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屋根裏の王様 2
最悪の目覚めだった。
昨日はぐるぐる考えていたら、結局ほとんど眠れなくて、気が付いたら目覚ましが鳴っていた。起きてはみたものの、現実を直視したくなくて、屋根裏部屋の前でしゃがみこんだままうなだれてしまう。
やっぱり、いる。夢じゃなかった。現実だった。
部屋の空気がいつもと違う気がした。なんていうか、華やかというか、煌びやかというか。あのイケメンが原因だろうか。
正直、ありえないことだけれど、頭のどこかで受け入れなくちゃいけないんだろうなとは思ってはいた。思ってはいたけれど、やっぱり。
いつまでもここで考えていても仕方ない。今日は大学も行かなきゃいけないし。奨学金や単位のことを考えると、そんなに簡単に休んではいられない。幸い今日の講義は午後からだから、今のうちになんとかしないと。
覚悟を決めて、ぐっと立ち上がると、収まりきらなかった長い脚がソファからはみ出しているのが見えた。
近寄ると、規則正しい寝息が聞こえてくる。
枕元にしゃがみこんで、我様の顔を見た。日の光の下で見ても、イケメンはやっぱりイケメンだった。それどころか、より輝きが増している気がする。
同じ男とは思えないほどすべらかな白い肌に、美しい金髪。長い睫、通った鼻筋、形の綺麗な唇。すべてが完璧なバランスで配置されている。
昨夜は薄暗かったし、パニックでそれどころじゃなかったから、ついまじまじと見てしまった。
それにしても、シュールだった。すげえイケメンが、オレのジャージ着て、腹出して寝てる。腹が見えてるのは、そもそもジャージのサイズが小さいせいなんだけれど。
できれば、起こしたくない。起こしたくないけど、起こさないと話もできない。でも起こして一体何の話をすればいいんだろう。大人しくしていてほしいとか?
でも聞いてくれない気がする。ああ、わからない、どうしよう。面倒くさくなってきた。とりあえず、朝飯作ろう。そうしよう。
そう思って、立ち上がろうとした瞬間だった。
長い睫が震えて、我様が目を開けた。
瞳の色は、綺麗なライトブルーだった。まるで、雲一つない空を映したような。怖いくらいに澄んだ瞳は、まるで何も映していないようで、でも全て見えているような、不思議な感じがした。
ぱちぱちと何度か瞬きをした後、ぼんやりとしたまだ眠たそうな瞳がこちらを見た。間近で正面から向き合ってしまう。
「お、おはようございま、す……?」
寝顔を覗き込んでいたのがばれてしまって、なんだかきまりが悪い。
けれど、我様は気にするようなそぶりも見せず、こくりと頷くと、大きなあくびをした。そのまま目を閉じ、再度横になろうとする。
「え、ちょ、マジで? まだ寝る気かよ?」
思わずつっこんでしまった。我様の眉間には皺が寄っている。目を閉じたまま、低い声で小さく唸った。
「………………眠い」
「いや、あの、困るんですけど。起きてくれませんかね……」
「………………」
あ、座ったまま寝やがった。
舌打ちを心の中だけで我慢しながら、仕方なしに身体を揺さぶって、大きな声で呼びかける。
「すみません、起きて! 起きてくださーい! 朝ですよー! ……あー、もう! ねぇ、我様!」
「…………我、様?」
反応されて、うっかり「我様」呼びをしてしまったことに気が付いた。怒られるんじゃないかと一瞬ヒヤリとしたけれど、我様が気分を害した様子はない。そんなことよりも眠そうだ。
我様は上体を起こしたものの、まだ目を瞑ったままだった。ゆらゆらと船を漕いでいる。
なんていうか一言でいうとあれだ、寝汚い。
放っておけば、いつまでも寝てるんじゃないだろうか。こんなキレーな顔してんのに。いや、顔は関係ないか。
「マジで、そろそろ起きてください」
俺の懇願が届いたのか、我様は二、三度大きく伸びをすると、ぽつりと呟いた。
「………………身体が、痛い」
