10 / 54

蟻と花火と夏(有賀×桜介)

日本の夏は過ごしにくい。 夏を迎える度に有賀は四季を恨み、ただひたすらにあがる気温を恨み、毎日ニュースで報道される今年一番の暑さという単語を恨む。 もとより寒さより暑さの方が苦手だ。 体力がないことも手伝って、うっかりすると容易にバテる。食欲がなくなり、少し歩くだけでもふらふらする。 故に有賀はあまり夏が好きではない。 去年まではそう思っていたのだが。 「……まあ、夏も、アリかな」 日が落ちてもまだ蒸し暑い夕暮れ時、河原に敷いたシートの上でぼんやりと空を見上げながら思わずそんなことを呟いた。手にしたビールは、早くもぬるくなっている。だが、そのぬるさも今は許せる。 有賀の独り言をききつけて、チューハイの缶を傾けていた隣のサクラが笑った。 「有賀さんさ、案外行事好きだよなぁ。花見もそうだけど、祭りとか、キャンプとか。花火大会ってあんま経験ない?」 「そうだねー無いねーいかないねー……この時期はお盆進行でたいがい仕事してるからねぇ僕。そうじゃなくても夏の初めって暑さに身体がついて行かなくてね、まあ、ぐったりしているのが通例です」 「え。もしかして忙しかった?」 「全然。最近やっと雪ちゃんが一人立ち気味でね、お仕事量を分担できるんで楽なんでね。なるべく食事も抜かないように気をつけてるしさ。なんてったって、一緒に食べてくれる人ができましたので」 「わぁ。俺って有賀さんの健康にまで一役買ってんのかすげー」 けらけらと笑う声が愛おしく、思わず手を伸ばしてキスをしそうになったが、どうにか理性で押しとどめた。危ない。今は二人きりではないし、部屋の中でもない。 町内会で花火をみながら飲む会があるけれど一緒に行かないか、と、誘ってくれたのはサクラと里倉だった。 川縁に敷かれたシートの上には花見の時同様に、近所の主婦の方と有賀がそろえたつまみと料理が並び、ご婦人方はおしゃべりを、男たちは酒を、子供たちは打ち上げ花火などものともせずに手持ち花火を楽しんでいた。 キスを我慢する瞬間、少し無言になってしまって、会話に妙な穴があく。何をしようとしていたかばれて、サクラにまた笑われた。 「二人きりの方が良かった?」 「……まあ、それも捨てがたいけれどね。でも僕、騒がしいの結構好きだしねぇ。町内の方々にちやほやされるサクラちゃん眺めるのもおもしろいよ」 「なんだー嫉妬してくれないのかー」 「サクラちゃん酔ってる?」 「3パーセントのチューハイで誰が酔うかっての。俺はさーさっきさー高松の若奥様と一緒にさーお手製ハーブ談義しちゃってる有賀さんの後ろからめらめら嫉妬してたのにさー」 「酔ってるでしょ」 「酔ってないってば」 だってそんなうれしいことを言われてしまうと、どうしようもない。 普段二人でいても、サクラはそういうことをあまり言わない。思ったことはさっぱりと口にするタイプなので、本当に嫉妬などしないんじゃないかな、と思っていた。 ひゅるるるる、と遠くで火の玉が空に登る。 ふわりと丸い光が開く。 ドン、と心臓に響く音がする。 ばちばちと、火の粉が消える。 空になったビール缶をからからと回していたら、気の利く里倉に回収されて瓶ビールを渡された。 今日の酒は、夏らしくビールが多いらしい。 定期的につまみをすすめにくる若い主婦たちは、普段はすれ違うこともまれな人たちだ。有賀はあまり商店街を利用しないし、行ったとしても休日の午前中か仕事帰りの時間帯になる。 花見の時に面識があったのは近所のご婦人方のみで、町内会の行事に参加したのは初めてだった。 料理片手に急に現れた見目麗しい男に、女性陣が色めきたったのは無理もない。 だが有賀の方は、サクラのアイドルっぷりに目をむくことになった。 お年寄りのアイドルだと思っていたが、どうやらサクラは子供や女子にも人気らしい。 思えば里倉工務店は学生が利用する駅の近くの商店街にあったし、二件先には女性が好きそうな洋菓子屋もある。花屋と肉屋も近い。要するに人通りが多い。 学校帰りの少年少女や近所の若奥さん達に人気だというのも、頷ける話だった。 