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愚か
「アステレルラ」
入れ替わるように、ヤミールとカミールが入ってくる。彼らの涼やかな表情に昨日の行為の名残は一切ない。彼らの後の垂れ幕から、もうひとつ低く穏やかな声が聞こえた。
「私もよろしいですか、殿下」
「ああ、構わない」
双子の僕よりも上背のある女が、垂れ幕を押し上げてそろりと足を踏み入れる。その仕草は慎重すぎるほどで、王と女王の部屋……つまり王と女王が同衾するための部屋に遠慮を抱いているようだった。グランは何も纏わないブラッドの姿をベッドの上に認めると静かに目を伏せた。
ヤミールとカミールはベッドの側まで寄ってきて「お召し物を」と、手に持った白い衣服を着せようとしてくる。ブラッドはヤミールの手からそれを奪って腕を通し、下肢を動かすのは億劫だったが下履きに足を通す。アトレイアで王子だった時もこんなに甲斐甲斐しく世話を焼かれたことはない。軋む身体を叱咤して衣服を身に着けながら、ブラッドは双子に向かって口を開いた。
「お前らは下がっていい」
「ですがアステレルラ、私たちはあなたのお世話を仰せつかっています」
「今はいらない。必要があれば呼ぶから外に出てろ」
硬く言い放つブラッドに、ヤミールは「かしこまりました」と従順に頭を下げ、妹とともに王と女王の部屋を後にする。昨日彼らに散々身体を弄られたばかりで、ふたりはただ女王に仕えただけで何の感慨もないのかもしれないが、ブラッドは何も思わない訳ではなかった。あのようなことがあった後で平然と側に仕えられて堪るか。
残されたグランは両手を後手に組みながら、静かな足取りで近づいてくる。相変わらず騎士らしく背筋が真っ直ぐに伸びている。
「お加減はいかがです」
「いいと思うのか。ケツが痛くて適わん」
取り繕わずぶっきらぼうに返すと、グランは穏やかな表情を苦くした。
「無粋なことを聞きました」
「あいつはもっと率直に聞いて行ったがな」
「弟君ですか。先程までいらしてましたね」
入れ替わりで来たのだ、洞窟の通路で擦れ違ったのだろう。ブラッドは声を低く潜めた。
「ここであいつを弟と呼ぶな。俺が弟のシュオンで、あいつが兄のブラッドフォードだ。気に入らねえがな」
自分で口にしてぞわりと背筋が粟立つ。真実をダイハン族に知られてしまえば、誓約や掟を重んじる彼らはブラッドとアトレイア王国を放ってはおかないだろう。例え不本意でも不愉快でも、ブラッドは自らをアトレイア王国の第二王子シュオンだと名乗るしかない。
グランは律儀に「以後気をつけます」と顔を伏せる。
「あの双子の僕は側に置かなくてよろしいのですか」
「四六時中いられちゃ気が詰まる。服を着るのも風呂を浴びるのも、閨事まで世話をするような奴らだぞ。こっちが疲れる」
包み隠さず言うブラッドにグランは目を丸くして「はあ」と半ば嘆息の入り交じった気の抜けた声を漏らした。
「殿下がヘリオサに連れ去られて何がなされたかわかってはいましたが……彼らも?」
「王の命令だ。王の命令なら女王に逆らって何でも従う奴らだということがわかった」
「彼らも本意ではないでしょうし、邪険にせずとも良いのでは」
やんわりと双子を擁護するグランを鋭い視線で制すると、彼女は出過ぎたことを言ったとばかりに口を閉ざしたが、再び躊躇いがちに薄い唇を開いた。
「彼らの仕事は殿下の身の回りのお世話をすることです。彼らが殿下の側についていなければヘリオサが怒るでしょう」
「勝手に怒らせておけばいい。アトレイアの王族を見くびっているのかもしれねえが、自分の世話くらい自分で出来ると言ってやる」
「あなたは女王です。ダイハンの民に女王らしく振る舞わなければならない」
「女王は僕に食事や風呂や服や下の世話をさせてまでしないと威厳を保てないのか」
飼い殺しと同じだ。自分の身を何もかも他人に任せて洞窟の奥でぶくぶくと肥えていけというのか。
アトレイアでは自由があった。他国を侵略し、国内を統治する自由が。その手腕や方法の如何はともかく、ブラッドは自分の務めや役割に息苦しさを感じたことはなかった。ヘリオススで同じように立ち振る舞うのをクバルは絶対に許容しないだろう。ブラッドを見下ろす深紅の冷たい目を見ればわかる。
「俺に求められているのは女王という象徴だけなんだろうな」
わかりきっていたことだ。和平のための政略結婚なのだ。ダイハンの民にとっては王に嫁いだ者が美しい女だろうが図体のでかい男だろうが女王は女王で、クバルにとってもそれは変わらない。
「殿下。私にお手伝いできることは何でもします」
アトレイア王国のかつて騎士だった従者は、おもむろにブラッドの足元に片膝をついて仰ぎ見た。
「祖国を出てあなたの従者になりました。私の務めは殿下をお守りすること。女王となったあなたの助けとなることです」
「助け?」
グラン自身も、気の毒だと思う。今まで受けた栄誉と騎士の称号を捨ててまで、今のブラッドに守る価値など果たしてあるのか。
笑みを浮かべようとすると頬が引き攣れて歪んだ表情になる。
「お前に助けてもらうことはない、グラン」
「殿下」
「王は俺を認めない。そんな俺に仕えていても無駄に月日を消費するだけだ。従者の役目を放棄しても、俺もシュオンもクバルも咎めない。ヘイズの領地に帰るか、どこかに嫁いだらどうだ。栄誉ある元騎士を娶りたい男もいるだろう」
ブラッドの従者に自ら手を上げたとグランは言ったが、乾いた南の地で一生を棒に振ることはない。本来ならば彼女のような真面目で優しい女は、人柄の良い貴族の当主に嫁ぐべきなのだ。
しかしグランはブラッドの勧めに左右に首を振り、短い髪の毛と同じ栗色の真摯な瞳で見上げた。
「四十を過ぎた年増です。大柄で、おまけにそこら辺の男よりも腕力がある。そんな女を妻にしたい男はいないでしょう」
自らを評しながらグランは卑屈さのない柔和な笑みを浮かべた。
「他家に嫁ぎ夫の機嫌を取りながら屋敷の中で静かに暮らすことが女の幸せだと私は思いません。私の幸せは殿下にお仕えすること。剣をまともに持てなかったあなたを、剣術で騎士にも劣らない立派な王子にしたのは誰ですか。……今回のおとももその延長と考えていただければ」
王子の剣術の指南役と、名ばかりの女王の従者とでは天と地ほどの差がある。にも関わらずグランは自らの務めを厭うことなく、ただひとり自らの主に献身的に跪いていた。
「嫁ぎ先で王の機嫌を取りながら洞窟の中で静かに暮らすことは女王の幸せではありません。私が殿下の助けとなります」
「……俺はお前のような愚かな女を妻に迎えておくべきだったな」
嘆息を交えて溢した言葉にグランは一瞬目を丸くして、ふふと低い笑いを漏らした。
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