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花と豆と病のはなし 03

ビーンズ&フラワー 「直ります?」  狭い給湯スペースの端っこから声をかけられて、見上げていた視線を落とす。  手は油でべたべで、なんだかよくわからない黒い汚れまみれだ。だからキッチン系って嫌いなんだけどさ。まあ、好き嫌いで仕事できたらトイレの水詰まり直したりなんだりなんかしないわけだし、換気扇の不具合はぎりぎり仕事の範疇だから許そうと思える。 「んー汚れか寿命か微妙なところだなぁ。とりあえず掃除はしてみるけど、スイッチの劣化かもしれない……。この換気扇何年目かわかる?」 「あー……事務所自体が確か借家で、元々空いてたとこに入った、筈だしそんときどういう工事したのかちょっときいてみないとわっかんないんすけど」 「まーそうだよなー事務所の換気扇ってそうそう大事なもんでもないしなー……」 「大事っすよ一大事っすよ何処で煙草吸ったらいいんすか」  よっこらせと脚立を降りたところで、ナイスタイミングでタオルを渡され、大変気がきく青年に感心しつつも苦笑いを作った。  そう言えば有賀さんもよくキッチンとかベランダで煙草吸ってたなーと思い出す。最近はすっかり吸わなくなったから、スワンハイツの換気扇はもっぱら焼き魚専用になっていた。  俺は煙草吸わないし、なんだったら三十年間で一度も口にしたことがないから、その魔力が良くわかっていない。どうやら随分中毒性があるらしいということはわかるけどさ。だからかなり必死な様子の倉科青年への対応は苦笑いになるわけだ。  その倉科青年から有賀さん経由で連絡が入ったのは、年明け早々のことだ。  俺はちょこちょこ有賀さんを迎えに行くし、まあ普通にあのデザイン事務所のクーラー付け替えとかしてたし、なんとなく『有賀社長とトモダチの電気屋のおにーちゃん』的な立ち位置で挨拶をする程度の仲だったわけで、急になんだどうしたといぶかしんだがどうやら普通に仕事の依頼だったらしい。  仕事場の給湯室の換気扇がうんともすんとも言わなくなった。これはまずい。そう思った倉科君は上司に報告するも、煙草を吸わない上司は特別料理をするわけでもないキッチンの換気扇に大した重きを置いているわけもなく、『これを機に禁煙したらどうだ(笑)』などと言い放って倉科君とその直属上司さんを絶望の淵に追いやったらしい(この辺まで有賀さんのまとめ)。  まあ、換気扇の修理なんて無駄金だという認識はわからんでもない。そんで、じゃあもういいっす自腹でどうにかしますって反旗を翻した倉科君は素直にすげえなって思った。  喫煙が良いことか悪いことかは置いておいて、その行動力はすげえなーって思うよ。うん。 「このビルって喫煙所みたいなとこ無いんだ?」  ありがたくタオルで手を拭き、工具一式の中からドライバーを探す。営業中に来るのもあれだよねって話で、終業後にお邪魔したからあたりはすっかり暗いし、当たり前だけど倉科君と二人きりだからなんとなく口調もぞんざいになる。  俺は案外対人関係でタメグチとか使わない方なんだけど、なんか有賀さんがシナくんシナくんうるさいから、なんとなく知り合い感があるのがよくなかった。 「無いっす。なんか昔は共同でそういうスペースあったらしいんすけど、やたらさぼりに行くやつが多かったらしくて撤去されたって話でまじで憤りしかないっすわ。そらまあ、吸わない人間にしてみたらサボリと同等でしょうけど……! わっかりますけど!」 「煙草吸う人ってそれ言うよな、わかるわかる。俺も吸わないけど有賀さんとか見てるとさ、吸った方が効率いいんだろうなーって思うもんな」 「そうなんすよ……! 作業効率がちげーんす! いやわかるんすよ無駄じゃん金使って健康損ねて時間使って無駄しかねーじゃんっていうのわかるんすけど……!」 「倉科君おちつけおちつけ。大丈夫直してやっから落ち着いて」  顔に似合わずというか、思っていたよりがっつり喋る子でヘンな奴だ。別に、倉科君がどんな奴だろうが特別トモダチってわけでもないし構わないんだけどさ、やたらと絡み辛くて無言になるとかだとちょっとしんどいし、喋ってくれるのはありがたい。  