女性陣の挨拶を適当にかわしつつ観察したが、何人かの女性は真面目にサクラに恋慕しているような雰囲気がある。 なんとなく予想はしていたが、実際目の前にするとどうにも、不思議な気分になった。 確かにサクラはもてるだろう。 見た目も悪くない。有賀と並ぶと多少背が低いのが目立ってしまうが、器量の良さと性格の良さは有賀が一番よくわかっている。 なにより気さくで爽やかだ。なんでも直してくれるサクラのお兄ちゃん、といったところだろう。確かにかっこいい。 「ちょ、りえちゃんそれ酒だっつの! 今日一人で来てるんだろ、そんなもん飲ませたら旦那に殺されるからだめだめ!」 昔なじみらしき少女から缶を奪い取り、子供はジュースでも飲んでろーと笑ってコーラを投げる。 受け取り損ねた少女が『炭酸投げないでよ!』と怒る。それに笑顔で応じるサクラはやはり格好よくて、ビールのふたを弄びながら眺めた。 「……なに? またちゅーしたくなった?」 「いやー……うん、まあ、それは常にしたいけどさ。なんていうか、サクラちゃん本当にアイドルだねぇ、と思いまして」 「あはは、なにそれ! アイドルだっていったらそれこそ有賀さんのことじゃん。さっきから何人の奥様にご挨拶されちゃってんの、もー、俺が隣にいないとマジ、芸能人みたいな空気だしやがってこのスケコマシ」 「すけこましって久しぶりに聞いたねぇ、別にだましちゃいませんよ。越して来られた方ですかーっていう質問にそうですスワンハイツに春からおじゃましていますって答えるだけの簡単なお仕事だよ。もう僕の存在とかそれ以外の何者でもないからね。あとはもうサクラちゃんとちょっと言えない関係だってだけだし」 「でてるでてる、口からでてる。有賀さんの方こそ酔ってんじゃないの」 「……酔ってないけど拗ねてるかもしれない」 つい、口をついてでた本音だったが、すぐに後悔した。 相変わらず自分は子供で、余裕が持てない。勿論花火は美しいし町内の顔なじみも楽しく酒を勧めてくれる。非常に楽しいのに、つい、サクラの周りに嫉妬してしまう。全くもって面倒な大人だと反省した。 「あー……いや、今のなし。忘れてゴメンナサイ、ちょ、サクラちゃんなんで寄ってくるの近い近い……」 「なにそれちょうかわいい今日どうしたの酔ってんの?」 「酔ってないってば」 至近距離でぺったりとくっつき、見上げてくる視線がつらい。次第に顔が熱くなる。ぱたぱたと顔を仰ぎながら、ほもだって言われちゃうよと注意すると、にやにや笑ってしなだれかかってきた。 やはり、酔っているのかもしれない。 「へーきへーき。みんな酔ってるしそれどころじゃないしお祭り気分でわけわかんなくなってるから。そんなことより有賀さんちょうかわいい」 「……僕だって常日頃からサクラちゃんちょうかわいいって思って生きてますよ。伝わってるでしょこの重苦しい好意」 「びしばしと体感してるけどさ。でもなんか、いつもと違って、こう……ごねごねしちゃってるのかんわいい」 「ええと、ありがとう? 喜んでいいのかいまいち微妙だけどね……ていうか本当にあれだよ、そのー……うん。サクラちゃんがちやほやされてるの見るの、好きなんだけどさ。好きなんだけど、正直なところぶっちゃけると、やっぱりこう、なんていうか、僕の方だけ見ててくれないかなっていうさ……。サクラちゃんが、アゲハにもやもやする気持ち、わかっちゃうねぇ……」 「…………きゅんとしすぎてべろちゅーしたくなった」 「うわぁ即物的。僕もしたくなるからよろしくないね。花火は最後まで見たい」 「うん。後かたづけもちゃんと手伝おう。そしたらスワン……あー、いや、俺んち行こう」 少しだけ言い淀んだ後に、そんなことを言うサクラが愛おしくて抱きしめようとした手をどうにかぐっとこらえて、笑うことだけにとどめた。 夏も悪くない。恋人の嫉妬も、たまには悪くないらしい。 「こう……耳元でずっと『サクラちゃんは僕のものだよ』って言いながらでろっでろになるまで延々と攻め続けるプレイを所望したいです」 「……有賀さんの酔いが醒めてからなら検討します」 調子に乗るなと笑われて、ああでも、やっぱり好きだなと思った。 end

ともだちにシェアしよう!