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いりみだれののろい

「気味が悪いんですよ……普通に迷惑ですし」  そんな風に眉を寄せる気持ちは、まあ、わからんでもない。  わからなんでもないが、今日も今日とて何故か呼び出されてくろゆりさんのお仕事に同行している何もできねえアシスタントモドキこと俺は、依頼者とは別口の辟易感を味わっていた。  どこにでもあるようなありふれ過ぎてコメントに困る、普通のこじんまりしたアパートだ。  その外通路、玄関扉の横にある小窓――たぶんキッチンスペースの窓じゃね? って感じのところ――のまわりを囲むのは、べったべたに張り付けられたお札らしき紙切れの群れだった。  さっきおざなりに忍田です、と名乗った依頼人は心底迷惑そうに、そして心底不安そうなそぶりで視線を落とす。 「定期的にあるんですよね。その、都度お願いしてますから、勿論黒百合さんはご存じだと思いますけど……でも、最近特に頻度が増してきていて……。ただの悪戯だと思うんですけど、気持悪いじゃないですか」  どうも聞いた感じ、『何者かに部屋の外壁にお札を貼られる』という、何とも迷惑な被害に遭っているらしい。  うーん。……ま、あるんじゃねーの? と思う。  隣の部屋の騒音がうるせーからお経流してやったとか、嫌いな奴に藁人形送り付けてやったとか、そういうのは嫌がらせとして一定の効果があるように思う。オカルトっぽいやり口のストーカーがいてもおかしくはない。犯人が人間だとしても、それ以外のモノだとしても、普通にこえーしうぜーし勘弁しろって思う気持ちはよくわかる。  よくわかるし、くろゆりさんに依頼してるってことは単純なストーカー行為とか迷惑行為じゃなくて、そういうアレなんだろうけどさ。……問題は、というか、俺が勝手にうえーっとしているのは忍田嬢からバシバシに駄々漏れているイケメンへの好き好きアピール臭の方だった。  異常気象のド真夏真っただ中だっつーのに、今日のくろゆりさんは相変わらずの真っ黒仕様だ。  いい加減視覚的な異変に慣れてきて、逆に黒い服以外を着ていると『どうしたの? 具合悪いの? 今日なんか特別な儀式でもあんの?』と不安になるまでに調教されてしまった。  青い空、セミの声、滴る汗、生ぬるい心霊スポットと真っ黒いくろゆりさん。これぞ夏だぜ~みたいな気持ちになる。絶対にやばい。夏の訳がない。でもここ最近の俺の夏は大体心霊スポットとくろゆりさんで構築されてるから、イメージの塗り替えが起こっても仕方がないと思うわけだ。  俺はなんつーか、見慣れてしまったわけだけど、ヒトによっては怪しさマックスの真っ黒仕様なんざどうでもよくなる程、まあ、……くろゆりさんの顔面のレベルは高いんだろう。  顔を見た瞬間、あからさまにテンション高くなる女も多い。まあね、俺だってね、ふらっと店に来た女の子が超タイプだったら『お、ラッキー!』くらいには思っちゃうし、接客のテンションだって上がっちまうと思う。悲しいかな、人間なんてそんなもんだ。  けど、くろゆりさんとこの依頼人って結構マジで藁にもすがるタイプが多くて、いくらイケメンだとは言え、流石に仕事中に迫ったり口説くような人間はいなかった。  みんな、恐怖現象に耐えられず、黒澤鑑定事務所の扉を叩く。  くろゆりさんの顔面がいかに優れていようとも、霊能者と恋愛関係ワンチャン! と思う人はいないんだろう。  と、思っていたのだけれど。  うーん……忍田ちゃん、もう、すげえわ。  すげえあからさまにくろゆりさん狙いだわ。  休日だと言ってたけど化粧はばっちりだし、ネイルだって昨日しっかり塗り直してきました感がすごい。俺はオフの日は落とすからセルフネイルだけど、普段も女子仕様のねーさん達はネイルサロンとかでしっかりしたやつキメてくるから知っている。アレは絶対に昨日バッチリサロンでやってもらった爪だ。絶対にそうだ。微塵も伸びてねーし。  服装だってナチュラルに女子! 絵に描いたようなOL! って感じで『いやアンタ絶対その格好で部屋で寛がねえだろ? 無理だろ? それちょっとデパート行くときの服だよな?』と言いたくなる。