そりゃそうだ、こんな狭いところで寝ていたんだから。心なしか、眉毛が八の字になっているような気がする。
「……そうか、そういえば、肉体というものは、不便なものだったな。久しく忘れていたぞ。あの中に居たときは、暑くも寒くもなく、苦痛というものが一切なかったからな。……これが、生きている、ということか……」
どこか遠い眼をした我様は、急に俺に向き直った。
「我は腹が減ったぞ」
やばい、なんかめっちゃガン見されてる気がする。やり辛いことこの上ない。つうか、本当は話をする予定だったのに。なんで流されてんだろう。
まだどこかぼんやりとした瞳のままだった我様は、階段を降りたとたん表情が一変した。なんか目がキラキラしている。テンションが上がってるように見える。
「何か、思い出しました?」
期待を込めて聞いてみた。
「いいや、何も? 初めて見るものばかりだな。何やら面白そうなものが沢山あるではないか」
一般家庭のリビングだ。取り立てて珍しいものなんか置いてないけど、どうやら我様にとっては見たこともないものがいっぱいあるらしい。
覚えてないだけなのか、本当に初めて見るものなのかは、今のところ判断がつかない。一体どういう所にいたんだろう。
電化製品が特に気になるらしく、これは何だあれは何だと聞いてくる。
記憶がないせいか変な先入観みたいなものがないようで、俺のおざなりな説明でもそれはそういうものとして認識したようだった。
「この世界は面白いな。学ぶことが多いようだ」
興味深そうに、しげしげと見つめている姿は、好奇心旺盛な幼い子どもみたいに見えた。
しばらくキョロキョロと、もの珍しそうにしていたから、放置することにして、リビングの隣の台所に来た。
さー、朝飯作るぞ。そう思ったら、いつの間にかめっちゃ近くに我様がいた。めっちゃ見られてる。
「あのー……あんまり、見ないでもらえませんか?」
「何故だ?」
「気になるんですけど」
「大丈夫だ、気にするな」
いやいやいや、俺の精神的には全然何にも大丈夫じゃない。でもダメだ、昨日もそうだった。たぶん何言っても聞いてもらえないんだろう。
とりあえず、朝飯だ。飯作って、食わせて、そうしたら話をしよう。そう、平常心だ。気にするな。無視だ無視。
ここ数年ずっとやってきたことだから、二人分作るのは全然苦じゃない。急いで米を砥いで、早炊きモードで炊飯器をセットする。ご飯が炊けるまでに、卵を焼いて、お浸しと味噌汁を作って。いつもの要領で朝飯の準備をした。
我様は、きれいなアーモンド型の瞳を僅かに見開くようにして、肩越しに手元を覗き込んできた。さっきと同じでそれは何だとか、何をしているのかとか、いろいろなことを聞きたがった。
米も炊けて準備ができて、いざ食べようとなったけれど、我様はテーブルの上に並んだ朝飯をただ眺めるばかりで、食べようとしない。
さっき腹減ってるって言ってたのに。もしかして、あれか? こんな庶民的な食べ物は食べられないとか言う気か。
我様の顔を見ても、何を考えているのかさっぱりわからない。だんだん腹が立ってくる。
いや、落ち着け。まぁ、あれだ、食えなかったら言うだろう。そう思って、手を合わせる。せっかく作った飯が冷めてしまう。
「いただきます」
「……イタダキマス?」
我様が語尾を上げつつ手を合わせた。飯を口へ運ぼうとすると、視線を感じた。我様と目が合う。すげえ見られてる。
「あのー、何ですか」
「気にするな」
いやいやいや、だから気になるつってんだろーが。そう思いつつ、あ、この人、箸使えんのかなって、はっとした。
日本語ペラペラ話すから、うっかりしていた。どこからどう見ても外国人って風貌だし。米も珍しそうに見ていたし。つうかそもそも記憶喪失じゃん、何をどこまで覚えてんのかはわかんないけれど。
スプーンとかフォークとか用意するべきか、どうしようかと考えていると、じっと見つめていた我様がおもむろに箸を取り、食べ始めた。
あれ、なんだ。箸使えるのか。
なんだか微妙に緊張する。不味くはない、と思うけど。
だし巻き卵を一口食べて、我様は少し驚いたように言った。
