16 / 54
煙草を銜えて話すこと(有賀+シナ)
苛立つとどうにも煙草が吸いたくなる。
「……さっむ……」
世間は喫煙者には厳しく出来ていて、一カ月前から通い始めたデザイン会社の喫煙所はまさかの裏口の外だった。非常階段の下にひっそりと置かれた年季の入った灰皿は、隠れて吸うヤンキーみたいな気分にさせる。
実際おれの見た目なんか全力でヤンキーなんだから別に否定はしないけど、それにしても寒い。北海道では雪が降ったとかニュースで見た気がする。今度手袋買いに行きたいと言ってたトキチカさんを思い出して、どうにか苛立ちと共に煙を吐き出した。
煙草は暖になってはくれないが、もやもやした気分を解消してくれる。
最近はそれでも一日五本になんとか押さえようと頑張っていたというのに、この一カ月で一気にヘビースモーカーに逆戻りだった。
家ではなるべく吸わないようにしている。トキチカさん別に煙草やめろとか言わないけど。なんとなく、おれはいいけどトキチカさんにケムリ吸わせるのどうよって思うから。
だからおれは帰る間際、寒空の下ぼんやりと階段下で煙草の煙を吐き出しているわけだ。
「…………大人ってみんなああなのか」
ぶつぶつ独り言垂れ流すタイプじゃないけど、うっかり口から零れ出るのは本心だ。
まだまだおれが若造だってだけなのかもしれない。社会ってやつは結構アホで溢れてて、どうにもならないことばっかりで形成させているのかもしれない。
それにしたって限度があるだろう、と思う。
ホシノフォトスタジオのぼんくら所長もそこそこのアレだが、このスミクラデザインのボスも相当ソレな人間だった。やっぱり類は友を呼ぶんだ。所長の紹介なんてやつを信じたのが間違いなんだ。そうに違いない。
DVD屋のバイトを辞めて、後学の為にデザインやら印刷やらとにかくそういう仕事に関わってみようと思った、ところまではいいんだけど、一応かけ持ちの残業代とかいろいろあるし所長に報告したら勝手にスミクラデザインに話を通されてしまった。くそ。言うんじゃなかった。決めてから報告すべきだった。
それでもまあ、自分で探す手間は省けたし、どんな場所だって仕事は仕事だと割り切って作業できる心意気もきっと社会には必要だ。
そう意気込み直してバイトとして出勤し、一週間で早々に心が折れた。
人間、わかりあえない奴っていうのはやっぱり存在するもんだ。
言われてもない作業のことで怒鳴られ、二度三度と違う指示を出され、しかもそれが嫌がらせもなんでもなく普通のことらしい。やばい。この会社やばい人間がブラックすぎる。
何度目かわらかない溜息をついて、二本目の煙草に火をつけたとき、裏口の階段を下りてくる足音に気がついた。
反射的に顔を上げると、長身の金髪男子と目があった。
いや男子っていうか、年上だろうとは思う。やたらきれいな顔の人で、そのせいで年齢が良くわからない。
おれはピンク髪が程良くやんちゃに似合っているらしいが、この人はブリーチした髪がお洒落に似合っている感じだった。少なくともヤンキー風ではない。
こんな人ビル内に居たかな。同じフロアじゃないのかな、と頭を捻っていると、金髪美男子は軽い足取りでおれの隣に立った。
「すいません。あのー。……大変不躾なんですけれど、」
「え。はい?」
そして改まった口調できれいな男はおれに頭を下げた。
「……煙草、一本わけてもらえないかな?」
いきなり何を言われるのかと身構えていたおれは、二三度瞬きを繰り返した後に詰めていた息を吐く。妙に表情がない人だから、怒られるのかと思った。
煙草は害だと急に説教してくる見知らぬおっさんとかおばさんとか、実は案外いる。知るかよ誰だよアンタに関係ねーだろ、とは思うもののそのまま返したらおれの方が加害者とされそうなので、大概そういうときはソウッスネと笑って誤魔化していた。
その類かと思ったら違った。
むしろお仲間だったらしい。
「………………はぁ。まあ、いいっすけど。メビウスライトっすけどいいっすか」
「ピースじゃなければ平気だよ。あそこまで強いとちょっと頭痛くなるけど。ああ、ごめん、ついでにライターも貸してもらえるかな……やめてから持ち歩かなくなっちゃって」
「禁煙中にいいんですか?」
「吸いたくもなるよ。ちょっともう、精神が限界でねー……ああ、キミさっき見たなぁ。住倉さんのとこで。新人くん?」
