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第5話
むすっとしたままの表情で、温羅は出された食事を端から端まで平らげていく。牡丹と勝呂はそれを見ながら笑いを堪えていた。
勝呂が案内した納屋は、温羅が封じられていた境内から尺に置き換えれば、三三十程離れていた。木々の隙間をすり抜け、開けた場所に、もう一軒しか無い納屋はあった。
「―――人の子、お前は何か聞きたい事がある様だが、聞かないのかい?」
「何だ、気づいて居たのか」
「ふふ、人の子は馬鹿だねぇ。だが、嫌いでは無いよ」
牡丹は勝呂をみてから、温羅を見る。温羅はまだ掻き込む様に食べ続けている。
「温羅は、貴方の子?」
「おや、鋭いね。私の一人息子だ」
「あっさりと、認めるんだな」
小さく呟いた牡丹の言葉に、勝呂は煙管を口に咥える。遠くを見つめる様に目を細め、口から煙を吐く。
「百年以上昔の話さ。人の一生は短い。短すぎるから、関わりたくは無い。関わらせたくもない」
勝呂は囲って居た暖炉に灰を捨て、右膝を立てる。静かに床が軋んだ。
「聞いたことはあるか?人の子よ。この島に住む、鬼の話を」
「鬼は恐れられてるって事か?でも―――――」
「昔、一人の娘が居た。美しく聡明で。芯が強く物怖じしない。私は愛していたよ。人の子など関係なく、愛していた。人身御供としてこの山に来て、私を確かに愛してくれた」
かたん、と煙管を床に起き勝呂は温羅を見つめる。よく似ているのだと、呟いた。
「百年だ。温羅は百年、彼処に封じられ眠りについていた。私には何もできなかったよ。百年も共に居たと言うのにね。その間に娘は死んでしまった。人は儚い。そして非力だ」
不意に温羅が立ち上がると、勝呂の隣に座る。しかも正座で。温羅はまっすぐ勝呂を見つめ、薄く口を開くが――すぐに閉じた。
「温羅?」
勝呂は首を傾げ、牡丹は温羅の素顔に息を呑んだ。
肌はまだ煤けているが、真正面から見る温羅の素顔は美しいと言う言葉がピタリと嵌る。そんな印象を受けた。
「勝呂、と呼ぶべきなのか?俺は、父と呼べばいいか?」
遠慮がちに温羅が勝呂を見つめる。
鬼、と言う人間にとっての化物である筈なのに、この二人の不器用な感じは人間の様だ。いや、それ以上かもしれないと牡丹は一人、考える。
都で流行っていた鬼の逸話は、百年生きる鬼の話。何も食わず飲まずに生きつづけている鬼がいるのだと。その鬼の血肉を食せば不老不死になれるのだと。とても信じられる様な内容では無かった。
それでも信じる人間は多かったのが現実だ。
人の考えは時に何をも凌駕するほど恐ろしい。
「母様は、俺を封じて後、元の主人に言っていた。愛してしまったのだと。」
「…………」
「俺は、人間はあまり好きじゃない。だけど、母様は好きだ」
勝呂は温羅の頭を撫で、にこりと笑う。
「お前はいい子だね」
そう言って温羅の頭を撫でる勝呂は、人間よりも人間らしい表情をしていた。噂のような、鬼ではない。ただの父親の顔だ。
「……人の子」
「なんだ」
「この島はもう、滅びの島だ。淀んだ空気に耐え切れず神は去った。お前ももう帰るがいい」
勝呂の言葉に、牡丹はふっと息とつく。都で流行っていた鬼の逸話を信じる者は恐らくそろそろ徒党を組んで乗り込んでくるだろう。そんな確信が牡丹にはあった。
「人間が言っても信用しないだろうが、ここは狙われている。恐らくは温羅の方が」
牡丹の言葉に勝呂はそうかとだけ答え、温羅の顔をきていた着物の裾で拭う。雪のように白い肌が露わになり、牡丹はまたもや息をのんだ。温羅の右頬には痣が浮かんでいる。
「これは……花?」
「まるで花の様だろう?これは温羅しか持っていないものだ。都に広まる噂の原因はこれだろう」
「その痣が?」
牡丹は良く分からないと首を傾げる。温羅の白い肌に赤い花の様な痣が浮かんでいる。それは人間とは思えない温羅の容姿を更に浮世離れした者へと変えていた。
「人の子には見えないだろう?温羅は。私もだが、人里に下りれば人の子ではないと容易に知れる。だけどね、お前は知らないようだが――――」
勝呂は口を閉じ、静かに立ち上がる。床に置いてあった長刀を手に取り牡丹に向けた。
「人の子が―――」
「勝呂?」
「お前、連れてきたのか?都の人間を」
勝呂の目が光る。赤い髪が風も吹いていないのにざわざわと揺れた。梁が軋み、温羅は勝呂を座ったまま見つめる。
カタン、と、外から小さな音が聞こえてきた刹那―――――
「勝呂!」
勝呂は牡丹に向けていた長刀を納屋の扉に向かって投げ飛ばした。ぎゃ、と蛙の潰れる様な声がした後、勝呂は床に胡坐をかく。
「人の子、お前の眼には人間特有の淀みがない。最初から疑ってなどいないさ。けれどまぁ、ここにいては危ないね」
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