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女王陛下

 頭が痛い。そう感じながら目覚めたブラッドは、ついで酷い腰の痛みと股関節の軋みに襲われた。 「ぐ、……っ」  全身の違和感に顔を歪めながら、岩のベッドの上に腕をついて何とか上体を起こす。一糸纏わぬ身体には、敷布と同じ動物の毛皮がかけられていた。  足を動かそうとすれば尻の狭間とその奥の肛門がひりひりと痛み、思わず息を詰める。こんな痛みなど経験したくなかった。  酷使された箇所に不快感はなく、行為の残滓は見当たらない。中に吐き出された精液や汚れた陰部は知らぬ間に拭われて綺麗になっている。ブラッドが意識を手放した後、ヤミールとカミールが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたらしい。それが余計に惨めな気分にさせた。  ダイハン族の王、クバルとアトレイア王国の第二王子、シュオン・ロス・サーバルドの婚姻は証明された。無慈悲な王に組み敷かれ、ブラッドが屈辱と苦痛にたえることによって。  ブラッドフォードを名乗るシュオンは満足して祖国に帰ることだろう。婚姻の祝宴で、異民族の王と弟の結婚への祝辞を朗々と述べていた姿が思い出され、唾棄したい気持ちになる。あの弟の可憐な顔は二度と見たくない。国に帰れば見ることもないだろう。去る弟のことはどうでもいい、問題はこれからのことだった。ブラッドの、アステレルラとしてのこれから。 「お前を、毎日、犯す」  ブラッドを見下ろした冷徹な王が落とした言葉を確かめるように口にしてみると、喉元に剣を突きつけられたかのように心臓が大きく脈打ち、背筋がひやりと冷たくなる。  クバルは嘘を言う男ではないと本能的にわかる。あの王は宣言したことは必ず実行する。本意でなくとも王の務めとして女王との行為を強行する。  あんな行為はただの暴力だ。男でありながら男に組み敷かれ、支配されるためだけに犯される。お前はダイハンの女王でヘリオサの所有物だと思い知らされるためだけに抱かれるのだ。  鮮血の色をした冷たい瞳は、拒めば殺すと語っていた。拒絶できないのであれば受け入れるしかない。 「これが女王、か」  静寂に支配された洞窟の虚空にぽつんと響く。王と女王の部屋、などと笑えてくる。ここはブラッドがクバルに蹂躙されるためだけの部屋だ。 「――女王陛下」  不意にかけられた声音を聞いて、体中の憎悪がぶわりと肌に立ち上った。部屋の入口に垂らされた絹の布切れ。淡い色のそれが押し開かれ現れたのは、ブラッドの屈辱を最も喜んでいる者だ。  何が女王陛下だ。ブラッドの皮膚の上を憎悪が這いずり回る。 「王と女王と、僕たちしか立ち入りが許されない筈だが?」 「特別に入れてもらいました。弟と話したいと言ったら、アステレルラは動けない、連れて来られないから、と」  飄々と言いながらベッド脇に備えられたテーブルの前まで近寄ったシュオンは、器に盛られた葡萄の房から一粒もいで口に運んだ。身体を動かせないブラッドはベッドの上で毛皮を手繰り寄せ、弟の挙動を見張る。 「何しに来た」 「最後の挨拶に。乾いた南の地にも果実は実るのですね。しかも洞窟の中には水源もあるし、身体を清めることもできる」  ヘリオススでは洞窟の奥の水源から汲み入れた湯を沸かし、風呂を浴びることもできた。ブラッドは婚姻の前夜にヤミールとカミールに連れられ半ば強引に身体を清められたが、クバルに犯された今、もう一度湯に浸かりたい気分だった。 「王との初夜はどうでした?」  一切繕いのない問いに、瞼がひくりと震える。シュオンはテーブルの縁をなぞりながら、純粋に興味がある訳でもないだろうに真っ直ぐな緑色の瞳でブラッドを見下ろしていた。 「尻に男の一物を無理矢理ぶち込まれて良かったとでも言うと思うのか」  シュオンを睨め上げてブラッドは吐き捨てるように言った。股関節の軋みや肛門の痛みはなるべく考えないようにしたかった。少しでも意識を向けると、クバルに犯されたことがまざまざと思い起こされる。 「あなたはあの男の一物を私にぶち込ませるつもりでいたでしょう? ……野蛮なダイハン族に最初私を嫁がせようとしたのはあなたですよ。こんな暗く汚く臭い野人たちの巣窟に、よく実の弟を送ろうと思いましたね」  シュオンは唇に笑みを浮かべながら、心底軽蔑するといった調子で目元を歪めた。 「俺はもっと酷いところかと想像していたが、思ったより悪くない。今ならまだ代われるがどうだ」 「せっかくですが断らせていただきます。私にはもったいなさすぎる申し出です」 「俺に相応だと?」 「血と土と馬糞だらけのここはあなたによく似合っていますよ、シュオン」  自分の名ではないその名を呼ばれると酷い寒気がする。その名で呼ばれるのならばいっそ名などいらないと投げ打ちたいほど。 「あなたの夫は私に挨拶もせずに狩りに出ました」 「顔を見ずに済むのなら好都合じゃないのか」 「ええ、今のうちに祖国に帰らせていただく。玉座を空にしておく訳にはいきません」  シュオンは葡萄をもう一粒つまみあげ、歯でその果肉を噛みつぶして嚥下した。 「では、アステレルラ。あなたとあなたの夫とあなたの民が長く続きますように。遠くの地にてお祈りしております」  白々しいシュオンの様子に、ブラッドは鼻を鳴らした。 「何がお祈りだ。俺をこんな地に追いやることができて嬉しくて堪らないだろう」 「私から離れることはあなたも望んでいたでしょう」  シュオンは砂塵から身を守るための長い外套の裾を翻し、ブラッドに背を向けた。 「近々、私の即位式の知らせを送らせていただきます。その際はぜひ、クバル王とともにご出席ください」 「……ああ、楽しみにしていよう」  シュオンが垂れ幕の先へ姿を消すのを見送り、ブラッドは目を背けた。  玉座の間で彼を慕う大勢の臣下に囲まれながら、赤毛の頭に冠を戴くシュオンの姿はきっと神々しいに違いない。剣を佩いた誉れ高き騎士や王城で勤める使用人、城下で暮らす民たちはみな彼の即位姿をたたえ、祭りのような騒ぎは数日続くだろう。見たくもなかった。

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