言わんけど。髪の毛セットしてないのが不思議なくらいだ。  普通の男が見たら、普段から小ぎれいにしているきちんとした女性、って感じなのかもしれない。  でも女性雑誌ガン見してブランドとか化粧品とか割とチェックしてる俺からしてみれば、アンタそんなビシッと決めてどこ行くの……? 今日なんか勝負日なの……? っつー状態なわけだ。  くろゆりさんガチ勢ってマジで存在すんだな……。  いやそら、いるだろうなぁとは思っていた。けど、本気で仕事中のくろゆりさんを落とそうとしている女を、俺はこの日初めて見たのだ。  プライベートな時間ならともかく、だ。  いやくろゆりさんにプライベートなんかあんのかよくわかんねーけど(部屋に居る時は大体ぼんやり本読んでたり映画観てたりするだけだし基本この人外出しねーし)、仮にも今は仕事中。そう、依頼人には心霊現象、もしくは呪いに関する悩みがある筈なのだ。  ……そっちを横に置いといてくろゆりさんにラブアタックってやばくね? もしかしてこれ全部狂言じゃね?  よく見たらお札の字、よれよれだし。紙もこれ半紙っつーか百均のわら半紙って感じだし。  そう思ってまじまじと札を眺めていると、いつも通り誰に対してもさっぱりと挨拶をかます男が、忍田嬢にもさっぱりと挨拶と聞き取りを済ませて俺の隣にするりと並ぶ。 「……随分と熱心に見ていますが、春日くん、何かお分かりになりますか?」 「ん? ……うーん。いや、流石ににわか知識しかねーし、これは○○神社の○○神のお札! とかは勿論わっかんねーけどさ。けど、そのー……宗派バラバラかよってことくれーはわかりますよ……」 「そうですね。見事にバラバラです。こちらは修験道。こちらは陰陽道。ええとこちらの端のものは……うん、僕も初めて見ますね。どこかで流行ってる新興宗教か何かの札でしょうかね?」 「…………あー……?」  待ってそれ俺見覚えあるなんで……と思ったがなんてことはない。最近見たアジア系ホラー映画に出て来た呪いの札にそっくりだ。  っつーことを、小声でひそひそ、くろゆりさんに耳打ちする。  背中に突き刺さる忍田ちゃんの視線がくっそいてえが、まあ普通の人間は俺とくろゆりさんが爛れたよろしくない間柄だという事実に気が付くわけもないはずで、ここは堂々と『まるで霊能者のアシスタントっぽい俺』を貫くつもりだ。 「ああ……そういえばきみ、先週ホラー映画五本立てしてましたね。僕の寝室で」 「うっさいよ。それに関しては悪いと思ってますよ! だってしゃーねーじゃん!? 『今度お店で夏のホラーナイト企画やろうと思ってんのよー椿ちゃんそういうの詳しいんでしょ? 参考になりそうな映画とか動画、チョイスしといてもらえない? ね、お願いよ』なんて言われたら断れねーだろ! 常葉ねーさんなら断ったけど桔梗さんにはノーと言えねえんだよ俺たちは!」 「ホラーナイト企画……コンジアムはまあ、わかりますが、ミッドサマーは何の参考にもならないのではないですかね」 「だってレビュー見てたらやべえっつーしあんなん気になんだろ! 確かに参考にはなりませんでした! いやそれはどうでもいいんだっつの、だから、えーと……」 「少なくともこの札に関しては、完全に創作物を参考にして作られている、ということですね。……とにかく宗派関係なく、なんでもかんでも貼りつけるという人はいますが、流石に映画の小道具にご利益を求める人は稀有でしょうね」 「……じゃあ、やっぱ悪戯?」 「という話なら、楽なんですが」  ……おっと含みのある言い方しやがるな。しかも珍しく歯切れが悪い。  サラッとしたイケメンフェイスでいつでもスパッと言葉を叩きつけるのがくろゆりさんだ。  そのなんとも言い難い若干の苦笑気味の顔、珍しすぎてガン見してしまう。  たぶん普通のヒトが見たらいつものイケメンサラサラアルカイックスマイルに見えるだろうが、俺レベルの黒澤鑑定事務所常連になると、貼りついた笑顔に浮かぶ絶妙な違和感にも気が付いてしまうわけだ全然嬉しくないですね。  神妙な顔で顎に手を当てたくろゆりさんは、いかにも慎重に霊現象を観察している霊能者っぽい。 「まあ、とりあえず中に入ってみましょう。