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さかさふだ

「あの子は、祖母に、呪われているのだと思います」  沈痛な面持ちで――と言いたいところだが、俺の位置からは彼女の顔はうかがい知れない。とはいえ、誰がどう聞いてもその声は悲痛な声色と言うだろう。 「祖母、と言うのは、配偶者の方の母親でしょうか? それとも、ご自身の?」 「夫の母親、です」 「葛西さんにとっては義母というわけですね」  そしてその悲痛すぎる声を前に、淡々と言葉を返す声は相変わらずいつも通りにさらりとした質感の、やたらと淡白なイントネーションだった。  午後イチ、黒澤鑑定事務所の扉を開いた依頼人は、ここ最近で一番悲壮な雰囲気を纏った女性(推定)だった。  いくらパーテーションで仕切られているとはいえ、さすがに性別くらいは間違えない。  個人情報とか色々煩い昨今、部外者がホイホイと依頼内容盗み聞ぎしていいのか? と思わなくもない。ので、最近はしれっとくろゆりさんの寝室に逃げ込むことが多かったのだけれど、さっさと移動しようとした俺は何故かこの事務所の主に引き留められた。  きみも後ろで聞いていてください。  ――と、このように意図的に同席させられるときは大抵、あまり嬉しくない手伝いを任されることが多いわけである。  うえぇーと二日酔いの後の後悔のような嗚咽を出そうとも、黒澤鑑定事務所の主――くろゆりさんは臆さない。俺の事が世界で一番大切(もう事実なのでどうも思わなくなりつつある)なわりに、俺の扱いが雑じゃねえかなと思う。  もう少し大切にしろよ本当に。  という話を先日面と向かってしてみたが、『僕の周りの状況は不安定で予測がしにくいので、きみにはいっそ一番近くで僕のお手伝いをしてほしいんです。きみと、僕のためにも』などと至極真剣に超至近距離で手を握られてしまってギエエエエという声が喉の奥から出そうになった。  何それお前流の『毎日みそ汁作ってくれないか』的なセリフじゃねえかよ。本人には自覚というかそんな意図はないらしいのがまたムカつくところだ。  きみが心配だから目の届くところに居てほしい。  きみを守りたいからいっそ巻き込まれてほしい。  まあそういう事を言いたいらしく、しかもそんな事言われてふざけんなクソが離せ変態と詰るよりも先にうっかり赤面しそうになった己がクソすぎて悲鳴を上げそうになった。しにたい。いやしなねーけども、気分は最悪だ。  ま、くろゆりさんの言ってることもわからんでもない。  心霊現象の中でも、主に呪いについて扱う事が多い。人から人への呪い、場の呪い、カミサマの呪い――そういうものは所謂『祟り』や『穢れ』と言われるようなものまで含まれる。  一歩間違えれば、さらりと命を落とすような『障り』もあるのだろう。  くろゆりさんの周辺はそういうものに溢れすぎていて、何が危険なのか、本人にもわからない有様だ。……そもそも、くろゆりさんにはたいした霊感はないって話だし。  いっそ自分と同じ状況に引き込んで、一蓮托生した方がいい。くろゆりさんがそう言う風に考えるのもまぁまぁわからんでもない。  仕事辞めろよ、とは言えない。たぶん、あの人はもう引き返せないところに居んだろうなぁとなんとなく予想がつくからだ。――深夜に訪ねてくる『師匠』の怪も、相変わらず続いている。  無駄話が少し過ぎた。  以上の理由により、今日もクーラー目当てで黒澤鑑定事務所に入り浸っていた俺は、パーテーション越しに悲痛な声の依頼人の話に聞き耳を立てている、という状況なのである。  葛西です、と自己紹介した彼女は、とにかく不幸が多いのだと訴えた。ありとあらゆる怪我、事故、ありえない病気に高熱、不気味な不幸の数々――。  それが自分に、ではなく、自分の娘に降りかかっているという。  そして続けて、先ほどのイヤァな感じの台詞が聞こえたわけだ。  