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第15話

「―――そのままだとお前、鬼になるぞ」 「別に構わんさ。神になろうが鬼になろうが、関係ない」 全てを諦めた様な声音だった。 全てを諦め、今すぐにでも命すら捨てようと。だけど何かがそれを食い止めている。その何かが温羅にはわからなかった。 「さて、温羅……だったか。少し話をしようか」 「話?」 「くだらない話さ。お前は、生きることに意味があると思うか?」 「母様にもらった命を易々と投げ出す気はない」 生きることの意味なんて、考えるだけ無駄だろう。温羅はそう答え、青天目をまっすぐ見据えた。この男は恐らく、生に未練がない。けれど、死にたいわけでもない。この質問の意図をはかりかねて、温羅はため息を吐いた。右頬の赤いあざに触れながら、お前は、と口を開く。 「………何か未練があるんじゃないのか」 普通なら。――――温羅の考える普通であれば、青天目がまとうこの空気を人間は持ちえないはずだ。  鬼に堕ちるか、死を選ぶか。けれど、この男は生きている。仮面をかぶり、現実から目を逸らしたままで、確かに生きていた。 「――――未練なぞ、ないさ。ただ、そうだな……どうでもよくてな。この世も、人が陰陽師に頼ろうと、今俺の目の前にいるお前が、中途半端で危うい存在でも」 静かに、けれど確かに空気が冷えていく感覚に、温羅は息をのんだ。 「――――温羅。人と鬼の間に生まれてしまったお前には、とても危険なまじないがかかっている。それを少し、利用させてもらう」  似たりと口元が弧をえがき、背後からひたりと首筋に這う凍るような冷たさ。 「………俺を殺すのか」 「殺さない。それじゃあ面白くないからな。お前には――――」 ――都の人間すべてを殺してもらおう。  青天目の唇が確かにそう告げ、温羅はその場に倒れこんだ。力なく畳に倒れこみ、けれどその瞳は見開かれたままだ。 「………音無。その鬼を縛って檻に突っ込んどいてくれ」  温羅の背後に立っていたその少年は、長い赤髪を揺らし、目隠しをしたまま頷くこともなく温羅を肩に担ぎ上げた。刀を鞘に仕舞いながら、青天目に背を向け歩き出す。足音すらしないその少年の背中をじっと見つめながら、青天目はため息を吐き、薄暗がりな星一つない空を仰ぎ見た。 「――――…椎名」  虚空に消える声に、返事はない。ただ、コツリと、乾いた音があたりに響いた。  温羅が目を覚ますと、外は真っ暗だった。 顔を横に向ければ、僅かな明かりがあり、この場所がそれほど広くないのだと理解する。左ひじを軸にして体を起こし、少し痛む頭にこめかみに手を当てながら眉を寄せる。何がどうなってこの状態になっているのか、いささか理解しがたい。  乱れていた着物の衿をただし、立ち上がるとあたりを確認する。僅かな光の正体は、壁の隙間からもれた光―――と言うものではなく、部屋の端にぽつりと置いてあった燭台の蝋燭の炎だった。 「………」  部屋の入口らしい場所には赤い格子がはまっていて、その道を塞いでいる。 「出れない、のか」  小さくつぶやき、格子戸の前に胡坐をかいて座ると、床がギシリと音を立てた。 青天目と言う男と話をした記憶はある。だけどどんな話をしたかの記憶だけすっぽりと抜け落ちてしまっていた。ただ、嫌な事言われたような、そんな気がする。 「起きたのか」 聞いたことのないしゃがれた声に、温羅はふと顔をあげた。視線の先には一人の男――老人が立っていた。狩衣を着たその老人は、温羅を見下ろして一言、「勝呂はどうした」とそう告げた。 「勝呂を知っているのか」 「知っている。あの鬼はお前がここに居てなぜ来ない」 「………俺が誰か分かるのか?」 「あの鬼の子供だろう。よもや人の血を引いているとは思わなかったが」 老人のしゃがれた声があたりに響いて、温羅は格子に手をかけながら立ち上がり、老人をにらむ。 「俺が、人の血を引いているのが何かあるのか」 「―――――ないさ。お前には、何も」 それに、と言葉が続き、 「お前は空っぽだ。人でもなく、鬼でもない」 そう言われ、温羅は息をのんだ。老人から顔を背けて、ふっと息を吐く。視界を覆うように揺れた前髪に、今、自分の角が出ていないのだと初めて自覚した。額に手を当てながら老人へと顔を戻す――――と、そこにはもう人影はなかった。 「………これ」  代わりに、そこには一枚の赤い紙が落ちていた。何か文字が書いてあるが、読み書きのできない温羅には読めるはずがなかった。その紙を拾い、懐に仕舞うと、温羅は今度、床にごろりと寝そべる。畳とは違う木のかたさに眉を寄せながら目を閉じた。

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