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鬼籍呪い
「故人を呪いたいんですけど、できます?」
唐突に切り出された不穏な言葉に、思わずパーテーションの奥で手を止めてしまった。
いつもの黒澤鑑定事務所奥、いつもの出勤前昼下がり、いつも通りだらだらとくろゆりさんの事務作業を手伝っていた時のことだ。
師走感ぶっちぎりマックスで多忙極まるド年末、俺は半分寝ているような顔でキーボードをカタカタ叩いていた。そんなにお疲れなら奥で寝ていては? と家主に不本意ながらも眉を寄せらせるも、『今寝たらたぶん起きないから気にすんな』と珈琲片手に可愛さのかけらもないガンを飛ばす。
繁盛期の俺がふらふらしてんのはいつものことで、そして他人にも自分にも基本興味なんて皆無かつ気遣いなんて言葉知ってんのか? って感じのくろゆりさんが、俺に対してだけ無駄な優しさを垣間見せるのは(すげーアレだしすげー嫌なんだけど)そんなに珍しい事でもない。
くろゆりさんは他人に一切興味がない。自分のことだって割とどうでもいいと思っているだろう。
でもどうやら俺はそのどちらとも別物らしく、やたらと優遇されるポジションにすっかり収まってしまっているっぽい。
何度かマジで心配されつつ、時々熱を測られつつ(体調悪いわけじゃねーっつってんのに信じねえ)、結局渋々といった感じで簡単な打ち込み作業を渡してきた。
いやほんとに具合悪いとかじゃねーんだよ。普通に元気なんだよ。ただ精神的にギリギリで、今日も仕事行くのだっるーーーーきっつーーーー忘年会シーズンの二次会の客の相手うっぜーーーーと思っているだけだ。
悪くない職場だと思ってはいるけども、見世物気分でやってくる酔っ払いの集団はまぁなんというか、推して知るべしって感じの面倒くささで満ちている。その上最近常連になった女子が良い感じに面倒くさく拗らせてきていて、鬼のように通知を表示するスマホを見るのも億劫だ。
ただでさえ寒くてメンタル死ぬのに、面倒くさいことがミルフィーユしていてしんどいがすぎる。
いつも通りの日常、いつも通りの閑散としているくろゆりさんの事務所はサイコーだよなぁなんて相当失礼なことを思っていたわけだが――久方ぶりに依頼者の面談に遭遇した俺は、呪い屋の事務所が最高な環境なわけなかったわー……と、あの黒いイケメンの本業を久しぶりに思い出していた。
くろゆりさんは呪い屋だ。そういう職業があるのかないのか知らんが、本人はそう自称している。
といっても最近は積極的に呪い案件に関わることは少なく(やるとしても呪いを解く方)、すっかり心霊お悩み相談室のような有様だった。
曰く、一人で生きているうちは自分の命などどうでもよかったけれど、今はきみが居るのであまり無謀なことはしたくないんですよ、とのことだ。
……最近呪い案件少なくね? とか聞かなきゃよかったし、馬鹿じゃねーのって一言くらい返してやればよかったよ本当に。実際の俺は口を開いたものの言葉なんか出てこなくて、『ヒ』と『イ』の間みたいな叫び声を喉の奥で鳴らしただけだ。
――理由はともかく、そういうわけで最近のくろゆりさんは『呪い屋、か?』みたいな状態だった。
屋号は『鑑定事務所』だし、呪いやります! みたいに銘打ってるわけでもない。その上一般の人間には霊能者も霊媒師も呪い屋もイタコもユタも陰陽師も、区別なんかついていないだろう。
それでも人伝にどう聞いたのか、誰それを呪ってくれという依頼はたまに舞い込む、らしい。人を介しての噂というものは、実際のチラシやネット広告とは違い、勝手に一人歩きしたまま訂正することも、削除することもできない。商売繁盛大変よろしいが、くろゆりさんの仕事が繁盛することを素直に喜んでいいのか、よくわからない。
とはいえ――この時の依頼主の言葉は、くろゆりさんにとってもあまり馴染みのないモノだった様子だ。
「故人――ですか」
顔は見えないが、珍しく口ごもっていた。言葉の端に小さく動揺が滲む。
