、と思い出して姿勢を正す。
冷たい珈琲をずぞっと飲む。黒いストローを経由して喉に届いた珈琲は、少しだけ、俺の熱を奪ってくれる。
「あっぶね~……本題入るまえに絆されるとこだったわー。杜環サンあれよねータラシよねー」
「え。え!? え、いや、初めて言われました、けど」
「言葉がストレートだからよくねーなー。絶対嘘つかないって思うからバシーンって来てクラっと来ちゃうわー。蓼サンがやられちゃったのなんかわかるー」
「……そんな風に言ってくださるのは、そのー……キミたちだけ、です」
青白い顔に少しだけ精気が戻った、気がする。
俺の言葉ごときで杜環サンがちょっとでも元気になるなら、やっぱ今日ノコノコ出てきて良かったな~なんて思ってたら、後頭部に馴染んだ声が落ちて来た。
「僕が言うのも何ですが……お二人で座っていると、なかなか目立つものですね」
さらり、とした感触の声だ。振り向かなくたって、その声の主がスラッとそこに立っている事くらいわかる。今日もどうせサラッとしたイケメンフェイスに、怪しい黒づくめファッションを纏っているんだろう。
全然久しぶりでもなんでもないので、わざわざ挨拶したりしない。それはくろゆりさんの方も一緒で、イケメンは杜環サンと軽く挨拶をしながら当たり前のように俺の隣に腰を下ろした。
いや、つーか、一番目立つ男に言われたくないセリフじゃなかった?
そう思ってちょっと睨むと、やっぱり黒い薄手のショールカラーカーディガンを羽織った黒づくめの呪い屋は、息を吐くようにふっと表情を緩めた。
「僕は他人の『普通』という感覚に鈍感なので、僕の感覚がどの程度一般的なのかわかりませんが。少なくとも何人かの女性はこのテーブルを気にしていましたよ」
「えええ……杜環サン顔ばれしてんじゃねーの? ほら、最近ネットで記事になってなかった? 噂のイケメンラノベ作家みてーなさぁ……」
「ラノベ作家……」
「ショック受けるとこそこなんだ……?」
「新作シリーズが人気ですからね。僕は実話怪談シリーズもすべて拝読していますが、『逆さまと貝の木』が好きですよ」
サラッと微笑むイケメンの顔を直視してしまったらしく、杜環サンの青白い顔が一気に赤くなる。おおお……くろゆりさんの顔面を意識する人って、結構わかりやすい反応すんだなーなんて、興味深く観察してしまった。
依頼人は大概幽霊騒ぎでイケメンどころじゃないし、道行く人はくろゆりさんの格好を見てドン引くからだ。そんで俺くらいになると、顔面三十センチあたりでほほ笑まれても、最早赤面なんてしない。
いや口からぶっ放される言葉によっちゃ、ぎゃーとかうわーとかしちゃうかもしんないけど、無言でニッコリされた程度じゃ『またなんか企んでんのかこの糞野郎』くらいにしか思わないわけだ。
熱を冷やすように冷たいココアをずるずると飲んだ杜環サンは、はあーとひとつ息を吐いて、改めて背を伸ばした。
「……実は、お二人にご相談がありまして。お察しの通り、あまり、その……普通のご相談ではないんです」
「――藁、でしょうか」
一瞬、空気が固まった。
ああ、と零れたのは杜環サンの声だ。口から思わず零れたって感じの、嫌な音だった。
「違ったらいい、と、……思っていたんですけど。見えるものでしょうか」
「いえ、僕は相変わらず目はよくないです。悪い、と言ってもいい。なので、僕の目に映っているものは恐らく杜環さんと同じ、特に変哲もない景色です。ただ、匂いがしました。湿った藁のような、匂いです。仕事柄、藁人形なども直に拝見する機会も多いもので」
いやそんな禍々しいアイテムをサラッと『よく見るからね』みたいに言われても。すげえ嫌なんだけど。嫌なんだけど突っ込むタイミングじゃないことはわかっていたから、グッと黙って顔面蒼白に戻っちまった杜環サンに視線を戻す。
意を決したように杜環サンが差し出したのは、スマホの画面だった。そこには写真が表示されている。
