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【同人誌冒頭】はなめまいり

草履の女 坂木春日      1  お帰りなさい、と言われてついうっかりただいまと返してしまってから、はたと気が付く。  別にここは、俺の家でもなければ親しい友人の家でもない。勿論恋人の家でもないのだから、気安くお帰りーただいまーなんて言う必要はないのでは?  などとあまりにも今更な事実にぶち当たったものの、俺一人が言葉尻に目くじら立てて抵抗したところで、どうせ現状の何が変わるわけでもない。これもまた、再確認したくない現実だ。 「……春日くん、どうかしましたか? 杜環さんのお宅で、なにかまずい事でも?」  珍しく小忙しそうにパソコンに向かってカタカタしているイケメンは、今日も笑えるくらい真っ黒だ。  夏真っ盛り、黒い男と言えば普通はバキバキに日焼けしたアウトドアメンズを想像することだろう。  まあ、目を引くイケメンって意味では間違ってないだろうが、くろゆりさんは美白美女も裸足で逃げ出す程のきめ細かな真っ白美肌だった。加工アプリも真っ青だ。  いやマジでスキンケア何使ってんの? と、職業オカマ(ただし一応そういうアレはストレート)として一回本気で問い詰めたことがあんだけど、なんと『そこらへんの薬局で売ってる洗顔と化粧水のみ』という舐めた回答だったので、生まれ持った顔面偏差値とお肌の神に愛されしクソイケメンに殺意倍増になっただけだった。うそだろ神様、俺も洗顔のみでつっぱらない強い美肌がほしいよ神様。  顔面加工済みみたいなイケメンは、真夏だぞ正気かと普通の人間なら三度見はするだろう、全身真っ黒お洋服を今日もすらっと着こなしている。  黒百合西東、と名乗るこの怪しすぎる男は、黒澤鑑定事務所の主にして唯一の職員だ。  その仕事内容は、主に『除霊』と呼ばれるもの全般。  本人は『呪い屋』を自称しているが、実際のところ持ち込まれる仕事のほとんどが霊障相談だった。  まあ陰陽師だって祈祷と呪殺を一緒にやってただろうし、呪いと霊障も似たようなもんなのかもなーと勝手に解釈している。藁にもすがる気持ちで訪れる依頼人としては、縋る藁の厳密な種類などどうでもいい事だろう。金を払って助けてもらえるなら、イタコでもユタでも陰陽師でも呪い屋でも、どれだって一緒だ。  事務所の中には応接用のソファーとローテーブルのセットがひとつ、あとはパーテーションで仕切られたところにくろゆりさんのデスクと、おれが事務作業手伝う時用の机がポツンと置いてある。  ……いや俺が事務作業手伝う時用の机ってなんだよ……俺は別にこの事務所の職員でもなんでもねーが……? 夜のお仕事のおにーさんですが?  などと正気に戻ったところで、ストレスが増すばかりなので最近はあんまり考えないようになった。  文句を言おうが言うまいが、どうせ俺はこの事務所に通う羽目になる。  もうそれは確定している未来というか事実というか、どうせ変わらないんだから文句言っても仕方ねーよなぁ、みたいな諦めに近かった。  どんな言い訳をしようが、いい加減認めないと話が進まない事実がある。恋じゃねーしとか覚悟がねーもんとかそんなことをうだうだ連ねていても、やっぱり俺はこいつに『ここに居てください』と言われたら逆らえない。  坂木春日は、黒百合西東なんて怪しい名前で呪い屋を営んでいるイケメンがこの世から消えると、困る。そう、困るのだ。  困るから毎日ここに通ってしまう。  きみが居てくれると、諦めにくくなる。そんな物騒な事を言って笑うイケメンが、人生を軽く諦めちまわないように、健気に足繫く通っているわけだ。  ……でもなんか事務仕事の手伝いはしなくてよくね? とは思ってきたな……。暇だからなんかやることねーのかよって喚いてつい手を付けちまうんだけど、都度バイト代ほしい気がしてきた。  今日だって『すいません、午前中少し手が離せない用事がありまして、杜環さんの家までお使いに行ってもらえないでしょうか』と呼び出され、ハイハイしかたねーなって二つ返事で了解してしまったわけだけども――いや暇だし杜環サンのとこは普通に遊び行く感覚だから、いいんだけどさ。  それに今日は思いがけないサプライズがあった。水商売してりゃあ、有名人とか映画で見たことあるぞって人もたまには目にするけれど、今日の出会いはここ数年で一番テンションが上がった。  