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第18話
「あぁ、おかえり。話は済んだ?」
にこりと笑んだ牡丹は、その木の下に立っていた。薄紅色のその花を咲かせる木は、恐らく「万年桜」だろう。勝呂はその木を見上げ、ふと息を吐くと後ろを歩いていた温羅を振り返る。そして、
「温羅、鬼は見たかい?」
そう言葉を吐いた。
「鬼?」
「―――柘榴が最期に鬼の子を助けてやってくれと……そう言っていてね。意識を抜き取られていつも苦しそうだと」
あの言葉は、無視するにはいささか気になりすぎてしまう。本当に鬼の子が囚われているのであれば、の話だけれど。
「……そういえば」
その勝呂の質問に、温羅ははじかれたように目を見開きながら懐を探り、読めない文字が描かれた赤い紙を勝呂に手渡した。
「俺は文字の読み書きができないから読めない」
温羅に手渡されたその赤い紙を見つめ、勝呂は「そうか」と笑った。
「――――――――あの子は、生きているのか」
ホッとしたように息を吐き、赤い紙を懐に仕舞うと、勝呂は行こうかと歩き出す。その万年桜の向こうは、何が起きてもおかしくない青天目の領域だろう。
牡丹は静かに目の前を歩く二人の背中を見つめた。親子とは少し離れているが、それでも親と子の二人の背中だと。そして少し、拳を握る。そして、ふと隣にかかった影に視線を向けると、そこには鴉が立っている。
「――――主は見つかりそうかい?」
「………………主の、気配、した」
小さくつぶやかれた声に、牡丹は笑いながらそうかと答え、歩き出した。
「…………………………人間」
「ん?どうかしたのか?」
鴉から話しかけてくるなんて珍しいと牡丹はもう一度歩みを止め、鴉に振り返る。
「主は、死んでいる」
「は………?」
「生者の、気配、ない」
「――――そうか」
なら、この先は地獄かもしれない。そう呟いて、牡丹は鴉に行こうかと笑いかけた。
地獄にいようが、天国にいようが変わらない。
「そのまま立ち止まっていると置いていかれるぞ。鴉」
「…………………主は、」
鴉は言葉を飲み込んで、牡丹の隣を歩き出した。
万年桜の向こうは不思議なことに静寂だった。祭囃子も、人の影一つない。ただ、空は青空でもなければ曇り空でもなく、ただ白かった。その白さの中にほんのりと夕日のような橙が泳いでいる。湿った匂いと、ほのかな花の薫りが鼻についた。
勝呂は先ほどの赤い紙に書かれた文字を思い出しながら、ふっと息を吐いた。
あれは友人である龍神の文字だ。暗号のような文字を描く、翁の姿を擬態する、龍神の、文字。
荒らされた山に棲み、人間に殺されたと聞いていたがそうか、生きているのかと。翁は死んでいるが、その子は生きている。
柘榴が言った鬼の子は翁の息子の事なのだろう。そう思いいたり、勝呂は安心したのだ。
「勝呂」
「ん?」
「青天目に、会うのか」
「――――いや。青天目に会うのではなく、鬼の子に会うんだよ。その子は解放してあげなければいけないね」
正直、青天目には会いたくないと温羅は思った。たとえその鬼の子に会うといっても、これから向かう先は青天目の屋敷のはずだ。それならば、必ず会う事にはなる。それが嫌だと感じるのはある意味「恐怖」を抱いているのかもしれない。あの仮面に隠された奥にどんな表情を携えているのかわからないからだろうか。それとも、その雰囲気だろうか。
「………勝呂」
「どうした」
「俺は、あと四日で人の子を殺す化け物になるのか」
勝呂の袈裟の一部を掴み、うつむきながら温羅はそう問う。あと四日。人が好きではないとは言え、人を殺すのは正直な話、嫌だ。それが、自分にはどうしようもないと聞かされたならなおさらだ。誰も殺さないなどと言ったきれいごとなんて反吐が出るけれど、それでも。
「……………温羅。お前にもう一つ言って無い事がある」
ぱたりと歩みを止め、勝呂が振り返る。温羅は不安そうな面持ちで顔をあげると、勝呂をまっすぐに見上げた。
「………四日経たずとも、お前は死にかけたら理性を失くす。だから、危険な事はしないと私と約束してくれ」
「―――――約束」
「そう」
「――――――――………母様とも、最期に約束をした」
ぽつりと温羅がつぶやき、勝呂はおもむろに小指を差し出した。くすりと笑い、
「指切り、かな」
そう言って温羅と指切りをする。
「母様と約束したんだ。無駄に命を散らさない。最後の最期まで、幸せに、と」
「あの娘らしい約束だ」
指を離し、牡丹と鴉が追いつくと勝呂はまた歩き出した。
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