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航くん生存if(脱落中)
麗らかな春の午後だが、白い人が血相を変えてリビングに飛び込んできたので一気に気持ちが萎えた。
「おい、理。
ヒロミツの隠し通路教えろ、オレも隠れる」
「誰も知りませんよ」
「命、お前絶対知ってるだろ」
「しらなーい」
白い人、もといカイさんは頭を抱える。
「ああ、どうしよう、もう出かけるしかねえ。ユウ、行くぞ!」
「わあい、おさんぽー」
その頭をぐしゃぐしゃとかきむしりながら、カイさんが車のキーを手に取ったその時。
「やっ、カイ。今日もだらしなくて可愛いね」
と、リビングのドアが開いてまたややこしいのが入ってきた。誉先生である。
また、その背の後ろから更にややこしそうな人が顔を出す。新顔であるが、それを見て一同は驚いた。カイさんと顔が瓜二つだったからだ。
とはいえ彼とは全然違い、何だか凄くきちんとしている。
ワイシャツにスラックス、上着のジャケットも含め全てハイブランドだが、背筋がピンとしていて着こなし方がさりげないので嫌味がない。それにスポーツをしているのか、体もがっしりしている。若干胸と尻あたりにメスみを感じるような気がしないでもないが、一旦置いておくことにしよう。
「白くないカイくんだ!」
「命くん、流石に初見で失礼…」
「あはは、はじめまして。君が命くんか。
いつも弟が世話になってすまないね」
「弟!!??」
「あれ?カイくん〜、どこ行くの?」
「櫂、お前はそこで正座。
あと小さいお子さんがいるのにくわえ煙草とは何事だ」
「火ぃつけてねーもん…」
「誤飲の可能性があるだろう。自覚を持て」
「命は小さい子供じゃねえし」
「は?」
「ごめんなさい」
どうやらカイさんはお兄さんに頭が上がらないらしい。しおしおの顔で正座をして、煙草を胸ポケットのケースにしまう。
カイさんを正座させたまま、お兄さんは俺達の方に向き直った。それから、
「美世さんはご在宅ですか?
弟のこれまでのご無礼のお詫びと、今後のお話をしたいのですが」
と申し出た。
なんだか物凄くしっかりしている。
こんなにきちんとした人の弟がなんでこんななのだろうか。
「はあ、航は相変わらず真面目だね」
誉先生はそう肩を竦め、それから勝手にキッチンに入る。
「航も珈琲飲む?」
「いや、勝手にお邪魔してそれは駄目だろう」
「大丈夫だよ。そういう家だから」
いや全然大丈夫でもないし、そういう家でもない。貴方が勝手にそうしているだけなんだけど。
とはいえ、超人見知りのお義父さんが屋根裏から出てくるとは思えないので、いつも通り俺が代行することにする。話自体はどうせどこかで聞いているだろうから問題ないだろう。
「生憎、義父は仕事から手が離せないので、お話でしたら変わりに僕が伺います」
「おや、若いのにしっかりしてる子だね。
櫂も見習いなさい」
「はい……」
「しおしおのカイも可愛いねえ」
「では、まずはこちらを。つまらないものですが」
そしてお兄さんはご丁寧に手土産まで渡してきた。
「そんな、わざわざすみません」
その包みのロゴを見てすぐにピンと来た、全然つまらないものではない。
先日、あの外国人男の娘がお取り寄せで3年待ちとか騒いでいた超高級チョコレートだ。
何だか申し訳なくなって、俺は逆に恐縮しながらお兄さんをソファーへと案内する。
何故か誉先生が珈琲を出してくれた。
「櫂、お前もこっちに来なさい」
「はい……」
カイさんがやけに素直なのが気持ち悪いが、これが兄弟の力関係なのだろう。
ちなみにユウさんは誉先生が死ぬほど嫌いなので姿が見えた瞬間自室に逃げ込んでしまった。
「では、改めて」
お兄さんはそう言うと、立ち上がり名刺を差し出してきた。合せて立ち上がり受け取る。
その所作はビジネスマンのお手本のようだ。
本当に弟と違い完璧な人なんだと思う。
一方駄目な大人のお手本のような弟は、煙草が恋しいようで胸ポケットに手を伸ばした所を睨みつけられてすくみ上がり、またしおしおと項垂れた。
名刺を確認すると、「如月 航」とある。
肩書は「如月総合病院 院長」
いやもうこんなところに直接来ていいような人ではないし、横のしおしおウサギが本当に御曹司なんだなとダブルで驚いてしまった。
というか、これはやはりお義父さんに出てもらったほうが良いだろうとも思ったのだが、どうも出てくるつもりはないらしい。向こうのダイニングに腰を下ろした命くんが、大きく手でバツを作っている。
改めてソファーに座り直すと、お兄さんはカバンから書類をいくつか取り出した。
「こちらは、これまで弟が世話になった費用の精算と、気持ちばかりですが謝礼です。それから借金をしているとも伺ってますので、その分も利子を含めお返し致します。
具体的なお支払い方法等は弁護士を通しご連絡しますが、まずは書類だけお渡しさせて下さい」