要約すると、葛西氏はこう言いたいのだ。  齢七つの娘が、己の義母であり娘の祖母である女性に呪われている、と。 「成程――配偶者は五年前に病気で他界、以後娘さんと共に夫の実家で義母と暮らしている、というわけですね。義父はすでに他界しているということでしょうか?」 「はい。……八年前に、胃がんで」 「失礼ですが、随分と不幸が多いご家族に見えてしまいますね」 「もしかしたら……夫も義父も、義母の呪いで命を落としたのかもしれません」 「そう思う、根拠があるのでしょうか」 「義母は、とある宗教の信者なのです。それが姦淫を許さない教えだったようで――二人とも、少し身軽というか、遊び癖がありましたから」  出た、新興宗教。  いい加減耳馴染みが良くなってきたその単語を聞いた瞬間、自分でもわかるくらいに顔面に力が入る。  ビジネススクールと新興宗教は最近の依頼者のトレンドだ。  もう半分くらいはそれ関係じゃねえのって思う。  ガチの心霊現象なんて月に三回あれば多いくらいで、あとは大概『それってあなたの気のせいでは?』案件が多い。そしてそういう思い悩むタイプ、他人に縋って救いを求めたいタイプの人間の周りには、詐欺に近い団体がはびこっているものだ。  気のせいじゃない場合も、まぁまぁこの怪しい団体ってやつらは視界の端にちらちらと映り込むことが多い。詐欺団体なんて人間のいやぁーな感情を煮詰めて煮詰めて煮詰めたようなものだろうし、そりゃよろしくないオカルト現象も起こりそうだようなぁ、と思う。  しかしこの依頼人、さらっとすげーこと言ったなぁ、と呆れる。一緒に暮らしている義母が、夫と義父を呪い殺したのではないかと思っている。そう言った。  いや、うん……嫁姑関係ってのは良好な方が稀だろうけれど、そこまでキッパリ『殺されたんでしょうね』とか言っちゃって大丈夫なのか関係性……と、部外者ながら心配になる。 「義母は――疑っているんです。私の娘が、私と義父の子供じゃないかって」  おいやめろ更にドロドロさせてくるんじゃねえよ。  今そういうの昼ドラ? とかでもやんないんじゃないの? どうなの? 少なくとも俺は職場ではそういうネタ聞かなくなって久しい。  令和は不倫と不貞と犯罪にはかなり厳しい世の中だ。 「それは、事実とは違うのですか?」  おいやめろそこ突っ込むんじゃねえよクソイケメン……流石にないだろ、不躾か。と思ったものの、相変わらず悲痛な声の葛西氏は、特に動揺した様子もなく小さな声で『違います』とだけ言った。  もう、そんなことはどうでもいい、という風に。  何度も疑われ、抵抗し、もうそんな事くらいで傷つく柔らかい感情なんてどっかに失くしてしまったのかも、なんてちょっと詩的な事を考える。疲れてしまった人は、本当に笑わなくなるし、同じように怒らなくなる。ただ淡々と言葉を並べる葛西さんの声は、疲れ切った人間特有の棒読みだった。 「わかりました。まずは娘さんを拝見してから考えましょう。できればお宅にも伺いたいのですが――」 「あ、いえ……娘は、入院していて……面会もできない状態なのです。家も、義母が居ますから、ちょっと……。あの、呪い、が専門と伺いました。何か、呪いを跳ね返すような、そういう呪文や道具はないのでしょうか。もしくは、無病息災を祈るような……」 「祈祷ですか。できないこともないですが、僕はそういう神事については専門外なので、なるべくならお受けしていません。呪いの解呪は承っていますが、それに必要なものは状況の整理と原因の追究です。何もかもこれひとつで解決するというグッズがあれば、それを売りつけるだけで商売が成り立ってしまいますから」 「そう、ですよね……。すいません……」 「こちらこそ、あまりご期待に応えられるような能力者ではなく心苦しい限りです。僕は事前にお話ししていたように、感覚で霊視するような霊能力者ではありません。あくまで対処療法を主体に、あとは経験則と現場対応を主にしています。