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花と宿(有賀×桜介)

観光シーズンではないとはいえ、温泉街は不思議なにぎわいを見せていた。 なんとなく、名古屋から近いというイメージで岐阜に行こうと誘ってみたはいいが、桜介はあまり地理に詳しくない。友人と出かけるにしても都内がせいぜいで、遠出するにしても大阪くらいのものだ。 初めて降りた名古屋の駅のホームでぐったりしている割に嬉しそうな有賀と合流し、とりあえずの予定を決める為に昼飯でもと思ったら引きずられてそのまま電車に乗せられた。ついでに駅弁も渡され、下呂温泉に行きますと言われる。 「……それ、岐阜だっけ?」 「岐阜だよ。まあ概ね二時間ちょっとかな。長良川鉄道で郡上八幡っていうのも良いけど、温泉ならやっぱり下呂かなと思ってね。ご飯は向こうでもよかったけど、名古屋初めてだっていうし、じゃあみそかつえびヒレ重食べさせてあげたいじゃない? はいお箸」 「至れり尽くせりすぎて今ちょっと惚れ直してる」 「そうでしょう、そうでしょう。僕この三日くらい旅館と観光地とご当地グルメ探すくらいしか楽しみなかったからね。存分に惚れてくださって結構ですよ。ちなみに旅館は個室露天風呂付きです。思う存分お風呂に入っていいやつです。まあ、最近はそういう客室多いみたいで、別段VIPなお部屋じゃないんだけどね。流石にお名前が付いてるようなお部屋は勇気が出ませんでした」 「変なところで勇気ださなくて良かったよマジ……。ただでさえ浮かれてる有賀さんって金に糸目付けないんだからさ」 怖い怖いと呟いてみそかつヒレ重を奇麗に食べ終えた桜介は、一週間の有賀の愚痴を聞きながら比較的楽しく旅路を消化した。 男二人旅というのは、ちょっとどうかと思っていたが大して人目を引く事もない。多分、意識のしすぎなのだろうと桜介は思いなおした。引け目があるから、周りが気になる。世の中の大半は、桜介と有賀が街中でキスでもしない限りはこちらなど見ていない。 時々ご婦人の視線を感じるが、おそらく、有賀の外見に対しての興味だろう。いつもの様に比較的細身のパンツと奇麗めなジャケットを羽織った有賀は、文句のつけようがない程カッコイイ。その上眩しいからと普段は付けない薄い色のサングラスを着用している。どこの芸能人だという風情で、隣を歩くのも恥ずかしいがしかし格好良いので恥など忍んでもいい。 後で写メを撮らせてもらおうと思っていたが、引きずられるように旅館に付き、部屋に通されて仲居さんの挨拶が済んだ頃には、桜介はそんな微笑ましい用件はすっかり忘れていた。 「……有賀さん、勇気でなかったって、あれ、嘘でしょ。ここ、あの、部屋が三つあるんですけど」 「うん? いや、ほんとほんと。これね、この旅館の平均よりワンランク上の上等客室で、更に上に何個か離れみたいな個室客室があるんだよ。桐の間とか紫陽花とかそういうお名前付きのね。桜があったらそこがいいなと思ったんだけど、生憎無くて、まあ上等客室でいいかーと思って」 「いくらしたの」 「……怒るから言わない」 「ばか。普通のとこでいいのに。いや嬉しいし、払うし、来たからには満喫させてもらうけどさ! アンタ浮かれ過ぎでしょう」 「え。いやサクラちゃんは一万円くらいでいいよ。僕が勝手に連れてきたわけだし。どうしても払いたいっていうなら体、うそ、うん、なんでもないです。怖いから睨んじゃ駄目」 どこかの官能小説かレディース漫画の様なべたべたな台詞を言う有賀に、思わず鋭い眼光が向いてしまう。 別に、怒ってはいない。本当にびっくりしたし呆れたけれど、愛されすぎてて恥ずかしいと思うくらいだ。 「いやそら二人で泊るってなればさ、身支度もそれなりにしてきたけどさ、大人だし。お付き合いしている方との旅行ですよ。でもここ高級すぎて汚すのためらうじゃん……」 「ああ。そうね。じゃあ外ってわけにもいかないし、脱衣所プレイが一番合理的? でもサクラちゃん最近声押さえる技術めちゃくちゃ高くなってきて痛い痛い蹴ったら駄目痛い!」 