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花と豆と病のはなし 02

あなたの笑顔に嫉妬吐く 「おかえりいーちさんっ!」  玄関を締めた途端にぎゅっと抱きしめられて、思わずよろけてしまって二歩程後ろに下がっちゃったけどどうにか耐えた。  二日ぶりの唯川さんの体温とか匂いとかに、ふわりと気持ちが甘くなる。唯川さんは家に居てもワックスをつけている事が多いから、いつもグリーンアップルの匂いがした。  ぎゅうっと抱きついてくるのがかわいくて、俺もちょっとだけぎゅっとしかえして、ただいまと笑った。 「人酔い平気だった? ごめんね本当はお迎えに行けたら良かったんだけどね、車が手配できなくて」 「大丈夫でしたよ。駅までは仁奈の旦那さんが送ってくれたし、そこからはタクシー拾えたんで……ちょっと、駅は混んでたけど。お正月って、結構みんな外に出てるんですねー……」  久しぶりに実家に帰ったのは、妹夫婦が新年の挨拶がてら集まろうと提案してくれたからだ。  移動手段がタクシーに限られる為、あんまり帰ることもない。それでも一年に一回くらいは顔を突き合わせて話をしたいと思っていたし、最近は本当に吐くことも稀になってきていたので、体質の報告も兼ねて正月の帰省となった。  元旦は唯川さんと過ごし、二日に家に帰った。久しぶりに会った父親は案外元気そうだったし、結婚式ぶりの妹夫婦も相変わらずで、思い切って帰省して良かったと思う。  最近はずっと唯川さんと一緒だったし、会わない日も連絡を取っているのが当たり前だったから、ちょっとだけ寂しいというか、変な感じがしたけれど。  帰ってきてそのまま唯川さんのアパートに来ちゃったけど、自分の部屋より落ち着くような気がして、やっぱり変な感じだ。  ひとしきりぎゅうぎゅうされた後に鼻の頭にちょっとキスを残されて、やっと手を離してもらえた頃にはもう熱くて仕方なくなっている。いつまでたっても俺は、唯川さんの「好き」が熱くて慣れない。 「あーもうちょー寂しかったぁほんっとおれってば壱さん居ないとだめだね? 仕事中ならまだいいけど、生憎休みだったしもう寂しすぎて久しぶりに買い物行った……」 「え。三が日に……あ、初売り?」 「そう。初売り。普段はあんな人混みに行って何が楽しいのーって思ってたけどさー、わりとうっかりいらないモノ買っちゃって思ったより満喫……あ、壱さんに似合いそうなトップス何枚か買っちゃったー」 「……唯川さん、すぐそうやって俺に服プレゼントしてくる……」 「えへへ。だって似合う! って思っちゃうんだもん。おれの選んだ服着てくれる壱さんかんわいいしーなんか嬉しいしー流石にジャケットは急に買ったらアレかなーと思って目星だけ付けてきたから今度一緒に買いにいこーね? あと時計もかわいいのあったしーすんごいかっこいい靴あったしー財布もさー、あ、おれそういや無駄に財布買っちゃったんだみてみてー」 「……え、一人で行ったわけじゃない、ですよね?」 「え? あ、うん! トモダチ……ええと、トモダチかな? トモダチだと言い張りたい! 子と一緒に行ってきた!」 「……ともだちだといいはりたい子……?」  なんとなく言い方が微妙な上に唯川さんがちょっとうきうきしているように見えて、まさかお客さんの女の子とかじゃないよね、と、勘ぐってしまいそうになる。  荷物を置いてジャケットを脱いで、いつもの定位置に座りながら不審な視線を送っていると、唯川さんは慌てたようにつけ足した。 「あ、子って言ったけど男子だから! ほら、ええと、年末前におれがお友達できたのーって言ったでしょ? 有賀さんと飲んだ時に一緒に居た、年下男子のー」 「ああ……ええと、倉科さん?」 「そうそう! そのシナシナくんが! 年末年始彼女さんがバイトまみれで暇だっていうから! じゃあ暇な唯川さんと初売り覗きにいっちゃうー? みたいなノリで! 行ったらなんか楽しくてうっかり余計なもんばっかり買っちゃっていや買い物の魔力久しぶりに実感したよねーシナシナくんまじ買わせ上手。あいつ販売員とかの方が向いてる絶対に」  俺は直接知らないけれど、有賀さんの事務所で新しく雇ったバイトさんが件の倉科さんという人だと言う話は知っていたし、彼と友達になったという唯川さんの報告は聞いていた。  えへへと笑いながら、ともだちができたのーと報告してきた唯川さんはびっくりするくらいかわいくて、思わず自分からキスしてしまったくらいだった。  年上なのに。もう二十六歳なのに。ともだちできたって笑顔で浮かれるのがかわいすぎて駄目だった。まあ、その、俺だってトモダチとかほとんどいないから、そう言う人ができたらすごく浮かれちゃうだろうけど。でもやっぱりそんな唯川さんはかわいい。  