「簡潔にお話します。実は先週、読者を名乗る人物から編集部経由で僕宛に、荷物が届きました。ありがたい事にファンレターと一緒にプレゼント品をいただくこともあって、物が届くこと自体に特に違和感は覚えませんでした。実際担当編集の方も、よくある贈り物だと思ったそうです。ですが僕は、頂き物に関しては前科がありますから……」
「あー。……赤い女のアレ」
「はい、その、ソレです。霊障の話は伏せてありますが、担当編集には不審なファンレターをいただいた旨は報告してあります。あれ以降くろゆりさんのアドバイス通り、僕の手に渡る前に、出版社の方で一応開封していただく手筈になっていました。だから、その箱を最初に開けたのは、僕ではないんですが……」
「拝見します」
「え。……ちょ、ここで? 見ちまうの? いいの? 事務所持ってかねーでいいの?」
「人が居る場所の方が、都合の良い事もありますよ。というか今事務所にこういうモノを持って帰ったら、キミが困るんじゃないですか?」
「………………」
確かに。いや、うん。……確かに、困る。
実は店の改装もとい微妙な連休あまりにも暇すぎて、ここ連日くろゆりさんの事務所、というか自宅に完全に入り浸っていた。朝から晩までどころか、普通に連泊している。暮らしているも同然なので、そりゃ変なモノ持ち込まれちゃったらイヤだ。普通にイヤだ。
「……つかその読者サーンからの贈り物(仮)、やっぱなんかそういう、ヤバい奴なの……? 藁人形、とか?」
「藁人形といえば、まあ、そうなのかもしれませんが」
なんか杜環サンの言葉は歯切れが悪い。
藁、送りつけられてきたもの、呪い屋にご相談、なんてキーワドから連想されんのはもうドンピシャ藁人形でしょうがよ。他に何があんの、と思ったんだけど。
スマホの写真には、箱に入った何かが写っている。
確かに、『藁人形といえば藁人形と言えなくもない』としか言い難い何か、だった。
……藁人形って言われて想像するのは、あのなんつーか昔の納豆の包みみたいなさ。大の字になった人間みたいな形の藁の束だろう。
しかし紙箱の中にあったのは、大の字の人形じゃない。
馬か? と思った。木とか藁とかで作った四足歩行の動物に見えた。お盆の野菜の馬みたいな、なんかああいうイメージだ。
けれどよくよく眺めて、その藁の束が何を表しているのはわかった。
「……左手……?」
たぶん、手だ。人間の左手。
勿論、粘土で作ったみたいに精巧じゃない。無理矢理束ねられて、なんとなくそれっぽい形にしてあるだけの、不気味な人の手の形をした藁。
その掌の部分に、きったねー紙が一枚ぺらっと貼り付けてある。
赤い筆字はよれよれで読みにくい。読みにくいが――。
「か、の、こ……?」
そう、読める。ひらがなで『かのこ』。他の字には見えない。
「……なに、これ」
至極まっとうな疑問を口から零した俺に、目の前の杜環サンは心底しんどそうに首を振る。
「わかりません。手紙なども何もついていなかったそうです。いたずらだろう、ということで編集部の方で処分しようとしたのだそうですが、まあ一応記念に、と写真を撮ったという話で……それだけで終わればよかったんですけど」
「不可解な事が、起きたということでしょうか」
「……はい。夜、耳元で、声がするんです」
囁くような、笑い声がするのだという。
あーそれ、嫌なやつだ、と思う。思ってつい、眉が寄ってしまう。
霊障って奴にいまだに慣れない俺だけど、一番イヤなのは『音』系統だ。目を瞑ってしまえば、目の前の景色は、一旦は全部消える。けれど、音って奴は排除する事が難しい。耳をふさいだところで、完璧な無音にはならない。
「起きているときは聞こえません。横になって、目を瞑ると耳元で笑うんです。それでもどうにか目を瞑っていると、そのうちに笑い声が言葉になっていく。……何を言っているか、わからないんです。何かこう、喚くような声なんですが……ざわざわ、がやがやと、音はするしそれは確実に言葉なのに、聞き取れなくて」
「それが、一晩中続くわけですか」
「はい。……流石に、寝れなくなってしまって」
そりゃ確かに寝不足になる。しかもその耳元の声の被害者は、杜環サンだけではない、という。
