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婚礼の儀

 ヒョロロロ、と甲高い鳴き声を上げながら天高く飛んで行く鳥の姿を見上げる。茶色い翼は力強く羽ばたき、北のアトレイアの方角へ向かっている。ヘリオススの上空を通過して飛び去ろうとする鳥の体を、大地から放たれた矢が貫く。鳥は地上へ急降下し、乾いた赤い大地の上にボトリと落ちた。大きな歓声が湧く。  飛ぶ鳥を射たダイハンの戦士はやや離れたところに落下した獲物を拾い上げ、ダイハンの王クバルとブラッドが座る席へ歩み寄った。低い卓を挟んだ真向かいに跪き、ブラッドには理解できないダイハンの言葉で何かを述べる。 「ヘリオサとアステレルラへ婚礼のお祝いに捧げますと男は言っています」  胡座するブラッドの脇に控えたヤミールが男の口上を通訳する。ブラッドの右隣に人ふたり分ほど空けて座るクバルが無言で頷くと、男はクバルの従者へ鳥を預けて踵を返した。  ブラッドがヘリオススに到着してから三日経過した今日、王と女王の婚礼の宴が執り行われていた。  赤い巨岩の洞窟を背に、ダイハンの王クバルとブラッドは卓に並べられた色とりどりの料理を前に座っている。王と花嫁の席だ。王のすぐ隣には数人の従者が、ブラッドの隣にもグランとヤミール、カミールの双子が控えていた。  ブラッドはダイハン族の衣装だという袖口の広い白い衣服に身を包んでいた。ゆったりとしていて風通しが良い。ダイハン族の男たちのように半裸姿で過ごすのかと思ったが、女王は上に服を着るものだとヤミールは言った。  婚儀はまるで祭りのようだった。王と女王の前にはダイハン族の他の村から訪れた者たちが次々と挨拶に訪れ、ブラッドには理解できないダイハンの言葉で恭しく口上を垂れる。前に出る者がいなくなると、美しく着飾った女たちが進み出て舞踏を始める。男と呼ぶには若い青年たちが刃を手にして剣舞を舞う。中にはまじないの類いを使って芸を披露する者もいた。少し離れたところでは天幕の近くで大勢のダイハンの民たちが酒宴を開いている。  目に飽きない遊戯が次々と繰り広げられるのを、招かれた客たちは王と女王の席の左右で食事をしながら眺め、笑い声を上げ、拍手の代わりに地を叩く。  客たちの中にはダイハンの民の他に、ダイハンと交流のある他の民族、そしてアトレイア王国から招かれた王の代理人――ブラッドフォードを名乗るシュオン・ロス・サーバルドの姿もあった。  彼はアトレイアから百人ほどの部隊を引き連れてやってきた。賓客席に座るシュオンは、ヘリオススに今日まで滞在していたサー・マーティンを脇に控えさせ、百人の兵士たちを赤い巨岩から離れた位置に駐留させている。アトレイアの王子を守る部隊は当然のように厚く武装していた。  賓客席で通訳を挟みながらダイハン族の者と会話をするシュオンは朗らかな笑みを浮かべている。弟の姿を女王の席から眺めながらブラッドは奥歯を噛み締めた。  本来この席に座っているのはシュオンで、花嫁の兄として来賓席に座るのはブラッドの筈だった。ブラッドよりも身体が小さく顔立ちも似ていない兄をダイハンの者は最初訝しんだが、シュオンが母親が違うのだと説明すれば彼らは納得した。  ――何が兄だ。何が花嫁だ。  目の前に並べられた見慣れぬ料理は口に合わず、一度口をつけたきりブラッドは絶えず酒を飲んでいた。この何かの果実を発酵させた酒だけはアトレイアのものと味が似ていて悪くない。グラスの中が空になると、隣に控えたカミールがすぐに注いでくれる。おかげで良い具合に酒精が身体に回り、この最悪な婚礼の宴もどうでもよくなってくる。ただただ早く終わって欲しい。  間を空けて座るブラッドの夫、クバルとは三日ぶりに顔を合わせた。ヘリオススに到着して初めてクバルと会って以来、一度も顔を見なかった。  赤い巨岩に掘られた洞窟が、王と女王の住まいだった。外気と異なり中はひんやりと涼しく、乾いた大地の中で唯一水があった。まじないの力か大地に蓄積した気の恩恵か、清らかな水が洞窟の奥から湧き出ている。この水はヘリオススの支えとなっていた。  ヘリオススで最も恵まれた場所が自分の住まいだと案内され、ブラッドは三日間のうちほとんどを洞窟の中で過ごした。外は暑く、埃が舞う乾いた大地に行く気分にはなれなかった。  