俺の為に買ったという服と、うっかり買ってしまったというアレこれを並べられ、その多さにほんの少しだけ呆れてしまった。 「これ、全部一気に買ったんです……?」 「うん。あはは。自分でもアホなの? って、ちょっと思う……すっごい久しぶりに金額気にしないでどんどん買っちゃったんだよね。まあ、他に趣味もないから、別に後悔はしてないんだけどさー……基本買い物って一人で行っちゃうんだけど、同行者の一言ってこんわいね?」 「すごい、本当に買わせ上手なんですね、倉科さん」 「そうなのそうなの。なんかねーあれほしいんだよねーって言うとさー『でもそれ着ないっしょ。ぜってーつかわねーから、むしろそっちの奴が良い。絶対に良い。絶対似合うから着てみろ』とか言うのーそんなの買っちゃうじゃん? なんなのあの子まじオススメ上手ーヘアスタイルもあのくらいの強引さでオススメしてくれるスタッフ欲しいよ~うちのスタッフ基本自信持って提案できるのチーフくらいだからさー。シナシナいいなーカメラマンやめてウチのスタッフになんないかなー」  本当に呆れるくらい詰み重なった新しい洋服や小物を眺めながら、唯川さんはだらだらと倉科さんを褒めちぎる。なんか、そこまでこの人が言う人ってすごく珍しい気がして、感動と同時にちょっとだけぼんやりとした重い感情を覚えた。  これは覚えのある感覚だ。唯川さんがお店で女の子と喋っていたり、道端でナンパされたりすると、じわりと俺を襲う。……嫉妬とか、したくないし、嫌だなって自分でも思うのに。一度沸き上がった感情は中々自分だけでは消化できなくて、俺はすごく楽しそうな唯川さんの腕をひいてぎゅうっと座ったまま抱きついた。 「っ、え? え? 壱さんなに、え。どうしたの?」 「……唯川さんが楽しそうなの、すごく見てて嬉しいのに、ずるいなー俺も行きたかったなって思っちゃうんです。倉科さんばっかりずるい。……俺は俺でその時間、家族と過ごしてて楽しかったのに、唯川さんだってトモダチと遊ぶ時間があっていいのに、すんごいわがまま……」  言葉にすると本当に我儘すぎて、びっくりする。  浮気ってわけじゃないのは百も承知なのに、どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろうって。うだうだと唯川さんの肩口に額を擦りつけて息を吐いたら、急に強く抱きしめられて呼吸が止まった。  死んじゃう。死んじゃう唯川さん、俺死んじゃう! 「ゆ……っ、…………っ、」  びっくりしてばしばし背中叩いちゃって、慌てたようにちょっとだけ力を抜かれてどうにか息はできたけれど、まだ結構な力で抱きしめられたままで熱が上がる。  唯川さんはインドアだって笑うけど実はわりと力もあるしそこまで細くない。腕とか、ちゃんと筋肉ある。……たまにお風呂上りとかしっかり見ちゃってるからわかる。  だから本気で抱きしめられると、辛いし痛い。俺は見た目通りの貧弱体型だから、それこそ折れちゃうんじゃないかって怖くなる。  本気で怖かったのに、耳元に熱い頬が触れて、ぎゅうっと抱きしめられたまま壱さんかわいいって言われて、俺までたまらなく熱くなった。  かわいいのは、唯川さんの方なのに。 「ごめんね、嫉妬ってさ、する方はさーすんごい嫌な気分になるの、知ってるんだけどでもかわいいかわいいどうしよう、めっちゃかわいいうれしい……あーもう壱さん本当にかわいいね? 天使か。おれもシナシナの話ばっかりしてごめんね? いや本当にトモダチなんだけど、あと別に、比べるものじゃないんだけど、やっぱりおれは壱さんと居る時が一番ふわふわしてると思うよ。……あっつくてさー幸せなの」  耳元でえへへと笑い声がする。それが可愛くて嬉しくて、本当にさっきの嫉妬は何処に行ったのかっていうくらいに一気にぶわりと幸福が襲ってきて、言葉ってすごいなって感動した。  言葉ってすごい。俺の嫉妬の言葉は、唯川さんの素直な言葉で、きれいに塗りかえられて暖められて風船みたいにふわふわ、どっかに飛んで行ったんじゃないかなって思う。唯川さんは体温高めでいつもあったかいけど、多分、言葉もあったかいんだと思う。  冷たい空気は暖められて上っていく。俺の言葉も感情も、きっと、唯川さんと居るだけでどんどん暖められて浮上してしまうんだろう。 「俺も熱い。幸せ、です。……なんか、ごめんね、俺ばっかりうだうだしちゃって……」 「え、そんなことないない! だっておれだってさー壱さんが同僚さんとどっか行ったーとかご飯食べたーとか楽しくうきうき喋ってたらさ、良かったね! って思うけどやっぱりいいなーずるいなーねーねーおれは? って思うもん」 「……唯川さんって、どうしてそんなに正直でかわいいんだろう……」 「かわいいのは壱さんだし。