「出版社の人間も二人程、同じ被害に遭っているそうです。生憎と信心深くない僕の担当者は、特に何の異常もないそうなんですが。バイトで入っていた女子大生と、たまたまその日出入りしていた印刷会社の方が、どうも同じように気持ち悪い体験をしているとのことで……」
「感染した、というよりは無差別なのでしょうね。拝見する限り、既存の呪術ではないとは思います。詳しく調べてみましょう。こちらの現物はもうすでに処分されているのでしょうね」
「はあ、そのようです。なので、一層どうしたらいいのかわらかなくて……もう捨ててしまった藁人形を、どうにか手元に戻してお祓いするわけにもいかないですし」
「今ごろは焼却炉で燃やされてすっかり跡形もないでしょう。承りました。それでは他の被害者の方にもお話を伺えるようなら伺い、杜環さんは本日僕の事務所に宿泊してください」
え。と、声を出したのは俺と杜環サンだった。
俺達の怪訝な視線を受け、珍しくくろゆりさんがたじろぐ。
「……なんですか、お二人とも。現在も霊障を受けているのでしたら、それがどんなものか確かめなくてはいけない。そしてそれは夜、横になってから訪れる、と言うのであれば、勿論夜を呈しての仕事になるでしょう」
「え、あ、まあ、そらそうなんだろうけど。くろゆりさん、いっつも相手の家にどかどか乗り込んで泊るじゃん?」
「それは通常の依頼人の場合です。僕の事務所は住居を兼ねていますので、気軽に依頼人を泊めたりはしませんよ。僕が外泊した方が早い。ただ、杜環さんの家は少々、面倒な呪がいくつかかけられていますので、ただでさえ鈍い僕の感覚がさらに鈍ります」
面倒な呪、というのは、赤い女避けと、憑女避けの呪ってやつだろう。とことん『家に襲ってくるもの』を引きつけちゃう人なんだな、と哀れに思う。素直に同情する。
同情するものの、やっぱくろゆりさんちに杜環サンが泊るっての、なんとなく不思議というか、なんつーか、あー……。
「……納得できない?」
なんかフッと甘い顔になった男に首かしげられて、腹立ったし図星で死にたくなったし、俺よりも杜環サンの方が赤面してたし、わけがわらかなくってテンパって素直に『ウン』とか言っちまって、イケメンを軽率に喜ばせちまった。
「最近のキミは、本当に僕に、甘い。軽率に調子に乗ってしまいそうになる。よろしくないですね、そういう発言はできれば他人の目がない場所でお願いしたいものです」
「いやいやいやいや人の目とかアンタ気にしてねえじゃん手を掴むな近いっつの待て、外、ここ、外……っ、と、杜環サンが見てる……ッ」
「背徳的な響きですね。人前で、という特殊性癖はありませんが恥ずかしがるキミは大変よいものです。ああ、大丈夫ですよ。杜環さんと春日くんの友情にヒビが入るような行為は勿論慎みます。僕は快楽よりも春日くんの信頼を優先させることにしていますので」
「いや口から全部出てる時点で信頼も何もあるかよ変態……」
「キミが、この程度の失言で僕を見放さないという自信くらいはあるんです。……最近気が付いたのですが、キミは、照れると目を伏せますね」
「ほんと、あの、待って、マジで、杜環サンが、くっそ気まずいだろこれ」
「あ、いえ、その……参考になります……」
何の。何の参考だよ。てか参考にすんなこんなクソヤバ変態野郎の発言参考にすんな。
「それでは、杜環さんは一度ご自宅に戻っていただいて、後程事務所に来ていただく手筈で参りましょう。僕は先に事務所に帰り、少々調べものをしています」
それでは後程、なんてサクッと席を立つものだから、俺と杜環サンは慌てて伝票掴んでくろゆりさんを追いかけた。
なんとなく入った、普通の喫茶店だ。老舗って感じでもないし、コーヒーショップって程軽くもない。
喫茶店を出て、人もまばらな歩道に立って、駅ってどっちだっけとぐるりと視線を回した――ところで、俺とくろゆりさんはとっさに、杜環サンの腕を引っ張った。
「……う、ぁ……ッ!?」
どん、と杜環サンがくろゆりさんにぶつかる。というか、抱き支えられる。