もしお子さんもご自宅も拝見できないというのであれば、力の強い札をお渡しするくらいしかできないかもしれません」 「それで、構いません。ありがとうございます……それでも、何もしないよりはマシですから」 「お顔を上げてください。良ければ、寺社への紹介を書きましょう。信頼できる実績のある方々がいらっしゃる場所ですので、そちらを頼ってみることも提案します」 「ありがとうございます……」 「少々お待ちください。お札を準備しましょう。――ああ、お茶をお出ししていませんでしたね、申し訳ない。もう少し時間がかかりますから、冷たい飲み物でも飲んでお待ちください」 「いえ、そんな、お気遣いなく――」 「あなたが倒れてしまったら、娘さんも困るでしょう。少し、気分転換のつもりで息を抜かれることを提案しますよ。春日くん、申し訳ないですが、麦茶をお出ししてもらってもいいですか?」  急に呼ばれて、思いっきり飛び上がりそうになってしまった。  何か今日のくろゆりさん、妙に依頼人に優しくてきめえな……と訝しんでいたところなので、余計にぎくりと肩を揺らしてしまう。 「……春日くん?」 「あ、はい! はいはい、お茶っすね、お茶! え、アイスコーヒーとそば茶もあるけど麦茶でいいの?」 「それはご本人に聞いてください。僕は少し抜けますので、きみは……そうですね、何も言わずに僕が戻るまで耐えてください」 「…………はん?」  え、なにそれ、なんかすげえ嫌なコト良いなさる。  耐えろってなんぞ……と思いつつ、バイト根性が染みついているせいで言われた仕事はとりあえず『ハイ、喜んで!』の精神でサクサクこなしてしまうのが俺だ。だてにバイト掛け持ち生活をこなしていない。どこの職場でもとりあえず言われた事をサクッとこなすだけで評価は上がる。  なんだよ、呪われてる娘ちゃんも、呪いかけてる暫定のばあちゃんもここにはいないんだろ?  何に耐えろって言うんだよ――と、首を傾げながらパーテーションの端から顔を出し、口を開こうとして思わず『ぐっ』と変な息の飲み方をしてしまった。  最悪すぎて笑ってしまいそうになる。  本当に、良くない、マジで、最悪だ――俺を巻き込むなら、ちゃんとどういう事が起こるのか、何をしてほしいのか、事前に説明しろクソ呪い屋、と胸の中だけで盛大に悪態をつく。  夜のお仕事が本業で本当に良かった。  どんなヤバい客が居ても、とりあえず動揺を飲み込んで笑顔でお飲み物のオーダーを取れる。これは本当にこの黒澤鑑定事務所で大いに役立つ地味スキルだ。 「…………麦茶とアイスコーヒーとそば茶冷えてますけど、どれがいいとかあります?」  まるで短時間お小遣い稼ぎの事務バイトの顔でにっこり笑いながら、奥の寝室に引っ込むくろゆりさんに向かって『くそやろうしねあとでまじでおぼえてやがれ』の念を飛ばす。 「ええと、じゃあ……そば茶を」 「おっけーです。ちょっとおまちくださーい」  にこにこ、頑張って笑う。  サクッと給湯スペースでお茶を注いで、サクッとお盆に乗せて、茶菓子の用意は忘れたことにして依頼人の目の前のテーブルに置く。冷たいグラスから手を離すと、ひやりとした指先から鳥肌がぶわーっと背中に駆けあがる。  変な汗が出そうで、思わず息を止める。  ありがとうございます……と、幸薄い顔で頭を下げる痩せた中年女性の横には、小柄な着物の婆さんが座っていた。  ……………思いっきり憑いてらっしゃるじゃねえの。  しかも結構、アレなのが憑いてらっしゃるじゃねえの。  さっさとパーテーションの後ろに逃げ込んだ俺は、思わず耳を塞ぐ。  僕が戻るまで、何も言わずに耐えてください。  くろゆりさんがそう言った理由がやっとわかる。耳の中に、今まで聞こえていなかった声がぐわんぐわんと響く。霊障は、気づくと駄目だ。認識すると、目が合った犬のように全力でターゲットにされてしまう。  