参考になるので、と言って、くろゆりさんはよくホラー映画やホラー動画をだらだらと視ている。参考ってなんのだよ、と思いつつも、流れているものはどうしても目を引く。  なんとなく横目で見ていたものが、そのうち真面目に見るようになっちまって、今は新作待ちのファンだ。  心霊万華鏡は、その中でも結構お気に入りの部類だ。幽霊(どうみても特殊メイク)を物理で殴るシーンが、一部でミーム化する程のカルト人気を博している、と思う。  怖い怖いと言いながらもいざとなったら幽霊をバシバシぶん殴るアイドル系演出補のミモちゃんと、無茶を言うディレクターからミモちゃんを守りつつ、どんなハプニングにも冷静に対処する荻佑さんのコンビが最高だ。  荻佑さんの煙草タイム(大体この時にミモちゃんに何かが起こって煙草放り投げて駆けつけることになる)もカッコよくて好きなんだよな。  画面まんまの荻佑さんは、なんかもう、なんかすごかった。語彙力。語彙力吸い取られた。わーホンモノ! ホンモノの荻佑さんじゃん!? え、ウソホンモノ!? みたいなミーハーテンションバリバリでサインをねだってしまい、正直引かれたと思う。あれはドン引いていたお顔だった。  でもだって、カッコよかったんだもんよ……。  サインもらっちまった上に、『荻佑さん煙草吸って(ハート)』というあまりにもアレすぎるリクエストに、なんかちょっと引きながらも応えてくれたあの人はマジで良い人だ。  良い人すぎてちょっと心配になる。無償で呪い屋の事務作業手伝ってる俺に言われんだから、相当だ。  荻佑さんの煙草吸う時の指かっけーんだよな……。もしかして俺、煙草吸うメンズ好きなのか……?  俺は吸わないし、そういや姐さんたちもあんまり吸わない。常葉姐さんはたまに吸うけど店では吸わないし、蓼サンも俺と一緒の時は吸わない。  くろゆりさんも煙草吸ってるところ見たことねえから、非喫煙者なんだろう。  煙草好きか嫌いかっつったら嫌い寄りなんだけど、それはそれとして煙草吸ってる男は絵になっちまうんだよな……。いや、嫌いなんだけど……でも荻佑さんは別っつーか……。  などと今日の出会いに感謝しつつ記憶を噛みしめつつ、スマホの画像アプリで書いてもらったサインをぎゅっと握りしめていたところ――。 「…………春日くん?」  目の前に、イケメンの顔が迫っていたことに一切気が付かずビビッて変な声出そうになった。 「……ッ、っくりしたぁ! ちょ、何、近……っ、ビビんだろ! 顔面ゼロ距離になんか出たかと思っただろうがよ!」 「普通の人は顔面ゼロ距離に何かが出る、などという想定はしないものですし、常日頃は出るとしてもこの事務所内ではおそらく出ませんよ。……きみ、今日は少し、様子が変ですね?」 「え、何、え? そんなこと、ない、っすけど」 「…………いつもと、何か違います」  俺が無駄に浮かれてんのがバレたの? と思ったけど、くろゆりさんの様子は思いのほか真剣だ。  瞬きを三回繰り返した後、若干不安になる。……この人は『視えますッ!』系の霊能者じゃないけど、それでもたまに妙に勘が鋭い時もある。  もしかして俺どっかでなんかヤバい奴ひっかけてきた?  杜環サンちに行くときの横断歩道?(そういや中央くらいに黒い婆さんが蹲っていた)  杜環サンの寝室を覗いていた赤い女?(でもあれ、毎回いるし、いつものやつだよな?)  杜環サンちで荻佑さんに書いてもらったサイン――の横に、彼が描きつけた、お札のようなもの?(もしかして、これ?)  なんかまずい奴だったのだろうか。あの模様。  くろゆりさんは過去に、『文字だけで発動する呪いはある』と断言している。文字の羅列の呪いがあるなら、絵や図形の呪いだって存在するだろう。  じりじりと不安になる俺の顔面三センチ向こうで、とんでもなく真剣な顔をしたイケメンは珍しく眉を顰めつつ、俺の頬をついと撫でる。  おま……その仕草普通に巷の女子にしたらセクハラだからなイケメン……ただしイケメンに限る、は過去のムーブメントだからなイケメン……。  やめろよクソ野郎って殴るんじゃなくて、普通にドキドキしちまってる俺に感謝しろよイケメン……!  などと二重の意味で逸る鼓動に、マジで不安になり始めた頃合いだった。 「――煙草の、においが、します」  唇ぶつかるんじゃねーのってくらい近くで、くろゆりさんがぼそりと呟く。  あ。そっち?  と、思った瞬間腰に回ってきた手が俺を拘束しやがる。とっさに逃げようとしたのが完全にばれていた。 