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第9話

 部屋の灯りは橙色の提灯がひとつ。その薄灯りのなか、勝呂はきていた袈裟を鬱陶しいと軽く乱した。 「……鴉は飼われていたと言っていたが、その人に心当たりはあるのか?」  何気ない牡丹の問いに鴉は首を左右に振りながら口を開いた。 「主、人間、じゃが、生死、分からぬ」  ぽつりぽつりと聞こえた天狗の声は思ったよりも低く、地に響くような声音だった。 「名は?」 「分からぬ」  名も分からないなら正直探し様がない。せめて名だけでも分かれば良かったのだが、牡丹は心で独りごちた。  勝呂は先程から何か考え込むように腕を組んでいるし、温羅は、眠っていた。今までに無い程深い眠りの中に。       ◇◇◇  ――――――人が居た。女が。  木張りの床に座り込み身を縮こめながら震えて居た。ボロボロの着物。恐らくは立派であったろうその着物には茶色く淀んだ血がこべり着いている。  女は悲鳴を上げる事すらも赦されずただそこに居た。  そんな中、一人の男が姿を表す。 「生贄はお前かのう?怯える様が愉快じゃのう人の子よ?」  まっすぐな赤い髪が、揺れる。血の様に鮮明で美しい赤。額には左右に二本づつ四本の角が生えている。外側は少し短く、内側の二本は淀んだ灰色をしていた。 「愉快じゃ愉快じゃ。ほれほれ、お主も麓の村を守る為に来たのであろう?」  温和な声音から奏でられる恐ろしく禍々しい言葉に、女は耳を塞いだ。その様子すら、男には笑いにしかならないらしい。 「あぁぁ!嫌です!食べないで!!!!!!!」  女の声は悲鳴と共に掻き消えた。  ふと。  勝呂は目を覚ました。あの後鴉の主である人の話を聞き、床に着いたのだったかと記憶を遡る。部屋に鴉の姿は無かった。牡丹は壁を背に胡座をかいたままこくりこくりと眠っている。 「嫌な夢だ…」  額に浮かんで居た汗を拭い、体を起こしながら開かれた襖の先に目をやる。僅かな灯りが目に入った。ゆらゆらと揺れている。あれは提灯だろうか。いや、そうではないか。 「……」  あの島を出たのは何百年振りになるのかと、ふと思考を巡らしながらその灯りを見つめていた。 「紅……」  呟いた声に、返事などある筈も無い。人間の命は何て儚いのだろうかと思い出しただけで切なくなる。温羅は確かに自分の子だ。顔の作りは紅にそっくりだが、確かに鬼だ。  勝呂はため息をつきながら立ち上がり、縁側へと足を運ぶ。  厚い雲が空を覆い隠していた。この分では半刻もしない内に雨が降りそうだと襖をしめ、中へと戻る。部屋の提灯はまだついていた。  温羅を見ると、勝呂は偶に胸が締め付けられる程に苦しくなる時がある。余りに似過ぎて居て、辛くなる。何度も考えた、人間を娶った時には喰ってやろうと。  だが、勝呂にはできなかった。 「勝呂」 「起きたのかい?温羅。よく寝ていたね」 「ああ、目が覚めた」  温羅の隣に座り、パチリと目を開けているその頬を撫でながら微笑んだ。温羅は目を細めながら身を捩る。 「母様に似ているか?」 「………そう、だね。似ているよ。だが、別物だ」 「人間の子だぞ」 「だが私の子だ」 「――――――そうか」  温羅はふっと息を吐きながら布団を頭の上まで被り丸まってしまった。その行動に勝呂は思わず微笑む。こんな行動までそっくりだと一人ごちた。  恐らくはこの先に紅以上に愛せるものなど出てこないだろう。そんな確信すらあるほどに愛した「人間」。それでも、勝呂にはただ一つだけ、できなかったことがあった。 「――――さて、」  勝呂はおもむろに立ち上がり、提灯を消すと、寝間を出る。宿の廊下はしんと静まり返り、人の気配が微塵も感じられない。  足音を立てないように進んでいく。と、ちょうど入口あたりに微かな提灯の灯りが見えて足を止める。  ばさりと、羽の音が音が聞こえた刹那――――――  後ろから腕を引かれ思わず傾いだ体を立て直そうと左足を後ろに下げた。  きしりと僅かに軋んだ音が響き、しまったと掴まれた腕を思いっきり引きなおす、がそれは叶わず、口を手で塞がれてしまった。 「落ちつけよ」 「っ」  空いていた手で煙管を持ち目にでも刺してやろうとしたところに、その声が聞こえて体から力を抜いた。 「人の子、邪魔をするな」 「邪魔って………」 「お前は私に関わるな」 「無理だろう」  ふうと息を吐きながら牡丹は勝呂から手を離し、乱れた着物を直しながら勝呂に向きなおる。 「鴉が帰ってこない。探しに行くだけだ」 「夜は危ないんだろう?」 「私は平気だよ」

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