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許されない

 ツチ族が丘から馬で駆け下りる様を見据えながら、ダイハンの戦士たちが自らを鼓舞するように雄叫びを上げる。腰に差したファルカタを一斉に抜き、天へ突き上げる。真上に昇った太陽が屈強な黒い戦士たちを照らし、銀色の刃を鈍く光らせた。眩しさにブラッドは目を眇める。 「……グラン」 「はい、殿下」 「退屈しのぎになりそうだ」 「そのようですね。身体が鈍らずに済みます」  土埃を上げて敵が迫るのを目にし、身体の中の血が騒ぐ。これが憂さ晴らしというものだ。戦士たちと狩りに出る選択よりもよっぽど有意義だ。  迫る危険を察知したヤミールの馬がその場で蹄を鳴らして荒い鼻息を吐いた。 「アステレルラ」 「俺にも剣を寄こせ。蛮族の急襲など恐るるに足らん」  緑の瞳の中に争いの炎を見たヤミールは、息を詰め視線を彷徨わせた。僕が女王を危険に晒すなどもっての他だ。  ヤミールの葛藤を察したブラッドは手綱を引いた。隊列の前方には食料や武器などの物資を積んだ荷車がある。 「お前らは隠れていればいい。来い、グラン」 「はい、殿下」  ツチ族が迫る右方へ馬首を向けた戦士たちの背後を通り、荷車へ向かう。後ろに蹄の音がすると思い振り返れば、少し距離を空けてヤミールとカミールが追従していた。  荷車に近づいたところで、息を切らせたヤミールが声を張って呼び止める。 「お待ちください、アステレルラ」  速度を上げたヤミールの栗毛の馬がグランを追い越しブラッドに並ぶと、ちょうど荷車を引く馬のもとへ着いた。荷車は数人の戦士が守備しており、彼らは女王とその僕たちの姿を見て怪訝そうに顔を見合わせた。構わず馬から下り荷車に近づくと、同じく下馬したグランと、引き留めるようにふたりの僕が追い縋ってきた。 「戦闘は危険です、アステレルラ。お下がりください」 「アトレイアでも俺は自ら戦場に立ち生き残ってきた。ダイハンの戦士やツチ族には引けを取らない」 「ですが、あなたを戦いに晒すことは許されていません」 「勇猛果敢なダイハン族の女王が、岩陰に隠れて震えていろと?」  語気を強めて追及すれば、頑なだったヤミールは一瞬怯んで口をぎゅっと噛み締めた。隣の妹の顔を見やり、再び赤い瞳をブラッドへと向ける。 「今までのアステレルラは、ヘリオサとともに戦いに身を投じていました。彼女たちは戦士に負けず劣らず勇敢でした」 「ならばどうして俺には許されない。ダイハンの者じゃないからか?」  歴代の女王が剣を持っていたのならば、名ばかりとは言え同じ女王であるブラッドも剣を持つ資格がある筈だ。戦うことすら奪われるというのならば、乾いた南の地でブラッドにできることなど何もない。 「すみません、アステレルラ。できないのです」 「だから、なぜだ」  妙な息苦しさを感じ、ブラッドは襟首の留め具を外そうとするが、この炎天下ですでに拘束を緩めていたことに気づいた。喉元にやった手で汗ばんだ皮膚を撫で、もどかしさに爪を立てる。  口論している場合ではない。すぐにでも戦闘が始まってしまう。  苛立ちの滲んだ声を出すブラッドに、僕は術もなく顔を伏せて首を左右に緩く振った。見かねたグランが口を開く。 「シュオン殿下の剣の腕は私が保障する。アトレイア王国の誉れ高い騎士に匹敵する。私も傍でお守りする。殿下が剣を持つことを許してはくれまいか?」 「……許すのは我々ではなく、ヘリオサなのです」 「ではあなたたちふたりには叱責が飛ばないよう、殿下と私の独断であることを明言しておこう」  グランの毅然とした説得にも、ヤミールとカミールはその美しい顔面から憂慮の色を消さなかった。ブラッドは眉を顰める。 「それともツチ族は、同じ数のダイハンの戦士が立ち向かっても敵わないほど強力なのか? 屈強な戦士が手を焼くほど危険で、だから俺を出させないと?」 