「……ッ、ちょ……離せイケメンゴリラいてえんだよ加減しろ……!」 「蝶よ花よと愛でたとして、きみは容赦なく逃げてしまうでしょう? 僕が加減せずに抱きしめても『痛い』と喚く程度なのも、きみを気に入っている理由のひとつですよ」 「なにそれこっわ、急にどSサイコパスみてえな発言すんのやめてくださいませよ……」 「痛い事をしたい、という意味ではありません。どうも昔から僕は、様々な場面で人間的な手加減というものをうまく理解できていないものですから……きみは、どれだけ僕が非人間的でも喚いて許してくれるのでとても助かっている、という話です。ところで、煙草を吸うようなご友人とお茶でもしてきたのでしょうか。蓼丸さんは、今は九州では?」 「え、蓼サン今九州なの? マジで? 土産明太子食いたいって後でメッセしとこ――っと待て待て待て依頼人が! 二時から! 来るって! 言ってなかったかこのクソ変態野郎手ェ放せ腰は俺の、性感帯だッ!」 「存じておりますよ、きみが暴れるので仕方なく腰を固定しています。依頼人は数分遅れるそうなので、まだ余裕はありますね。さて、僕はきみの問いに答えましたから、次はきみが僕の疑問に答えてくれる番ですよ。……きみが、喫煙ルームで休憩した、とは思えません。煙草の匂いは苦手な筈です。どなたと、どこで、何をしてきたのでしょうか」  拘束、というか、これはもうがっちり抱きしめられていると言っても過言ではない。そんなびっちり密着している状態で、耳に入ってくる男の言葉はどんな世迷言だよって感じの詰問だ。  だってこれ、アレじゃん。  どう聞いても、アレじゃん! 「し……嫉妬乙……」  ひねり出すように最後の抵抗の言葉を吐きだすものの、拘束が弱まることはない。  むしろなんかギュッとさらに強く抱きしめられていてえよさすがにいてえっつってんだろ馬鹿イケメンゴリラ加減しろと本気で背中を叩こうとして、俺をぎゅっとしてるゴリラがなんかやたらめったらあっついという嫌すぎる事実に気が付いてしまった。  …………おいやめろ、このタイミングで照れんのやめろ、変態ゴリラは最後まで変態を貫けよ急に乙女イケメンになるのやめろと思う。 「嫉妬……ああ、なるほど、どうも妙に虫の居所が悪いな、と、自分でも不思議だったのですが……うん、確かに。これは嫉妬ですね」 「感情を知ったロボット感出すのやめろ……あんたそんなエモい存在じゃねーだろ。もうちょっとエグい存在だろ」 「言葉の定義が正確には掴めませんが、エモいかエグいかと言えばそれは勿論後者でしょう。僕の人格と人生に、共感や同情は一切ありえないでしょうから。ところで僕の感情に個人的に納得はしましたが、きみにはまだ僕の質問に答えていただいていません」 「杜環サンとこに来てたお客さんが喫煙者だっただけだよ。ほら、くろゆりさんも知ってんでしょ、心霊万華鏡のカメラマンの荻佑さん」 「――グロリオサのスタッフの?」 「それ」 「またどうして、不思議な組み合わせですが……ああ、書影や出版物繋がりで、ご縁があるのでしょうかね。なるほど、それできみは煙草のにおいが染みつく程、彼と懇意にお話していた、と」 「あの、痛……ちょ、まじ……答えたんですけど……離し、」 「素直に答えたら解放する、とお約束した覚えはありませんよ。僕はどうも、きみに対しては非常に嫉妬深いようですから」 「んなの知ってるっつの……!」  そもそも、くろゆりさんが嫉妬バチバチになるのはこれが初めてじゃない。  蓼サンとか杜環サンにもさりげなくマウント取るし、俺の客がセクハラしようものなら、容赦なく店の害にならない程度に妨害してくる。どう控えめに見ても激重嫉妬束縛カレシだ。  もう『いやカレシじゃねーし!』とかごにゃごにゃ言うのも面倒になってきて、俺は激重カレシの胸を力の限り押し返して空間をつくると、ハト豆! みたいな顔してるくろゆりさんに自分からガッとキスをした。 「……………っ、……ふ…………春日く、?」  普通にびっくりしたんだろう。ちょっとよろけたくろゆりさんは、それでもすぐに持ち直してキスに応えてくる。  さすがエロいことに関してのセンスはピカ一の変態野郎だ。どっきりチューに対する反応はえーなクソ。もっと動揺しやがれよ。 「…………んー…………っはー。あー……おら、これでわかっただろうがよ」 「……今の、キスは」 「潔白証明。――俺、確かに煙草の煙浴びたけど、煙草吸うヤツとチューしてねえよ」  そんくらい味でわかんでしょ。  