ただひたすら心の中でイケメンを呪っていると、奥の部屋に姿を消した当人は五分後におもむろに戻ってきて、さっさと手にした札と手紙のようなものを渡して依頼人に別れを告げた。  何度か頭を下げ、何度も礼を言う彼女は、藁にも縋る様子の母親そのものだ。娘を助けたい――その一心で、怪しい呪い屋に来てしまう、疲れ切った母親。 「春日くん、もういいですよ。……それ、何ですか?」  最近買ったスプレータイプの消臭剤を手に持ち、依頼人用のソファーの上にバカスカとスプレーしつつ、突っ立ったままのくろゆりさんの背中を思い切り叩く。 「幽霊には! リセッシュが効くって! ネットで観た!」 「相当前のネタではないですかね……僕は清酒の方が効くと思いますが。もしかして、まだいらっしゃいますか?」 「いねーけども! たぶん一緒に帰ったけども! つかあんなん絶対見えてんだろなんでわざわざ俺に見せたんだよ!?」 「残念ながら僕の霊感はきみほど敏感ではないのですよ。ああ、いらっしゃるなぁとわかる程度です。それで――彼女の隣には何が居ましたか?」 「………………………泣いてるばあさん」  泣いてる、と、判断したのは、床に何かしらの液体がぼたぼたと垂れていたからだ。  小さな体の、小柄な老婆だった。  全身が真っ赤に濡れていて、ところどころ爛れた肉が裂けていた。着物はもうほとんどただの布のような有様で、裸足の足の爪も両手の爪もボロボロに剥げていた。  顔はよくわからない。  肉の花のように、ずたずたに爛れていたからだ。  それでもその老婆は泣いていた。  泣きながら、血と涙のようなものを床にぼたぼたと流しながらただただ、悲痛な声で訴えていた。  ほとんど震えて聞き取れないような、呂律の回らない声で。  も――やめ――てぇ。  もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もうやめてぇ。もう――。 「春日くん?」 「……ん、あー……いや、大丈夫、たぶん……まだ、耳に残ってるだけだと思う、たぶん、つか何アレ……婆さん? 生きてんじゃねえの?」 「そう仰っていますが、実際にどうかはわかりませんね。ご自宅も拝見できなかったわけですから、自己申告を信じる他ありません」 「いや、でも、娘ちゃん入院してんでしょ? んで、娘ちゃんの為にどうにかしたいって気持ちであちこち回ってんでしょ……? そんな嘘ついてどうすんのよ……」 「見えているもの以外は、真実かどうかなんてわかりませんよ」 「なんだよそれどういうことだよカッコつけてねえで教えろクソ野草」 「きみは最近本当に強くなってしまって僕は少し残念な気持ちですね……消臭剤を撒かずとも、言ってくだされば除霊の真似事くらいはできるのに」  さらっと腰を抱かれて、俺のリセッシュを取り上げられる。あわやいい感じにちゅー……する手前で、目の前のイケメンの足を思い切り踏む。さすがのくろゆりさんも少し変な声を上げていた。 「今ここには幽霊いねえから良いんだよ。つか説明しろっつってんだろ」 「…………僕にわかっていることは、彼女が除霊グッズを集めている、という事だけですよ。人の口から出た情報は、どれもこれも正確ではありません。故意にしろそうでないにしろ、人間は嘘をつく生物です」 「あー……娘がいる、ってのも嘘、ってこと?」 「いえ、それは本当だという話です」 「本当、だという、話?」 「最初から説明しましょう。コーヒーでも飲みながら」  何かうまい事宥められつつ、俺はパーテーション奥の事務作業椅子に座らされる。いつもは応接ソファーに気にせず座るんだけど、アレがいた場所に腰を降ろす勇気がわかなかった。 「実は、数か月前から界隈に注意喚起が回ってきたのですよ」  界隈。  ……そんなモンあるのかよ、という訝しいお気持ちが顔に出ていたのだろう。グラスに珈琲を注いたくろゆりさんは、ちらりと俺の顔を見ると苦笑する。 「僕はあまりコミュニティに属する方ではありませんが、かといって一匹狼というわけでもありませんよ。