これがどういう効果を持っているのか、外から見ただけではわかりませんから」 「え。中? 入んの? ……俺も?」 「外で待っていたいというのならば、それでもいいですが。個人的にはぜひ春日くんに見ていただきたい。きみは、僕よりも目がいい」 「そうでもねーだろ所詮若干見える気がする程度の一般人だよ……」  と言いつつも、仕方ねーなと同行してしまう俺はあからさまにくろゆりさんに甘い、と自分でも思うけど今回は『そんなに言うなら仕方ねーな手伝ってやんよ』というドヤ顔感情以外にも、『いやいやいやあんなバッチリおまえ狙ってる女と二人きりにさせるかよ馬鹿かよ馬鹿死ね馬鹿』みたいなアレがあった。  …………うるさい。わかってる。お前そんな、付き合ってないとか言っておきながら? って言われるのは百も承知だ。でも嫌なもんは嫌だし、湧き上がる感情なんてモン、俺にはまだ制御できない。  イライラと外で待つくらいなら、一緒にいた方がいい。  そう思った俺は、まあ、大体直後にその判断を後悔するのが常なんだが――この時も、玄関先で一歩も動けずに半笑いで固まってしまった。  後悔。……もうさぁ、そもそも、俺なんかが付いてくるべきじゃないんだよ。わかってる。だって俺は別に霊能者じゃない。霊媒師でもないし除霊もできないし呪い屋の弟子でもアシスタントでもない。ちょっとジュンク堂に並んでるオカルト本をパラパラめくったくらいの、ちょっと最近実話怪談とかホラー配信チャンネルを眺めているくらいの、ライトな傍観者だ。  どうぞ、と忍田女史に先導されて玄関スペースに立った俺は、後悔と吐き気と頭痛で思わず口を開き、本当に吐きそうになってその口を左手で押さえる。  右手は、反射的にくろゆりさんの手を握っていた。  叫ばなかった俺はえらい。とてもえらい。称賛されていい。  ……そのくらい、目の前に広がる光景は異質だった。 「すいません、今日お二人で来るとは聞いていなくて……黒百合さんの分しかお茶請け、用意できてないんです」  申し訳なさそうに頭を傾げる、その作り笑いの女の後ろのローテーブルに何が乗っているのか、俺にはわからない。ケーキなのか饅頭なのかお茶なのか花瓶なのか、俺にはわからない。  だってテーブルの上には、首の長い男が正座していたから。  それだけじゃない。トイレと思しき扉の小窓には、白い顔がべったりと貼りついている。玄関横のキッチンの床は女の生首が転がっている。ワンルームの部屋の天井からは、腐った白い裸体が吊られるように揺れていた。 「坂木さん……でしたっけ? 冷たい紅茶しかないんですが、大丈夫ですか? もし他の飲み物がよければ、今からでも買いに行きますけど……」  おかまいなく、と俺は言えただろうか。そうですか、と忍田さんが言った気がしたから、きっと俺は会話ができていたのだろう。  少しだけ面倒くさそうに、忍田さんは冷蔵庫を開ける。くろゆりさんの為に冷やしておいた紅茶を、良く知らないアシスタントである俺に分け与えるためだろう。  開いた冷蔵庫の中では、身体をバキバキに折り曲げた女が黒いぽっかりと空いた目と口で笑っていた。  くろゆりさんが囁く。  見えますか? と囁く。  いや見えるもなにもねーよと言う意味を込めて手を握りしめ、ガクガクと小刻みに頷いた。 「ちなみに僕には二つしかわかりません。台所と机の上ですね。あとは天井にうっすら、なにか、ぶら下がっているような気がしないでもない。他にはなにかありますか?」 「と……トイレ、窓……と、冷蔵庫……」 「ああ。……あの中にも居ましたか。食品がすべて真っ黒に染まって見えたのはそのせいか」 「くろゆりさ、あの……何、ここ、あの札、悪戯じゃ、ねえの?」 「さて、どうでしょう。たとえ悪戯だったとしても、作用してしまうものはあります。作法さえうまくいけば、発動する呪いもある。素人が見よう見まねで作ったロボットも、うっかりうまく回線が繋がってしまえば恐らくは動きます。やり方が間違っていても、その目的が違っていても、呪い自体は発動する。遊びであるこっくりさんが多くの心霊現象を招いているようなものでしょうかね」 「…………目的って、」  何。  そう言おうとした時、キッチンの小窓にサッと黒い影がかかった。  