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花と蟻と蝶の日曜(有賀桜とアゲハと唯川)
春も過ぎた暖かな緑溢れる休日のこと。
「お待ちしてましたぁー!」
普段は足を踏み入れることもない女性が好みそうな小奇麗な扉を開け、ゆるふわカットの髪をアシメに垂らした青年の笑顔の歓迎を受け、私はにっこりとほほ笑みを返した。
対し、後ろの二人は一歩下がった気配がする。そっと振り返ると、嫌そうに顔を顰めるアルを、サクラさんが捕まえてどうにかそこに留めていた。
さすがサクラさん、やはりご同行頂いて正解だ。
「ほんっと! ほんっと助かります大変助かりますまじイケメンをありがとうございますアゲハさん神か……!」
「いいんですよユゲさん、そんなヨイショしなくても。困った時はお互いさま。海棠(ハイタン)食堂の食券さえお忘れにならなければ何の問題もないです」
「……サクラちゃん、なんだか僕、あのひとたちの背後に薄暗い取引が見えるよ。しかも食堂の食券だよ。僕は食堂の食券の犠牲にされるんだよこれから」
「いいじゃん、無料で切ってくれるんでしょ? 有賀さん最近前髪いい加減ウザイって言ってたじゃん。諦めて腹くくって後暗い取引の犠牲になんなよ。海棠食堂うまいから俺好きだよ」
「サクラちゃんが寝返った……」
「一般的な意見だろ。どうせ暇なんだからいつものお返しに奉仕してこいよイケメン」
挨拶を交わし無人のサロンに招き入れられるも、後ろの二人は賑やかだ。
どうも二人揃って相手にすることが無いので、会話を聴いているだけで私も少し面白い。アルは昔から少し面倒で駄目な男だったが、サクラさんと一緒に居るとそれに拍車がかかり、尚且つうまい具合にそれが甘える方向に行くらしい。元来のタラシ性質のせいかそれともサクラさんの教育かはわからない。
時々鳥翅に顔を出すユゲさんこと唯川が『至急頼みたいことがある』と頭を下げたのは先週のこと。
恋人もいない、対人関係も良好に見える彼に頼まれる事などあっただろうか、と、酒場のマスターよろしく仲裁的な話を予測し首を傾げたが、実際話を聞いてみればそれは彼の仕事に関わることだった。
要約すると、『サロンの広告モデルの男性にブッチされて死ぬほど困っているので見目麗しい出来れば中世的なイケメンをどうにか紹介してくれないかモデル用に』ということだった。
普段飄々としている唯川がここまで真剣になるのは珍しく、ついその場でアルに電話してあげてしまった。情とは、時に行動力を産む。それもまた一興。
「いやもう、本当に。ほんっとうに! すいませんと心から思ってますし感謝してます! うちの店長思ったら即行動で無茶振り激しくて涙出ます。あと現代若者の仕事意識の低さに心がぼっきぼきです。なんだあいつらサロン舐めてんのかってもう、あー、もう! せめてキャンセルするなら代役たてるか相談するかしろって話でしかもぶっちとか社会人舐めてんのかって話ですよ、ねえアゲハさん!」
「まあ、仰る通りですねぇ。しかし女性向けサロンに男性モデルの広告とは、集客につながりますか?」
「繋がります繋がります。まあ、そもそもうち女性専用サロンってわけでもないし。あと今は奇麗な女性モデルの写真貼っておいても、どうせあんな風にはなれないしっていう諦め系の方増えてますし。だったらインパクト! イケメンをバーンって広告して、目を引いてなおかつ男性客も掴めたらラッキー! って方向やってみるそうです。あ、申し遅れました。おれじゃなかった僕はサロンルーシェのスタイリスト、唯川聖と申します。あだ名はユゲとか唯とかなんで、呼びにくくなければ好きなように呼んでくださいっ」
テキパキとサロンの中から道具を出しながら、唯川は奇麗にお辞儀をした。
「そんなわけで、有賀さんアゲハさんサクラさん今日は本当にありがとうございます!」
「え。俺も? え、中世的なイケメン募集じゃなかった、んですか?」
「いやもう伺った通りのアクのない男性で大歓迎です! ちょっと睨んでもらえば最高にかっこいいと思います。問題なんかまったくないです。あと髪の毛がめちゃくちゃ好みなんで個人的に触りたいだけってのもあります」
「……髪の毛?」
「……好み?」
「ああ、ユゲさんね、ちょっと変質的な髪の毛フェチなんですよ。天職ですよね。髪の毛が好きすぎて本体の人間には友愛以外は一切抱かない良心的変態なので、アルも優しくして差し上げてください。貴方がたがバカップルだという事実はきちんとお伝えしてありますから、取られませんよ。アル、サクラさんが茹であがって使い物にならなくなるんで腕をお離しなさい」
「自分の心の狭さをどうにかしたいねぇ、本当に」
「狭いのは結構なことですけどね。独占欲を抱くのは素敵な事ですよ。まあ、この髪フェチは基本無害なんで心おきなく頭をゆだねて差し上げて下さい」
奥の控えには衣装が用意され、各々まず軽く鋏を入れられ、着替えをし、化粧を施され、スタイリングされて撮影となるという説明だった。唯川一人では流石に回らないらしく、これから別のスタッフも到着するらしい。