明確な霊能力というものを持ち合わせていないので、仕事をする上で情報や道具は非常に重宝しています」 「あー……お札サイトの人、とか?」 「それも界隈の人脈の一つですね。お札の販売業者と実際に顔を合わせることは少ないですが、時折直接連絡を取り合うこともあります」 「はあー。へー。……え、霊能者界隈に情報網とかあんの?」 「明確なものはありません。そういう組織や繋がりがあるのかもしれませんが、少なくとも僕は所属していない。しかしまあ、各々『どうにもならなかったときに頼むところ』はあると思いますよ」 「あ。そういや前も何度か頼んでたな……くろゆりさん、わりと後はよろしくでパスするし……」 「たいした霊能者ではありませんから」 「はあ……要するに、同業の知り合いから噂が回ってきた、的な?」 「イメージ的にはそう捕らえていただいて結構です」 「で、葛西さん? には注意しろって喚起が回ってきた?」 「そうです。祖母が娘を呪っている、どうにかしたい、だから除霊グッズや除霊方法を教えてほしい――そう訴える中年女には絶対に何も教えず、何も売るな、と」 「……なんで?」 「勿論、嘘だからです」  嘘。  それは、ええと……。 「どっから、どこまでが?」 「さあ、僕は詳しくは知りません。興信所を使って調べる程の被害も受けていませんし、そこまで詳しく関わろうとも思いませんから。ただ、三か月前に巻き込まれたというとある業者は非常に大変な被害を受けたそうですよ。なんでも、それなりに霊験あらかたな祈祷を教えてしまったようで――巻き込まれて相当な障りを受けた様子でした」  くろゆりさん曰く、葛西という女はどうやらありとあらゆる祈祷を、逆に行っているらしい。 「春日くんならばもう知っているでしょう。呪術において、『逆』とは重要な意味を持ちます。すなわち、すべての意味がさかさまになる」  逆拍手、逆柱、逆歌――『正しい位置とは逆にしたもの』はそれだけで呪いとなる。意味が、綺麗に反転するのだ。 「つまり、あの人は、娘さんを助けるために集めた札とか呪文とかを、全部逆にして、えーと…………え、何のために!?」 「それは呪うためでしょうね」 「誰を」 「娘さんでしょう。なにせあの方の周りにはもう、娘さんしか残っていません。同居していると仰っていた義母は、半年前に亡くなっていますから」  ああ、じゃあ――あの小さな血まみれのばあさんは、あの人の義母なのか。  もうやめて、と、ただ悲痛に訴えていた。  呂律の回らない、聞き取りにくい醜い声で、何度も何度も。 「最初に彼女に祈祷を教えた霊能者は、女性の方だったそうです。娘さんを助けたい、義母からいじめを受けているという話に同情したのだそうですよ。少ない対価で、かなり大がかりな祈祷を行った。そして霊験あらかたなお札を持たせたそうです。そしてその十日後に霊能者の女性は亡くなった」 「……ん、え!? 死んだの!?」 「そう聞いています。強い力を持つ呪符は、使い方を間違えるとその分の力が返ってきてしまいます。呪いは消えない、必ずどこかに降りかかる、そういうものですからね」 「し、死んで、え、そんで、どう、なったの……?」 「お弟子さんと親族の方が、どうにか葛西さんの居場所を突き止めて事情を探ったそうです。彼女の義父母は他界し、娘は確かに入院していた。家には入れなかったそうですが、入院している病院には忍び込めた様子で、界隈では一枚の写真が出回っています――ああ、これですね」  くろゆりさんがササッとお出ししてきたスマホの画面には、薄暗い病棟が映っていた。  夜って訳でもない様子なのに、なぜだかじっとりと暗い。  その個室の壁には『葛西愛』の札があり、ベッドの上にはそれなりにでかいぬいぐるみが数体、置かれていた。  そのどれもが口を赤い糸で縫い付けられ、心臓の部分に赤い×が記されている。  その上花瓶の表には、あからさまに逆さになったお札が貼られていた。 