「美味いな」
褒められて、嬉しくないはずがない。思わず口元が緩みそうになって、テキトーな話題を口にした。
「あー、えっと、箸使えるんですね」
「ああ、これか? 今お前が使っているのを見て覚えた」
覚えようとして、見てたってことらしい。それならそう言ってくれればいいのに。
それにしても、初めて使うとは思えないくらい箸の持ち方が綺麗だった。すごく器用な人だと思う。
我様はだし巻き卵が気に入った様子で、もくもくと食べている。その顔に笑みが浮かんでいるのを見て、つられて俺も一瞬笑ってしまって、気づいて口をもごもごしてしまった。我様は卵に夢中だったから、きっと気づかれなかったはずだ。
朝飯の後、「この世界のことが知りたい」と我様に言われて、屋根裏部屋の段ボールから、姉ちゃんが律儀に取っておいてくれた教科書を掘り起こして渡した。自分で教えんのは面倒だし、そもそも何をどう教えたらいいのか分からなかったし。
文字読めるのか不安になって訊いたのは、教科書を渡した後だ。俺の質問に、我様はあっさりと頷いたからちょっとびっくりした。そんで意外にも我様は教科書を気に入った様子でパラパラとめくっていた。
気がついたら大学に遅刻しそうな時間になっていて、「出かけてくる」とか、「一人で大丈夫か」とかいろいろ言ってみたけど、教科書を真剣に読み始めた我様からは、おざなりな返事が返ってくるばかりだった。
たぶん、確実に、絶対聞いてない。そう思ったけど、諦めてそのまま家を出てきてしまった。
家ん中がめちゃくちゃに荒らされていたりとか、火事になっていたりとかしたらどうしよう。不安過ぎる。怖い。やっぱりあのイケメンを一人家に残してきたのはまずかったかもしれない。
嫌な想像が止まらない。結局何も集中できないまま講義が終わった。
知らず、ため息が零れる。
急ぎ足で駐輪場に着いた時、俺のスマホが鳴った。ディスプレイには「斎藤」の文字が表示されている。電話に出ると、耳慣れた明るい声が聞こえてきた。
『よーっす、大和! ねえねえ、今日これから合コン行かない?』
高校一年のときにクラスが一緒になって、出席番号が近かったからかなんとなく仲良くなって、大学でもなんとなくつるんでいる。いつだってテンションが高い奴だ。
「ごめん、俺今日パス」
『ええ~! 今日って、お前いつもそれじゃん。偶には、いいだろ~。何、それとも何か用事? バイトだった?』
「いや、今日はバイトはないけど……」
『じゃあいいじゃん! 昨日、お姉さんの引っ越し終わったんでしょ? 気ままな一人暮らしの始まりじゃん? 何の問題もないじゃん?』
斎藤の気軽な声にため息が出た。
「そーでもねーんだよ」
『え? 何が?』
「何でもない。とにかく、今日は無理」
『も〜、しょうがねぇな。あ、そうだ。来週末サークルの飲み会あるって。空けとけよ~』
「ごめん、それもパスするわ」
『……なぁ大和お前さぁ、俺らももう二年生だよ? 大学生活なんてあっという間だよ? 今遊ばないで、いつ遊ぶんだよ? お前いっつも勉強とかバイトばっかじゃん。彼女欲しいとか思わないわけ?』
「今んとこ、興味ない」
いつもの会話だ。サークルにも斎藤に誘われて入ったものの、特に興味もわかなくて、数回参加して以来最近は全く顔を出していない。
コイツもいい加減ほっといてくれればいいのに。こういう時は若干面倒だと思ってしまう。
素っ気ない俺の返事にも慣れているのか、斎藤はめげない。
『そんなこと言わずにさ~。同じサークルの三好さんが、すげえお前のこと気にしてんの。毎回お前来るのかって聞いてくんだよ』
「あー……」
久しぶりに聞いたその名前に微妙な声が出る。斎藤には話していないけど、俺がサークルに行かなくなった原因のひとつだ。その人と関わるのが面倒で行かなくなったっていうのもあった。
『三好さんわりと可愛い系じゃん、付き合っちゃえば?』
「いや、いいから。そんなことより、明日俺の分の出席カード出しといて」
