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王について
褐色の項で束ねられた、長く艶のある黒髪が目の前で馬の尾のように揺れている。本物の馬が尾を揺らしながら闊歩するのに跨がったクバルの背中は広く、薄く変色した古傷がいくつも刻まれていた。ダイハンの猛々しい戦士の証だ。
「あいつはいつから王なんだ」
クバルの跨がる黒馬から少し離れて、アトレイアから連れてきた白馬に乗るブラッドは、すぐ右隣で栗毛の馬に揺られるヤミールに問うた。
ブラッドがクバルに無理矢理犯された婚姻の日から十日が経過していた。王が女王を迎えダイハンの各村の代表者を招いての祝宴が終わった後は、王は女王を連れて村々を巡り訪ねる決まりなのだという。シュオンがヘリオススを出立して間もなく、クバルとブラッドも五十人ほどの戦士と従者を連れて王と女王の住まいを出た。
毎夜お前を犯す。巡回に出るのであればクバルの宣言も無効になるのではないかと一時思ったが、ブラッドの考えは甘かった。村々を巡りダイハンの民たちに顔見せと挨拶をした日の夜は、王と女王のために設けられた天幕の中で、呻きと喘鳴で声が引き攣れるほど犯された。苦痛に喘ぐ声が外に漏れてしまわないようたえるのに必死の夜が続いていた。
それももう十日だ。十日の間に七つの村を回り、ほとんど毎日違う村の天幕の中で乾いた夜をともに過ごす。にも関わらず、ブラッドはクバルのことについて何も知らない。ダイハン族の王で、冷酷非道な男であること以外何ひとつ。
「いつ前の王を殺したんだ」
じりじりと脳天から太陽が照りつける。頬を伝う汗を腕で拭いながら言葉を重ねて尋ねると、ヤミールは長い睫に縁取られた瞳を前方の王へ向けた。その横顔は涼しげで暑さは感じさせない。クバルは腹心の戦士とぽつぽつと言葉を交わしながら手綱を握る。前の村を出発して以降ブラッドたちを振り返ることはなく、数時間の間、数多の傷が走る背をこちらに向けている。
「クバルがヘリオサになってから十一年になります」
「十一? 年は大体俺と同じくらいじゃないのか」
ダイハン族の年齢は推測しがたいが、二十七のブラッドとおよそ同年代ではないかと思っていた。
「ヘリオサは今年二十六になられます」
「……ということは、十五の時に王になったのか」
ダイハンで成人として認められるのがいくつかは知らないが、十五歳はまだ少年の域を出ない。ブラッドは初陣を前にして必死に剣術の稽古をグランにつけてもらっていた頃だ。
身体は成長期といえども未発達で成人には敵わない。そのような年で剣を振るい決闘で前の王を殺したというのか。
「奴は王になりたかったのか」
「そういう訳ではないと聞いています」
「聞いている?」
「クバルがヘリオサになった時、私とカミールは七つでした。子どもは決闘を見せてもらえません」
双子の年頃についても初耳だった。肌は滑らかで美しくまだ若いだろうとは思っていたが、落ち着いた佇まいと仕草からおよそ十も年下だとは予想していない。その十も年下の若い男女に尻の穴を弄られたのかと思うとえも言われぬ気分にはなるが、ブラッドは渋い表情を抑えた。
「なぜ前の王を殺した」
「それは、私の口から申し上げることはできません」
「俺の命令でもか」
「はい。すみません、アステレルラ。ヘリオサご本人にお聞きください」
それきりヤミールは口を閉ざした。
本人に聞けと言われたが、婚姻の日以来、ふたりはまともに言葉を交わしていない。ブラッドにもクバルにも、互いに会話をする気は毛頭なかった。
毎夜犯すためだけに現れるクバルを無言で受け入れ、身体を苛む苦痛にたえる。クバルとの間には王と女王の行為以外に何もなく、クバルはブラッドの中に射精すると役目は終わったとばかりに酷薄に立ち去り、乾いた夜は過ぎていく。義務的な反復行為の合間に、自分を犯しにくる男に男自身のことを尋ねるなどできないし、したくもないのだ。わざわざ言葉を投げかけて訊くほど興味がある訳でもない。
「ダイハン族はクバルを慕っているのか」
続けざまの問いに、ヤミールは不思議そうに目を瞬かせる。何を言っているのだと言いたげに。
「もちろんです。ダイハンの民はヘリオサ・クバルに敬服しています。ヘリオサは我らの偉大なる王で、太陽の化身です」
「決闘に勝った者なら誰でも王と崇めるのか?」
不躾に投げられた繕わない問いに、若く美しい男は答えあぐねるように口を開閉させた。
「王は前の王を殺した男だろう。王殺しの王を何の感慨も抱かず慕えるのか、お前らは」
「……そういう伝統なのです。ダイハン族は長らく、決闘により新たな王を選んできました」
「クバルもいずれ誰かに殺される」
前方に本人がいるにも構わず声を潜めず言えば、ヤミールは細く秀麗な眉を顰めた。初めて見る、表情らしい表情だ。
「祝宴の時のように、クバルに取って代わろうとする奴は他にいるんじゃねえのか」
だがあの男が殺される光景は想像しがたい。婚姻の祝宴では自分よりも大柄で豪腕の男を斬り伏せ首を刎ねた。有無を言わせぬ冷酷さと重圧をもってブラッドを組み敷いた。そんな残酷で威圧的な男が他の男に殺される場面など果たしてくるのだろうか。
「それはわかりません。私たちはヘリオサが倒れるまでヘリオサを慕います」
「……そうかよ」
短い応酬の中に、ヤミールを始めダイハンの民がヘリオサを頑なに信じていることがわかる。それが盲信なのか、忠心なのかは不確かだが。
八箇所目の村に到着したのは日が傾きかけた頃だった。昼の暑さも薄れ、温い風が時折吹いて多少は過ごしやすい。
村の代表者はクバルよりいくらか上の年頃の男で、王と女王の一行を招き入れると歓迎の意を示した。代表の後ろにずらりと集まった村の民たちは彼らの偉大なる王と、新たに迎えられた女王の姿を見て敬服した。
自らの住まいとなったヘリオススでも、すでに巡回を終えた村でも感じたことだが、他国から嫁いだ女王が女でなく男であることにダイハンの民たちは抵抗を見せなかった。ヤミールに尋ねると、珍しいことではあるが過去にも男の女王は数人いたらしい。
だが中には、美しい女ではなく、ヘリオサ・クバルと体躯に差のない立派な男である女王を一目見て、左右の者と顔を見合わせて笑う民もいた。むしろ彼らの反応の方が、二十七年をアトレイアで過ごしたブラッドの感覚で一般的であるように思えた。
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