「は、はあ…」
「もし額面に不足あればお申し付け下さい。
ご要望頂いた額をお支払い致します」
この辺はお義父さんに見てもらわないと良いのか悪いのかわからないが、ちらりと見えた額面は物凄い額だ。
「なっ、そんな事しなくていいし」
そこで口を挟んだのがカイさんだ。
「もう少しで事業が黒字になって払えるし」
「一度も通期黒字になったことないだろう。事業で経営を学ぶのは確かにお前の今後を見据えれば悪いことではないが、経営戦略がなさすぎる。とりあえずお前の会社は私が買い取り代表取締役を務め立て直しを計る。お前は私のもとでまずは経営を学ぼう。
軌道に乗れば、勿論お前に代表取締役の座は返すよ」
「うう、いやだ」
…どう考えても。
どう考えてもお兄さんが正解だ。
というか物凄く人格者じゃないか、この人。
本当に何でこんな人の弟がこれなんだ。
「カイ、航は渡米中にМBAも取ってきたからガチだよ。この間俺も開業したし、一緒に勉強させてもらおうよ」
「そうだな。
医師の道に戻れないのであれば、お前は経営に回るしかないからな。ステップアップのためのちょうどいい課題になる」
いや、それはやめといたほうが…家傾くぞ。
と言う言葉を寸前のところで俺は飲み込んだ。
しかしお兄さんは本気でそう考えているのか、カイさんの方をまっすぐ見て続ける。
「ウチは飲食はまだ未開拓だから、目の付け所はなかなか悪くないと思うぞ。櫂。頑張ろうな」
「俺は家の仕事はしないし、もう十分頑張ってるし。ていうか兄さん何でピンピンして帰ってきてんだよ!寝たきりじゃなかったのかよ!」
「アメリカでの治療がうまくいったんだ。
そこは本当に誉に感謝してもしきれないよ」
「そんな、いいよいいよ。
俺も親友が元気に戻ってきてくれて嬉しいよ」
そうだ、そう言えばカイさんのお兄さんは事故に遭い、何年も植物状態だと以前カイさんが言っていた。
しかし、今の様子を見る限り、とてもそうとは思えない。
「あ、さとっぴにも分かるように説明するね」
俺の疑問を察した誉先生がぴっと人差し指を立てて話し始める。
「ご存知の通り、航は去年まで植物状態だったんだけどね。去年学会でその系の権威と懇意になって、航の治療をお願いしたんだよ。で、渡米させて1年、こんな感じで帰ってきたわけ。凄くない?」
「いや、凄いとかいうレベルじゃないですよね。
大丈夫ですか?何か変な改造とかされてませんか?」
「はは、大丈夫だよ。
リハビリはそれなりにきつかったけどね。
でも、前から気になっていた資格も取れたしなかなか有意義だったよ」
「航は勤勉だからね」
「いや勤勉てレベルじゃないし鬼のような順応性ですよね」
「そんな訳で、先月帰ってきて早速医師復帰してお父さんから院長を引き継いだんだよね」
「人生取り戻すスピードが早すぎやしませんか。
気づいたら何年も経過していたわけでしょう?浦島太郎状態で普通困惑しませんか?」
「うーん、寝てる間に双子の父親になっていて許嫁が産後鬱拗らせて入退院を繰り返しながら親友と結婚してたのはちょっと驚いたかなあ。
そもそも舞子とは肉体関係はなかった気がするのだけれど、まだどうも事故前後の記憶がハッキリしないんだよな」
「まったく、航は忘れん坊さんだねえ。
それ舞子ちゃんの前で言ってご覧よ、また首吊るよ?」
「ははは、それは困るから黙っておくよ」
「いや笑い事じゃないしとんでもないことになってますけど大丈夫ですか?」
「理くんも一度渡米してみるといい。
広大な国土は人の心も大きくするからね。
細かいことは気にならなくなるよ」
「いや全然細かいことじゃないですからね。
誉先生、この人大丈夫ですか?
何かあっちで変な薬打たれてませんか?」
「信じられないくらいの量の薬は打たれてると思うよ。あの人も人体実……治験大好きだからね」
「今人体実験て言いかけたでしょ」
「まあ、まあ。
そのお陰で俺も戻ってこれたわけだし。俺の代わりに誉が舞子と子供を支えてくれたのはとても感謝してるよ。誉、本当にありがとうな」
「航、やめてよ。もうそれはいいってば。
俺は親友として当たり前の事をしただけで」
「しかしそのせいで、お前が一番大切にしてくれていた櫂との仲が拗れてしまったんだろう?本当に申し訳ない。
だから櫂、もう意地を張るのはやめて、誉と仲直りしてくれないか」
「は?仲直りも何も、誉とは元々なんともねーし。ただの元家庭教師だし」
「よく言う。大好きで大好きでたまらない癖に」
「は?すきじゃねーし!」
「素直じゃないな」
「あはは、そんな天邪鬼なところも可愛いんだけどね〜」
「誉の心が広くて本当に助かるよ。
櫂のことは俺も何とかするから」
「何ともしなくていいよ!!」
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