思わず反射で視線をやった先、お札まみれだった小窓から覗いていたのは、髪を結い上げた古臭い風貌のおばさんの顔だ。  何とも気味の悪い、にたにたとした顔。  化粧っけのない目をにゅう、と細めたおばさんは、スローモーションのようにゆるやかに口を開ける。その口から出たのは、気持悪いくらいに低い男の声だ。 『いまなんじぃ?』 「午後の三時ですよ。あ、すいませんどうぞ座ってください。座布団、もう一つご用意できなくて申し訳ないです」 『いまなんじぃ?』 「午後の三時だってば!」  そう叫んだ忍田さんは、さもうるさいと言うように小窓にカーテンをかけた。そして俺たちに向かって振り向き、はにかむように笑う。何事もなかったかのように、笑う。 「やっぱりお菓子、買ってきた方がいいかな……この辺、スーパーが遠くて、コンビニになっちゃうんですけど。お茶もちょっと足りないし……」 「どうぞ、僕たちのことはお構いなく。ところで先ほどの小窓の件ですが……」 「ああ……でも、いつも通りの悪戯だとは思うんですよぉ……お札って言っても、なんだか子供の落書きみたいだし。実際、私の部屋には何の異変もないですし……」 「なんの異変も?」 「うん。はい。うーん、たまにベランダがちょっと臭いかな……くらいで……」 「……なんの異変も、ないですか」 「でも、やっぱり怖いじゃないですか。下手にはがすのも、怖いし、だから黒百合さんに来ていただけると、すごく安心するんです。……あ、お茶の用意もありますし、今度は会社の方も同行する場合は事前にご連絡してもらえると嬉しいです」 「気を使わせてしまい申し訳ない限りです。ですが今日は御札だけ剥がしてお暇しますので」 「…………え? でも……」 「実はこの後、急な仕事が入ってしまって、ゆっくりとお話を伺う時間がないんですよ。彼はその仕事の為のアシスタントなので、今後同行する事はないと思いますので。……ああ、見送りは結構ですのでそのままで。お札を鑑定しましたら、またご連絡しますので」  では、と颯爽と扉を開けて外に出るくろゆりさんを慌てて追いかけ、俺はやっと口から手を離して息を吸う。  ……言いたいことがありすぎて、逆に言葉が出てこない。  宣言通り、小窓のまわりのお札をべりべりと剥がして袋に突っ込むくろゆりさんに寄り添い、ちょっと迷ってから服の裾をぎゅっと握った。 「…………春日くん、随分と可愛らしい仕草ですが、散々僕には『外で口説くな』と言うのに、きみこそ外でそのような可愛らしい挙動を振りまくのはいかがなものかと思いますよ」 「るっせーよかわいこぶってるわけじゃねーよ微塵もねーよ、あんたの手握りてえけど忙しそうだし邪魔したくねーから仕方なく配慮してやってんだろうがよ……」 「今の発言が、可愛くないと思っているのならば僕ときみとの感覚は随分と離れていることになりますね。……冗談はともかく、怖いおもいをさせて申し訳ありません」  珍しく謝る言葉を連ねた後、さっさと袋の口を縛ったくろゆりさんは、さて行きましょうと歩き出してしまう。 「え。ホントにいいの? 放っておいていいの?」 「また来週にでも来ますよ。その時に換気をして、多少塩と酒を撒いて札を貼り直します」 「……なんなの、あの人」  何が原因なのか、何が何を呼んでいるのか、そしてあの女は結局何ものなのか。俺にはさっぱりわからない。  服の裾を掴む俺の手を丁寧に外してから、指を絡めて握り直したくろゆりさんは、速足で歩きながら静かに笑う。 「依頼人は忍田愛海。二十七歳の派遣社員で一人暮らし、独身です。彼女は定期的に――そうですね、大体一か月に一度程度の頻度で、僕に依頼をします。内容は『アヤシイ呪いの札のようなものが壁に貼られていて怖い』『ポストに藁人形が入っていて怖い』『帰宅したら部屋の壁に魔法陣のようなものが描かれていて怖い』といった、まあ、オカルト的なストーカーにあっているといった内容のご相談です」 「……いや、それ、こええだろうけど、それまず警察とかじゃねーーの……?」 「勿論、人間が相手ならば警察が第一でしょう。ですがご本人曰く、警察は警備を強めますと言ったまま、何もしてくれないとのことです」  なんか、ネットでよく見る文言だなぁと思う。