おそらくは一見ほとんど変わらないようなサラッスラッとしたあのいつものイケメンフェイスを、ほんの少しだけ歪ませているのだろう。たぶん、初見の人間には気が付かない程度の変化だ。
「それは鬼籍に入った方、ということでしょうか」
「きせき……はぁ、はい、そう――死んだ人ってことです、ええ。できます? インターネットで調べた方法は、全然効いた感じしてなくて」
「できるかどうかというご質問でしたら、『出来る』とお答えいたします。しかし実際に効果があるかどうかに関しては、正直なところやってみないとわからないですね。何事もそうですが、心霊関係のご相談はたいていがケースバイケースですし」
「はぁ……ええとつまり、できるけれど、効果があるか保証はできない? ってことです?」
「仰るとおりです」
「……それじゃ困るんですけどね」
はぁ、と浅いため息が落ちる。
どうしようもなく無意識に零れるような息ではなく、あからさまに不満を訴えかけるために、わざと息を吸って吐いたような音だった。
ため息の主は、中年女性らしい。
硬質な、ちょっと刺々しい声だ。なんとなく痩せたキツイ顔の女性をイメージしてしまう。たぶんこれは俺の偏見だ。
「まずは詳しくお話を伺ってもよろしいでしょうか。故人に呪いを、ということは、現在その故人に何か悩まされていることでも?」
「まぁ、目障りといったらそうですね……正直、視界に入るだけでもストレスではあります。幽霊だなんて馬鹿馬鹿しい。気のせいだと思っていたんですけど、実際に何人もの住人からクレームが入っているわけですから」
なんとなく要領を得ない喋り方をするご婦人だなぁ、と思ってしまう。こういう人はうちの客でもいるけど、なんてーか主語が無かったり、要点が前後していたりと、聞いてるこっちが頭を使って疲れちまう。
しばらくこっそりと耳を傾けて、おばさんの話を整理した結果、彼女の依頼内容がようやくはっきりした。
彼女はアパートの管理人をしている。要するに大家というやつだ。二年ほど前、その管理している部屋のひとつで、一人の老婆が死んだ。孤独死ってやつだ。一階の角部屋で、隣室も空室だったことから発見が遅れた。ド真夏に死んだ老婆は、見つかったころには『ドロドロに溶けた何か』になっていたという。
……金がなくても特殊清掃バイトは絶対にしない、と心に決めている俺は、思わず冷えた珈琲を戻しそうになる。ある程度幽霊的なものには慣れてきたつもりだ。それでも、心霊現象にたまに付随する何とも言い難い腐臭にはいまだに慣れる気がしない。――時折うっかり遭遇するくろゆりさんの『師匠』の臭いも、一生慣れないと思う。
溶けた老婆は独り身で、遠方に住んでいる親類は遺体の受け取りを拒否した。賃貸契約時の連帯保証人には連絡が取れず、法定相続人も遺産を放棄したため、結局特殊清掃費用は大家の女性が負担するはめになった。と、ここまでは本人曰く『まあ、いいんですよ』とのことだ。
「ホントは、もっとちゃんときれいにしてね、再度貸し出すのが仕事なんですけど。……どうせ他の部屋も余ってるし、わざわざ大金かけて床貼りなおさなくたって、貸さなきゃいいじゃないと思ってね、まぁ、そのままにしてあるんですよ。封印しちゃった、っていうか」
なんと、大家の女性は老婆が孤独死した部屋を清掃せず、『開かずの間』にしてしまったという。
あー……まあ、経営者としてはわからんでもない判断だけど、人としてどうなの? って感じだよな。
一応遺体は片付けましたけどね、というその口ぶりからは、体液の掃除等は適当に済ませてしまったことが伺える。……おそらく、開かずの間の内部は、かなりひどい状態なのだろう。
そして異変は老婆が死んでから間もなく起こる。
「出るんですよねぇ、その、死んだババア」
言っとくが、原文ママだ。
