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第6話

 溜息交じりに勝呂は呟くと、温羅の頭を撫でながら困ったように笑った。 「さて、温羅に着物を着せないとね。……とは言え、紅のものしか残っていないが―――」 「いい。それで」 「そうか」  部屋の角に置かれた箪笥は埃を被ってはいたものの中の着物や装飾品はその煌びやかさを失ってはいなかった。その着物の中から勝呂は黒い着物を取り出した。  黒地に、裾には僅かばかりの唐草模様。 「これでいいか?」 「ああ、構わない」 「そうか。ではまず身なりを綺麗にしようか、温羅。人の子よ、お前もいるなら手伝え」 「はいはい、わかったよ」  やれやれといった風に腰を上げた牡丹は、納屋の入り口の方へと目を向ける。一人な筈がない。都からやってくなら、船頭もいるはずだ。少なくとも二人はこの島に来ている筈。ならば、あと一人は何所にいるのだ。 「人の子、早く来い」 「わかっているさ」  勝呂が眉根を寄せながら呼ぶと、牡丹はやはり笑う。温羅はそんな二人を無言で見つめていた。  死ぬ訳にはいかぬ。こんな場所で、死ぬ、訳には。  声が木霊し、ふと足を止めた。二人には聞こえていない様だと首を傾げながらも温羅は辺りを見回す。人の気配は無い。 「勝呂」  山の中腹まで降り、勝呂が異変に気づかない訳が無いと温羅は勝呂の背中を睨む。だが、今の温羅は鬼特有の角を隠す為に目深い布を頭に巻き、その上に笠を被っていた。だからと言ってはなんだが勝呂には温羅の目が見えないのだ。 「嫌な空気がする。何故なにもしない」 「温羅、私達が助ける義理は無いよ。人は愚かだ。自分の為なら他人をも殺める。それを厭わない」 「なら、この人間は…!」  温羅は隣を歩く牡丹を指差し声を荒げた。しかし、勝呂はそれに答えることはなく温羅が被っていた笠を撫でた。  人間は好きじゃない。  でも、自分を産んだ母は好きだ。  温羅はふつふつと湧いてくるやり場のない感情を拳を握り締める事で抑えた。  先程から漂う空気には、鬼や妖にしか判らないであろう微かな死臭と淀んだ気が混じっていた。  ―――此れは、鬼でも人でも毒に近いものだ。 「温羅、この山が美しく神聖であったのはもう過去だよ。この山はもう荒廃し、人は住めなくなってしまった」 「それぐらい知ってる」 「なら、気にしない方がいいね。人の子が滅ぼしたのだ。私はもう、人を恨みたくは無い」  美しい思い出も、確かにあるのだから。 「人の子よ、さっきから何を黙っているのかな」 「いや、この島を出てどうするのかと思ってね」  なし崩しの様についてきている形になる。牡丹は鬼に会いにきたのだ。それはあっさりと叶ってしまったのだから、今後の予定がまるでない。 「此処は人間にも知れている。そんな危ない処には住めない」 「用心棒は、要らないのか?」 「お前は俺と勝呂が弱いと言うのか」  用心棒の言葉を聞くや否や責め立てる様に呟かれた温羅の言葉に、牡丹はそうでは無いと首を振る。  すっかり足を止めた温羅と牡丹に、勝呂は呆れ顔で煙管を咥えた。勝呂は袈裟を着て、温羅と同じ笠を被ってはいるがその額に今角は見えていない。勝呂自身の言葉を借りれば、角を隠すことは出来る、容易では無いが。と言うことらしかった。 「温羅、人の子、陽がくれる前に島を出たい。仲良く歩け。」 「勝呂!人間に馬鹿にされてもいいのか!?」 「温羅、その人の子は馬鹿にしている訳では無いよ」 「………っ」  勝呂の温和な声音に温羅は唇を噛み締め拳を握りながらうつむいた。牡丹は地面に膝をつき、温羅の顔を覗き込む。シャラン、と音が辺りに響いた。 「嫌いでもいいさ、鬼は人間が嫌いなんだろう?」 「っ!」  牡丹はそれだけ言うと立ち上がり歩き出した。温羅は後ろから牡丹を睨みつけそれでも、その隣で山の麓まで歩き続けた。  山の麓には小さな岸がある。ごつごつした岩肌の中に、真っ平らな岩が一つ鎮座していてまるで船の到着を待っているかの様だ。  温羅はその岸から山の頂上を見上げる。厚い雲に覆われ、山頂は見えない。けれど、百年の封印と眠りから解かれた事実は確かに実感できた。 「しかし、やはり人里だった影は微塵もないねぇ」  勝呂はふぅと息をはきながら煙管を懐に仕舞い、近くに立っていた歪んだ鳥居を見つめた。  赤い筈の鳥居は、今はもうその色を失い形も歪んでしまっている。神域と呼ばれた山ももう、神は居ない。勝呂や温羅の仲間である鬼も今はこの島を出て別の処に移り住んでいる。 「永い間、この島に留まって居たが――もう、戻る事も無いだろうね、此処に」 「いいのか?それで」 「―――いいさ。温羅、人間。其処の小舟で出るとするよ」  少し哀しそうに目を細めながら勝呂は温羅と同じ様に山頂を見上げる。厚い雲に覆われ、また雪でも降っているのだろうかと、少しだけ微笑んだ。    ――思い出は、ある。  忘れ難くてとても大切な思い出は、それだけは、捨てきれないものだ。何百年と生きてきて、その中でも。 「…さて…」

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