ストーカーが怖いと訴えても、現行犯じゃないから見回りくらいしかできない。警察は何もできない。そういうコメントはよく目にするけど、昨今はストーカー被害だって認知されてるし、ビデオカメラ仕掛けるとかそのくらいの提案はしてくれそうだけどなぁ……と思った俺の疑問はバレていて、くろゆりさんは珍しく苦笑する。 「一通りの人間相手の対策の提案は僕もしましたよ。何と言っても住居侵入もしていますから。ただ忍田さんが言うには、警察は何もしてくれない。仕掛けたビデオは何度撮影しても画面が真っ黒で何も映らない、とのことです。そう言われてしまうと僕も専門外です、とは言いにくい。実際にラップ現象が起きたとか、夜中に女の笑い声が聞こえた等の実害があると言う話ですから、まあ、あの札やストーカーまがいのオカルト嫌がらせが誰の犯行であっても、とりあえずは彼女が被った霊的現象に関しての対策くらいは僕にもご提案できます」 「…………笑い声程度でどうにかなってんの、あれ」 「どうでしょう。正直僕はあの部屋で暮らそう、とは思えませんね。師匠がいたとしても、少し厳しい。大半の現象には慣れているとはいえ、押し入れから『開けて』と言われ続ける部屋は流石にげんなりしてしまいます」 「いや俺もみっちり女が詰まった冷蔵庫無理だっつの……あの人、霊感、ゼロなの……? え、でも、さっき、返事してたよな……?」 「自覚がないのかもしれませんね。もしくは、もうすっかりダメなのかもしれない」  なんか怖い単語聞こえて来た。  あんま知りたくない。知りたくない話だけど、足を突っ込んでしまったんだから、いっそ聞いておいた方がすっきりしそうだ。  くろゆりさんの人生に関わる腹を、なんとなく決めつつある。この人に干渉する覚悟を決めたんなら、もうこえーから知らねえとか言ってそっぽ向くなんて選択肢はねーだろう、って思うから。 「実は僕があの部屋を訪れるのは、忍田愛海さんが依頼するから、ではないんですよ」 「…………は? なんだそれ。……別に、依頼人がいる、の?」 「はい。僕が今日こなした依頼は忍田愛海さんからの『部屋の窓に札が貼ってあってこわいから見てほしい』という依頼ではなく、彼女の母親からの『愛海をどうにかしてほしい』という依頼の方です」 「えええ……なに、その、めちゃくちゃ抽象的なやつ……」 「正式に言いましょう。彼女の母親の依頼はこうです。『夜な夜な、娘の生霊が家の中を歩き回る。娘の元婚約者も同じような被害にあっていて、どうにかしてくれと泣きつかれた。婚約者の男性は非常に善良な人で、素行の悪い娘に騙されたようなものなのに別れた後もこのように苦しめてしまい心苦しい。何を言っても、娘は改心しない。親子の縁を切っても、娘の生霊は消えない。どうにか、あの子の生霊を消してほしい』。このような依頼です」 「…………………コメントしがてえ」  つーか忍田嬢、めちゃくちゃやべーやつじゃねーかよ。そんで元婚約者とかいう男に夜な夜な迷惑かけてんのに、くろゆりさんにも絶賛アタック中なの……?  いや、そういうメンタルだから、実の母親に縁を切られたりアイツどうにかしてくれって呪い屋に頼まれたりするのかもしれないけど。 「あー……つか、そういやくろゆりさんの肩書って呪い屋だよな……おかーちゃんはもしかして、くろゆりさんに娘を呪ってほしかったの、か?」 「どうでしょうね。まあ、彼女の生霊が母親のところに出ること自体が呪いのようなものですし、そういう意味では専門外とも言えませんから。実際にどうにもならなければ呪っても良かったんですが」 「良かったのか……」 「はあ。まあ、仕事なので。呪え、と言えばできなくもないですね。自発的にはしませんけどね、後の始末が面倒なので。ですが一応と思って霊感商法を装って彼女の部屋を訪ねたところ、どうも僕の外見が彼女の気を引いたらしくご本人から直接依頼が入るようになりました。先ほどのように」 「ああ……なる……。じゃあ、おかーちゃんのとこの生霊騒ぎは解決したわけ?」 「頻度は減っている、と伺っていました。それは良かったと思っていたのですがどうも最近、愛海さんの生霊が何か白いものを引きずっている、と電話をいただきまして。