「生きてるときからへらへらしててね、うざい婆さんだなって思ってたんだけど。作りすぎちゃったからって煮物とか、ジャムとか持ってきたりね……私、そういうもの食べないからって何度言っても聞いちゃくれないし。そのくらいニコニコもらっておけばいいじゃないって思うでしょうけどね、面倒なんですよ――ウチの生ごみが増えるだけだし、タッパを洗う洗剤だって勿体ない。第一、最初からちゃんと私は『いらない』って言ってるんですよ。ね? こっちは悪くないでしょうよ。でもね、持ってくるの。何度言っても何度断っても、善意ですよって顔して持ってくるの。いっそ目の前で捨ててやればよかったんでしょうけど……あの時はね、私もまだそこまで鬼でもなかったし、一応お客さんでしたから。捨ててやればよかったんだわ、本当に」
そして死んだ後も老婆は、生前のニコニコとしたあの善意に満ちた笑顔を張り付けたまま、以前生活していたあの『開かずの間』の中に出るのだという。
「窓からね、外をぼけーっと見てるんですよ。一階のキッチン窓なんかすりガラスだから、本当に最悪。ぼんやりとした白い人影が浮かんでる様なんて、夜に見たらそりゃ腰を抜かしますよ。あのババアのせいで、二階の女の子は引っ越ししちゃうし、隣の家からは何度も苦情入れられるし、その上ネットには事故物件? とか書かれて、変な若い子とかがうろうろするようになって。もう本当に迷惑しっぱなしなんです。かといって中にはもう入れませんからね、ひどい状態でしょうし、私も開ける気なんかないし。仕方ないから補修に見せかけて窓を外から塞いだんですけど、そうすると今度は外に出始めた。挙句、夜に私の家のドアチャイムを鳴らすんですよ。……いつも、作りすぎたって言って料理を押し付け来た時みたいに」
ドアチャイムが鳴る。すりガラスの玄関の向こうには、見覚えのある小柄な人影がぼんやりと浮かんでいる。どうみてもあの老婆だ。
単身赴任の夫と離れて暮らす彼女は、代わりに出てよと誰かに押し付けることもできない。結局恐々と玄関を開けるが、そこにはだれもいない。ただ、うっすらと何かが腐ったようなにおいが漂うだけだ。
「何か訴えたいんですかね? でもね、どうしようもないですよ。別に私はババアの家族じゃないし、ただ部屋を貸していただけの他人なんです。遺骨だって別にうちにあるわけじゃない。私が私の持ち物である部屋をどうしようが勝手でしょう? それに、他の住人も何度も見ているんですけど、……なんだか楽しそうにいつもニコニコしてるっていうんですよね、あのババア。死んだことに気が付いていないんじゃないの? って最近ね、思ってきて……こんなに憎らしいのに、ただただニコニコしてやがるの、腹が立ちません? もうね、呪ってやろうかなって思って。ね。だってあのババア、たぶんそこまでしないとこっちの気持ちなんか気が付きもしないんですよ――」
以上が、依頼主のご事情と依頼内容だった。
途中呼ばれてお茶を出した時、ちらっと横目で確認した彼女は想像どおりの痩せぎすの身体をしていた。きっとキツイ目をしたおばちゃんなんだろう。
まずは一度物件を拝見してから――的ないつもの適当かつふわふわとした内容の初動を妙に自信に満ちた態度で告げつつ、初回の相談は終わり、依頼人は帰路についた。
残ったのは一口だけ手を付けられた緑茶と、若干強い香水のにおいだけだ。
「……え、何、今の依頼受けんの?」
来客用のソファーに座ったままのくろゆりさんは、俺が手渡した新しい珈琲を口に運びつつ書類を眺めている。どうも、先ほどの依頼主が持ってきた賃貸物件の間取りのようだ。
「特別こちらから辞退するような案件でもありませんので。故人に対して呪術を使うかどうかは置いておくにしても、心霊案件ですからね。まあ、どういう状態になっているのか拝見して、依頼主の玄関先にお札を貼るくらいはできるでしょう。それだけでもそれなりの収入にはなりますよ」
「えー……あんま関わんねえほうがいい感じすっけどなぁー……」
「そうはいっても、選り好みをしていては仕事になりませんからね」
「つか、『死人を呪う』なんてことできんの?」
「わかりません」