「いいえ、ダイハンはツチ族に劣りません」 「じゃあ何で――」  男の怒号が飛んだ。  ふたりの僕が弾かれたように顔を向けた先には、黒馬に跨がったダイハンの王と、彼の腹心のひとりであるユリアーンが佇んでいる。  叫んだのはユリアーンのようで、王に先んじて速歩で女王一行へと近づいた。興奮した馬が荒い息を吐いてブラッドの前で止まる。  ブラッドたちの姿が見えないことに勘づいてやってきたのだろう。こちらの行動の意図を察したらしい男は、爬虫類に似た細い目を眇めてダイハンの言葉を発した。 「何て言ってる」  ブラッドの促しに、ヤミールは応えない。舐めるように見下ろすユリアーンの前で、僕たちは明らかに萎縮していた。  僕はブラッドの言葉を伝えてはくれないだろう。ブラッドは立ちはだかるようにした馬上の男を睨め上げ、その腰元に差した剣を右手で指し示し短く声にした。 「剣を寄こせ。俺も出る」  ユリアーンが細い眉を上げる。彼は鼻から長い息を吐き、首を捻って王の姿を見た。  沈黙したままのクバルはゆっくりと馬から下り、敵がすぐ近くまで迫っているというのに落ち着いた足取りで近づいてくる。ユリアーンの馬が後退し、代わりにブラッドの前に立ったクバルは無表情で見下ろした。  王の許可などクソ食らえだ。捕囚に近い立場、村から出ることも許されない、狩りなどもっての他だろうと思った。だが歴代の女王に許されていたことが自分にだけ許されないのは納得がいかない。 「ヤミールから聞いたぞ。今までの女王は他の戦士と同じように戦っていたそうだな。なぜ俺を止めようとする」 「お前に剣は持たせない」  クバルは簡潔に言った。低く威圧的な声だ。掻き上げた長い黒髪の下、猛禽の鋭い眼光が貫いてくる。ヤミールやカミールが怯むような圧力でも、ブラッドが臆することはなかった。理由を言わず、ただ禁ずる王の言葉には従えない。 「もうすぐツチ族がぶつかる。こんなことで言い争ってる場合じゃないだろう。俺にも武器を寄こせ。お前らと同じように戦う」  主張するブラッドの言葉に、クバルはただ首を左右に振った。  王の命令に従え。口答えは許さない。閨での振る舞いと同じ、こちらには一切の有無を言わせない態度に、ブラッドのこめかみには力がこもる。たえかねて声を荒げようとした時、クバルがその厚い唇を開く。 「お前の務めは夜だけ」  首の筋肉が不自然に引き締まり、気づけば身体が動いていた。全身の筋肉と血管がピンと張り詰める。  ガッ、という鈍い音とともに、握り締めた拳に痛みが走る。傍でカミールが短い悲鳴を上げた。  唇の端から血を垂らし、ふらつきながらもその場に踏み留まった王は、無言のまま血色の瞳で女王を見上げた。  ユリアーンが顔を歪めて見下ろしていることも、周辺にいた戦士たちがわずかに殺気立ってこちらを眺めていることも些細なことに過ぎない。今はクバルの言った言葉だけがブラッドの頭の中を占領していた。衝動に駆られてクバルの美しい顔を殴った拳が痛むのでさえも、頭の片隅に追いやられている。 「ふざけるな」  俺はお前の玩具じゃない。   獣が唸るように吐き捨てた。眦を裂いてクバルの前に立つブラッドを、王は殴られたことを気にした風もなく平然と見やり、そして側にいた戦士に声をかけた。  王の命令を聞いたふたりの戦士が歩み寄り、ブラッドの腕を左右から拘束する。強引に歩き出し馬に乗せようとする間も、ブラッドはクバルから視線を外さなかった。  再び、雄叫びが上がる。間髪置かずに激しい剣戟の音が大地に響き渡る。  屈強な馬に跨がった屈強な戦士たちは、筋肉を躍動させツチ族と刃を交え始めた。  クバルも自らの黒馬に乗り上げ、腰のファルカタを抜いた。ブラッドを冷たく一瞥し、砂埃と血の中へ身を投じる。  ブラッドは顎が痛むほど歯を食いしばり、王の背中を見ていた。

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