まあ、あれだけ部屋に飼っているならば、生霊にも付いて回るでしょうね」 「…………あれ、なんであんなお化け屋敷みてえになってんの?」 「悪戯でも、作法がかみ合えば、発動してしまいますので」  そう言ったくろゆりさんは、ふいに俺の手を柔らかく振りほどく。……珍しい仕草だ。くろゆりさんは基本的に他人の目を気にしない。気にしてたらそんな真っ黒スタイル採用しねえだろうし、デパートのド真ん中でも俺が縋れば嬉々として手を繋いでくれる。  なんだかんだべたべたするの好きらしく、普段から俺から離れるまでは基本的にくっついたままだ。  思わず身構える俺に、眉を落として笑う顔はなんかやったら柔らかい。 「……駅までは少し離れて歩きましょう。彼女が、ベランダから見ている」 「うっそぉ……えええ、超ストーカーじゃん……くろゆりさん何人飼ってるの……」 「僕がいい、だなんて物好きはそれほどいませんよ。恨みを買うことは多いですが、好意的な感情で付きまとう人間はあまりいません。どうあれ、僕が付きまとってほしいのはきみだけですし」 「いや手を離した分ちょっと甘い事言ってくんのやめろ。そういうのやめろ。つか、あのさぁ、……あの札、やっぱあの忍田さんの自作自演、だよな?」  だって部屋の中に、幽霊みたいなヤツがみっちり揺れる部屋の中に、なんか見たことある呪いの本とか見覚えのあるホラー映画とかが、重ねておいてあったから。  忍田愛海は、自分で札を書いて、自分で貼ったのだろう。  おそらくはくろゆりさんに依頼するため。  こんなに怖いの、こんなことがあったの、ねえ助けて、と言うためだけに、彼女は見様見真似で呪いのグッズを手作りし、そしてそれを乱用した。簡単に言うと、自分を呪ったのだろう。  そんでさっきからくろゆりさんも言ってるけど――きちんと手順を踏んでいなくても、偶然だとしても、作用してしまう呪いがあったのだろう。 「まあ、寄せているのでしょうね。顔を出す都度、それなりに除霊はしているつもりなのですが、どうも量が多い。次に顔を出す度に、どんどん増えている。彼女の言動も少しずつおかしくなっているのがわかります。……それでも僕はしばらく、彼女の母親の依頼を続けるつもりです」 「ふうん。……ま、仕事だし、仕方ねーよな」 「……僕に好意的な女性と、僕が会うことは、仕事だから仕方ない?」 「………………仕事だから」 「きみのその嫉妬を隠さない顔は非常にその……ああ、手を繋いではいけないんでしたね。危ない。うっかりキスをしそうでした」 「やめろ。俺にもとばっちりくんだろ。つかなんで俺今日同行したの? なんなの? 嫉妬させたい的な理由だったら流石に三日くらい顔見たくねーなってなるけど?」 「いえ、一応きみには承認しておいていただこうかな、と思ったもので」 「しょうにん」 「――僕は、今後も彼女の自作自演に付き合うつもりです。彼女の依頼は僕の気を引くためのものでしょう。実際にあの部屋が穢れているという事実はさて置き、僕は彼女の感情を承知の上であの部屋に向かいます。母親の依頼でもありますからね。そのことを、一応きみに伝えておこうと思っただけです。……僕は、きみに対してはできるだけ誠実でありたい。でも人間に対して誠実であったためしがないので、正直なところどこからどこまで明かしたら誠実なのかさっぱりわかりません。できるだけ、隠し事なくさらけだすしかない」 「……………不器用かよ……」 「不器用ですよ。誰かを特別だと思うこと自体、初めてですから」  眉を落とす、その顔は絶対にあの女にはしない顔だという確信がある。嫌な確信だ。だってやっぱ俺は嫉妬してるし、あんなの放り出しちまえばいいじゃん、と思っているから。  手を繋げたら、もうちょっと呼吸は楽だったのに。  早く駅についてもらわねえと窒息しそう、と思いながら、少し速足なくろゆりさんに置いて行かれないように歩く。  ……なんか後ろから低い男の声で『いま、なんじ』と聞こえた気がしたけど、……気のせいだと思うことにして、駅への道を急いだ。  手を繋ぎたい。そしたら怖くないし、俺はもうちょっと楽に息ができるから。

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