出た。くろゆりさんの伝家の宝刀『わかりません』。
この呪い屋はマジでこういうところムダに素直だ。依頼人に対してはまあ多少は言葉を飾るものの、基本スタンスは『わからないものは素直にわからないと申し上げる』がくろゆり流だ。そういう意味では悪徳詐欺師とは違い真面目に霊能者をしている、と言えなくもない。霊能力ほぼねえけどこのひと。
珈琲が入ったマグカップをことん、と置いたくろゆりさんは、美麗な顎に指をあてると、全人類の八割くらいが見惚れそうな美形フェイスをほんの少しだけ傾げる。
「――探せば前例はあるのかもしれませんが、パッと思い浮かびません。前例と言っても、平安時代の誰それが、という話になってしまいそうですね。少なくとも現代で、故人を呪うというような儀式はメジャーではないでしょう。基本的に、日本において故人は敬うものです。神聖なものを粗末に扱うと罰が当たる、という概念が基本的に沁みついていますし、一般の亡者だとしてもこの『神聖なもの』と『死んでしまった人』はたいてい同一視されますからね」
「あー……墓に悪戯したら罰が当たる、みてーな感じ?」
「それです。よくよく考えれば死ぬ前はただの人なのですから、死んだ途端に罰を与えるような身分になるようなこともないんですがね。宗教によってもこの辺の事情はまちまちでしょうが。ご先祖様、という言葉の妙な説得力は不思議なものです」
「はあ、まあ……ご先祖様を呪いたいなんて話はきかねーわな。でも死んでも憎い奴に復讐したいってなったら、実際に殺すわけにはいかないんだし、もう呪うしかなくね?」
「まぁ、そうですね……確かに、きみの言う通りではあります。探せば前例もあるのかな……それは暇を見つけて探してみましょう。まずは一回物件を拝見して――……春日くん?」
真剣に仕事の話をしていたくろゆりさんが、一瞬見事に動揺する。俺が唐突に膝の上に乗っかったからだろう。
「…………やっぱり、熱でもあるのでは? 僕が脅迫をしていないというのに、きみから密着してくるなんて何か――何か、この部屋に居ますか?」
「いやいねーよ。……俺今日マックス疲れてんの、マジで店が忙しすぎて吐きそうだし、クソ客の嵐だし、久しぶりに拗らせちゃん飼っちまってきっついし、心身共にくったくたなわけよ」
「年末のきみが異常に多忙で余裕がない、ということは重々承知していますが……ミルクシェルの繁盛状態に関して僕は関与できませんが、きみに執着する人間を牽制するくらいならばできますよ?」
「彼氏ヅラ作戦悪くねーけど若干遅かったんだよな~……察したねーさんたちがツバキちゃんはパトロンいるから~みたいにそれとなーく弄ってくれんだけど、全然効いてねーって感じだし」
「同伴しましょうか?」
「んー。……いや、いーわ。くろゆりさん刺されたら笑えねーし。つかくろゆりさんあんま実際の戦闘力なさそうなだし」
「失礼ですね、といいたいところですがわからなくもないです。筋骨隆々とは確かに言い難い。いざという時は僕を呼ぶより警察に駆け込んだ方が確実でしょう。とはいえ、きみの状態はあまり歓迎できるものではないですよ。……僕にできることがあれば、」
「チューして」
「……………は?」
あ、くろゆりさんってマジでびっくりすると一応人間っぽい反応すんだな。
疲れ切った脳みそは馬鹿になっていて、体裁とか一切忘れて『かわいー』と口から出そうになる。あっぶない。なんとか言葉は飲み込んだものの、身体も馬鹿になっていたから無意識にイケメンのシャツのボタンを弄んでしまう。完全に彼氏に甘えてるギャルだ。どう見てもまずい。いちゃついているゲイカップルにしか見えないだろこんなん、と冷静になって頭抱える羽目になるんだろうけど、この時の俺はマジのマジで疲れすぎてて目の前の栄養に食らいつく馬鹿だった。
体の栄養は食事と睡眠だ。そして精神の栄養は、ストレスの発散。疲れた時はそう、他人にべったべたに甘えたくなるものだ。