金髪美男子にライターをかざすと、慣れた様子で煙草をくわえて炎に近づける。長めの前髪がさらりと揺れて、伏せたまつ毛が長いなーなんて、ちょっと気持ち悪いくらい観察してしまった。
なんかこう、別におれはトキチカさん好きだけど自身はゲイじゃないと思ってるけど、この人妙に色気があって怖いなって思う。
「はぁ……まあ、その、しがない新人バイトっす」
「何日め?」
「一カ月、かな」
「……すごい。尊敬する。僕は二週間が限界だったねぇ」
「ぶっちゃけ限界です」
「あはは。そうだろうねぇ、そうじゃなきゃ人間性疑うもの。煙草くらい吸わせてよって思っちゃうよね、あの人の下で働いてるとねぇ。僕なんかもう三十分で降参だ。いやぁ、年取ると人間弱くなるもんだね。また二週間後に来なきゃいけないのが憂鬱で今からもう胃が痛い」
「お仕事の関係の方っすか?」
「うん? うん、そう、同業者だね。まあ、住倉さん個人とは一応先輩後輩っていう間柄なんだけど僕的には結構天敵かなって最近やっと気が付いてきた。あ、ちょっと待ってライターないけど名刺持ってる気がする……」
がさごそとコートのポケットを漁り、男はクラフト紙の名刺を取り出した。
至極シンプルでかっこいい名刺がよく似合っている。おれ自身はカラフルな色合いが好きだけど、落ち着いた単色も組み合わせによっては最強だと思う。
クラフトに暗い色は地味だけど最強だ。
かっこいい名刺には、シンプルな書体で『有賀デザイン事務所 所長 有賀将人』の文字が並んでいた。
……見た目よりもっと年上なのかもしれない。
「はじめまして、どうも煙草ありがとう。有賀と申します。煙草ありがとうついでにもうちょっと僕の喫煙タイムに付き合ってくれると尚ありがたいな。ここ、流石に一人でぼけっと煙草吸うには寒いし寂しいし、ええと、何君?」
「あ、すいません倉科です。本業はカメラマンアシスタントです。ホシノフォトスタジオの」
「あー。知ってるよ、結構いろいろ手がけてるとこだね。なんだっけ、赤と青と白の写真が有名な人がいるでしょ。ええと、カナ……カワシマ?」
「……萱嶋君江」
「そうそう。その人。昔個展見に行った事があるよ。すごく色が鮮烈な写真を作るひとだよね。僕、あの白の写真好きだったな。白樺の木の中に群れみたいに女の子が立ってるやつ。複製とかあったらぜひ部屋に貼りたいくらいには好きだった」
この一言で、おれはこの金髪美男子もとい、有賀さんが好きになった。
カヤさんの写真は独特で、ちょっと鮮烈すぎるっていう批評も多い。その最たる有名な写真が有賀さんが上げた『赤、白、青の三部作』だ。おれが人目ぼれして、そしてトキチカさんがモデルをしたのはこの赤い写真だった。
勿論、白も青も好きだし、そもそもカヤさん自体尊敬している。
ガチでこの先付いていこうと思っている先輩の作品を褒められて、自分の好きなものを好きと言ってもらえて、おれはこの人のことまったく知らないのに好感度がガンガン上がっていく。
聞けば有賀さんは、仕事の届け物をしにきただけなのに三十分拘束されどうでもいい近状を聞かされ、その上そのまま飲みにつれて行かれそうになって、慌てて逃げてきたらしい。
「いやぁ、人の話聞かない人だなって薄々感づいてはいたけどさ、ここ数年で進化というか退化というかこう、悪い方向にのびのびと育っちゃってるよねぇ住倉さん。十年前はもうちょい普通の人だった気がするんだけどなぁー。早いとこ奥さんもらって落ち着いた方がいいんじゃないかって思うよ……そしたら飲み会に強制連行されることも減ると思うとやっぱり早く結婚してほしい」
「酒、飲めないんすか?」
「いやお酒は好き。好きだし飲むけど。でもさ、どんなに美味しい料理もお酒も、やっぱり苦手な人間と一緒だと気を使ってしんどいだけだと僕は思うわけだよ。そんなわけで早急に強めの女性と結婚してほしい」
「無理じゃないっすかねー……なんか、男は女遊びしてなんぼ、って感じの話よくしてるし。つか有賀さんはご結婚してないんすか? そのリングは?」
煙草を挟む細い指には、シンプルなシルバーリングが嵌っている。結婚指輪と同じ位置にあるものだから、既婚者かと思っていた。
おれにリングを指摘された有賀さんは、ふわりと煙を吐いた。
「結婚はしてないけどね、お付き合いしている人からのプレゼントにいただいたので。まあ、浮気する気もないし、結構一生ものかなっていう人だから、結婚指輪みたいな気分で嵌めてるかな。大概の人は既婚者だと思ってくれるから、変なアプローチも減るしねー」