「……アゲハさんもやるんですね。こういうの嫌いそうですけど」
普段着ないような服の山を眺めながらぼそりと零すサクラさんに、苦笑まじりに笑い返す。
「あまり好きではないですねぇ。個人的に着飾るのは嫌いではないですが、それを見せびらかすのは友人知人で結構です。ま、常連客が頭を下げたとあらば、手伝って差し上げるのも縁のうちですかね」
「はー。相変わらず粋っすね」
「それとね。……最近アルもサクラさんも私の店の事をお忘れの様だから、ここはひとつ引っ張り出して一日私に付き合って頂くのも有りかな、と、思いまして」
悪戯っぽく意図的に笑えば、サクラさんが目を丸くして少し気まずそうに目を逸らした。
ああ、確かにこの人のこういう些細な仕草が、男性的なかわいらしさをうまく引き出しているな、と思う。一足先にスタイリング中のアルの視線が痛いが気がつかなかったふりをする。
「……すいません。最近有賀さん、部屋から出たがらないヒキコモリで。まあ、俺もなんですけど」
「嫌味ではないんですよ。仲がよろしいのは素敵な事です。ただ個人的に私はかなりお二人の事が好きなので、たまには構って頂きたいなと思っただけですよ。ただの私の我儘です」
「…………今ちょっとアゲハさんにきゅんとした」
「あら、やめてくださいな。嫉妬深い恋人にサクラさんを鳥翅出禁にされてしまう」
「そしたらうちの店に電話してください。給湯器から水道管、庭の剪定まで大体なんでもできますんで。仕事には口出しされないからね」
「……何、ちょっと、浮気の算段ですかね? 僕はそれ怒ってもいいところ?」
スタイリングを終えたらしいアルが背後に立った気配で振り向き、私とサクラさんは同時に目を瞬いた。
いつもすらっとしたカットソーやシンプルなロングティーシャツを愛用している男は、ラメの入った柔らかそうな黒いテーラードジャケットを羽織らされ、胸元はいつも以上にざっくりと空いている。ふわりと派手なストールの色は紫と赤のマーブル。
じゃらじゃらとしたアンティークなアクセサリーを散りばめられ、ライナーまでひかれた姿は、インパクトのカタマリだった。
確かに美しい。
アルの美しさを充分に出し切っている、が。
「……ビジュアル系ですかね」
「……ビジュアル系だな……」
「うっさいねわかってるよ自分でも。途中からちょっと笑っちゃったんだよ僕だって。口紅引きますかねっていうのをね、必死に断ったんだよ。いいから早くアゲハもサクラちゃんも弄られておいでよ恥ずかしくて泣きそうになるこの気持ちを体験しておいで。早く」
若干ラメの入った目尻の化粧がきらきらと光る度に、どうして似合ってしまうのだろうとおかしくなる。
ともすれば笑いそうになる筋肉を引き締め、用意された薔薇色のフリルが入ったシャツを手に取りようやく着替えようとすると、背後でサクラさんの笑う声が聞こえた。
「しっかしほんとすんごいな。口紅引いてもらえば良かったのに。似合うよ?」
「似合うけどね。嫌だよ。もうそこまで行ったらモデルっていうかドラァグクイーンだね。別に嫌いじゃないし、アート的なものとしても興味ないわけじゃないけど、できれば自分モデルで体験したくはないかな」
「前髪もちょっと切った? ふっわふわで、なんかそれかんわいーな」
「……ほんと? これ好き? 珍しい跳ね方させられたから、わあすごい女子っぽいって思いながら鏡見てたんだけど」
「え、かっこいいよ。て言うか俺好き。似合ってるし、上の方のボリュームある髪型も新鮮でさ、なんかいいね。かっこいい。有賀さんたまにはこういうとこ通えばいいじゃん。商店街にファン増える」
「いやこれ以上あそこにファンいらないよ……でもサクラちゃんがお気に入りなら正直考えちゃう自分がいて心底チョロいなって思いました。キスしていい?」
「化粧してんだろ落ちつけ」
「……ルージュひいてもらえばよかったかもしれない。恋人にルージュの痕残すのって、ちょっといいよね。やってみたい」
「落ち着けって言ってんじゃん髪型崩れるだろばか頭叩けないんだからこっちくんな馬鹿」
振り返れば逃げるサクラさんを後ろから抱きしめて怒られているアルがいて、私は思わず呆れたような、微笑ましいような、悔しいような溜息を洩らしてしまった。
ああくやしい。自らも一人身だというのに、友人の恋愛を親のような気分で見守ってしまう、この微笑ましさがどうにも悔しい。
「観客が居る事をお忘れなさんなバカップル」
口ではそんな事を言いつつも。
ああバカップルと笑う自分も愛おしいと思えたので、この阿呆達は貴重な存在なのだろうと結論付けた。
薔薇色のシャツはなめらかでどうにも居心地が悪い。きっと私も、アル並みの耽美な仕上がりにされてしまうのだろうと思うけれど、まあ、たまにはこんなお遊びもいいだろう。
アルとサクラさんを連れだって出かける際には、甘くなりすぎる彼らをピシャリと叩く手が必要だ。それさえあれば、甘さも心地よく楽しく映える。
それを実感した日曜のことだった。
End
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