……相手がくろゆりさんなのはどうなのって話だけど、生憎と今の俺にとって一番親密な野郎はこいつしかいないし、今のところこいつ以外と親密になる予定もない。
疲れてるからしゃーない。馬鹿になってるからしゃーない。
そんな言い訳を並べたてて、俺はイケメンの喉仏に軽く口をつける。
「…………春日くん、きみが……そうでしたね、その、きみは、パニックになったときと精神的に摩耗しているときは、人肌を求めるタイプでしたね……」
「おい俺がビッチみてーな言い方やめろ。人肌って言うな。ちょっと甘やかされてーだけだっつの」
「その表現もどうかと思いますよ。僕なんかに甘やかされたい、などととち狂ったことを言うのは世界でおそらくきみだけだ」
愛の言葉みたいに怖いセリフを囁いて、甘い恋人みたいなキスをする。実際にはただの客同士なわけだけど(俺はくろゆりさんの除霊の客で、くろゆりさんはツバキちゃんのお客様だ)、なんつーか、馬鹿になってるからそんなことは考えない。もう言い訳もしない。
セックスでぶっ飛んでる時みたいに、何も考えずに舌を出す。息を追いかける。濡れた音を聞いて、体温の違いに熱を上げる。
「…………、ふ……………はー……しごといきたくねー……」
「……僕に言われたくはないでしょうが、もう少々雰囲気を考慮しては?」
「ロマンチックなセリフぶっ放したとこでここから夜景が見えるわけでもねーっしょ……」
「行きたくないのならば休んではいかがですか?」
「……一回休むとマジで出勤できなくなりそうだし、ねーさんたちに迷惑かけたくねーし、職場は恵まれてるから変えたくねー……」
「きみが存外にあの仕事を好んでいることは承知していますが……しかし僕はあまり歓迎していませんよ。大小あれど、他人の好意を集める仕事ですし、きみは人に好かれやすい。伸びてくる手を叩き落したいのは僕の事情ですし、現状そうするほかないのでしょうが、やはりいっそ人の目に触れされない方が確実なのでしょう」
「…………ん?」
待て。
待て待て、なんか不穏な単語が聞こえてきたぞ。
若干冷静さが戻ってきて、身体を起こそうとするもののがっちりとくろゆりさんにホールドされていて動けない。完全にべったべたにいちゃつくバカップルの体勢だ。
「待っ……え、なんか、拉致監禁? みてーな? 言葉が聞こえたきがしましたが?」
「拉致ではないし監禁する気もありませんが、そうですね、昔の言葉で言うならば身請けといったところでしょうかね。きみには借金は無いはずなので、生活費を全面的に援助するという形になりますが」
「……えーと、金を出すから店辞めろ的な?」
「理想と我儘を言えばそうなります。そのためにはまずそれなりの稼ぎがないと、と思いまして、多少仕事を増やしているものの、昨今の不景気ですからね」
「え。くろゆりさんが最近地味に忙しそうだった理由、まさかそれか!?」
「はぁ。まあ、そうですね。勿論監禁する気などないですが、完全にうちで雇うことができれば、ミルクシェルのお仕事は短気バイト程度の気軽さでご出勤できるのでは、と思いますよ」
まあそりゃそうだろうけど。……うちの店にも『週に一回くらいなんとなくシフトに入ることもある』程度のキャストはいる。店をかけ持っていたり、他の本業があったり、家庭があるタイプの人だ。
俺は万年金欠だから正社員扱いでフル出勤してるけど、バイトみたいな感じになればそら気分も楽だろうよ、と思う。思うけど、いや、あの……思うけどさ。
「………………おれを手に入れるために無茶して死んだりしたら元も子もなくね?」
「なるほど、仰るとおりです。ですがきみが感情をこじらせたストーカーに危害を加えられるくらいならば、多少の無茶くらいは仕方ないのでは? と思いますよ」
「怖い怖い。愛が重くてすげー怖い。つか自分を大切にしやがれよ、俺だってアンタに死なれたら普通に困るわ……誰がうちの除霊すんだよ左足また増えてんだからな……」
「もう僕の家に引っ越してくればいいのに」