どう見てもヤンキーだし、どう見ても世界なんかどうでもいいっすって煙草ふかしてそうなのに、なんか話てるとちょっと面白い奴で興味がわく。有賀さんがお気に入りにするの、わからなくもない。  実のところ年末から年明けにかけてやったらシナくんシナくんとうるさかったから、若干嫉妬じみた感情を持て余していたのも事実だった。だってうるっさいから有賀さん。なんだよお前ついに男子までタラシ込んだのかよ一回殴るぞばーかばーかってもうちょっとで言いそうだった。誕生日めっちゃ祝ってもらっちゃったしすんげー愛されてるみたいなプレゼント貰ったから帳消しにしたけど。  そんなごく個人的なホモな感情で勝手に苦手かも意識抱いていた倉科青年だったけど、うーん有賀さんがちやほやするのわかるなーちょう喋りやすいし、正直かわいい。きっとコイツこの空気感、人によって若干合わせてんだろう。そんでそれが自然にできちゃうタイプと見た。  有賀さんは自分よりに空気持って行ってうまくなじませるけど、倉科君はうまく寄ってくるタイプなんだろうな。どっちにしてもタラシっぽいけど。  換気扇のスイッチを解体しながら、そんな事をだらだら考えつつ、倉科君の喫煙者苦悩談義をぼんやり聞き流す。 「あ。……でも倉科君ってさー彼女いなかったっけ?」  ふと思い立って声だけかけると、後ろでちょっとびっくりしたような気配がした。あれ、これ禁句だったかな? なんか普通に有賀さんが喋るもんだから、オープンにしているもんだと思っていたけど。 「えー、あー、はい、居ますけど……」 「あ。秘密の彼女さんだった?」 「いやそういうわけでも……あー、社長か。社長っすか」 「あとこの前唯川君とこ行った時にそんな話になった」 「ひじきもか……!」 「ひじ……あーそういえば仲良しになったんだって嬉しそうにしてたなー唯川君。よくわかんないけど嬉しいからって三割引きにしてもらったからとりあえずありがとう倉科君」 「ひじきに落ち着けって言っときます。あいつちょっと頭おかしいんですなんか言われても気にしないでください」 「いや仲良しいいことじゃん? でさー倉科君の彼女さんは煙草吸うの?」 「吸わないっすけど」 「彼女が『煙草やめて』って言ったらやめる?」 「…………やめる、と、思う」  あ、ちゃんと考えて結果出したな偉いな倉科君。なんとなく勢いで当たり前じゃないっすか! とか言われるよりも説得力がある。すんごいしぶしぶって感じだったのも可愛いな青年。そういうの俺嫌いじゃない。  思わず微笑ましくなってにやにやしていたのが背中越しなのにバレていたらしく、隅っこで煙草吸ってた倉科君に睨まれている気がした。振り返るのはやめとこ。怖いから。 「…………なんすか」 「いやーかんわいいなー若人ーと思って。だって二十一歳っしょ。俺より十も下の子の恋愛話なんて可愛い以外の何でもないじゃん」 「え、三浦さんそんなに上なんすか? 社長とおなじくらいかと思ってました見えねえ……」 「落ち着きないからじゃない? 周りの同級生すっかりパパとかおっさんばっかだよ」 「三浦さんは結婚してないんすか?」 「してないねーするかもわっかんないなー。……一生もんだなって人はいるけどさ。うーんケッコンシマショウって話になったら、すんごい悩んで、でも結局しちゃいそうな感じではある。今じゃないけど」 「……すんげー真摯。なにそれめっちゃかっこいいじゃないっすか」 「え、そう? 煮え切らない大人じゃね?」 「いやおれのまわり勢いで二十歳前にデキ婚して結局一年持たずに離婚みたいな同級生ばっかだから。じっくり考えてっていうの、なんか、すげえなって。つか三浦さん基本かっこいいっすよね?」 「え。え? あ、そう? あんま言われないけど?」  聞き慣れない単語すぎて、手が滑りそうになった。思わず素でききかえしてしまう。  有賀さんには結構サクラちゃんかっこいい好きかっこいいかわいいって言われまくるけど、あの人ちょっと俺と一緒にいると頭お花畑感半端ないから半分くらいハイハイって流してるし、大概お得意様は下町のじいさんばあさん主婦の皆さまだから、孫か息子扱いされている。  