洞窟の中には王の部屋、女王の部屋、王と女王の部屋……その他にも用途に応じて分かれていた。ブラッドは宛がわれた女王の部屋に篭もり、気が滅入ると重い腰を上げて外に出た。王クバルは狩りや敵対する異民族との争いに出てばかりで、洞窟の中で顔を合わせることはなかった。  隣で静かに酒を飲むクバルは退屈そうだった。この三日間そうだったが、自分の花嫁には興味を示そうともしない。それはブラッドにとっても好都合だった。  この婚礼は当人同士が望んだものではない。アトレイア王国とダイハン族の衝突を回避するための和平の結婚。本当の夫婦になることはありえない。クバルはそのうち美しいダイハン族の女を妾にして子を成すだろう。  目の前で芸人が歌うダイハンの歌を聴くのにも疲れた。弟の姿を視界に入れるのもうんざりだ。早く終わってくれないかと苛立ち始めた時、隣に控えていたカミールが突然ブラッドの前に出て跪いた。  彼女は両手に載せたものをブラッドの前に差し出した。白い花だ。 「ヘリオサ・クバルからアステレルラへ、贈り物です」  妹に代わってヤミールがブラッドの横で囁く。三日間行動をともにして気づいたが、共通語でブラッドへ説明をなすのは兄の役目らしかった。   カミールの華奢な手に載った白い花はブラッドが初めて目にするものだった。彼女の片手ほどの大きさで、花弁は白く、葉も白い。真っ白な茎に細かな毛が生えており、光が当たれば水滴が付着している訳でもないのにきらきらと光った。  奇異な見た目の花だ。だが婚礼の贈り物にしては地味だ。 「贈り物に花一本か」 「アステレルラ、この花は大変貴重なものです。乾いた赤い大地で、一年に一輪見つかるかどうか。この花は水をやらずとも枯れることがありません。ダイハン族の王の婚姻で、王が女王へ贈るものなのです」  そっと横目でクバルを一瞥するが、相変わらずこちらには一切興味を示さず、従者が注ぐ酒を飲んでいる。赤い大地へ出て狩りでもしている方が楽しそうだ。  「……わかった。王からの贈り物を受け取る」   答えるとカミールは差し出した花を再び手の中へ大事そうに戻し、ブラッドの隣に戻った。  それに続いて、今度は賓客の中から立ち上がって王と女王の前に拝謁する者があった。アトレイアの騎士だ。 「ダイハンの誇り高き王、そして我らがアトレイアのシュオン王子。この度はご結婚おめでとうございます」  思ってもいないことを口にしながら騎士はふたりの前に跪き、細長いものを両手に載せて王の方へ差し出した。豪奢な彫刻が施された鞘には剣が収まっている。 「こちらはアトレイア王国第一王子にして王の代理人、ブラッドフォード・ロス・サーバルドからクバル王への贈り物です。国一番の鍛冶屋に打たせました」  アトレイアの通訳士がクバルへ向けて騎士の言葉を伝える。クバルは無言で剣を受け取り、そのまま従者へと渡した。   騎士は不作法なクバルに反応を見せることはなく、今度はブラッドに向き直り小箱を差し出した。 「兄上様からシュオン・ロス・サーバルド殿下へ、香の贈り物です。衣類へ焚くと華やかな良い香りがします。また気分が休まりよく眠れるそうです」   ブラッドは目元をひくりと引き攣らせた。賓客席に座る弟の姿を見やるとせせら笑っているように見えた。不愉快な贈り物だ。女王の贈り物には相応しいだろうが、男がこんなものを使うと思うのか。  ブラッドがカミールに小箱を受け取らせると、騎士は一礼して主のもとへ帰っていった。 「グラン。お前が代わりに使うか」 「いえ、私にも必要ありません」  複雑そうな表情をしたグランも、シュオンの姿に目をやった。 「見ろ。あれが弟の結婚を祝う兄の顔か?」 「喜んでいることに違いはないと思いますが」    確かに、喜んでいることに違いはない。ブラッドを南の地に追いやり花嫁に貶めたことを大層喜んでいる顔だ。  不愉快を噛み締めていると突然、激しい男の怒号が飛んだ。弾かれたように大声の方向を見やると、赤い大地の方からダイハン族の男数人が地を鳴らすような大股で近づいてくる。  彼らは賓客の前で芸を披露する踊り子や歌い手たちを乱暴に押しのけ、クバルとブラッドの前まで進み出た。中心に立つ男は鼻息荒く、肩を怒らせクバルを睨めつけた。剣呑な雰囲気に婚礼の場が騒然とし始める。

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