「やだよ。安眠できねーんだよ。つか仕事増やすのは、あー……まあ、そりゃくろゆりさんの自由だけどさ。やっぱさっきのおばちゃんの依頼はあんま深入りしない方がいいと思う」
「…………何か、見えましたか?」
くろゆりさんは、あんま霊感がない。普通の人よかちょっと勘がいいくらいだ、って言っている。対する俺はやたらとそういうものがよく見えた。
さっき緑茶を出した時、俺は依頼主の顔を見た。でも、見えなかった。俺が見えたのは胸から下のちょっと骨っぽい身体だけで――顔の部分はべったりと老婆の顔が巻き付いていたからだ。
あ、やばい。完全にロックオンされてんじゃん。
しかも依頼主はニコニコ笑う老婆が……と話していたのに、彼女の顔に巻き付いているばあちゃんはなんというか、――ぞっとするほどの無表情だった。
憎しみとか、悲しみとかじゃない。何もわからないその表情が不気味すぎて、『あ、これもうヒトじゃない何かだな?』という感じがすげーした。
あんなものに巻き付かれている人間に、関わりたくはない。そして俺は――それが仕事だとしても――くろゆりさんにも関わってほしくない、と思う。
素直に先ほど見たものを告げた俺に対し、しばらく思案していたイケメンはスッと顔を上げると、『なるほど、では軽くお札を貼ってすぐにお暇しましょう』と言った。
「あ、やっぱ一回行くのね……」
「お約束してしまいましたからね。伝手をたどって来店される方がいるということは、悪い噂を流すべきではないということでもあります。一度受けた依頼を断るのはよろしくない」
「あー……じゃあ俺も行くわ……日取り昼間にしといて……」
「いいんですか? 僕としてはきみが居てくれたほうが――」
「諦めにくくなるんだろわーってるよ。嫌だけど行くっつの、あの婆ちゃんがなんであの人にあんな執着してんのか、どうせ現場見てもわっかんねーだろうし、死んだ人間の事情なんか理解できねーのも知ってるけどさ」
「仰る通りです。彼らの事情は、僕たちには何もわからない。だから僕ができることは、生きている側の要望に配慮することだけです。……ところで、春日くん、机の下には気が付いていますか?」
「は? 机――――ヒッ!?」
言われて初めて視線を落として、机の下から俺を見上げる目の無い女に気が付いた。
口からなんか黒い泥みたいなものをだばだばながしながら、何かをゴボゴボと呟いているが勿論何を言っているのかなんてわからない。わからないし顔がやたらと歪んでいるのに、それがあの俺を毎日悩ませている『拗らせ始めた常連の女の子』であることがわかる。
ゴボゴボした彼女は、ずるりっと後ろに引っ張られるように姿を消した。
思わずくろゆりさんにがっしり抱き着いてしまった俺は、しばらくその状態で息を整える羽目になった。
幽霊にはちょっと慣れてきたとか言ったな? アレは嘘だ。……顔に巻き付いたばあちゃんを見た時は悲鳴を上げなかったけど、さすがにあからさまに自分に害がありそうな霊障は怖さの度合いが桁違いすぎる。
「あからさまな生霊ですね。きみはやはり相当好かれているみたいですね。どうしますか? やはり休みますか?」
「…………しゅっきんする……」
「では、同伴しますね。断ってもついていきますよ。……心配ですから」
シンプルにそういう事言われるとなんて返したらいいのかわからん……。もっと適当に誤魔化せるような言葉だったらマシなのに、しかたねーからこっちもシンプルにさーせんありがとうございます、ともごもごと本心を口にした。
人の感情はわらかない。
あの依頼主の女性も、彼女に巻き付いていた無表情の老婆も、何を考えているのか、俺にはさっぱりわからないし、たぶん一生わからんだろうけども。
まあ、今俺がこの胡散臭いイケメンに感じている感情は、たぶん安心感とかそういうたぐいのもので、愛とか恋とかよりよっぽどめんどうくせえ間柄になっちゃってんじゃねーの? と、ちょっとだけ胃が痛くなった。
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