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乾いた道

 王都を抜けてから国境までは三日。第二王子シュオン・ロス・サーバルドとなったブラッドと、その従者となったグラントリー通称グラン、ふたりをダイハン族のもとまで送り届けるサー・マーティンは馬を走らせ、時折小道で休息を取り、日が落ちる前に見つけた旅籠で二回の夜を明かした。  乾いた赤い大地まで至る道中は先頭をサー・マーティン、その後にブラッドとグランが並走して続いた。グランの芦毛の馬の背には、ダイハンへ至るまでの食糧と水が入った行李が積んである。  初夏とはいえ、南部は暑い。アトレイアは温暖な気候、涼しい王城から出て一日中太陽の下で旅を続けるのは少々過酷だった。草木の木陰があれば多少は和らいだが、南へ行くほど緑や背の高い木を見ることは少なくなった。草原と黒い土は、いつの間にか乾いてひび割れた黄土色に変わっている。   前方を行くサー・マーティンの甲冑の背中を見て、ブラッドは思わず舌打ちをした。 「おい、そのギラギラ光る甲冑脱いだらどうなんだ。眩しくて敵わねえんだが」   苛立ちも露わに悪態を吐くと、サー・マーティンは一度背後を振り返ったきり、ブラッドに言葉を返すことなく再び前に向き直った。この男にブラッドとまともに取り合う気はないことは、王都を発ってから今日までの三日間でよく思い知った。必要があればこちらから言葉をかけるし向こうからも話しかけるが、「今日はここで寝る」とか「休憩をとる」とか、彼の業務上必要な連絡を受けるだけだ。玉座の間での振る舞いから、この騎士が弟の信奉者だということは知っている。 「照り返しがきつい、目がやられちまう。わざとやってんのかあいつは」 「騎士は甲冑を脱ぎません。敵に狙われた時に主を守れませんので」  隣を並走するグランが硬い声音でブラッドの文句に言葉を返す。出発時に彼女が身に着けていた甲冑は、途中の旅籠で売ってしまった。理由を聞いたら、グランはもう騎士ではないからだそうだ。ダイハンへの花嫁の従者に手を挙げた際に、騎士の称号は捨てたらしい。 「奴が守るべき主は王城にいる」 「では花嫁を守れと主に言われたからでしょう」   グランは甲冑の代わりに軽い革の防具を装備していたが、短い栗色の髪の生え際や首筋には玉の汗が浮かび上がっている。ブラッドも、出発当初身に着けていた首まで覆うぴったりと身体の線に沿った絹の平服は売り払ってしまった。途中の町で購入した白い麻の衣は王族の衣に比較すれば涼しかったが、それでも背中や胸などは汗を吸い込んでわずかに色が変わっている。サー・マーティンが甲冑を着込んで中で蒸し焼きにされるのは結構、ダイハンに到着する前に干涸らびて死んでくれても構わなかった。  もし途中でサー・マーティンが死んでくれたら、ブラッドは不名誉な婚姻から逃げ出すつもりでいた。船に乗るだけの金は行李の中にあるので、グランをともにしてどこか異国へ渡る。アトレイア王国とダイハン族との和平は帳消しになり、アトレイアは誓約破りとしてダイハンからの報復を受けるだろうが、ブラッドには関係のないことだ。  蛮族の妻になるくらいなら、祖国を捨てて異国の地で別人として生き直す方が遥かにましだ。そんな現実逃避をしながら、照りつける太陽の熱さを何とか誤魔化して先へ進む。 「お前も馬鹿だな。せっかくの騎士の称号を捨てるなんて」  馬に乗った座高は大して変わらない、暑さの中でも毅然と揺られる大柄の女は引き結んだ唇をかすかに綻ばせた。 「ダイハンでは騎士などという称号は無意味です」 「そうじゃねえよ。何で俺の従者なんかやってる。シュオンの命令には従わなかったのか」  王の代理人として玉座に座ったほんのわずかな時間、シュオンに後継者の座を簒奪されたあの瞬間、確かにグランの姿はなかった。ブラッドを騙し裏切った臣下たちはブラッドの代わりにシュオンを玉座に上らせることを選択した。グランは愚かにも彼らと同じ選択をしなかった。 「それは……意味を悪く取らないでいただきたいのですが」   らしくなく毅然とした語気の言葉尻を濁らせたグランに何だとブラッドが問うと、目尻に細かい皺の浮かんだ目を軽く伏せた。 「殿下がお可哀想だと思ったので」 「……俺が可哀想だと?」   子どもでも理解できる単純な表現の仕方に、ブラッドは軽く鼻で笑った。 「誰もそうは感じないと思うがな。弟を陥れるつもりが、逆に嵌められた。今城にいる奴らは自業自得だと言うだろう」   「シュオン殿下からこの計略のお話をいただいた時、あなたを擁護する騎士はほとんどおりませんでした。ブラッド殿下に味方する奴は腰抜けだと同僚たちは言っていました」 「ならお前は腰抜けか。