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侮辱

 日が沈むと、王と女王、それに近しい戦士や従者たちは村の代表者の住居である天幕に招かれ、食事が振る舞われる。獣の毛皮を敷き詰めた地に座し、大きな正方形を作るよう設置された長い卓を囲むようにして夕餉は始まる。  狩りで捕らえ処理をしたばかりの獣の肉を香草とともに炙ったもの。家畜の乳を発酵させ固めたもの。すでに訪れた七つの村でも振る舞われた食事が今日も目の前に出される。  ダイハンの食べ物は口に合わない。そう忌避していたブラッドだが、きっとこの先ずっと乾いた南の地で生きていかなければならないのだ、何も口にせずにいる訳にはいかない。諦めて無理矢理嚥下していた味にも慣れ、今日の村で用意された食事も義務のごとく口に運ぶ。その右隣ではクバルが猛禽の肉を骨から歯で毟り啜っていた。  ダイハンの民はナイフやフォークを使うことを知らない。器から穀物を指で掬って口に運び、獣の骨を鷲掴んで口で千切る。飛び散る汁や油も気に留めない。最初こそブラッドはダイハンの野蛮な食事の仕方に眉を顰めたが、王からの無言の圧力を感じ取って彼らと同じように食事をした。 「アステレルラ」  杯が空になると側に控えたカミールがすぐさま土焼きの瓶から赤紫色の酒を注ぐ。ヤミールはすぐ隣に座し、グランは天幕の入り口で帯剣したまま佇んでいる。従者は主とともに食事はしない。  居心地の悪さは最高だった。  ブラッドを自分の妻だと称しながら妻だとも思っていないクバルと、女王になったばかりの男を峻険な目つきで眺める王の腹心たちと、命令がなければ声を発しない従者たちと。この顔触れで囲む食事の席はすでに何度も経験したが、何とも言えない所在なさは今だに慣れない。  クバルは時折、三人の腹心たちと言葉を交わす。もちろんその内容はわからない。ヤミールがいちいち通訳することもなかった。  杯を傾けるブラッドの様子に気づいた村の代表者はこちらを見ながらダイハンの言葉を口にした。ヤミールが通訳する。 「食事は口に合いませんかと聞いています」  料理よりも酒を口に含む回数の方が多いことに目敏く気づいたらしい村の代表者の男は、顎の輪郭にびっしり生えた黒い髭を撫でながら女王を見ている。 「さすがに十日もダイハンの物を食べ続ければ祖国の食事が恋しくなる」  素っ気なく当たり障りのない返答をするとヤミールがすぐさま通訳する。別にアトレイアの食事が恋しい訳でもなかったが。  すると髭の男ではなく、クバルの腹心のうちのひとりが酒を啜りながら肩を揺らした。怪訝な視線を向けると男は一重の目を細める。  ヘリオススでもクバルの横にいることが多かった。頭頂部の頭髪だけを長く残して周りを剃り上げ、その黒髪を三編みにして背中に垂らしている。鋭利な一重の目や眉は細く、蛇のような不愉快さがある。名をユリアーンと言った。  顰め面のブラッドを見つめながらユリアーンが口にした言葉を、ヤミールは訳さなかった。口の中に言葉は出来上がっているが発しない。戸惑ったように上目でクバルを一瞥するが、王はまるで関心がないように食事を続けている。 「何て言ってるんだ。通訳しろ」  ブラッドはヤミールに命じるが、彼は「お伝えするほどのことは申しておりません」と拒否を崩さない。その頑なな様子から察するに、ユリアーンの発言の内容はブラッドにとって好ましいものではないらしい。  執拗に追及してまで知りたいことではない。男から視線を外し食事を惰性で口に運ぶ。村の男は困惑したように苦笑を浮かべている。  ブラッドは王の耳には届かぬよう声を潜めてヤミールに訊いた。 「歴代の女王も謗られていたのか? それとも俺が男で、アトレイア人だからか?」 「アステレルラが気にされることは何もありません」 「俺を中傷しているようだったが」  薄々感じていたことだが、ブラッドはヘリオススの戦士たちに歓迎されていない。婚礼の儀を行い、望まぬ床入りまで済ませ儀礼上はダイハンの女王となったが、それまで刃を交えていた国であるアトレイアから嫁いだ男を彼らは認めてはいないようだった。 「誰が何と言おうとあなたはアステレルラです。ヘリオサの妻で、我々の女王です」 「……お前もよく、俺のような男を女王だと言って世話できるな」  捩れた皮肉に対して、僕の青年は何も返さなかった。  ヤミールとカミールは献身的にブラッドに尽くすが、彼らの本心も知り得ない場所にある。王に命じられた女王の僕が仕えるのは義務である。本人たちが役割を光栄に思っていようがいまいが、その義務は彼らの心とは関係のないものだ。  ふと、ユリアーンがいまだにこちらを窺っていることに気づく。肉を屠りながらも蛇のような目だけはブラッドを捉え、彼は自らが仕える王に話しかけた。獣の油に塗れた唇の端はつり上がり、卑しい印象を抱かせた。  ブラッドのことを話しているに違いない。ブラッドについて王の腹心が王に何を話すことがあるのか知らないが、三日月のように細められた目や、言葉はわからないが男の上擦った声の調子からすれば良い話ではない。  ユリアーンの言葉を受けて、クバルはブラッドを一瞥する。その血色の瞳は相も変わらず底冷えするような冷たさだ。クバルはこちらを気にする素振りもなく、ユリアーンに対してぼそりと短く言葉を返しただけだった。  ――さすがに気分が悪い。目の前で堂々と陰口を言われているのにその内容はわからない。  俺に文句があるのならわかるように言えと、ヤミールを介して伝えようと口を開くが、側に控えた僕の手を見てブラッドは声を飲み込んだ。  常に平静さを崩さない顔は今でさえも涼しげだ。だが膝の上に礼儀正しく組まれた両の手は互いを固く握り締め、こらえきれない力でぶるぶると震えていた。 「――……」  腹心の男たちが下卑た笑い声を上げる間も、ヤミールはたえ入るように拳を握っていた。機会を失ったブラッドは僕の姿を視界に入れたまま、夕餉の時間が過ぎ去るのを待った。

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