背があんまないせいもあって、歴代彼氏からもカッコイイとは言われた記憶はない。そう思い返すと、俺のこと格好良いねって言ってくれるのって有賀さんくらいかも。ちょっといま有賀さん大事にしようって思った。  いやでも倉科君にいきなり格好いいとか言われたのがちょっと予想以上に嬉しくて、軽率にテンションが上がってしまう。年下の同性にそういうこと言われると、嬉しくなっちゃうでしょって話だ。 「いやかっこいいっすよ普通に。普通にって言い方変ですけど。見た目イケメンで考え方すげー真面目だしその上換気扇も直せるとかかっこよすぎてどっか残念なとこないんすかねって探しちまう」 「いやー俺なんか大概残念だと思うけど……イケメンかなー。有賀さんとかの方がイケメンじゃね?」 「あの人はイケメンとかそういう枠じゃないっす。王子。王子は平民とは別枠なんで規格外」 「うはは! 確かに王子! 隣歩くのめっちゃやだもんなぁー王子はみんなが釘付けになるからさー」 「そういや有賀社長って普段遊ぶ時って何処行くっていうか何してるんすか? なんか、あんまり外出したりとかのイメージないんすけど。一人で本読んでそうっていうか」 「え。えーと。……あー」  言われてみればそうだなそんなイメージあるなと思うし、でも実際は結構デートとか言って外行くの好きな人で、買い物とか映画とか美術館とか一通り制覇してるしデザインのイベントとかも俺はひょこひょこ連れてかれるし、レストランとかも行く。  けど、それって恋人だからだし、ええーいい歳した男トモダチでそんなべたべた映画とか行かないよなー家に居ても有賀さん仕事してる横で俺がだらだらしてるだけだし、なにそれつきあってんの? って感じだしいや付き合ってるからそうなんだけど!  いままで有賀さんとこなしてきた休日を振りかえるけど結構しっかり恋人すぎて全然参考にならない。あの人も俺も、他に人間がいると外向きのテンションになるけど、二人きりだと急に恋人になるから駄目だ。何処行ってもいちゃいちゃしてた記憶しかない。完全にバカップルだやばい。  有賀さんの趣味、趣味、酒、仕事……あ、料理するの好きだあの人! ってやっと気が付いて、滅茶苦茶慌てて『料理好きだからたまに作り過ぎたって言って呼びつけられる』なんて言う全然恋人じゃなかった時の懐かしエピソードを口にしてしまった。  今は作り過ぎたとかじゃなくて、完全に俺の為に作ってくれる。ご飯何がいい? ってメール来るのちょっと嬉しいとかそんなバカップルすぎるエピソードは死んでも口にできない。 「あのイケメン王子料理もするんですか……? あーでもそういや居酒屋でこれ作れないかなーとか言いながらお通し食ってたかもしんない」 「すげー旨いよ。あんま和食得意じゃないみたいだし主婦の料理って感じじゃないけどさ。わりと俺好き。ストレス発散に料理するタイプらしくて」 「あー……そんな感じする……。なんか納得です。たまにこの人休日何してんだ仕事以外で、って疑問に思ってたんすよね。絶対に友達とゲーセンって感じじゃないし。煩いとこ嫌いそうだしパチンコ屋とかも駄目そうだし」 「嫌だろうねー俺も誘わないし」 「え、パチンコ?」 「いや、ゲーセン。割と行く」  あー配線が駄目になってるかなこれ。交換したら直りそうよかった本体交換とか死ぬほど面倒だしと思いつつガチャガチャ換気扇のスイッチ弄りつつ、ぼんやりと倉科君の話に付き合っていたつもりが、いつの間にか倉科君が隣に来てた。ちょっとびっくりして変な声出そうになる。 「……三浦さん、ユーフォーキャッチャーマニアとかじゃないっすよね。音ゲー? 格ゲー?」 「格ゲー」 「2D派?」 「バーチャ勢だから3D派」  ついつい芸術が好きなお洒落カメラ小僧なのかと思っていたんだけど。なんか思っていたより本当に普通の青年だった倉科君は、目を輝かせて格ゲー話題に食いついてきた。  ……君、本当にちょっと予想外キャラだな。 「何、倉科君格ゲー好きなの?」 「超好きっす……! ちなみにおれ5Rならサラっす!」 「わー好きそうめっちゃ浮かされそうわっかるー。俺今おじいちゃん強化月間。