奴らと一緒にシュオンにつくべきだったな」 「……正直、私も王位に相応しいのはあなたではなく弟君だと感じていました。ですが、他に擁護する者がいなければ私が味方になってさしあげなければと思ったのです」 「同情心で俺についたのか」   城門でグランに会った時、彼女だけは支持してくれていたのかと一瞬思ったが、愚かで傲慢な想像に過ぎなかった。  そうではない。グランは強く、聡明で、忠義に厚く、優しい。忠義の厚さと優しさが過ぎていただけだ。 「私には夫も子もいない。味方するなら私しかいないだろうと。不愉快でしたら申し訳ございません」 「ああ、不愉快だな」  「ひとりは寂しいものです。私は今でこそ同僚たちに認められていますが、若い頃は酷かった」    体格は男に劣らないとはいえ女が騎士として男と対等に渡り合うには相当な苦労があったことは容易に想像できる。 「私に味方はいなかった。でもあなただけは純粋に私の剣の腕を褒めてくださいました」  十を過ぎた少年の頃から彼女に剣術を教わっていた。当時の彼女はまだ騎士としての位は低かったが、皇后である母が気まぐれに選んだ指南役だった。大抜擢だ。グランの鍛錬は厳しかったが、教えはわかりやすく、彼女自身の強さも本物だったのだ。純粋な少年は、愚直にグランの剣術に感嘆しただけだった。  「今ではもう殿下の方が剣を上手く扱えるでしょう。老い始めた私では膂力も適いません。しかしいかにお強い殿下でも、必ず助けが必要になります。その時は私に命令をお授けください」  どこへいても馳せ参じ、必ずお守りする。あなたに害をなす者はこの剣で斬り捨てる。  正しい主に忠誠を誓うかのような硬い声音で約束したグランの茶色の目には、確固とした強い意志が宿っている。ブラッドにはそれを撥ねのける無粋さも、それ以上追及する権利もなかった。  グランは花嫁の従者だ。彼女自らが申し出たことにけちをつけ些事に拘るつもりはない。 「……ん?」  ふと前方の甲冑男のその先へ視線をやると、赤い大地が小高く盛り上がっている岩の辺りに影が見えた。じっと見据えながら近づいていくと、陽炎の中に二頭の馬とふたりの人影が浮かんだ。 「ダイハンからの迎えの者でしょう」   さらに接近すると、彼らの姿形が明らかになった。二頭の栗毛の馬を従えたふたりの男女はともに褐色の肌と長く黒い髪、赤い瞳を持っている。それらの色はダイハン族特有のものだった。 「歓迎します、アトレイアの王子」  男と呼ぶには若い、青年は耳障りのいい高い声音で挨拶し、馬上の一行へ向けて深く頭を下げた。流暢な共通語だった。隣の女も同じ角度で腰を曲げる。  同じタイミングで上げた顔は、まるで同一人物だった。長く漆黒の睫毛に縁取られた涼やかな目元、緩やかな鷲鼻の形、薄い唇の形やその位置まで、そっくりだ。異なるのは服装だけだった。男は上半身が華奢な裸で白の下履き、女は肩と背中を剥き出しにした白いドレスのような布を喉元の装飾で留めている。   獰猛で血を好み、不潔で臭い蛮族。少なくとも彼らには野蛮な印象はなく、口を開いてもぞっとするような不快感は湧かない。 「私はヤミール。こちらは妹のカミール。花嫁の僕となる者たちです」   双子のようだった。軽く微笑んだヤミールに対して、それまでずっと沈黙を通してきたサー・マーティンは憮然と見下ろしながら口を開いた。 「迎えに感謝する。こちらはアトレイア王国第二王子、シュオン・ロス・サーバルド殿下をお連れした」  何だこいつ喋れるのかと内心で唾を吐くブラッドに、ヤミールとカミールのふたりは馬のすぐ側まで近づいてこれからダイハンの花嫁となる男の姿を見上げた。  「我らのアステレルラ。これからはどうぞ私どもをお側にお置きください。あなた様にお仕えする者たちです」 「アステレルラ?」   聞き慣れない言葉を鸚鵡返しすると、ヤミールが答えた。 「ダイハンの言葉で、女王を意味します。あなたは王の妻となられるので、私たちのアステレルラです」   まるで栄誉のように恭しく説明するヤミールの言葉に、ブラッドは露骨に顔を顰めた。 「俺が女に見えるか?」  「申し訳ありません。ご気分を害するつもりではないのです。ダイハンでは王の妻をそう呼んでおります。どうかシュオン王子をアステレルラと呼ぶことをお許しください」   ヤミールは顔の前に手を重ね、妹とともに再度深く頭を下げた。ブラッドはグランに顔を見合わせると彼女は「もちろん女には見えません」と硬い声で応じた。 「こちらからダイハン族の村までは五キロほどです。ご案内いたします」   兄の言葉にカミールが指差す方を見やる。まだまだ赤い大地とまばらに転がる岩の群れが続いていた。

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