「あー。イケメン大変っすね……」
「多少身長があってくどくない顔なら誰でもイケメンって言われる時代だよ。倉科君だってモテるでしょ」
「どうっすかね。あんまりちやほやされた記憶ないっすけどねー」
「恋人は?」
「いますけど。顔が好きって感じじゃないだろうなってのはひしひし感じてます。まー別に、おれのどこが好きだろうがどうでもいいんですけどね。嫌いって言われなきゃもうそれでいいっす」
「べた惚れじゃないの。年上?」
「……なんでばれたんすか」
「なんとなく。僕のお相手も年上だから」
そして首を傾げて少しだけ笑う、有賀さんの美男子力半端なくてこれ絶対トキチカさんに会わせたらいけない人だって思った。
いや、多分トキチカさんの世界は半分くらいおれで構成されてるし、完全に盲目入っちゃってるから浮気とかあんまりビビって無いけど、そういうんじゃなくて、なんつーか、奇麗なもの好きなのはおれもあの人も同じでふらふら吸い寄せられていく習性も近いものがある。
奇麗な人は見てるだけで気持ちが良い。
おれだってそうなんだから、トキチカさんが目をハートにして有賀さんに見入る姿なんか、……ああこれただの嫉妬だな。うん。
そう思ったら急に勝手に恥ずかしくなって、誤魔化すようにゆっくりと吸っていた煙草を消した。
「倉科君、デザイン勉強したいの? それともおカネが入用?」
急に訊かれて、もやっとした勝手な嫉妬とか恥ずかしさとかは一旦置いといて、結構真顔で首を傾げてしまった。
「いや別に金が必要ってわけじゃ、あー、富豪でもないっすけど、スミクラさんとこで働いてるのは今後の勉強というか……ちょっと、事務とかそういうのも勉強できたらいいなって思って」
「じゃあ別に住倉さんのとこじゃなくてもいいわけか。いや、お金が欲しいっていうならちょっと難しいかもしれないんだけど、安い時給でも大丈夫っていうのならウチにくる? と思って」
「……え。まじっすか。いいんすか、こんな道端で会ったようなヤンキーみたいな人間雇っちまって」
「良いよ別に。一応僕が主だしね。煙草に付き合ってもらったお礼だよ。雇うといっても正規じゃないし、うち人が少ないから馬鹿みたいに忙しいよ。ちゃんと働いてもらえなきゃ、解雇だってありうるしねぇ」
それでもいいなら考えてくれていいよ、と笑われて、なんだこの人、美人なだけじゃなくて天使か何かかと思った。
喫煙所が外で良かった。くそみたいなバイト先の所長がクソでよかった。有賀さんが心折れて煙草吸いたいと思ってくれなきゃ今こうして一緒に煙草吸って無いし、そこんとこだけはスミクラさんに感謝した。
ありがとうクソ上司。あんたのおかげで良い出会いをしたみたいだ。
やっと一本吸い終えたらしい有賀さんは、ぐるりと首を回して「さて、」とおれに向き合って、そしてとんでもない事を口にした。
「飲みに行こう」
「え。は?」
聞き間違いかと思って変な声が出た。
けれどぼんやりしたイケメンは、まっすぐおれを見て口元を崩した。
「僕、キミのこと好きだなって思ってね。あとウチの事務所にくるならちょっと日付とか確認したいし、ああ、恋人さん待ってる?」
「いえ、今日は多分遅番……え、まじっすか? いや別におれは構わないっすけど有賀さんこそ家帰って奥さん候補に癒された方がいいんじゃ、」
「今日飲み会だって言ってたから平気というかむしろ僕は寂しい。飲もう。この辺良く知らないけど、まあ、平日だし二人くらい入れると信じてるよ。ワイン? ビール? カクテル? 日本酒?」
「……ビール派、っすけど」
「じゃあクラフトビール飲みに行こう。ベルギービールの美味しいお店の姉妹店が、あったようなきがしたんだよなぁ」
付き合ってくれる? と微笑む美男子は多分タラシだと思ったし、この人と付き合ってる人は、シルバーリングを贈って正解だと思う。
こんな人の薬指に何も嵌っていなければ、ほいほいと女子が惚れそうだ。本人にそのつもりがなさそうなのが、またなんとも、うん。奥さんガンバと言わざるを得ない。
「倉科君の恋人さんは可愛い系?」
「……残念かわいい系性格の見た目は美人系」
そんな恋人自慢を垂れ流しながら、おれは颯爽と歩きだす有賀さんの背中を追った。
End
ともだちにシェアしよう!