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退屈

「どうされました、殿下」  炎天下の中、右隣を闊歩するグランがブラッドに声をかける。ブラッドは特に目的もなく呆然と前方の赤い地平を映していた視界を従者へずらし、目を瞬かせた。生温い風が砂塵を伴って吹きつける。 「何が」 「気がどこかへ行ってしまいそうでしたので。落馬するのではないかと」  額に汗を浮かべたグランが毅然とした声で答えるのに、ブラッドは心外だと眉根を寄せた。誤ってでも落馬などしない。  今日もまた大移動だ。一日だけ滞在した前の村を発ってすでに三時間が経過している。それでもまだ次の目的地の影は現れない。毎夜酷使されている尻が振動で鈍い痛みを訴えるのを無視し続けていた。 「確かにどこかへ現実逃避しないとやってられねえ」  飯を食い、犯され、眠る。毎日がその繰り返しで――気が滅入る。巡回先の村に着けばその外に出ることは許されず、天幕の中へ押し込めておくようにと必ず戦士が目を光らせている。監獄に閉じ込められた囚人のようだ。  ブラッドは気怠い空気を薙ぐように首を振り、プラチナブロンドの短髪を無造作に掻いた。  退屈で退屈で仕方なく、馬に揺られながらぼうっとしていた。 「次の村に着いてもやることは同じだ。挨拶して、戦士たちが馬を駆りに行くのを見送って、夜になったら飯を食って、犯されて、寝る。腐りそうだ」 「アトレイアでの暮らしとは異なるでしょう」 「全然違う。女のように城の居室でソファに座って針を習ってる方がまだマシだろう」  身体が疼いて仕方ない。アトレイアで父王が存命だった頃、ブラッドは度重なる戦に奔走し自ら剣を振るい、戦時以外も訓練を怠ることはなかった。女王となった今も毎夜体力を酷く消費しているが、それとは種類が違う。  今のブラッドは剣さえ所持していない。持つ必要がないのだ。有事の際は周囲の戦士や従者が女王の身を守る。女王は何もせず大人しく座っているだけで良い。その有事と呼べる事態さえも、ブラッドがダイハンへ嫁いでからは一度も起こっていなかった。 「狩りについて行ってみてはどうです?」 「狩りに?」  グランがこくりと頷く。 「少しは憂さ晴らしになるでしょう」  ブラッドは前方を行く王の一行を見やった。彼らは次の村へ巡行する合間も、時折隊列を抜けては馬を駆り獣を追いに出ることがあった。クバルの横を闊歩するユリアーンの馬には小動物が逆さに吊り下げられている。 「奴らが許してくれるかどうか」 「ですがダイハンの男たちはみな狩りに出ています」 「俺は男だが戦士じゃないそうだ」 「ずっと夜伽だけをして暮らすつもりですか」  グランの薄い茶色の目がブラッドの緑色をじっと見つめている。  王の機嫌を取りながら洞窟の中で静かに暮らすことは女王の幸せではない。そう豪語していた女の言葉が思い出され、ブラッドは手綱を握る拳に力を込めた。 「望んでしている訳じゃねえ。俺だってそんな毎日はごめんだ」 「王を説得すればよろしいのです。話せばわかってくれるかもしれない」 「女王と言いながらここでは俺は捕囚みたいなもんだぞ。捕囚に自由を与えると思うか?」 「ヘリオサと仲を深めてみてはどうです」  グランの口からさらっと出た提案にブラッドはぞっとした。聞き間違いかと耳を疑う。 「本気で言ってるのか?」 「もちろんです。私は常に真面目に助言しているつもりです」  真摯な眼差しでこちらを射抜く従者に、ブラッドは項の産毛が強張るような気がした。グランから視線を外し、右の掌で首の後ろを擦る。 「それこそ一番難しいだろう」 「どうしてです。仮にも夫と妻です。政略結婚から本当の夫婦になる男女もいるでしょう」  ブラッドとクバルの政略結婚は一般と大きく異なる。敵との和平のためのいわば人質――のようなものだし、そもそも男女ではないのだ。 「あの非道な野郎とどうやって仲良くなれと言うんだ」  自分を犯す男とどう親睦を深めろと。あまりにも無茶な提案だ。 「私は殿下が名ばかりの女王としてくたびれていくのを見たくありません。王が取って変わられた時、あなたも無惨に殺されるなんて」 「お前な――」  続く言葉が紡がれることはなかった。一定の速度で前進していた隊列が突然停止し、戦士たちが声を荒げ始める。ブラッドたちの後方にいたヤミールとカミールの馬が速歩で近づいてきた。 「何があった」 「敵です」  間髪置かず、馬が大地を駆る力強い音が遠くから轟いた。前方の戦士たちが右方に首を向けるのに習い、隊列の右側の小高い丘に目をやれば、赤い地平から馬が続々と現れるのが見えた。軽く五十は下らないだろう。 「ツチ族です。我々ダイハンと敵対しています」  「ツチ族か……」  その名前は聞いたことがあった。アトレイアの南で猛威を奮う異民族のひとつで、ダイハン族と同じく武勇に長けた戦士たちだ。村を形成して定住するダイハン族とは異なり、赤い大地を放浪する移動民族で、人口が少ないためアトレイアの脅威にはなり得なかった。 「数だけ見れば互角だな」 「アステレルラ、隊列から離れましょう」 「は?」 「あちらの岩影へ避難します」  ヤミールが細腕を上げて指し示した先には、人ふたり分ほどの高さのある巨岩が地面から突出していた。横幅もあり、四、五人程度なら身を隠せそうな大きさだ。

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