「えろい話は夜にしてください」 「浮かれてるのごめんなさい」 存じております、とだけ返して、やっと桜介は外の風景を見る余裕を取り戻した。 座敷に加え寝室もあり、低い和式のベッドが据えてある。窓は大きく、外の川まで見渡せる絶景だった。板間からも外の露天風呂スペースに行けるらしく、こじんまりした木の浴槽が見える。 湯は既にはってあるらしく、ほんのりとした湯気と共に、扉を開けると水の音が聞こえる。 同じように近くの部屋でもチェックインした客達が部屋を探検しているのか、楽しそうな女子たちの声が届いた。 「……結構響くねぇ。まあ、流石にお風呂でとかそういうのは、バブルバス完備なあのホテルでいたしますよ。イイ年ですし、そこまでがっついてませんし、いや本当はもう今すぐちゅーしたいですけど」 「それくらいはしたらいいんじゃないの夕飯ってこっちが出向くシステムでしょ? もう二人きりだし何に遠慮、ん……っ、は、…………ちょっと……いきなり、……ふ」 「……ふ、……ぁ、だって、イイって言うから。あーサクラちゃんだ本物だ。本物と温泉だ。かわいい。うれしい。すき。だいすき。ちょっとぎゅっとしてもらえませんかしあわせ感じさせてちょうだい」 「喋るかキスするか抱きしめるかどれかにしろよ、もー……」 それでも嬉しくて、ぎゅぎゅう抱きついてくる体をしっかり抱きしめ返して笑う。 抱きしめていたと思ったら上を向かされ唇を貪られる。ああ好きだ。この男のキスが好きだし、体温が好きだし、抱きしめる強さが好きだし、好き好き煩い声も好きだ。そんなバカみたいな事を思ってしまうけれど言わない。それを言うのは夜でいい。 今そんな甘ったるい事を言ってしまえば、夕飯に出向けなくなりそうだ。流石に有賀も子供ではないが、一週間ひたすら仕事と人間関係と戦い摩耗している状態では、目先の甘いものに食いついても仕方が無い。 何度かゆっくりとキスをしてから、首筋に頬を埋めて抱きしめると、へなりと有賀の体から力が抜けて桜介共々畳の上に崩れ落ちた。 「ちょ、何、もう、……そんなにメロメロしてたっけ」 「してたよ、してましたよー……旅館は明日にして今日はメイクラブできる施設にそのまましけ込んだら良かったかなって思っちゃうくらいには飢えてますよ。でもさー、折角なら、おいしいご飯食べて、お酒のんで、温泉入ってゆっくりして、有賀さんと一緒に旅行すごく楽しいって笑ってもらいたいじゃない。わかりますかねこのコイゴコロと重い愛情が」 「あ、重いって自覚あったんだ。ていうか重い割に有賀さんの思考回路ってかわいいよな。うっかり感動しちゃうくらいにかわいい」 「褒めてる? 呆れてる?」 「あー……アイシテル、が近いかも」 「……今感動しすぎてご飯の前にサクラちゃんをっていうべたべたな台詞いいそうになっちゃったよ……絶対蹴られると思って飲んだよ。えらいね僕は。あー。ご飯……お風呂入ってご飯食べて感動の続きをいたしましょう」 「ゆっくり楽しむんじゃなかったの?」 「大丈夫明日も二人きりだから。明日満喫したらいいんだよ」 無理やりな理論を展開して、有賀は荷物を整理し、ベッドの上の浴衣を手に取りサイズを確認している。 ああそうか、今日は有賀も浴衣なのかと思うと、急に桜介がどきどきしはじめた。 バスローブは似合いすぎて嫌だと言っていたけれど、浴衣は似合うかもしれない。純和風な佇まいにはならず、おそらくモデルの様になるだろう。まだ夏は遠いが、湯上りはきっと熱い。窓辺の椅子に腰かけて湯ざましをしている様を思い浮かべるだけで格好良い。ずるい。早く見たい。 「……俺、今日見てるだけで満足かも」 「え。何それどういうことなの。触らせてよ!」 本気で焦り出す有賀が可愛すぎて、温泉に入る前にのぼせるかもしれないと思った。 End

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