おれはさー隠したりするの、怖くて苦手なだけだよ。言わなくていいことまで言っちゃうから、多分うざい人にはうざいんだろうなーって思うしさー。でもこんなおれのことかわいいとかスキとか言ってくれる壱さんが大好きよ?」  えへへと笑った唯川さんにほっぺたにキスされて、可愛くて熱くてもうだめでぎゅっと抱きついて深呼吸した。グリーンアップルの甘い匂いがする。最近は林檎を見ると、ちょっと唯川さんを思い出してしまう。  好きなものがどんどん増えて行く。今まで知らなかった感情をどんどん知って行く。その感覚が少し怖くて、でも、きっとすごく大事なことなんだろうなって思う。 「……そういえば、あの、唯川さん?」 「んー? なあにー?」 「買っていただいた服、なんだか随分可愛らしい色が多いですけど……今ピンクにハマってるんですか?」 「え。えー……とね」  いつも唯川さんの着ている服はかなり派手な色で、それこそ何処で売ってるんだろうって首を傾げるものが多いんだけど。ただ、俺用に買ってくる服はわりと普通と言うか、確かに自分では買わないデザインだけど着るとしっくりくるし奇抜というわけでもない。  でも今日これもこれもと並べられた服は、細めだったり色が鮮やかだったりで、そういう流行なのかなと思っただけだったんだけど、唯川さんは歯切れ悪く苦笑いした。 「あのー、実はおれ、シナシナにさーお付き合いしてる子が男子だって言って無くて……うっかり買い物途中に『あれ壱さんに似合うー』とか言っちゃったもんだから、なんというか、彼女に買ったげたらいいじゃんみたいな流れになるわけですけど男だって言ってないしこう、あんまりにもメンズなものはちょっと買う勇気が……別に、おれはさらっとカムアウトしてもいいんだけどさ」 「? 俺も別に、構いませんけど」 「うーん壱さんがそう言ってくれるのちょう嬉しいうふふ大好きーなんだけど、なんかさー有賀さんとサクラさんどうやら関係性を秘密にしてるみたいでね?」 「あ。そうなんだ。じゃあ、ちょっと微妙かなって、思っちゃいますね」 「でしょー? なんかさーおれがぽろっと自分のこと言って、その結果有賀さんに迷惑かけたらアレじゃん!? あの人も別にさーごくナチュラルにサクラ厨って感じだしホモかな? って感じだけど、サクラさんの方はひっそり生きて行きたい感あるよね。まあおれは大事な相談相手様なので言いふらしたりする気もないしさ」  確かに、有賀さん経由で知り合ったならその気づかいは普通だと思う。唯川さんって本当に回り見るのうまいなってちょっと感動してたら、思い出したようににやにやした声が落ちてきた。  すごく、楽しい時の声だ。いたずらっこみたいな声。 「あとすんごい面白くてめっちゃ誰かに言いたかったんだけど、何故かシナシナ、サクラさんのこと『仕事のできるキャリアウーマンでOL』って思いこんでるんだよね~それ聞いたとき笑い死ぬかと思った~めっちゃ耐えた~」 「え。倉科さんってサクラさんに会ったことないんですか?」 「それがあるのよ。どうやらサクラさん、通称じゃなくて本名で挨拶したらしくて、いやまあ当然なんだけど。だからシナシナのなかで『有賀さんの恋人のサクラさん』と『有賀さんの友人の三浦桜介さん』って別の人みたい。笑っちゃいけないの知ってるけど流石にしんどくて一回トイレの個室に逃げちゃった」 「…………笑っちゃいけないのわかるけど、確かに、ちょっと、大変なことになってますね」 「ねー? まあ、人の秘密なんてそれぞれだし、全部知ってるから親友とか、隠しごとあるから他人ってわけじゃないって信じてるけどね?」 「唯川さん、結構全部言うじゃないですか」 「それは恋人だからー。壱さんはとくべつ。おれが全部言っても呆れないでそんなとこがかわいいって言ってくれるの、知ってるから。甘えてるのー」  だめな年上でごめんね? なんて笑うからまた俺はたまらなくなって、グリーンアップルの匂いに顔を埋めてあーもう好きだなって相変わらずのことばかり考えた。  新年早々、結局同じことの繰り返しで、つまりは好きだなってことばかりなのに、毎日楽しいと思えるから不思議だ。 「唯川さん明日もお休み?」 「え、うん。明後日からお仕事ちゃんですー」 「じゃあ、俺と買い物デート行きませんか。……気分悪くならないように、がんばるから」  手を繋いで居れば多分平気だと思う。そう言うと、熱い可愛い恋人は感極まった様に一回俺を抱きしめてから、とろっとろの笑顔で嬉しそうに元気に「行く」と返事をした。  男の人だって事をうっかり忘れそうになるくらい、ものすごくかわいくて、慣れない仕草でキスをした。

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