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第4話

「牡丹だ」 温羅の方に視線を向けたまま男がぽつりとこぼす。赤い鬼はふと息を吐き、男に目を向けた。 「―――――――真名か?」 「偽名だ」 赤い鬼の質問にそう答え、男がニヤリとした笑いを鬼に向けた。小さくそうかと答え、温羅の方に目を向けて口を開いた。 「――――――私は勝呂。さて、それで?人の子よ。お前はどうやって帰るというのだ?」 「その前にあの鬼は助けなくていいのか」 「構うな。人の子であるお前とは違う」  赤い鬼の――勝呂の答えにまた男は――牡丹は苦笑した。シャランと鈴の音が響く。 緩く結われた牡丹の髪紐には鈴が付いていた。二人が口を閉じると辺りはしんと静まり返る。温羅も出てくる気配がない。  しかしゴォっと一瞬の風の後、温羅は姿を現した。 「どれだけ強力な呪(まじな)いなんだ…」  牡丹は呆れたように呟き、勝呂は額に手を当てながらふっと笑った。 温羅が繋がれていた柱はまだそのまま立っていた。その体も繋がれたままだ。 「は、これは滑稽だな…温羅。こんな事になってまでもお前を封印しておきたかったのか……あの娘は」  柱は歪むことなく天に向かって真っすぐに立っている。温羅の鎖がわずかに音を立てた。 「それは、解けないのか?」 「無理だね……鬼封じの呪いだ。私にはどうにもできはしないよ」  牡丹は温羅をじっと見つめる。温羅は温羅で牡丹などには目もくれず、初めて目にする真上の空を仰ぎ見ていた。雪は止み、今は青空が広がっている。 「解いてやろうか?」  牡丹は髪紐を解きながら勝呂を見た。勝呂はふっと息を吐きながら牡丹を見つめる。睨んでいるとも取れる視線だ。牡丹はくすりと笑うと、両手で髪紐を掴む。 シャラン、シャラン、チリン。 シャラン、シャラン、チリン。 「この紐には祓いの力があるんだよ。その呪いが人の手によって施されているならこれで破ることはできる」 「………これは、人間の娘が施した呪いだ」  牡丹は静かに、音を立てない様に気をつけながら温羅に近づいて行く。勝呂は止めようとせず、煙管を咥えそれを眺めていた。勝呂にはどうしようもないほど強力な呪いだったのだ。塞がれていた格子戸に触れるだけてその身に痛みが走り、掌が爛れるほどに。 「温羅」  手を延ばせば届く距離で立ち止まり、牡丹は温羅に話しかける。温羅は空を見ていた顔をうな垂れ牡丹に目もくれずに、瞼を伏せた。 長くボサボサに伸び放題な黒い髪。長い前髪から垣間見る瞳は金色に光り、勝呂に比べれば短く形の歪んだ角が額から二本生えている。 「―――温羅」  ピクリとも反応を返さない温羅に牡丹は溜息をはきながら髪紐を揺らす。  シャラン、シャラン、と音が響き、温羅が地面に倒れこんだ。  ぼすんっと音がして、勝呂が煙管を懐にしまう。 「温羅、……人の子に助けられたか?」  勝呂は小さく呟き、わらう。 「けほっ、」  ガバッと体を起こしながら温羅が咳込む。しかしすぐに牡丹を見上げ、勝呂に視線を移した。立とうと足をあげるが、また地面に倒れこむ。 「動けまいよ、温羅。百年ぶりの、目覚めだからね」  ケラケラと笑う勝呂に牡丹は呆れた様に笑う。自力で立てない温羅は地面に座り込んだまま雪を見つめていて。 「雪が珍しいかい?」 「――――お前、人間だろ。何で呪いを解いた」  少しばかり掠れた、高めの声。牡丹は雪を指で突きながらそう問うてくる小さな鬼の頭を撫でた。牡丹は髪を結い直し勝呂に向き直る。とうの勝呂はニタリと笑いながら、煙管を噛んだ。 「さて、では最初の質問に戻ろうか。人の子よ。何をしに来たんだ?」 「興味本位だと言わなかったかい?」 「さて。まぁいいか。どうせならそのまま温羅を納屋まで運んでおくれ。餓死寸前だからね何か食わねばなるまいよ」  勝呂は言うが早いか、そのまま歩き出してしまった。牡丹ははぁっと息を吐き、温羅を肩に担ぐ。見た目は人間で言う、元服を過ぎるか過ぎないかくらいだと言うのに、重さはまるでない。少しでも力を入れれば折れてしまいそうなほど、温羅は軽い。 「人の子がなぜ鬼に構う。お前は人間が嫌いなのか」  おとなしく担がれたままで居た温羅は牡丹が歩き出すと同時に喋り出した。牡丹はその質問に応える事なくただ歩みを進める。  サクサクと雪が音を立てた。 「おい人間」 「はいはい?」 「お前は何をしにこの地へ足を踏み入れた。只の人間が足を踏み入れればどうなるかお前ならわかるだろう」 「鬼なら怖く無い。妖も。怖くは無いよ」  牡丹は答えながら前を歩く勝呂に目を向けた。赤い髪の鬼。都で噂になっていた鬼ならば、と。 「勝呂に手を出すなよ、人間」 「出さないさ。まだ死にたくはないからな」

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