「……いやこれ……看護師とかは、止めねえのかよ……」 「春日くんは慣れてしまっていますからわかるとは思いますが、普通の人はお札の正位置なんてわからないものですよ。それに、藁をもつかむ面持ちの母親に、神に縋るなとも言えないでしょう。ある程度は好きにさせてもらえる筈です。そのくらい、娘さんの容態はまずい様子です」 「これ、えー……つまり、母親が、娘に、呪いをかけてる、ってこと……?」 「そうなりますね。どう見ても、意図的にすべての呪術を逆にしている。細かい所を指摘はしませんが、やってはいけないという事のオンパレードです」 「なんで」 「わかりません。僕は当事者ではありませんし、もう関わることもないでしょうから」  まあ、そう言うと思ったよ。  わかりません、はくろゆりさんの常套句だ。普段は霊障に対して使われる言葉だが、他人の事情に関してもちょいちょいこの言葉は飛び出す。  当事者ではないのだからわからない。人間は、嘘を吐く生物だから。……葛西という名の母親は、何を思って、どういう意図で、己の娘に逆さの呪いをかけているのか。  それはもう、俺にもくろゆりさんにもわからないことだ。 「…………………」  渡された珈琲に口をつける気も起きず、ただ結露が滴り落ちる様を眺める。  俺の蒼白な様子をしばし眺めたくろゆりさんは、珍しく労わるように背中を撫でてデコにキスを落としてきた。やめろ、素敵彼氏仕草するな、今そういうのにわーわーするような気分じゃない。  気分じゃないから、こっちも珍しく隣に立つくろゆりさんのほせー腰をぎゅっとしてしまう。 「……春日くん? 何か、悪いものでも食べましたか?」 「食ってねえよしばらくなんも食いたくねーよ……」 「老婆の霊は、それほどひどい状態でしたか?」 「んー……肉と汁って感じだったけどそれはまあ、いいわ、そういうもんだと思えば我慢できる……けど、あのばあちゃん、なんかうまく口が回ってなくってさぁ……かろうじて『もうやめて』って言ってんだろうなって聞こえたんだけど。……あれ、思い出すと、他の言葉だったかもな、って思って」 「それは、どんな?」 「…………もう、やめて、あげて」  もうやめてあげて。もうやめてあげて。もうやめてあげて。もうやめてあげて。もうやめてあげて。もう、やめて、あげてぇ。  あの老婆は、血まみれで呂律の回らない口で、誰を庇って案じて泣いていたのだろうか――それももう、想像することしかできないのだけれど。 「……亡くなった霊能者の方の親族が、まだ調査を続けている様子です。葛西愛さんが、無事に救われることを祈りましょう」 「くろゆりさんが他人の無事を祈るなんてめっずらしいな……」 「基本的にはどうでもよいと思っていますよ。ただ、子供に関してはせめて、他人が人生を奪うようなことがなければいいという感情があります」 「それは、えーと、子供が好きだから、とかじゃないんでしょ?」 「違いますね。まあ、分類するなら後悔と憐憫でしょう。僕自身が恵まれた子供時代を過ごした、とは言い難いですから。同類の同情かもしれませんね」  おまえと一緒にしてやるなよと思わなくもないが、あんまり突っ込むと聞きたくない話がさらっと始まりそうで口をつぐむ。  せめて、他人が人生を奪うようなことがないように。  その気持ちは、俺だって同じだったが、たぶんくろゆりさんが抱いている感情とは別なんだろうなという実感はあった。  アイスコーヒーのグラスの結露は、机の上にぬるい水たまりを作る。  葛西という名の女は今頃どんな顔をしているのだろう。笑っているのか、あの沈痛な無表情を貫いているのか、俺たちはもう知ることはない。でもたぶん、これから先も霊能者を訪ねて呪いを貰い受けるのだろう。  もうやめてあげて、と訴える老婆をつれて。 終

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