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ダイヤちゃん&ユノ①(脱落中)

夕暮れのラブホテル街は、どこか寂しげだった。 そんな中、車はラブホテルの隙間を縫うように建てられた古い雑居ビルの前に停車した。 一見すると、まるで廃屋のようだ。 眉を寄せながら運転手に目配せをすると、こちらで間違いありませんと返事があった。 するとその雑居ビルから男が一人、手を揉みながら駆け寄って来た。 「やあ、ご足労おかけしてすみません」 ウィンドウ越しだというのにハッキリと聞こえる程の声にうんざりする。 運転手が彼を往なしてドアを開けたが、暫く降りる気にはならなかった。 饐えた臭いが、不快だ。 帰ろうかとも思ったが、ここに来たのは旧友たっての依頼故だ。 仕方なしに扇子を鼻に押し付け、車から降り立つ。 「こちらです! あ、ちょっと散らかってるので気をつけてくださいね!」 男は自動ドアを力任せに引きずりこじ開け、ヘラヘラと笑いながら、真っ暗な廊下の先を指さした。 「健診は当日お店に来れる子だけの約束だったはずだけど」 「はは、すみませんねえ。コッチ弾みますんで、勘弁してください」 「…」 男が親指と人差指を丸めて合わせながら頭を下げるその姿があまりにも下品で、辟易とした。 彼は私の友人が経営する娼館、"表向き"はクラブの店長だ。 名前は知らない、興味もない。 「いやぁ、あれはとんでもねえ問題児でして。 俺も手を焼いてるんスよ」 「そんなのほっときなさいよ」 「そうもいかないんスよ。 よりによって"桜餅"のカシラのお気に入りになっちまって」 「あなたそんな軽口叩いて、沈められても知らないわよ」 「ひえっ、内密にしてくださいね」 「全く、あの人も熱心ね。 場末のクラブにまで手を伸ばすなんて」 「相変わらず厳しいッスねえ。 一応ウチ"高級"クラブでやらせてもらってるんスけどねえ」 「あらそうだったかしら」 「あはは、まあ現状維持で充分っすけどね、俺的にはね」 上辺だけへつらうことに慣れ、小狡く、向上心もない。 私が一番嫌いなタイプ。 ビル内の廊下は予想通り薄暗い。 外からの陽は届かず、唯一の光である蛍光灯の半分は機能を失い、もう半分は切れかけてチカチカと瞬いていた。 ダンボールやゴミがうず高く積まれて、幅が半分ほどになっている廊下は、歩くだけで埃が立つ。 「"高級クラブ"の寮にしてはあまりにもひどいわね」 口を衝いで出た言葉に対し、店長は相変わらずヘラヘラとしながら、 「やだなあ、ここは寮じゃねえッスよ」 と、気にも留めぬ様子で答えた。 「元々はちゃんとした寮に入れてやったんですけどね。 隙ありゃ窓から飛び降りようとして危なっかしいんで、こっちに移動させたんですわ。 ほら、寮の借り上げは3階なんで」 「逃げようとするってこと?」 「いや、死にてぇんだそうで…」 と、その時。 廊下の一番奥から、大きな音がした。 と、同時に、 「いけません、ダメ!」 と、低い男の声が響く。 緊張感が走った。 店長が慌てた様子で廊下の奥へと向かって行く。 私はため息を一つついて、それにゆっくりと続いた。 「アキ、何やってんだよ、やべーヤツじゃん、もー」 「…すみません」 「すみませんじゃねーよ、なんとかしろよ」 「…すみません」 「だーかーら!」 「もー、何の騒…あらまぁ」 少し遅れて着いたのは、一番奥の部屋だった。 "アキ"と呼ばれた大柄の黒スーツの男が、ペコペコと店長に頭を下げている。 そこには、パイプ椅子を持ち上げ、こちらを睨みつける赤毛の青年がいた。 …いや、違う。 その髪は赤ではない、白…、否、シルバーか。 赤いのは、彼の額から吹き出した血だ。 闇に目が慣れてくると、彼の額以外からも血が吹き出ているのがわかる。 ふと横を見ると、アキのシャツもまた、血まみれだった。 唐突に、青年は椅子を思い切り床に叩きつけ、こちらを睨みつけてきた。 その顔をみて、直ぐに思い当たった。 私はこの子を知っている。 以前、"質屋"で競売に出されていた子だ。 見目麗しい割にやけに安値で、しかもなかなか買い手がつかなかった。 結局買ったのは、この業界若手の経営者だったと思ったけれど。 きっと、この様子を見る限り手に余って手放してしまったのね。 店長は惨状を前に、肩を竦めため息をついた。 そして、 「もう、こうなると手がつけらんなくって」 「確かに、すんなり"健康診断"させてくれる感じじゃないわねェ」 「へえ、スンマセン」 暫く、黙したまま青年を見やる。 彼は何度かまた威嚇するようにパイプ椅子で床を叩いたが、敢えて反応はしない。 声をかけようとするアキの前に扇子を出し、往なす。 しばらくそうした後、また彼は唐突に椅子を放り投げた。 と、同時に糸が切れたように膝を落とし蹲る。 薄暗い部屋に、嗚咽が響いた。 「ユーノさん!」 もう我慢ならないとばかりにアキが扇子を押し避けて、彼に駆け寄る。 「センセ、すんません、お待たせしました。 健康診断、お願いします」 「これでは無理よ」 「あー、ですよねー。 やっぱそうなっちゃいますよねー」 私はため息を一つついて、二人の元へ歩を進めた。 アキの胸で子供のようにシクシクと泣いている彼に声をかけるが、反応はない。 さて、どうしたものか。 考えながら三度扇子を揺らし、そして決めた。 「この子、うちで預かるわ」 「へっ?!」 店長がマヌケな声を上げる。 「いやいやいや、それは困ります。 こいつもう今日予約入ってるスから!」 「あんたねえ、この子、額割れてるのよ?」 「まあほら、そこは包帯巻くとかなんとかして。 そういう趣向もウチは有りッスから」 「趣向的にアリだったとしても、無検診はまずいんじゃないのかしら。 万が一この子が病気を持っていたりしたら、それこそ貴方が困ることになると思うけど」 「うっ」 「先生、ユーノさんは入店してから一度も検査受けてません」 「おまっ、余計なことを!」 「まあ」 「違うんですよ先生、こいつ、先生が来る日に限って店出てこれなかったんですよ。 もうほんと、いつもこんな感じで」 成程、オーナーが"今日中に"と私に健診を頼んできてのは、そんな理由があったのね。 先程は揶揄をしたが、あくまでもお店は"ちゃんと"会員制の"高級クラブ"だ。 無検査キャストに接客をさせて病気が蔓延したら、それこそ死活問題。 オーナーのキャリアにも大きな傷がつく。 「ああ、あなた。 その子と仲いいみたいだから、一緒に来てくれる?」 「自分もですか?」 「嫌なの?」 「いや、しかし店長が…」 「私からオーナーに話をしといてあげるわ。 お友達なのよ」 「…ありがとうございます」 「あんたのことも言っておくわね。 キャストの健康診断を怠ったのは店長だって」 「なっ、勘弁してくださいよ先生~」 オーナーの名を出すと、店長はようやく大人しくなった。 「今日の予約、どうすんだよ、もー」 なんて頭を抱えているが、私の知るところではない。 するとその時、着信があった。 確認すると、オーナーだ。 頃合いを見てかけてきたのだろう。 一連の話をすると、直ぐに彼の"お持ち帰り"を承諾してくれた。

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