どうせ講義に出たところで、集中なんてできないってわかったし。明日こそ、あの人とちゃんと話をしないと。そうしないと、俺の精神がもちそうにない。
『え? 何、何? 真面目な大和君が、そんなこと言うなんて珍しい! 毎回ノート見せてもらってるし、別にいいけど。そういえばさ、いっつも誰よりも早く、一番前の席についてノートとってんのに、今日は遅刻ギリギリだったよな~。何かあったの? あ、もしかして――』
「いいから、頼むな」
斎藤との通話を無理やり切って、夕暮れの中ひたすらチャリを漕いだ。通いなれた道が長く感じて、家に着いた時には汗だくだった。
とりあえず、一見して家は燃えていない。ほんの少しホッとする。
玄関の前で一度深呼吸をした。こわごわドアを開く。室内は電気が点いていた。
「……ただい」
「遅かったな」
間髪入れずに返事が頭上から降ってきた。
意外なことに、我様は玄関に仁王立ちで出迎えてくれた。
「え? 何? 何でお玉持ってるんです?」
「早く来い。冷めてしまうだろう」
俺の質問には答えず、我様は急かすように言った。冷めるって何が、と疑問に思いつつ我様の後に続いて廊下を歩く。
リビングに入ったところで、なんだか味噌汁のにおいがすることに気がついた。
「え?」
台所のテーブルには料理が並んでいた。ご飯に、味噌汁、卵焼き、お浸し。朝と全く同じメニューだった。
いや、でも朝全部食べたはずだよな。
「何、これ? どうした、んですか?」
「作った」
「え? 我様が作ったの?」
びっくりしすぎて、タメ語になった。
「他に誰がいる」
我様が憮然と答えた。若干不満そうだ。
「いや、だって。どうやって……?」
「今朝、お前が作っていたではないか。一度見れば、大抵のことは覚えられる」
朝、穴が開くかと思うくらい見つめられていたのを思い出した。いや、それにしても記憶力がよすぎじゃないだろうか。この人の頭ン中、一体どうなってんだ。
「いいから、早く座るがよい」
茫然と突っ立っていると、急かされるように椅子に座らされた。とりあえず、手を合わせる。
「……いただきます」
一見ちゃんとしている風だけど、味はどうなんだろうか?
ちらりと視線をあげると、我様と目があった。仕方ない。恐る恐る味噌汁を一口すする。
「うわ、すげえ。ちゃんと味噌汁の味してる……」
ちょっと冷めてしまっていたけど、普通に美味しい味噌汁だった。感動してしまう。
「存分に味わうがよい」
俺の言葉に気を良くしたのか、我様が笑った。
それから黙々と箸を動かした。お浸しの塩加減もちょうどよかったし、米もちゃんと炊けていたし、だし巻き卵も美味かった。ただ単に腹が減っていたせいもあったかもしれないけど。
「疲れて帰ってきた臣下を労えないようでは、王の名折れだからな」
正直言って、かなりびっくりした。こんなことをしてくれる人だなんて思っていなかった。もっと傲慢で我がままで自分勝手な人なんだろうと思い込んでいた。
なんだか悔しい。勝手に思い込んでいた俺自身にも、予想を裏切る我様にも。
「あー、えっと。あの。……ありがとう、ございます……」
俺の小さな声は、きちんと我様に届いたらしい。一瞬驚いたように目を丸くした我様は、俺の顔を見て、また満足そうに笑った。
その顔があまりにも無邪気だったからなのか、飯が割と美味かったからなのか。俺自身にもホントのところはわからない。
わからないけど。
いきなり現れて迷惑っちゃ迷惑だし、まだ全然信用なんてできない。騒がしいのは好きじゃないから、できれば一人で平和に静かに暮らしたい。その気持ちに変わりはない。ないはずなのに。
飯を食べ終わる頃には、しばらくの間だけだったら置いてやってもいいかな、なんて思ってしまっていた。
いや、ホントにしばらくの間だけだったら、だけど。記憶のない人間を放り出すなんて、後味悪いし。
ちらりと上げた視線の先では、まだ我様が笑っていた。
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