そう言って最後にもっかいキスすると、珍しくくろゆりさんが困ったような声を出した。 「………………きみを、このまま抱きかかえて、寝室に引きずり込んでその煙草のにおいがする服を脱がせて足先から舌を這わせて全身舐めたい」 「え、こわ。何それこわ……ときめきどきゅんで発情すんならもうちょいカワイイ表現にしろください……」 「きみとセックスがしたいのに時間がない」 「可愛く言えつってんだろ直接表現やめろバカ」 「語彙力が飛びました。嫉妬は、あまり、気持ちの良い感覚ではありませんが……今のキスは、どんな感情もすべて塗り替えてしまいますね……もう一度、とリクエストしたいところですが」  時間です。  そう言ってぱっと俺の腰を離したくろゆりさんは、まるで何事もなかったかのようにさらりとほほ笑む。  ポーカーフェイスめ、などと疎ましく思うことはない。だってその顔、結構照れてるときの笑い方だ。正直くろゆり初心者には微塵もわからん変化だろうが、俺くらいの玄人になると嫌でもわかる。わかってしまう。くそ……可愛い笑い方すんな照れんなバカ……と一人でもだもだしてしまう。  さっさと乱れた服を整え、ついでに俺の髪まで整えてくださる。なんかこの、エロいことした後に普通の生活に戻る時のかんじって、こう……ちょっといいよな。恥ずかしくて、気まずくて、でもなんか、悪くない。 「……依頼人、初めての人?」 「初見の方ですね。なんでも、お札について相談があるとかで」  お札。  ……そういえばさっきも、荻佑さんもお札がどうとか言っていた。  巷で流行ってんのか? もしかしたらどっかの馬鹿か詐欺師か宗教が、インチキ札でも使って商売を始めたとか、そういう話か? ……それってくろゆりさんの仕事になんのかな? まあ精神疾患みたいな人も結構ちゃんとフォローするし、案外さくっとパパっと解決してみせちゃうのかもしれない。  俺のそんな楽天的すぎる予想を裏切り、二時十分に『大変遅れまして、申し訳ございません』と頭を下げて黒澤鑑定事務所のエントランスに滑り込んできた人は、思いのほかやつれた、疲れた顔をした六十年配の女性だった。  四ツ倉さわ子、と名乗った彼女は、渋い色の着物を着こなしていた。地味な雰囲気だけれど、顔つきは少し厳しい。もうすこしバッチリ化粧をしたら、横溝正史の映画に出てくる怖い後妻さんみたいな顔になりそうだ。  さわ子さんは、おもむろに鞄の中から袱紗を取り出すと、そのまま応接ソファーに向かい合うくろゆりさんに差し出した。 「拝見します」  丁寧に頭を下げたくろゆりさんの後ろから、冷たい珈琲をトレーに載せた俺も、ひょっこりと覗く。  袱紗の中から出てきたのは、古く汚れたお札のようなものだ。  変な図形が重なり合っているような、不思議な図案だ。そして妙な既視感がある。  なんだろう。俺は最近これと同じ柄を、どっかで見たような――そう頭をひねっている時、荻佑さんが描いたよれよれの図案がパッと浮かんだ。  似ている、気がする。荻佑さんが俺のスマホアプリに描いた『お札の図案』に。  え、まさか本当になんか流行ってるお札なの?  詐欺? 詐欺なの? さわ子女史、そんなしっかりした感じなのに霊感商法の被害者なの?  そわそわと見守る中、俺が口を出すわけにもいかない。  さわ子さんは札を眺めてから、小さく、苦々しく息を吐く。憂鬱な事を思い出した時の、うんざりとしたため息だ。 「それは常に我が家に貼ってあるお札なのですが、先日剥がれ落ちて汚れてしまいました。貼りなおしても、すぐに落ちてしまいます。おそらく、もう効能が切れたのでしょうね」 「あまり見たことのない文様ですね。こちらの札を用意してくださった方の宗教等は、ご存じでしょうか」 「わかりません。自分でも調べたのですが、ほとんど手がかりもなく……手詰まりとなりまして、本日はご相談に伺いました。どうにかその札と、同じ効果があるものを、用意していただきたいのです」 「同じ、効果、というと?」 「――――女が、家に、上がり込むのです」  それが、四ツ倉さわ子の家に関する騒動の、最初の一言だった。 ============ ※書き下ろし12万字の同人誌です。紙本は売切れちゃったんですが、BOOTHでDL販売中ですー。DL販売以外のweb公開等はしていません。

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