酒十二杯くらいからが熱い」 「やべえ何それめっちゃ横で見てたいんすけどっていうか対戦したいんすけど三浦さんソフト版持ってます? おれんちX箱なんですけど」 「持ってるけど残念だー俺PSの方」 「くっそ……! いやなんか予想してました大概そうですよね知ってたわ! えーめっちゃ見たいっす。おれがハマりだしてからってみんなソフト移行しちゃってて、ゲーセンも廃れはじめてて、あんま格ゲー友達っていないんすよ。ネット界隈の輪苦手で、一人黙々とやってるだけで」 「わかるわかる。俺もソフトの方だと結構黙々とランクマこなしてる感じだし。え、この辺ってゲーセンあったっけ?」 「無くはねーけど、カップルとヤンキーと家出少女とか徘徊してて結構めんどうくせえ」  言われてなんとなく想像して笑った。そうだよなー最近のゲーセンって、ゲーム野郎が集うところっていうよりはデートコースだったり時間つぶしだったりするもんな。特に夜はそうなっちゃうだろう。 「倉科君明日仕事は?」 「昼間は撮影ないんで休みっす。夕方から有賀さんとこ」 「俺明日午前休なんだわ。今日の時間外労働宛てて良いって言うからさ。え、どうする? ……ウチ来る?」 「行きます!」  すんごい即答されて、うわー年下青年犬みたいじゃんかわいーのって笑えて、なんかうっかりほだされちゃった感ある。でも、ぶっちゃけ俺も最近ゲームなんかしてなかったし、暫くぶりに遊んでもいいかなって気分になっていた。  今日何時に帰れるかわかんないし、有賀さんも仕事やべえっていうから予定合わせてないし。帰って飯食って寝るだけなら、倉科君と格ゲー大会するのもアリだ。 「おーけー、じゃあこれさくっと交換しちまうわ。なんかやっぱ配線がいっちゃってただけみたいだから、多分あと五分もあれば直るし、交換だけだからちょっと割り引いて請求しとく」 「……いやそこは取ってくださいって言いたいところですがめっちゃありがたいですお言葉に甘えますその代わり今日晩飯奢らせてください。図々しくもお邪魔する算段になっちまったし。でも行きたい。めっちゃ行きたい」 「あー、じゃあラーメン食って帰ろう。うちの近くに夜しかやってないうまい店あっからさー。うち、特別キレイじゃないけどいいよな……?」 「問題ないっす。そこにバーチャがあれば何もいらないっす」  きらきらと目を輝かせて大真面目にそんな事を言うから、俺も笑ってしまう。すっかり格ゲー先輩認定をされてしまったらしい。俺はそこそこ強い筈だけど、なんか負けられない雰囲気だ。つーかウチコントローラー二個あったっけ? まず発掘するところからのスタートかもしれないし、買って帰った方が早いかもしれない。  さっくりと換気扇のスイッチ周りの配線を取り替えて、上のモーターが動く事を確認して、スイッチのカバーを元に戻す。ダクト内の汚れもちょっと見たかったけど、そこまでやってると時間食うしとりあえず動いたから良い? って訊いたら、倉科君は問題ないですと言い切る。とりあえず応急処置でも煙草が吸えればいいらしいし、彼は今一刻も早く俺とラーメン食って帰りたいらしい。  ……可愛いじゃん倉科青年。俺きみの事好きかもしんない。  あの誰にでも似非くさい笑顔崩さない唯川君が友達になったとか言うから、どんだけ特殊な人なんだと思ってたけど、同じベクトルじゃなくて倉科君の窓口が広かっただけっぽい。いやでもいいなぁ俺も友達になりたいよ。だってかわいいもん。有賀さんがシナくんシナくん小うるさいのもちょっと頷ける。  俺が倉科君と仲良くなっちゃったら、有賀さんふくれちゃうかなー。まあ、それもちょっと楽しいかもしんない。あの人は案外というか普通に嫉妬とかしてくれるから可愛い。倉科君とは別の意味でかわいい。  良からぬ妄想をしつつ、うきうきが隠し切れていない倉科君を眺めつつ、後片付けをしつつ。  はらへったなーラーメン好きだけど有賀さんの親子丼食いたいなー明日夜暇かなぁまあ暇じゃないだろうけど家にいるかなー親子丼食いたいってメールしとこうかな。  そんな、どうでもいいっちゃ良いけど、俺の人生においては比較的幸せな日常的な事を考えた。

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