「………………大丈夫ですか?」
「え。え? 何、が……いま、車道の方に、僕を引っ張ったの、は、」
「あー……なんか、藁っぽい感じの手の、女が、ぐいっと、うん」
「…………嘘。え、あの……もしかして、僕、わりとやばいんでしょうか……?」
「さて、どうでしょう。どのような呪なのか、僕は存じませんが、『杜環先生』へ宛てた物だったのならば、明確な感情をダイレクトにぶつけられているのは杜環さんでしょうから。……それが憎悪なのか、好意なのか、わかりませんが」
あー……なんとなく。後者じゃないかな、と思ってしまう。思うだけで言わないけど、俺は後者かなって思う。
藁の手の女は、楽しそうに、嬉しそうに、にたにたと笑っていたから。
作家なんて難儀な職業だ。毎日一生けん命引きこもって作品作って、そんで山ほどいろんな感情を受け止める。好意も、嫌悪も。難儀な作家センセイはマジで顔面真っ青になったまま、息を落ち着けるように吸って吐いた。
くろゆりさんに抱き着いたままなので、なんかこう。……いや、世間の目はそこまで気にはならんけどさ。どう見ても具合の悪いイケメンを介抱してる図だし。
気になるのは俺のくそみてーな感情の方だけだ。
「…………くろゆりさん、杜環サンにはわりとやっさしーのね」
じと、と視線を上げると、珍しくぱちぱちと瞬きをしたイケメンは、本当に珍しく驚いたまま、ぼやっとした声を出す。
「僕がキミの他に興味のある人間ですから、それは確かに贔屓をしてしまいがちですが。……それはともかく、僕はいままで、嫉妬はするのもされるのも面倒だと思っていました。しかしながらそれは間違いですね。訂正します。キミの嫉妬は狂おしい程甘――」
「外だーーーーーっつってんだろ! この! 口ゆるメンズ!」
「緩いのはキミに関しての感情だけですよ。それに今僕は杜環さんを介抱しているのでキミを口説いているとは誰も……この図はどうなんでしょうね? 三角関係?」
「見えるわけねーだろ馬鹿はよ杜環サン離せ。杜環サン大丈夫? 落ち着いた? 歩ける? イケメン殴ってもいいんだよ?」
「あ、いえ、あの……お二人と一緒だと、本当に、その、参考になります……」
「いやマジで何の参考か知らんけどやめたげて?」
ふと、笑った気配がしたから、とりあえずは大丈夫だろう。息を吸い、吐き、杜環サンは礼を言いながらくろゆりさんから離れる。その時に杜環サンの後ろの襟をグッと掴もうとした手を、俺は容赦なく払ってくろゆりさんの手を握った。
いやあんなもん、素手で払うもんじゃない。つかこの人マジで変なモンに憑かれすぎなんじゃないの。人柄なのか職業柄なのか……とにかく難儀だ、ということだけは確かだ。
「ところで春日くん、本日は泊って行きますか?」
「え。何それ、俺も除霊に付き合えってこと?」
「除霊まで行くかどうかはわかりませんが。というかキミの洗濯物、先ほど干したばかりなのでまだ乾いて無――」
「やめろ。路上で生々しい同棲生活の一端みてーなもんを暴露しだすのやめろください」
「業務連絡のようなものじゃないですか。キミが買ったベーコンも冷蔵庫の中にありますし、僕としてはキミが居てくれた方が楽しいです」
諦めにくくなる、と、言わなかった。
……それだけの事がなんかこう、グッときて、杜環サンとか他の通行人とか一瞬忘れて心の底から『馬鹿』と言ってしまった。
馬鹿。そんな嬉しそうな顔で口説くな。勘違いどころか普通に嬉しくなんだろ、馬鹿か。
仕方ねーから、みたいな顔で俺も泊ってやる旨を告げながら。
……鼻の奥につん、と香る、湿った藁の匂いは、徹底的に無視をすることにした。
ざわざわと煩い。耳の横で、誰かが笑っているような気がする。
ふと、かのこってのは女の名前じゃなくて、子供の名前だ、と思ってから、なんでそんな事を思うのか気味が悪くなったからくろゆりさんの手をぎゅっと握りしめた。
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