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第16話

 夜空に散らばった金玉糖を拾い集めようとして手を伸ばしたことがある。宙にから回ったその手を掴んだのは、紛れもなく優しかった母だったはずなのに、その感覚すらもう思い出せない。いつだったか、勝呂がかなしそうに笑っていたのを覚えている。朧げに、けれど、確かに母はいた。  温羅はそっと目を開け、差し込んでくる陽に目を細めた。夜が明けたのかと体を起こすと、堅い床に横になっていたせいなのか、身体が軋み、節々が痛む。 「……………はぁ」 小さく吐いた息が離散して空気に溶ける。明るいと、格子の赤が所々くすんでいたり、剥がれていたりするのが見て取れた。その先に広がるのはさびれた庭園だ。木々はもう枯れてしまっている。遠くの方から祭囃子が聞こえてきた。 「起きたのか」 不意に聞こえてきた声に、温羅は顔を向けた。そこには昨夜話をした青天目が腕を組んで立っている。 「―――俺に何をした」 「特に何も。手を下さなくても、お前は勝手に動くから問題はないな」  くつりと笑い、青天目は腕を解き、今度は腰に手を当てた。笑っている口元しか見えないそのいで立ちは都ではさぞ目立つだろう。 「………何がしたいんだ」 「―――――――聞いてどうする?お前には関係のない事だろう」 低く、抑揚のない声が確かな圧をもって温羅の鼓膜を揺らした。やはり、この人間が、人間であり続けるには少しばかり雰囲気が逸脱している。いつ鬼に堕ちてもおかしくないだろう。まとう空気のソレは、憎しみや絶望がにじみ出ている。 「別に俺が憎いわけじゃないんだろう。なぜこんな事をする。ここから出せ」 立ち上がり、格子を手でつかみながら仮面で覆い隠された青天目の目を睨みつけるように温羅は見上げた。 「あぁ、出しても構わないが、お前はあともう少ししか時間がないだろう?」 「―――――――どういう、意味だ」  温羅の言葉に、青天目の口元がまた歪んだ。    ☆☆☆  勝呂は小さく息を吐いた。こう都に人があふれているとは思わなかった。祭りの時期だからだろうか。 「あぁ、人の声は耳障りだ」 「―――物騒な事言うなよ」  隣で呆れたように笑う牡丹に、勝呂は額に手を翳しながらまたため息を一つ。都の喧騒は祭囃子の音に紛れて広がっていた。 温羅の気配一つ追おうにも、こう人間が多くてはうまくいかない。勝呂は自分が苛立っていることに気が付き、また長くため息を吐いた。 「温羅がいそうな場所は、分かるのかい?」 「―――――そうだね…、方角だけなら、なんとなく」 あちらの方かな、と勝呂が指をさした方向には、民家の塀を突き破るように生えた一本の大きな木があった。 「だけど、あの木の気配が強すぎる。おそらくあれは――――結界なんだろうけど…」 ただ、と勝呂は言葉を止めた。 「…ただ?」 「―――罠だと思うけどね」 「罠だとわかりきってくると踏んでるんじゃないのか?」 牡丹の言葉に、勝呂はそれもそうかと空を見上げ、僅かに揺れた黒い影に止めていた足を動かし、その木に向かい歩き始めた。その後ろをついてくる牡丹に、「やばいと思ったら逃げた方がいい」と吐き捨てるように言うと、今日一番長い溜息を吐いた。    ◆ 「――――おお、これは罠だな」 その木の幹に勝呂が手を触れると、途端に若葉すらなかったその枝が淡い薄紅色の花を満開に咲かせながら、揺れた。どれだけ揺れても散る事のない花びらに牡丹が感心したようにその木を見上げる。 「………なるほど」 「お、なにか分かったのか」 「罠だよ。お前が言った通り、分かりやすい罠だ。誘い込むための………私と、恐らくお前を」 「――――なぜ俺を?」 「私と共に行動しているからだろう。巻き込まれたくなければ、今すぐ離れた方がいい」 お前は人の子だからね。 そう言葉をつづけると、牡丹が不思議そうに首を傾げた。 「今更、なんじゃないか。温羅も気になるし、何よりこのまま離れたら一生後悔しそうだ」 「―――そうか」 「勝呂は存外人に感覚が近いようだからな」 牡丹の言葉に、勝呂は木から手を離すと目を瞬かせながら困ったように笑った。 「――お前もおかしな人の子だね」 思えば、紅も相当におかしな人の子だったなと勝呂は過ぎ去って追いやったはずの記憶をたどる。思い出すには胸が痛いその記憶を忘れてはいけないと思う反面、忘れなくてはいけないとも思う。そんな薄情な自分を、あの優しい人の子は笑って許すのだろう。 ――――だめですよ、勝呂様。 そう、きっと綺麗に微笑んで。 「……なぁ勝呂、頼みが、あるんだけど」 「頼み…?」 「―――もし、俺に何かあったら――――」 そこまで言いかけ、牡丹は口を閉じた。パッと見開かれた目線は、勝呂の肩を飛び越えてその後ろへと注がれている。 「温羅…?」 牡丹のつぶやきに、勝呂が後ろを振り向くと、その視線の先には温羅が立っていた。 「………勝呂」 かすれたように温羅の声に、勝呂が歩み寄り、ぎこちなくその体を抱き寄せた。 「勝呂」 「怪我は」 「してない。それより、」 温羅が力なく勝呂の胸を手で押しながら体を話し、まっすぐにその瞳で見上げる。勝呂は嫌な予感がすると、僅かに息をのんだ。 「………時間が、ないって」  温羅がわずかに震える声音で、そう言葉を紡ぐ。見上げてくる瞳が揺らいでいることに、できれば気が付きたくなった。 「―――俺には時間がないって………本当か」

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